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11月16日その村へ、7〜80回にわたる銃撃が行われた

その日、アルメニアのクハァナツァク村にアゼルバイジャン軍から7〜80発の銃撃が行われた。

アルメニアとアゼルバイジャンという2カ国の戦争の最前線に最も近い村クハァナツァク。その村に続く道には広大な美しい丘が広がっている。最前線という言葉から思い浮かぶのは荒野や荒れ果てた廃墟だが、その最前線への道はイメージと真逆のとても美しい道であった。しかし、この美しい道で立ち止まり写真を撮ることなどできない。

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クハァナツァク村へ続く道路から見える壮大な景色

運転手のアルメニア人はクハァナツァク村へ今まで何人ものジャーナリストを連れて行った経験を持つ。ジャーナリスト達はこのアルメニアとアゼルバイジャンの国境沿い近くのこの場所で写真を撮ろうとした。しかし、アゼルバイジャンの兵隊がやってきて”この場所で写真を撮るな”と注意しにきてトラブルになることもあった。さらに、そこにアルメニアの兵隊もやってきて”ありのままを撮影するんだ”と言いにきてアルメニア 兵とアゼルバイジャン兵の小競り合いになることもあると語っていた。壮大な美しい景色に思わず忘れそうになるがこの場所はアルメニアとアゼルバイジャン30年にもわたり血で血を洗う戦争を繰り広げてきた2カ国間の緊張感高まる場所なのである。

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クハァナツァク村へ続く道沿いのアルメニア軍の前線

村へ向かう道からも丘の上に数多くのアルメニアとアゼルバイジャン両国の最前線を見ることができた。そんな最前線が見える道を車で走り抜けると谷間に村が現れる。戦場の隣、最前線の村クハァナツァク村である。この最果ての村で人々は最前線に近い故の苦難に苛まれており、村人達は二国間の緊張関係、大国の思惑に翻弄され続けている。

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村へ続く道路から見える谷間の村クハァナツァク村

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最前線に囲まれたクハァナツァク村の風景 奥の丘の上の大きい旗がアルメニア側の最前線 小さな旗がアゼルバイジャン側の最前線となっている

クハァナツァク村は長閑で景色も良く数日ここでゆっくり過ごしたくすらなる。しかし、よく見るとどこからもいくつものアルメニア、アゼルバイジャン両国の国旗が見える。両者の最前線に囲まれているのだ。村は全てアゼルバイジャン軍の攻撃射程範囲内だ。最も最前線に近い民家は最前線からわずか80メートルの場所にある。戦争の最前線からたった80メートルの家でアルメニア人が生活しているのである。にわかに信じられない光景であった。

そんな最前線、戦場の隣の村クハァナツァク村にも普通の子供達や家族が生活している。2020年アルメニアとアゼルバイジャン間で勃発したナゴルノ=カラバフ紛争の難民で現在クハァナツァク村に住む3人の子供を持つエマさん(仮名)は「子供を朝学校に登校させるのだけでもアゼルバイジャンの基地が近いから危険で、何が起こるかわからなくとても不安だ。」と語る。

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写真左の女性がエマ(仮名)さんと子供達右から次女14歳、長男9歳、長女18歳

子供達も皆口を揃えて「アゼルバイジャンがいつ攻撃してくるかわからず怖い」と語っていた。「そんなに頻繁に攻撃してくるのですか?」と質問すると、一週間に2〜3回はアゼルバイジャン軍が威嚇射撃をしてくると教えてくれた。筆者の想像以上の数だった。「なぜ、アゼルバイジャン軍はそんな事を?」そんな筆者の質問に取材を手伝ってくれていた村の若者は「アゼルバイジャン軍は村人を脅して怖がらせて村から立ち去らせたいんだ。そうすればあいつらは簡単にこの村を手に入れることができる」と答えてくれた。村全てがアゼルバイジャン軍の攻撃の射程範囲に入るこの村で毎週2〜3回威嚇射撃をされるのはとてもストレスであり恐ろしいことだろう。特に子供達は。戦争により村を追われ辿り着いたこの村ですら安心して学校に登下校すらできない状態はあまりにも悲惨だ。子供達に何の罪があるというのだろうか、、、、。

エマさん(仮名)「4日前はアゼルバイジャン軍は10分〜15分おきに銃を撃ってきたわ。7〜80発は1日で攻撃してきたと思うわ。セヴ湖のようにいつ戦闘が始まるか怖くて気が気じゃなかったわ、、、。」

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村北西のこの写真の山の向こうには2021年11月16日アルメニア軍とアゼルバイジャン軍が激突したセヴ湖がある。

この取材を行った2021年11月20日の4日前11月16日この村にある北西の山の向こうセヴ湖で2020年のアルメニアとアゼルバイジャンの44日間戦争以来最大の戦闘が行われた。アルメニア国防省によるとアゼルバイジャンにより12人のアルメニア兵が捕虜になり、アゼルバイジャンとの国境付近の2つの戦闘陣地が失われたとされる。アルメニア議会外交委員会の委員長は15人のアルメニア兵が死亡したと述べている。アゼルバイジャン側の死者は不明である。

この44日間戦争後の最大の両国の衝突時にこのアルメニアのクハァナツァク村近辺でもアゼルバイジャン軍がアルメニア軍を挑発するために7〜80回もの攻撃を行なっていたのだ。”たくさんのアルメニアの兵士たちが村を守るためにやってきた。アゼルバイジャン軍から7〜80回もの攻撃を受けたにもかかわらず、アルメニア軍は民間人が住むこの村の近くで戦闘が始まるのを避けたかったから銃を撃ち返さなかった。いつもアゼルバイジャンは戦争を望んでいるが我々が望むのは平和だけだ。」とこの日あった20人近いクハァナツァク村人のうち多くの人々がこう語っていた。

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来年大学受験を控えるエマさん(仮名)の18歳の長女

来年大学受験を控えるエマさんの長女の夢は大学の先生。難民として村、家、両親の仕事、家畜、農地、家具、今までの生活を全てを失った彼女はどんな状況でも知識だけは財産として残る事を理解している。だからこそ知識を教える先生になりたいのだ。しかし、この村では大学受験ですら他の地域に比べて圧倒的に過酷だ。受験勉強をするための塾や家庭教師がこの村にいないからだ。最寄りの町ゴリスまでも約30キロほどの距離があり塾に通うにしても高額なタクシー代が必要になる。そもそも、前述した通りこの村とゴリスを結ぶ道はアルメニアとアゼルバイジャンの最前線に近く塾に通うのも安全ではない。

教師不足も深刻な村の問題だ。危険な最前線が近いこの村に他の地域からわざわざ教師が授業を行うために通ってくれる事はない。今はこの村の学校には物理を教えることができる先生は居ない。平等に教育を受ける権利があるはずの子供達でさえ、戦争の影響で受けられるはずの教育を受けることのできないという不利益を被っている。子供への教育は未来への投資だ。この村の教師不足はアルメニアの未来、世界の未来を損なう問題である。それに何より、教育の大事さを知る一人の真面目な少女の明るくあるべきである未来に影を落としかねない悲しい状況であると言わざる得ない。

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牛小屋へ戻っていくクハァナツァク村の牛の行列

アゼルバイジャン軍による牛や馬など家畜の強奪も問題だ。夜の闇夜に紛れアゼルバイジャン軍は村人達の大事な生活の糧である牛、鶏や馬などの家畜を盗んでいくと多くの村人達は嘆いていた。戦場の最前線付近の村に初めて訪れた筆者には状況が理解できなかった。アゼルバイジャンの軍隊が脅しの為に威嚇射撃をしたり、最前線でアルメニア軍と時折交戦するのは1000歩譲って理解できる。しかし、何故アゼルバイジャンという国の軍隊が村の人々の家畜を盗んでいくのかが理解できなかったのだ。「なぜ、アゼルバイジャン軍はあなた達の家畜を奪うのですか?」と筆者は素朴な疑問を村人達にぶつけた。「単純に牛や鶏はアゼルバイジャンの兵隊が食べる為に盗んでいくんだ。」と村人達は教えてくれた。筆者にはその答えが衝撃であった。アゼルバイジャンという国の正式な軍隊が食べる為に敵国とはいえ隣国のアルメニア人達から家畜を盗むなんて軍隊というかまるで盗賊のようである。このような敵対国が接する国境では隣国の軍隊が家畜を奪っていくのは当たり前のことなのだろうか?。

「馬は嫌がらせで盗むんだ。俺たちが入れないアゼルバイジャン領土の丘の上で俺たち村人にわざわざ見えるように盗んだ馬を乗り回すんだ。お前らの馬はアゼルバイジャンの物だ。次はクハァナツァク村もアゼルバイジャンの物にするって嫌がらせのメッセージを送る為に。」と村人達は説明してくれた。いくら敵対国家の村人相手だからといって家畜を盗むなどという犯罪行為が許されていいはずがない。いくら石油があろうが、軍事力があろうがこのような恥ずべき犯罪行為は言語道断である。

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牛を5頭、馬を数頭アゼルバイジャン軍に盗まれたデビットさん(仮名)70歳

「アゼルバイジャンの基地が近いのは問題だ!!牛や馬を盗まれるんだ。牛を5頭、馬をたくさんアゼルバイジャン軍に盗まれたんだ!!いつ撃ってくるかもわからないし、いつ戦いになるかわからん!!」とデビットさんは語る。今まで村の人たちに話を聞いて”なぜこのような危険で不便な場所に残り続けるのだろうか?”という素朴な疑問が湧いた。仕事がないと嘆く人も少なくはないというのに。なら安全な村や都会に移動した方がいいのではないかと思った読者も多いのではないだろうか。しかし、彼らにはいくら危険でもこのクハァナツァクの村で生活し続けねばならない理由がある。上述した子供が3人いるエマさんもデビットさんも牛や鶏、馬などの家畜をこの村で育てている。家畜を育てるには家畜が食べる牧草がある広い土地がいる。このような家畜を育てるための土地を縁もゆかりもない土地で探すのはかなり難しいことだ。そもそも家畜達を連れ離れた村へ移動すること事態も容易なことではない。かといってアルメニアの村に住む人たちにとって生きる糧であり、財産でもある家畜を簡単に手放すことなどできない。彼らは生きる為に家畜を育てる必要があり、この戦争と隣り合わせのクハァナツァクの村から離れる事はできないのだ。

「先祖代々のリープ(十字架やマニア像などのモニュメント。アルメニア人は家族のモニュメントとしてこのリープを引き継いでいく文化がある)やお墓を守らなければならない。だから、この村を離れるわけには行かない!!アゼルバイジャン軍は去年の戦争でたくさんのリープやお墓を破壊したんだ。許される行為じゃない。」とデビットさんは語る。デビットさんには3人の息子がおり、毎晩アルメニア軍の基地に村を守る為出かけていく。「息子達に何か危険があると思うととても心配で、、怖いんだ、、、。」とデビットさんは言う。しかし、彼も彼の家族また簡単にこの村を離れるわけには行かない。先祖代々のお墓とリープを守らねばならないからだ。

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「大国の力でアゼルバイジャンを止めてくれ!!アメリカ等の大国が本気で言えばアゼルバイジャンは止まるだろ?」と必死に訴えていたアレンさん(仮名)

「最後に何か日本や海外の人たちに伝えたい事はありますか?」という質問を毎回最後に今回のナゴルノ=カラバフの取材でインタビューした人たちに尋ねている。今現在80人ほどのナゴルノ=カラバフ難民の人々に取材してきた。他の村や街に住むナゴルノ=カラバフ難民の人々の多くはこの質問に平和の大切さや戦争の悲惨さを語ってくれた。しかし、この村の人々は「アメリカやヨーロッパなどの大国からアゼルバイジャンに攻撃を止めるように言って欲しい。」「大国の力でどうにかアゼルバイジャンを止めて欲しい。」などと答えてくれた。その様子は鬼気迫るものがあった。それほどまでにこの村の人々はアゼルバイジャンに追い込まれているのだ。

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去年2020年のアルメニアとアゼルバイジャンにおける44日間戦争前はこのクハァナツァク村には約300もの家族が暮らしていた。今暮らしているのはわずか130家族だ。約200もの家族があの戦争の後この村を離れた。今もなおアゼルバイジャン軍から嫌がらせや威嚇攻撃などを受けるこの村の人たちはどうなってしまうのだろうか。彼らが望むのはただ平穏な毎日だ。

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