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番外編「じぶんの位置」

前回の投稿の絵の解説です(o^―^o)

あくまで、お話なので、心をニュートラルに
「( ̄- ̄)ふ~ん」と思って読んでください笑

何かと区別したとき、初めてそこに差が生まれます。新しい概念が生まれます。

僕は自分の目から見えた多数派を“ふつう”としました。そして、他人の目になったつもりの茶色い自分の目が“自分はふつうに属さない”と判断したとたん、不安になりました。
意志の薄い自分の桃色の影が“ふつう”に行ってみようか迷います。
本来の自分ではないけれど、その“ふつう”になってみようと思いました。
けれど、どこかためらいを覚えます。ちょっと心苦しいです。
頭の中で“ふつう“という少し輝いた自分(もの)と、本来の自分が入り交じり、頭が重くなる。

青い怪獣さんのように“ふつう”というものをいとも簡単に飲み込むことができたのなら、とても楽なのだろうとも思ってしまう。。。

もし、“ふつう”というものが存在するのならば、自分の目には見えていないだけで、現実には様々な“ふつう”が存在し、少数派でも多数派になりうるし、多数派でも少数派になりうる。

本当は自分の足元にちゃんと自分の居場所があるのだから、その居場所を自分が耕さないでどうする。。!!(あ、僕の居場所は緑色なんだ、、!!僕の体の色と一緒だ、、!!)
と気付いた怪獣さんでした笑

p.s.
サメさんが早く寝ようと言うので、もう寝ます。

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