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ナゴルノ=カラバフ紛争 アゼルバイジャン軍に封鎖された街カパンの場合

そのアゼルバイジャン軍に道が封鎖されたアルメニアの街で、険しい顔をした老人は”アゼルバイジャン人は死体を拷問するんだ”と必死に異国の人間に訴える。一方子供達は笑顔で”こんにちは、どこからきたの?”と語りかけてくる。それがこの世界だ。

難民100人取材番外編 封鎖された街カパンレポート

”封鎖された街カパン”への道と国境線

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アルメニアからアゼルバイジャンへ向かう道。遠くにはアルメニアとアゼルバイジャンの国境とアゼルバイジャン領土の山々が見える

2021年10月30日、カパンの人達はどんな暮らしをしているのだろうか?。”アゼルバイジャン軍に封鎖された街カパン”へ向かうバスの中筆者は物思いに耽っていた。筆者が滞在していたアルメニアのゴリスを出てすぐの山に囲まれた道でアルメニアの軍人にバスは止められた。この先の道のすぐ隣はアルメニアと敵対する隣国アゼルバイジャン領となる緊張状態にある道。筆者がカパンに向かった当時2021年10月30日、の数週間前、この道は嫌がらせでアゼルバイジャン軍に不法に占拠された。結果、南部の町カパン以南に住むアルメニアの人々は独立させられた。しかし、2021年10月30日当時は現地のアルメニア人からゴリスとカパンを問題なく行き来することが出来るという話を聞いた。筆者はどうしても”封鎖された街カパン”の雰囲気を一目みたいということで訪ねることにしたのである。

30分ほどアルメニア兵の指示でバスは停車していると、サイレンのついたパトカーのような車がカパン側から走ってきた。それを見た外のアルメニア兵が手でGOサインを出すとバスは再び走り出した。パトカーのような車にはロシアの国旗が付いていた。車の中にいたのはロシア軍なのだろうか?ゴリスの近くに在るアルメニア本土と係争地ナゴルノ=カラバフ、アルツァフ共和国を結ぶ現在唯一の道ラチン回廊にはロシア軍が駐在している。”平和維持軍として”。ラチン回廊と同じようにこのカパンへの道は屈強なロシア軍が駐在しなければ日常の交流や物流すら維持できないほどの緊張状態が続いているのだろうか?このバスがアルメニア兵に停止させられた場所は、平和なゴリスからわずか10キロ程度の場所であった。

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ゴリス、カパン間の道ではないがアルメニアの道から見えるアゼルバイジャン領土の山々。道と山の間に二つの国を分ける国境線が存在する。

このバスの窓から見える山はアルメニアと敵対関係にあるアゼルバイジャン領。筆者はアルメニアからアゼルバイジャンの山を眺めていた。、、、国境とはなんだろうか?国境を眺めて、こんなに物思いに耽った事は初めてだ。初めて陸路でタイとラオスの国境を越えた時、なんだこんなものかと拍子抜けしたのを今でも覚えている。、、、筆者のいるバスと窓からみえる山の間には国境という”見えないが大きな意味を持つ線”が確かに存在する。この線のこちら側には筆者がたくさんお世話になった親切なアルメニア人達が居て、あちら側には筆者が知らないアゼルバイジャン人達がいる。アゼルバイジャンを支援しているのは筆者が旅してたくさんの親切な人にお世話になったトルコだ。しかし、トルコはこの国にとって厄災であり、過去にはアルメニア人虐殺を行なっている。人と政府は別だ、頭ではわかっている、しかし、、、。そして、軍事大国ロシアがアルメニアをアゼルバイジャンやトルコから守るためにこのアルメニアに駐在している。いや、ロシアは駒としてのアルメニアを守るために駐在していると言い換えた方が正確なのかもしれない。それがこの世界だ。筆者がバスで通ったアルメニアとカパンを結ぶ道は、アルメニアとアゼルバイジャンの国境線沿いの道でもあった。道中いくつかの小さな村を通った。今にして思えば、これらの村も国境沿いにあるがゆえに、アルメニアとアゼルバイジャンの争いと大国の思惑から生じる困難に苛まれてい他のだろう、難民100人取材で訪れた最前線に囲まれた村クハァナツァクのように。

”11月16日、その村へ7〜80発の銃撃が行われた”最前線に囲まれた村クハァナツァクの記事リンク

https://note.com/seantheworld/n/n9eedca68bd9f

”封鎖された街カパン”と老人の叫び

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封鎖された街カパン。曇っているからか第一印象は寂しい雰囲気がする街だった。シュニク地方の中心都市。人口約4万5500人。

封鎖された街カパンの第一印象は”寂しい雰囲気のする街”であった。数週間前封鎖されていた事実を知っていたからか、天候が曇っていたからかわからないが第一印象は暗い雰囲気がする寂しい街だった。外国人、東アジア人が珍しいのかこっちを見てくる人は多いが話しかけてくる人もいない。謎の緊張感がある。そんな気がした。”ニーハオ”そんなカパンを散策しているとニーハオと中国語で声をかけられた。

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”ニーハオ”と声を掛けてきた帽子を被った、目力の強い老人

帽子を被った目力の強い現地の老人が声を掛けてきたのだ。カパンの街では通訳なしで完全に一人だった。カパンの人とのコミュニケーションにおいていちばんの障害は言語だった。自分は日本人だと数少ない知っているロシア語で答えた。アルメニアは旧ソ連の国だったのでロシア語を話せる人は多いが英語を話せる人は地方には本当に僅かしかいない。ロシア語を話せるのかと尋ねられ、英語と日本語しか出来ないと彼に告げた。”私は中国語とロシア語、そして英語を少しだけ話せるんだ。この街で英語が少しだけ話せるのは私だけだ”と語り出した。彼の英語はかなり片言だった(筆者自身の英語力も人のことあれこれ言えるレベルではないが。)彼はかなりフレンドリーでお互いの年齢当てゲームなどしたり、アルメニアやここから目と鼻の先にあるイランの文化の話をしたりした。しかし、彼は何か不自然だ。

個人的な経験上、この手の片言な異国語を話し、不自然にフレンドリーな人に南アジア又は東南アジアで出会ったら十中八九詐欺師か詐欺まがいのガイドだ。しかし、ここはヨーロッパとアジアの狭間コーカサス地方。観光地の街ですらない。そもそも海外の観光客が来ないこの街でそんな詐欺紛いのガイドなどしても食ってはいけないだろう。この老人の”不自然さ”に何か目的があるはずだと思ったが、その目的が何かまではその時筆者には見当もつかなかった。彼とアルメニア周辺国の話をしている時彼の目的ははっきりした。”アゼルバイジャン人はアルメニア人が死んでいるというのにアルメニア兵の死体に銃を撃ち続けたり、拷問をしたりするんだ!!”とてつもない目力で彼は筆者の瞳を見つめながら語った。”酷いな、、”彼の鬼気迫る形相に圧倒され筆者はそう答えるしかなかった。”酷いなんてものじゃない!!アゼルバイジャン人は悪魔だ!!”彼はそう語った。彼の話が本当かどうかはさておき、大切なのはそう信じている人達も現地には少なからずいると言う事。そして、彼の語る極悪非道な行いに近い行為が行われていると言う事だ。そして、訪れた何も知らない異国の人間に伝えたかったのだ。これは大切な”声”だ、耳を傾けなければならない。

”アルメニアは街を攻撃したりしない、でもアゼルバイジャンはステケナパルト(アルメニアとアゼルバイジャンの係争地、ナゴルノ=カラバフ、未承認国家アルツァフ共和国の首都)を攻撃したんだ。人が普通に住んでいた街を爆撃したんだ。”彼はそう語っ、、、いや叫んでいた。アゼルバイジャン軍が去年の戦争でステケナパルトの街をナゴルノ=カラバフの街や村を攻撃したのは事実だ。彼は通り過ぎてゆく異国の人々にアゼルバイジャンにより、アルメニア人達が住んでいた街や村が攻撃されていること。アルツァフ共和国のアルメニア人達の普通の暮らしが奪われたことを伝えたかったのだ。”酷い話だ、、、”こう言う時に筆者が言えるのは”酷い話だな”か”酷いな”という言葉くらいなものだ。ナゴルノ=カラバフ難民100人取材を終え、たくさんの難民の人たちの話を聞いた今なら彼が何を異国の人たちに伝えたかったか痛いほどわかる。彼らの生活、全てが戦争によって奪われた事を誰か一人にでも伝えたい彼の気持ちが、、、

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2020年、係争地ナゴルノ=カラバフにて勃発したアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争でアゼルバイジャン軍のドローン攻撃により兵士だった愛する夫であり、父を失ったナゴルノ=カラバフ難民の家族。彼女達の話は今後別の記事にする。彼女達の瞳を筆者は忘れられない。

”アゼルバイジャンは先に攻撃してきたんだ!!それなのに奴らは攻撃してない、先に攻撃したのはアルメニアだなんて嘘をつくんだ。どう考えても先に攻撃したのはアゼルバイジャンじゃないか!!何故そんな嘘がつける!!”そう老人は必死に訴えてきた。2020年ナゴルノ=カラバフでの44日間戦争。アルメニアもアゼルバイジャンも先制攻撃を否定している。しかし、世界のメディアから客観的に見てアゼルバイジャンが先制攻撃をしたと考えられている。計画的なハイテク兵器ドローンを駆使し、圧勝したアゼルバイジャン。どう見ても計画的に準備された戦術だった。

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老人の表情は鬼気迫るものがあった。必死に何かを伝えたい人はこういう表情になるのだろう。”しかもエルドアン(トルコの大統領)は!!、、、”これ以上は聞いてられない。俺は老人が話し続けるのを遮った。”エルドアン、、トルコはアゼルバイジャンに援軍を送った、、敵が多くて大変な状況だったよな、、”俺は老人の言葉を遮り、彼の代わりに続きを語った。”、、、知っていたのか、、、”この時彼は少し安心した顔をしていたのが印象的だった。彼がよく中国語で語りかけていた中国人達はナゴルノ=カラバフ戦争、44日間戦争を知らなかった人が多かったようだ。彼はそもそもナゴルノ=カラバフで戦争や問題があることを世界の人に知って欲しかったのだ。知ることがまず大事なことなんだとその時思った。

”私たちアルメニアはトルコとアゼルバイジャン、二つの国と戦わなければいけなかったんだ!!誰も助けてくれなかった!!そして、たくさん失ったんだ!!”老人はそう言った。それは老人だけでなくアルメニアの悲痛な叫びにも聞こえた。44日間戦争時アルメニアの同盟国ロシアはアルメニア を助けず見捨てた。世界の警察アメリカも人権先進国ヨーロッパも、結局きれい事だけ語り事実上黙認したのだから。俺はもう何もいうことができなかった。後日44日間戦争でたくさんのものを失った人たちと出会うことになる、、愛する人さえも、、、。

”この世界でトルコとアゼルバイジャンだけは人間じゃない!!人間の心がない!!”老人の強い目力、心からの叫びに何もいう事はできない。俺はアゼルバイジャンを知らないから何も語る事はできない。しかし、トルコは、、俺が出会ったトルコの人たちは、、、。筆者はトルコをヒッチハイクで半周したことがある。その旅で筆者が出会ったトルコ人達はフレンドリーで本当に親切で、訳もわからない異国の旅人であった筆者を助けてくれた。トルコ人だけじゃない、クルド人、シリアの難民にも出会った。みんな国も民族も宗教も超えて本当にいい奴らだった。だから、、トルコの人は化け物じゃない、、、少なくとも俺が出会った人たちはめちゃくちゃいい奴らだった、、そう思ってもそれを誰がナゴルノ=カラバフ戦争でたくさんのものを失ったアルメニアの人に言えるだろうか。人と国、政府は違う。頭ではわかっている。しかし、国や政治的に見ればトルコは2020年のナゴルノ=カラバフ戦争でいちばん得をした。なにせ中央アジアまでトルコからつながる影響力を行使できる土地を得たのだから。そして、どんなに個人ではいい人であっても政府や国、巨大な力の影響は必ず受ける本人が望もうが望まないが。この世界は歪んでいる。

老人と同じ意見の人もいれば違う人もいる。後日であうアルメニア人の少女は”国とか、宗教とか人を分ける枠組みなんて無くなればいいのに。私はトルコに友達がいる。”そう語っていた。難民100人取材で出会った家族は”君はトルコに友達がいるが。若いトルコ人達となら話し合いで和解できると言っている人たちがいるが、そう思うかね?”そう質問された。過酷な歴史がトルコとあろうがアゼルバイジャンとあろうが話し合いで解決できるかもしれない、そうしたいと信じる人達もいるのだ。

”ショウ、会えてよかったよ”老人は最後にそういうと握手を求めてきた。”、、、あなたと話せてよかった。”俺は彼の握手に応じて、彼と別れた。老人は握手をしてくれたし、俺の名前を覚えてくれたし、写真も撮らせてくれた。ナゴルノ=カラバフの話をする前にお互いの年齢当てクイズで無邪気にはしゃぎあったし、アルメニアやイランの文化の話もした。この老人はいい人なのだ。しかし、俺は老人の鬼気迫る叫びに何も答えられなかった。でも、老人は俺がナゴルノカ=カラバフ紛争について知っている事で安心していた、そんな印象を受けた。だから、俺にできるのは”知ること”、”伝えること”そして”対話すること”だけだとそう思った。


暖かい人の街カパンと素敵なカパンの人たちの笑顔

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カパンの街のアルメニアとアゼルバイジャンの国境線が近い場所で出会った、ジェスチャーで写真を撮ってくれと言ってきたアルメニアの人たちの素敵な笑顔

カパンの街の中央広場には、街の中心地だというのにもう使われていない旧ソ連式遊園地の残骸が残っている。その遊園地の残骸がこの街の雰囲気をより一層寂しくしているにも関わらず。

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中央広場の使われていない観覧車の残骸

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カパンの中央広場。遊園地の残骸のせいでとても寂しい雰囲気

寂しい雰囲気の街にも関わらず人が温かいのがアルメニアあるあるであろうか、英語が全く通じなくてもカパンの中央広場のカフェのスタッフは身振り手振りと素敵な笑顔でもてなしてくれる。本当に優しい人たちである。親切な女性店員はサービスでウオッカをいっぱい無料で提供してくれた。優しさの詰まったウオッカとともに、ほっぺたがとろけるように美味しい、アルメニア料理ドルマ(ロールキャベツの上位互換)をいただく。最高の時間だ。

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机の上の料理がアルメニア 名物ドルマ。個人的にロールキャベツの上位互換。隣にある小さなグラスはサービスで出してくれたウオッカ。カフェだろうが、アルメニア人の家だろうが、道路にで休憩している工事現場の人たちからだろうが度数の強いウオッカのおもてなしを受けるのはアルメニアあるあるだ。本当に気さくで陽気な人たちだ。

アルメニアのアットホームなカフェに入るとアルメニアの人達の穏やかな日常。優しい時間を体験することができる。家族連れの子供達は暖をとりながらジュースを飲み、陽気な野郎達は時に口論して揉めながらもウオッカやコーヒーを飲み談笑している。店の親切なおばちゃんはウオッカをサービスしてくれる。

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カパン中央広場の素敵なカフェで暖をとりながらジュースを飲む子供達

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筆者とカフェにいたカパンの陽気な野郎

カフェでランチを食べていると、現地の陽気な若者は言葉が通じなかろうがこっちへきて食えと手招きしてくる。言葉は一切通じないがとりあえず相席する。こういう時は心でコミュニケーションしかない。通訳をつけて話をするのも好きだがこういう風に現地の人と言葉無しでコミュニケーションするのが好きだ。とりあえず”ボンバ、ボンバ”と言って握手して絡んでいた。こういう言葉を超えた交流こそ異国に来る醍醐味とも言える。とはいえ”ボンバ”とはどういう意味であろうか?まあろくでもない意味だろうが、楽しい時間なのでよしとしよう。

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カフェからの帰り道素敵な子供達との出会い。子供達はキラキラした笑顔で”今日は、どこからきたの?”と学校で習った英語で声をかけてきた。”日本人”だと告げると”アニョハセヨ”と言ってきたので”ハロー”と返す。訂正はしない、大事なのは挨拶しようとする心。交流しようとする心。そして、対話しようとする心だ。絡んでいる時ずっと子供達はニコニコしていた。この笑顔こそがアルメニアの未来、カパンの未来なのだ。

”封鎖された街カパン”みんなピリピリしているのだろうと勝手に思っていたが、カパンの人も暖かく、笑顔が素敵な人達だった。”温かい街カパン”それが筆者の最終的なカパンのイメージだ。

カパンでカフェに訪れ、子供達から素敵な笑顔をもらった日、2021年11月31日。まさか、このわずか二週間後再びアゼルバイジャン軍に筆者がゴリスからカパンに行った道が封鎖された。この記事を書いている2021年12月10日現在もその道はアゼルバイジャンに不法に占拠されている。それが、この世界だ。

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