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自分の家を燃やした男性の場合 ナゴルノ・カラバフ難民100人取材

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”平和にはならないさ。平和は何よりもと素晴らしいものだ。私だって平和を望んでるさ、、、だが、無理だろうな、、、、。”自分の家を焼き、家畜をアゼルバイジャン軍に奪われたその老人はため息混じりにそう語っていた。

戦争状態にあるアルメニアとアゼルバイジャン国境に3方囲まれた、アルメニアの国境沿いに在るクハァナツァク村。4日前(取材当時2021年11月20日)11月16日アゼルバイジャン軍によりクハァナツァク村に70〜80発の銃撃が行われた。それだけでなない、ここに住む村人たちは毎週アゼルバイジャン軍から威嚇射撃を受けている。

しかし、避難するわけにはいかない。彼らには守るべき生活、家族がこの村にいるからだ。

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今回取材する難民の方の家の前からはアルメニアとアゼルバイジャンの戦争の最前線が見える。アルメニアの黄色と赤と青の国旗がアルメニアの最前線。青と赤、緑のアゼルバイジャンの国旗はアゼルバイジャンの最前線だ。そんな、最前線がクハァナツァク村を3方向に囲んでいる。この家のすぐ裏にもアゼルバイジャンの最前線が見える。そんな村でも、家畜を育てたり、学校に通う普通の村人たちや、2020年の44日間戦争で故郷を追われた難民の人たちが暮らしている。

家の前ではおじいさんとおばあさんが俺と通訳を待っていてくれていた。おじいさんを見た瞬間、この人は多分強い意志を持った人だろう。その力強い瞳を見てそう直感した。そして、その直感は正解だったとおじいさんの話を聞いて確信した。

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老夫婦は2020年、係争地ナゴルノ=カラバフで44日間戦争が始まるまでは、今住んでいる国境沿いのクハァナツァク村からたった3キロほど先のナゴルノ=カラバフのジゼルナバンク村で生活していた。たった3キロ先に数十年暮らしていた故郷があるというのにもう戻ることはできない。

”たった3キロ先に前生活していた村があるんですか?”俺は思わず驚きのあまりそう口にしていた。

”そうだ。後ろの丘から故郷のジゼルナバンク村を見ることができるよ。”おじいさんは淡々とした口調でそう答えた。しかし、後ろの丘からジゼルナバンク村を俺は見ることはできなかった。後ろの丘はアゼルバイジャン軍の最前線から丸見えで、日が沈みかけていたこの時間にジゼルナバンク村を見るために丘に行くのは危険だと通訳に制止されたからだ。更には、完全に日が沈んだ後アゼルバイジャン軍の最前線である近くの道を通りこの村から拠点であるゴリスへ帰るのは危険なために一刻も早く帰らなければならなかったのだ。

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クハァナツァク村からゴリスへの帰り道を取り囲むアルメニア軍とアゼルバイジャン軍の最前線。両国の国旗を見ることができる。

Q ”いつこの村に移動したのですか?” 

”2020年11月末にここに移動してきた。この村に来る時ジゼルナバンク村の家は焼いてきた。”おじいさんは淡々としかし、力強い瞳でそう語った。

、、、、本当にいたのか、、アゼルバイジャンサイドからの取材記事通り自分の故郷の家を焼いてきた難民が、、、でも、、、なぜ?

アゼルバイジャン側から取材したナゴルノ=カラバフ関連の記事で村を追われたアルメニア人たちは金目の物を全て持ち出し、アゼルバイジャン人が使えないように家を焼いた人が多いという記事がいくつか見られた。しかし、筆者が取材した100人のナゴルノ=カラバフを追われた難民で自分の家を焼いた難民は一家族だけだった。その一人がこの記事のおじいさんである。取材した難民の人達は2016年の4日間戦争のように数日でナゴルノ=カラバフに帰れると思っていた。そのため、彼らは大事な家や家具、菜園をナゴルノ=カラバフに戻った後も使いたいと考えていた。ナゴルノ=カラバフの彼らの家や家具は彼らが人生を培って築いてきた何よりも大切な財産だ。だからこそ、そんな大切な財産を戦争に奪われた難民の人たちの苦悩を聞いてきたからこそ、彼がなぜ家を燃やしたのか俺にはわからなかった。

Q”、、何家を故焼いたんですか?”


”私たちの住んできた家だ。大切な思い出の詰まった家だ、、、アゼルバイジャン人に使わせたくなかった。”おじいさんは相変わらず淡々としかし強い瞳で語った。


”他にも多くの人が家を焼いたんですか?”


”、、、いや、ごくわずかな人だけが焼いたさ、、皆んな戻りたいんだよ故郷に。”おじいさんは少しだけ悲しそうな瞳でそう答えた。


アゼルバイジャン側の組んだ取材ツアーに日本の記者が参加して書かれた記事には、多くの村を追われたアルメニア人達が家を焼いたと書かれていた。まるで、アルメニア人達が好戦的で、そんな態度ではどっちもどっちであり、戦争で村を奪われても仕方ないという風なニュアンスで書かれていた。しかし、それは正しくはない。おじいさんのいう通り、家を焼いた難民など滅多にいなかったのだ。筆者が100人あった難民のうち人家族、おじいさんと奥さん合わせて二人だけだ。多くの難民の人は帰郷や家に戻れない悲しみや苦悩を抱きながら今も生活している。心から戻りたい故郷の家を憎しみから焼く人などまさに100人に一人ほどの割合だろう。少なくとも44日間戦争で故郷を戦争で失った難民達は、理不尽な戦争の被害者でしかない。アルメニア人は憎しみで家を焼くような好戦敵な人たちではない。アゼルバイジャンの取材ツアーに参加した記者の誰よりも、俺はナゴルノ=カラバフ難民の人たちの苦悩を聞いてきた。それだけは確信を持って言える。

2020年11月29日アゼルバイジャン軍はおじいさん達が前住んでいたジゼルナバンク村にやってきた。おじいさんはジゼルナバンク村を政府がアゼルバイジャンに引き渡さないだろうと思っていた。

しかし、現実は残酷だ。ジゼルナバンク村はアゼルバイジャンに引き渡され、おじいさんはわずか3キロ先にある故郷にもう帰ることができない。

Q”44日間戦争前のジゼルナバンク村での生活はいかがでしたか?” 

”ジゼルナバンク村では動物の世話をしていたよ。牛80頭所持していた。動物達全てこの村に移動している。前の村からわずか3キロだから家畜達を連れてくるのも可能だったんだ。ただ、44日間戦争中に牛を数頭奪われ、この村でもアゼルバイジャン軍に牛を5頭、馬を数頭奪われたんだ!!”おじいさんは怒りをあらわにしてそう語った。

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クハァナツァク村の人たちが飼育する家畜の牛

クハァナツァク村では、夜の闇夜に紛れアゼルバイジャン軍が村人達の大事な生活の糧である牛、鶏や馬などの家畜を盗んでいくと多くの村人達は嘆いていた。この時、戦場の最前線付近の村に初めて訪れた俺にはその状況が理解できなかった。アゼルバイジャンの軍隊が脅しの為に威嚇射撃をしたり、最前線でアルメニア軍と時折交戦するのは1000歩譲って理解できるが、、、。しかし、何故アゼルバイジャンという国の正規の軍隊が村の人々の家畜を盗んでいくのかが理解できなかった。

”なぜ、アゼルバイジャン軍はあなた達の家畜を奪うのですか?”と素朴な疑問が気づいたら口から飛び出していた。

”単純に牛や鶏はアゼルバイジャンの兵隊が食べる為に盗んでいくんだ。”と取材に協力してくれて案内してくれた村の青年はそう教えてくれた。俺にとってその答えは衝撃的だった。アゼルバイジャンという国の正式な軍隊が食べる為に敵国とはいえ隣国のアルメニア人達から家畜を盗むなんて軍隊というかまるで盗賊じゃないか!!このような敵対国が接する国境では隣国の軍隊が家畜を奪っていくのは当たり前のことなのか?

”馬は嫌がらせで盗むんだ。俺たちが入れないアゼルバイジャン領土の丘の上で俺たち村人にわざわざ見えるように盗んだ馬を乗り回すんだ。お前らの馬はアゼルバイジャンの物だ。次はクハァナツァク村もアゼルバイジャンの物にするって嫌がらせのメッセージを送る為に。”と取材に協力してくれた村の青年は説明してくれた。いくら敵対国家の村人相手だからといって家畜を盗むなどという犯罪行為が許されていいはずがない。いくら石油があろうが、軍事力があろうがこのような恥ずべき犯罪行為は言語道断だろ!!


Q”44日間戦争中の生活はどうでしたか?”

 ”悪くはなかったさ。最終日まで村にいたさ。停戦合意があったから最終日までは村にいられたんだ。怖くなかったさ。”そう淡々とおじいさんは語った。怖くない?戦争中でいつ攻撃されてもおかしくないのに?

Q”何故怖くなかったんですか?”


”あの村は歴史的にアルメニアのものだ、自分の家にいるのに何を怖がる必要があるんだ?”おじいさんは当たり前だろ?という雰囲気でそう説明してくれた。確かにそもそも自分の家に居るのを怖がる方がおかしな話だ、、、が当たり前の理屈が歪められ、力により理不尽が正当化されるのが戦争だ。今まで住んでいた家や村、故郷や生活、大切な人の命を武力で奪われたり、破壊された難民の人を何人も見た。罪なき彼らが暴力により全てを奪われていいはずがない、当たり前だ。しかし、戦争という理不尽の前ではそんな当たり前の理屈は通用しないのだ。

Q” 奥さんは戦争中の生活はいかがでしたか?”

”ドローンが来ようが何が来ようがジゼルナバンク村で生活を続けたわ。”奥さんも力強い瞳でそう語った。写真はないが、見た目は普通のお婆さんのその迫力に圧倒され、それ以上奥さんに質問することが野暮に思えた。

Q”今の生活はどうですか?”今度はおじいさんに尋ねた。


”今は怖いな、、”神妙な面持ちでおじいさんはそう語った。先ほど、戦争中でも故郷の村の自分の家に住むのに怖いことなどないと強い瞳で語っていたおじいさんが今は怖いと発言したことがにわかに信じられなかった。


”、、、、?何故ですか?”


”今は3人の息子がこの村にいる。この家は息子の家だ。息子は3人とも毎晩村を守るために基地に行く、、何か息子に起きたらと思うと怖いんだ、、”おじいさんは遠い目をしてそう語った。

Q”今難民の人に一番何が必要だと思いますか?”


”、、、何か助けたいなら銃をくれ!!金や支援でなく銃が一番必要だ”おじいさんは語彙を強めてそう語った。通訳も想像してなかった答えに思わず笑っていた。
なかなか強気な人だなあ笑。、、しかし、そんな彼でも息子たちを失うのは怖いのだ、、、。すぐ近くに基地がある敵国アゼルバイジャン軍から威嚇射撃や嫌がらせを受けている彼らにとって、自分たちの身を守るための銃が一番必要なのだろう。平和が当たり前の日本人には理解しかねない感覚だが、世界には彼と同じように自分たちを守るために何よりも銃を欲している人がたくさんいる。今話題のウクライナでもそうだろう。

Q何が一番前と変わりましたか?”

”16年住んでいた家、故郷、農地を失うのは、、、とても悲しいよ、、”おじいさんは悲しい瞳でそう答えた。その悲しみは計り知れない、、、。今まで生活していた家、故郷や生活全てを戦争に奪われたからこそ、今度こそは守るために彼は銃が一番必要だと語ったのだろう。その悲しみと、戻るべき家を焼いてきたほどの覚悟が彼の瞳に強い力を宿しているのだろうな、、、、。

Q”アゼルバイジャン軍の基地が近い事で何か問題ありますか?”


”アゼルバイジャンの基地が近いのは大問題だ!!牛や馬を奪われる!!牛を5頭、馬をたくさん奪われた!!それに、いつも撃ってくるし、いつ戦いになるかわからん!!”とおじいさんは激しい口調で語った。この取材の前にも何人かクハァナツァク村の人たちに話を聞いていた。今まで村の人たちに話を聞いて”なぜこのような危険で不便な場所に残り続けるのだろうか?”という素朴な疑問が湧いていた。仕事がないと嘆く人も少なくはないというのに。なら安全な村や都会に移動した方がいいのではないかと思った読者も多いのではないだろうか。しかし、彼らにはいくら危険でもこのクハァナツァクの村で生活し続けねばならない理由がある。他のこの村に住む人やこのおじいさんも牛や鶏、馬などの家畜をこの村で育てている。家畜を育てるには家畜が食べる牧草がある広い土地がいる。このような家畜を育てるための土地を縁もゆかりもない土地で探すのはかなり難しいことだ。そもそも家畜達を連れ、遠く離れた村へ移動すること事態も容易なことではない。かといってアルメニアの村に住む人たちにとって生きる糧であり、財産でもある家畜を簡単に手放すことなどできはしない。彼らは生きる為に家畜を育てる必要があり、この戦争と隣り合わせのクハァナツァクの村から離れる事はできないのだ。

Q”4日前のセヴ湖でのアルメニア軍とアゼルバイジャン軍の戦いはどうでした?”

この取材を行った2021年11月20日の4日前11月16日この村にある北西の山の向こうセヴ湖で2020年のアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争以来最大の戦闘が行われた。アルメニア国防省によるとアゼルバイジャンにより12人のアルメニア兵が捕虜になり、アゼルバイジャンとの国境付近の2つの戦闘陣地が失われたとされる。アルメニア議会外交委員会の委員長は15人のアルメニア兵が死亡したと述べている。アゼルバイジャン側の死者は不明である。そして、その戦場となったセヴ湖はクハァナツァク村の北西の山の背後、目と鼻の先にある。そして、同日11月16日クハァナツァク村にも70〜80発の銃撃が行われた。

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クハァナツァク村北西のこの写真の山の向こうには2021年11月16日アルメニア軍とアゼルバイジャン軍が激突したセヴ湖がある。

”怖かったさ。ここを同じような戦場にしたくなかった。息子たちも村を守るために基地にいたんだ。アゼルバイジャン軍は撃ってきたがアルメニア軍は人の住んでいる村の近くで戦闘を起こしたくないから撃ち返さなかったんだ。もし、戦争が始まり、アゼルバイジャンがこの村を囲んだら、この村から移動できなくなる。それが怖いな。息子の家もあるんだ!!”おじいさんは今までになく感情的にそう語る。この村で家畜を育て普通に暮らす人たちは、いつでも戦争と侵略の危険と多なり合せで生活をしている。私たち日本人がスマートフォンで動画を見たり、ニュースを見ている今この瞬間にも。

Q”未来に何を望みますか?”


”この数年で両親やたくさんの人が亡くなった。アゼルバイジャンはアルメニア人のリープ(マリア象などの石のメモリアル。家族の象徴らしい。)をたくさん壊した許されることじゃない!!。息子達は戦いで命を落とす可能性がある、でも、両親のリープがこの村にはあるから私たちはこの村から動けない!!リープを守らなければいけないんだ!!”そうおじいさんは語った。家族のメモリアル、リープを守ることそれは先祖代々の名誉を守ることと同義なのだ。

Q”戦争と平和どう思いますか?”


”私の息子は92年のナゴルノ=カラバフ紛争、私の孫は2020年の44日間戦争を経験した。平和にはならないさ。平和は何よりも素晴らしいものだ。私だって平和を望んでるさ、、、だが、無理だろうな、、、、。”そう語るおじいさんはどうしよもなく疲れ切っているように見えた。おじいさんの目は俺に、、なあお前も本当はそう思うだろうと語りかけていた気がした。

”アゼルは静かにできないさ、、、”おじいさんはため息混じりでそう語る。

Q”最後に何か伝えたいことは?” 

”大国や他の国に平和のために私たちを助けてほしい。”彼は内心諦めたような冷めた瞳でそう語っていた。平和は無理だろうと悲しそうに語った後に、平和のために助けてくれと語るおじいさんの助けを求める言葉は誰の言葉より、空虚で、、重い。

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2020年11月16日セヴ湖事変の記事


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