見出し画像

【漫画 テンジュの国】18世紀のチベットに想いを寄せて

わたしは聖地巡礼というものが大好きです。

二次元と三次元の境目が溶ける、まるでその漫画やアニメの世界に入り込んだような魅力的な体験。

高校生の頃読んだ篠原千絵先生の「天は赤い河のほとり」に憧れ、古代ヒッタイト帝国を感じるためトルコに2度渡航しました。ドイツではペルガモン博物館でイシュタルの門を見て感動に震えました。

画像1

進撃の巨人が大好きでドイツのネルトリンゲンにも行きましたし(一番好きなのはハンジさんです)(色々あってこの辺の写真は全てないのが残念です)

YURI on ICE!!!にどハマりしたのは最近のことで、バルセロナとカザフにも行きました。

画像2

スターウォーズのロケ地ヨルダンにも行ってみたり、他に国内も挙げていくとキリが無いほど。

画像3

旅先は聖地巡礼よりも別の目的ができて行った場所の方が多いのですが(イスラム建築に興味を持った、とか、ガウディ建築に興味を持った、とか)なんにせよ漫画やアニメが好奇心の入り口であったのは間違いなく、この素晴らしい出会いたちに感謝しない日はありません。

さて、そんな聖地巡礼マニアの私が本日おすすめしたい漫画は、泉一聞 先生著「テンジュの国」です。

舞台は18世紀のチベット。医者の息子として自らも医者として生きる青年カン・シバと、そんな彼の結婚相手ラティを取り巻く暖かな物語です。

画像4

親の決めた結婚相手、顔も知らぬ結婚相手

現在のチベット開放後は結婚の自由が認められていますが、当時は親が決めた相手と結婚するのが通例。カン・シバとラティもその例に違わず顔も知らぬうちに許婚となり結婚することになります。

はじめは戸惑う二人でしたが、次第にお互いの持つ優しさに惹かれ合うようになります。

私がウズベキスタンを旅したときに現地の人と話した結婚観を思い出させるものがありました。(ウズベキスタンでは今でも多くの人が親同士の見立てで結婚をするそうです)

親が決めた結婚相手に不満はないの?どうやってそれで死ぬまで一緒に暮らすの?そこに愛はあるの?文化の尊重などなにも考えなしに発した私の言葉は、もしかしたら彼らを傷つけたかもしれません。いえ、傷つけたでしょう。

そのときに教えてくれたのは、彼らはこの制度を案外悪く思っていないこと、自分の奥さんを宇宙で一番愛していることでした。

何が良いというわけでも何が悪いというわけでも、そういう話ではなくて、愛の形の入り口は様々なのかもしれないと思わせてくれた出来事でした。

もちろん、漫画冒頭で描かれていた誘拐婚は近年までキルギスなどでは平気で行われていて、きっと泣きながらお嫁に行った女の子もたくさんいたのでしょう。それを思うとやりきれません。

キルギスでゲルに泊まったときには、「あなたは顔がキルギス人に似ているから、夜中誘拐されないように気をつけて」と言われたのも少し心の中のしこりです。たとえ冗談だったとしても。

全ての人類が、その人の愛する人と結ばれてほしい、愛する愛さないさえその人の自由であってほしい、そう思う気持ちでいっぱいなのですが、それだけで相手を不幸だと断定してしまうのもまた横暴であったと内省したりもして。

どこまでが文化と慣習、信仰で尊重されなければならないことなのか、そこに人々の自由はあるのか。それを考えるといつも旅や生き方の終着点も見えなくなってしまいます。きっとわたしには一生答えは出せないのでしょう。

繰り返しになりますがなにが良くてなにが悪いというわけではないのですが、そうして夫婦になったカン・シバとラティが歩み寄る交流に少しだけ心が洗われるようでした。

美しい染めの文化

結婚相手のラティは、染物が大好き。手が汚れるからと周りから良く思われなかった染め仕事を好きなラティを肯定してくれたカン・シバに感謝と信頼を寄せるというシーンがありました。

チベットの染物ってどんなふうなんだろう?

そう思いGoogleで調べたら、あまり件数はヒットしまさんでしたが美しいティクマと呼ばれる十字染の織物が出てきました。

ラティもこんな染物をしていたのかな。十字がポップで可愛いし、染料もカラフルで素敵。

その土地土地で作られた伝統柄ってなんでこんなに素敵なんでしょう。またもやウズベキスタン旅行に想いを馳せてしまいました。

画像5

博物館で見た染めと布の展示。どれくらい前から人々はこんな美しいものを生み出して来たんでしょう。

画像7

画像6

購入してきたスカーフで鞄と小物をハンドメイド。いつでも一緒にいられる作品に仕上がって大満足です。

人の歴史はいつだって衣類の歴史と一緒にあって。いつだって可愛いものを身に付けたい、身に付けてもらいたいと思う気持ちは一緒で。そう思うとより一層この伝統染めもラティの染め仕事も愛おしく感じるのでした。

登場人物たちが着ている衣装もどれも可愛らしくて魅力的ですよ!何度もページをめくってしまいます。

余すところなく命を頂く

テンジュの国には、遊牧をして暮らす人、半農をしている人、様々な人たちが登場します。

しかしそのどちらにも共通するのは、命を余すところなく頂くこと。

荷運びで働いてくれたヤクはミルクを利用してチーズやバターを作り、やがて、肉を食べ毛を利用し、骨も装飾品や魔除けとして全てを余すところなく使われます。

ほかにも、家畜として一生懸命働いてくれた家畜を最後は野に放し、残りの生き方を決めさせる放生という概念があったそうです。

動物の幸せを人間が測るというのは実に人間のエゴです。結局わたしたちは働いてもらい、命を頂くことに変わりないのですから。

ですがその余すところなく命を頂くチベットの人たちの生き方、最後の最後まで動物の幸せを願う考え方は今の自分の生き方と照らし合わせ胸に響くものがありました。

またわたしの話になってしまい恐縮なのですが、スペインでフォアグラをご馳走になる機会がありました。そのあとでキルギスに行き遊牧されながらでのびのびと生きる家畜を目の当たりにしました。

画像9

わたしはヴィーガンではないし、まだまだ色々なことを勉強中で大きなことは言えません。どうやったってわたし主観の人間のエゴが詰まった発言しかできそうにありません。

ごはんはおいしくて、お肉も美味しくて、いつもモリモリ頂きます。でも、それでも、少しでも幸せな生き方をして欲しい、無駄なく命を頂きたい、と思ってしまったのです。(もうフォアグラを食べることもないでしょう)

食べられる量だけを食べたい。できる限り苦しくない生き方を、幸せな(というのはエゴだけれど)生き方、育て方をしてくれたものを選んで購入したい。そんな気持ちが大きくなりました。

生きることは食べること、これからも私は生きている限り命を頂き続けます。でもこのままでいいの?それはキルギスに行った時から投げかけられている自分から自分への疑問です。

漫画に出てくる登場人物たちはとても美味しそうにご飯を食べています。それは、循環する社会や生命を汲み取り繋げていくようにも感じさせてくれるのでした。

高原を駆け抜ける馬

3巻14話からは競馬祭りです。

筆者、朝焼けは馬が大好きです。可愛いしかっこいいし、愛おしい。競馬祭りのエピソードは終始わくわくしていました。

山岳の高原で駆け抜ける競馬祭りは、競技者も観戦者も最高の気分でしょう。

もうほんとに、また私の話で恐縮なのですが、キルギスで村の青年たちに馬の競技を見せてもらったことを思い出しました。

画像8

砂煙で迫力が伝わりますか?

ただ単に速さを競うものだけではなく、球技に似た(球は羊の首でした)競技もありました。漫画では流鏑馬に似た競技や芸を披露する競技もありました。

落ちるんじゃないの⁈というような体勢で床のボールを拾ったり、本当に息も止まるようなプレーの数々。漫画で描かれていることが実際にあること、できることだと知っているからこその手に汗を握る感じ。

ああ、いつか私もこの目でそのお祭りを見てみたい。夏場はモンゴル数カ所でそんなお祭りが開かれると聞いています。ぜひ、来年にはふらっと足を伸ばし見に行ける、そんな世界が戻ってきたらなあと毎晩祈っています。

漫画から広がる世界への入り口

この漫画、テンジュの国を読むまで私はチベットのことについてなにも知りませんでした。

文化も暮らしも、そして抑圧された歴史も教科書程度しか知りませんでした。勉強すれば勉強するほど胸が痛くなるばかりで、そしてこの目で見たいという気持ちも抑えきれません。

そして忘れてはならないのが、きっと昔も今もこの漫画に描かれているような日常がそこにあること。

知らなければ知らないままで終わること。

入り口は漫画だっていいじゃない(もちろん、漫画は作品として大変楽しんでます!大好きです!)

この漫画に出会えて良かったと心から思っています。

ぜひ皆様も、この美しい漫画をお手に取ってみてください。

そしてわたしもカン・シバとラティを訪ねに、いつか必ず聖地巡礼に!





この記事が参加している募集

#マンガ感想文

20,437件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?