海に恋をした日の話
物心ついた頃から、海が好きだった。
海なし県に生まれたせいか海に強い憧れを持っていて、連れて行ってもらえるならディズニーランドよりも嬉しかった。
貝殻拾いは昔からの趣味だ。拾って、大事に箱にしまっておいて、ときどき眺める。そうすると家でも海と繋がっていられる気がして。
きらきら光る海。泳げない私は、遠くから見てるだけだった。
海の底のことは、水族館に行ったり、プールに潜ったりしてみて何度も想像した。水平線の向こう側のことは、海賊映画を観たり地球儀を回してみたりして一生懸命知ろうとした。
*
大学生の夏、付き合っていた男の子に振られた。
思えばあの頃、色々転機だったのかもしれない。
ちょうど、続けてきた課外活動も潮時な気がしていた。
高校から合唱を続け、大学入学後も海外で活動するほど真剣に打ち込んでいた。でも、私には作りたい音楽に強いこだわりがあった。どこの合唱団でも求めている音が作れなくてムシャクシャしていたのだ。
国際コンクールでの入賞を経て、その先の目標に行き詰まっていた。
何か突拍子もなく新しいことを始めたくなった。
*
話せばとても長くなるので細かい説明は割愛するが、とりあえず私はヨットに乗ってみることにした。
お金持ちが優雅にパーティーするでっかいやつじゃなくて、2人乗りの、いわゆるディンギーと呼ばれる競技用ヨットだった。エンジンがないから風の力でしか動くことができないやつ。
ハーバーから海に出た瞬間はワクワクしかなかった。あのスーッと進む感じ。怖いって感じる人もいるかもしれないけど、沖でトラピーズに出ても全く恐怖はなかった。
シートを引くと、顔に受けていた風がいっそう強くなった。最高のセーリング日和だった。
はじめて、陸からでは見れない海を知った。
その日は特に透明度が高く、3〜5mほどの浅瀬では海の底が見えた。
鬱蒼とした気分を夏の南風が吹き飛ばしてくれる、海が洗い流してくれるような気がした。
ある人が言っていた。
「山は力をもらう場所、海は悪いものを洗い流す場所」だと。
水平線の向こうは、思っていたよりもずっと果てしなかった。「海は広いな大きいな」なんて、陸から見た景色で知ったかぶっていたのが恥ずかしく思えた。
はじめて知った海の新しい表情に、ときめいていた。
あのときめきは恋だったと思う。
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帰りの電車で元彼の写真を消し、合唱団の先輩に「辞めます」の連絡をした。目を瞑ると、波に揺られる感覚が残っていた。
この日からひと月を待たずしてヨットの世界に飛び込んだのは言うまでもない。
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