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戦場のバースデー〜水もガスもない生活 ハルキウ現地取材
2022年7月中ば、一時ハルキウから撤退したロシア軍は再びハルキウのわずか10キロ手前まで進行してきていた。
7月中旬、ハルキウ北部、最前線手前の団地に取材に訪れていた。
前回の記事
男性の住んでいるマンションもロシア軍とウクライナ軍の戦闘で破壊された。
ロシア軍とウクライナ軍の戦闘で破壊された団地の中を歩いていると
お爺さんが外で焚き火でお湯を沸かしていた。
その光景を見た瞬間、、ここで生活する人たちの現状を理解した。
ここで生活する人たちは水だけでなく、、ガスもないのだ、、。
バンバンババババ、北からロシア軍とウクライナ軍の激しい戦闘音が聞こえる。
現地の方々は全く気にするそぶりもなく、焚き火の近くで寛ぎ、スマートフォンをいじっていた。
彼らの姿と現状に衝撃を受けたが、、彼らにとってはこの状況はもはや日常と化している。
Q"今の生活はどうですか?”
スマートフォンでgoogle翻訳を使って、そう質問した。
A”悪くはないわ。3月にこの場所にロシア軍が来て、ウクライナ 軍と激しい戦闘をしたわ。その後、この場所はロシア軍に占領されたわ。その時に比べたらよっぽどマシ。”
そう女性が質問に答えてくれた。
砲撃音に囲まれ、水もガスもない中で生活してる現状がマシ、、。
”コーヒーを飲んでいきなさい。”
ハルキウ北部の市民の生活に唖然としているとお爺さんが焚き木で沸かした珈琲を入れてくれた。
何故こうもキャンプファイヤーで作るコーヒーというのは、格別の味がするのだろうか?
まさかウクライナ軍とロシア軍の最前線の手前で、そんなキャンプの時と同じような感想が頭に浮かぶとは思わなかった。
今この場所に残っている人たちは何があろうとこの場所をさるつもりはない。
ガスがなかろうが、水がなかろうが、ミサイルが飛んで来ようが、戦車が来ようが、ロシア兵にこの場所を占領されようが、ここから離れずに今まで残ってきたという事実から彼らの覚悟が伝わってくる。
ここが彼らの故郷であり、彼らの家である以上、離れるつもりはないのだ。
この女性も家を誰にも奪われないように守るためにここから離れるつもりはない。ブチャ取材でロシア兵は人が避難して住んでいない家を中心に車から、トイレに至るまで信じられないほどの略奪を行ったという話は山ほど聞いていた。人が住んでいようが、武器を持ったロシア兵相手にできることは限られているが、人が残ることで略奪を行わせないようにする抑止力になるのだ。ロシア兵が家に略奪にきたが、話をすることで防げたというケースもいくつも聴いている。防げなかった時の悲劇も山ほど聞いたが、、
彼女のお母さんが近くの病院に入院していることも彼女がこの場所に残っている理由の一つであるのも間違い無いだろう。
”今日は私の誕生日。”
偶然にも初めて彼女達の場所を訪れた日は女性の誕生日だった。
バンバンバババとロシア軍とウクライナ軍の戦闘音が鳴り響く中での誕生日だ。
Q”誕生日はどうでしたか?”
後日そう彼女に質問すると。
”お母さんが入院していて、薬代が必要なので、お祝いをする余裕はありません。”
彼女はそう語っていた。
最前線手前の街のキャンプファイヤーでコーヒを堪能した後、女性とおじさんの二人が近所を案内してくれた。
”ここにはロシアの戦車が居て、あの建物を砲撃した。”
”ロシアの戦車にウクライナの戦車が向こうから攻撃を仕掛けてきた。”
”ここにもロシアの戦車が居て、、、、、、、”
案内中、多すぎて覚えていないが、何回も何回も立ち止まり、そんな説明をしてくれた。
最初は詳細をメモしようと思ったが、あまりにも数が多く埒が明かない開かないため途中からメモを取るのを諦めた。
それほど激しいウクライナ軍とロシア軍の戦闘が、現地の人たちが残るこの団地で行われたのだ。
その結果が、、、
この廃墟だ、、、この廃墟とかした団地で現地の人々は生活を続けている。
”ここは俺の家だ。”
おじさんは住んでいる家を教えてくれた。
その前には、ブランコ?か何か遊具?の残骸にペットボトルがくくり付けられていた。
”これは俺のシャワーだ!!。”おじさんはそう説明して笑っていた。
水道が止まっているのだから家のシャワーが使えないのは冷静に考えたら当然のことだ。
だけど、、このシャワーで毎日生活か、、
ウクライナの夏は暑い、取材当時の7月半ばであれば、このペットボトルシャワーでも問題はなかったが、、ウクライナの冬は寒い、、ロシアが侵攻してきた当初の2月末や3月のハルキウの気温は極寒だったはずだ。
それを、、このシャワーで生活をしていたのだ。
しかも、当時は外に戦車やロシア兵がいたはずだ。きっとシャワーなど浴びられなっただろうな、、。
今現在もわずか数キロ先でロシア軍とウクライナ軍はバンバンバババと激しい砲撃を繰り広げている。
冬までにこの状況が落ち着き、この地域の建物やインフラが元どおりに何事もなく作動していることなど、、ほぼほぼ不可能だろう、、。
極寒の冬のハルキウでこんなペットボトルシャワーなど浴びれないだろう、、シャワーだけでは無い、ガスがないからヒーターも使えないのだ、、このまま彼らはこんな生活をして冬を越せるのか?
”今はいいけど、冬はヒーターやガスなしで乗り切れるか不安だ。”実際に現地の方々もそう語っていた。
”写真を撮影していいですか?”
そう尋ねるとおじさんは
”笑ったほうがいいか?神妙な顔の方がいいか?”
と聴いてきた。
”好きな顔で大丈夫です”
と答えるとおじさんは、満面の笑みで笑って写真に映った。
バンバンバババと、時折北の方から戦闘の音が聞こえる。
過酷な状況の中で笑顔で暮らしている、現地の方々の強さには毎回、どこに行っても驚かされる。
”ハルキウにナチなんて居ない。プーチンが金と権力のために誇張している。私は昔、ソ連の兵士としてアフガニスタンにも行った。しかし、今回の戦争は理解できない。”そうおじさんは語る。
”何でこんなことになったのか、、本当に理解できないんだ、、。”おじさんはそう言って深くため息をついた。
学校もこのように戦闘で破壊されていた。
ハルキウの人々は、、ここに住む人たちは一体どうなってしまうのだろうか、、。
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この日の取材を終えて、ハルキウの街の中央に戻ると、多くの人が避難して、静寂に包まれたハルキウの片隅から、明るい歌声が聞こえてきた。
それは、世界一美しい歌との出会いだった。
そして、その歌はハルキウの若者達の叫びであり、戦争への抵抗だったのだ。
次回予告
午前3時、耳をつんざくような爆発音と建物が崩れる音で目を覚ます。
ロシアのミサイルがホステルのわずか300メートルほど先に落ちてきたのだ。
あまりの爆音と現実に恐怖し、眠れない夜を過ごすことになるが、それはハルキウの人々にとっては日常だった。
そんな中、若者達は毎日歌い続ける、それぞれの思いを抱えて、ミサイルが降り注ぐ夜まで、、
次回 戦争の中の青春 ハルキウの若者達の思いとは
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