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私が6年間続けた航海士という仕事を辞めた話

まずはじめに、この記事が私が勤めていた会社、荷主様、並びに全現役船員の皆様の不利益を被る記事ではないことをお約束させてください。

また現役船員の皆様におかれましては、陸に上がった人間が、たったの6年ぽっちの経験でなにを語るつもりだ、と思われるかもしれませんがどうかそっと目をお瞑りください。

結論から言うと、しんどくて耐えられなくなって、航海士という仕事を辞めました。体調も良くないです。船乗りという仕事は、ずっとずっとやりたかったことだったので投げ出すのはしんどかった。投げ出す自分が恥ずかしいと思った。だけどそれ以上に体と心に限界が来ていました。

それでも私は海と船の暮らしが大好きでどうにも潮っけの抜けた生活は肌に合いません。気持ちが落ち着いたらいつかまた、海の上に戻って来られますように。今日はそんな願いを込めてこのnoteを書いてみたいと思います。

テキストばかりで読みにくいかとは思いますがどうぞお付き合いください。

私という人間

ハンドルネームは朝焼けです。

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もうすぐ26歳になります。女性。身長150cm、体重は言えない。旅行が好きで始めたこのnoteで、皆様にお世話になっています。最近一番好きな国はヨルダン、もう一度行きたい国はウズベキスタン、スペイン。これから行きたいところは南極とジョージアとエジプト。いつかどこかで何かに繋がればいいなと思いnoteを書いてます。

スキューバダイビングと馬は最近はまりましたが、とんだ沼でした。毎日、次のダイビングと乗馬のことを考えてはニヤニヤしています。

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ハリーポッターやスターウォーズ、指輪物語などSFが大好き。小説や漫画も好きです。

ミュージカルも好きで、下手ですが歌うのも好き。ピアノも下手ですが好き。三線は最近始めました。中高時代吹いてたバスクラリネットは大人になって購入しましたがあまり練習できてません。

夕焼けより朝焼けが好きです。

ビールが大好きです。

船乗り?

え?船乗り?蟹工船?マグロ漁船?あ、違うのね。自衛隊?海上保安?海外に行く船?

ここまでが一セット。

なかなか皆様には認識してもらえていない仕事なのかなあと思います。しかし島国日本、物流の要は海上輸送です。そんなわたしの仕事は日本国内に荷物を運ぶ船の航海士、内航船員でした。

内航船員という仕事

船員、船乗りという仕事は国内では大きく二つに分けられ、外航船員内航船員という区分に分けられます。私の乗っていた船は日本しか回らないので、私は内航船員でした。反対に海外に行く船に乗る船員を外航船員といいます。

少し説明を端折りますが、持っている資格や卒業した学校によって、外航や内航どちらで働くかが決まってきます(もちろん本人のやる気、向上心、会社の考え方によります!)そのため、大学や養成学校を選ぶ時点で外航に行きたいか、内航に行きたいかをある程度はっきりさせておかなければなりません。

私は、外航ほど長期の乗船もしたくなかったのと(やはり海外への航路は乗船期間も長いです)、外航に行くには大卒、もしくは高等専門学校出であることが必須だった為、普通科の高校を卒業して文部科学省管轄外の国立の短大に入学し2年間の座学と実習を経て、海技士の資格を取得後、辞めるまで勤めていた弊社に入社しました。

この短大というのも、週に3度クラスごとに練習船で航海したり、全くの素人の私が溶接シーケンス回路を習ったり、かと思えば太陽の高度を測って自分がいまいる緯度経度を算出したり、帆船で50mもの高さのマストに登ったり(いまはこの実習はないかと思われます)8人部屋の練習船で航海をしたり…毎朝と寝る前の教官の見回り(巡検)は敬礼したりしていたのも良い思い出です。

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挙げればキリがないほど面白い学校だったのですが、長くなるので需要があればいつか特記できればと思っています。

そんな経緯を経て内航船員になりました。

航海士と機関士

さて、内航、外航共に船乗りは大きく分けて二つの仕事があります。それが航海士(甲板部)と機関士(機関部)です。他にも大きな船では司厨長(司厨部)やパーサーや通信士(事務部)、医師看護師(医務部)が乗っている船もありますが、内航では乗っていても甲板部、機関部、司厨部だけの場合がほとんどです。

そんな数ある職種の中で私は航海士でした。とは言っても、それは少しタイトル詐欺で(6年勤めた航海士、と書いてますもんね)甲板部の中でもまた仕事が分かれていて、

船長以下、一等航海士〜三等航海士、甲板長、甲板手、甲板員が、合わせて甲板部として乗船をしています(小型の内航船になると、船長〜二等航海士の3人だけ、というパターンも多いです)。私が勤めていた船はこのフルメンバーが乗っている船でしたので、もちろん一番下っ端の甲板員からのスタートでした。

甲板員や甲板手、甲板長はそれぞれ一〜三等航海士とペアを組み当直をとっていきます。

わたしは2年弱、甲板員を経験し、4年ほど航海士の仕事をしていました。

実は私が卒業した学校は航海士と機関士の資格、どちらもが取得できるのですが、海を見たかったのと、なんだかかっこいい響きだったので航海士になりました。単純な人間なんです。機関のことは海技試験はかろうじて合格したもののなにもわかりません(いいのかそれで…)

そもそも、船員になりたかったきっかけ

遥か昔のことなので記憶も曖昧ですが、人と同じことはしたくないひねくれた子供時代であったことだけは覚えています。

叔父によく海に連れて行ってもらったことがきっかけなのか、ひねくれをこじらせた結果なのか、はたまた大好きだったナルニア国物語や指輪物語の世界に憧れたのかは分かりませんが、はっきりと記憶があるのは中学2年生頃だったでしょうか。

港町で育った訳でも、親や親戚が船乗りだったわけでもありませんが(なんなら両親の仕事はピアノです)海と船が私にとって一番わくわくするものであったのは直感で分かっていました。

しんどいこともたくさんありましたが、いまでもその時従った直感に後悔している日はありません。自分が一番わくわくするものに従うことの大切さは、いまの私に生きています。

色々な働く船

就職活動にあたり、どんな船で働きたいかを念頭に置いて活動することはとても重要でした。船とは一口に言っても星の数ほどに種類があるのです。

油を運ぶ船、貨物を運ぶ船、車を運ぶ船、フェリーやクルーズ船など人を運ぶ船、船を押したら引いたりする為の船、長い航海に出られる船、港内や湾内しか走ることのできない船、警察や消防の船、海保や海自の船…等々。

お客さんの命を預かる船に乗ることは怖くて考えたいなかった私は、それならばせめて日本経済を回したいと(夢が大きい)荷物を運ぶ船に乗りました。もちろん、荷物を運ぶ船でも自分の当直中は乗組員の命を預かっているわけですから、それを肝に命じておかなければならないことに変わりはありません。

あと、ここからは少し小声ですが、司厨長が乗っている船であり(わたしは料理が下手)かつ全国色々な港に行ける可能性があったのが(定期船は4つ〜5つくらいの港しか行けない船も多々ある)決定打でした。

そして長い休暇が欲しかったので、日帰りで家に帰れるような船(観光船などが多い)は避けて就職活動し、結局3ヶ月乗船の1ヶ月休みの船に就職が決まりました。(結局最後の方は人手不足で5ヶ月〜7ヶ月乗船が当たり前になっていましたが…)

航海士のルーティンワーク

船の中は4時間交代の当直制になっており、三等航海士の当直は8時〜12時、20時から24時となっています。これに加え、船が岸壁に着ける時や離す時、荷物の種類を切り替える時、トラブルが起きた時は全員で作業にあたるため、当直時間でなくても起きて来なければなりません。またデスクワークなどは基本的に仕事以外の時間に済ませます。

当直(ワッチと呼んでいました)一言に言ってもピンとこない方もいるかもしれません。船が航海している時には船長の定めたコース上を走り、必要に応じて他の船舶を避け、見張り業務に努めます。

船が岸壁についている時には、荷物の積み下ろしの監視を行います。色々なタイプの船がありますが私の乗っていた船では当直航海士が荷物の積み下ろしの機械操作や監視を行っていました。この作業は陸上の作業員さんと一緒に行います。

さて。え?その計8時間以外は全部自由時間なの?とよく聞かれますが、ご飯も作らなくていいし通勤は30秒だし、たしかに全部自由時間です。ただやはり「全員で行う作業」は思いのほか多く、結局は3時間、4時間しか寝られない日や1時間ごとの細切れ睡眠しか取れない日も多々あります。その全員で行う作業が夜中の2時だろうが4時だろうが、関係ないのです。

ただ私は結構寝られていたし、寝られない日も後日どこかでバランスは取れていて、悪い仕事じゃないなと思ってましたから、これは会社による、船による、人による、が答えかもしれません。

だいたい、国内であれば長くても2、3日、短いと数時間走り続けると次の港に着いてしまうため、月に5〜10航海くらいをこなしていました。

また当直をとっていない時間は(デイワーク中)整備作業に当てられます。錆び打ちからペンキ塗り、機器のグリスアップから解放整備までなんでもします。(書類作業よりこちらの方が好きです)

船の上では、メーカーさんの修理なんてすぐには来ません。荷役に必要な機械からパソコン、オーブンやヒーターなどの調理器具、計器類まで、専門的な修理やメンテナンスはできませんがそれでも広く浅く、必要最低限にオールマイティである必要があります。まさに洋上の何でも屋。

ふんぞり返って指示を出すだけ「士官」のような仕事ではなく、全員で現場で汚れまみれになりながら作業をするのが大方の内航船のスタイルでしょう。

航海士の住処と寝床

わたしの住民票上の、そして休暇中の住処は実家です。乗組員の中には結婚して家族が陸で待っている人、恋人と同棲している人もいます。

さて、そこでよく聞かれるのが、船の上での寝床です。寝床は一人一室個室が与えられます。見習いであれば相部屋、下っ端であれば相部屋ということはなく必ず一人一部屋が約束されています。(組合の規定で部屋の大きさや防音、冷蔵庫やテレビを必ず置くように、等、色々と細かく決まっています)

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こちらは実際の船室。

いまでも練習船や客船に勤めている人は相部屋という話も聞きますが、商船(荷物を運ぶ船)では相部屋はまずありません。

部屋にはベットと机、冷蔵庫、ソファ、テレビなど一通りが揃っていて、不自由はありません。最近では一部屋に一つシャワーがついついる部屋も増えてきました。

わたしの乗っている船はシャワー付きの部屋はありませんでしたが、男性用風呂と、女性用風呂は分かれていて(もちろんトイレと洗濯機も別でした)船上生活で不便を感じることはありませんでした。

もっとも、男女共用でも構わない!くらいの意気込みで船乗りの世界に飛び込みましたが、快適なので分かれているに越したことはありません。男性陣もその方が気を遣わないでしょうしね。

まだまだ体感的にはこういった船は少なく、普段は男性陣が使っているお風呂を一つ女性用にする(弊社の船は完全に作られた時から女性専用区画でした)だとか、シャワー付きの部屋を女性用にする、だとか、そういう船が多いです。女性船員が少ないうちはそれで事足りるとは思うのですが、数が増えてくればその対応では難しくなるでしょう…業界の課題です。

乗船中の余暇

船が走ってる間や、沖に錨を打って泊まっている間は、当直以外は基本的に自由時間です。

沖に錨を打って泊まっている間は、当直ではなく全員が8時〜17時で仕事(整備、点検等)をする「デイワーク」の日になったりもします。

自分の仕事を早めに終わらせてしまい余暇の時間は目一杯リラックスをするのが私スタイルでした。

港で本や漫画を買ってきて電波がない時に読むのも良し、プライムビデオやネットフリックスをダウンロードしておいて見るのも良し。テレビは結構沖でも映ります。筋トレに精を出す人もいました、私も船に置いてあるダンベルで筋トレに励んだりもしました。

フルートや三線を持ち込んで練習したこともあります。

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Amazonでアフリカの民族楽器、カリンバを取り寄せたこともあります。

あとはひたすら余暇の時間を使ってnoteの旅行記を書き上げたりしていました(読んでね♡)

仕事が終われば基本的に飲酒は自由ですので(もちろん翌日や次の当直時間までお酒が残るのはNGです)気の合う人同士で宴会をする人たちも見受けられました。

乗船中の上陸

上陸をするために船乗りは生きていると言っても過言ではありません。みんな大好き上陸、泣く子も黙る上陸。

船乗りは誰よりも陸を愛し、陸のありがたさを知っているのです。

これもまた会社による、が答えですが私の乗っていた船は少ない船で月に3度、多い船では週に2〜3度上陸ができていました。数年勤めた別の会社の友人は数年間で3度(同じような内航船です)と言っていたので、会社によって、船の種類によってその頻度は天と地ほどの差があります。

私の船は結構陸に降りられていた方なので、あまり陸が恋しいとも思うことのない船乗り生活でしたが、それでもやはり一歩船の外に出るだけで嬉しいものです。

仕事終わり、夕方からのチケットを購入しディズニーランドやUSJに行ったこともありますし、水族館にも沢山行ったし、観光地がある所は必ず観光したり、美味しいものを食べに行きました。

稚内で日本最北端の地を踏みしめたり、

紋別でまだ来ない流氷に想いを馳せたり

ねぶたの家に飾られる新作ねぶたを毎年楽しみにしたり(3年連続で見に行くことができました!推しねぶた師は北村春一さんです!)

東北でお魚に舌鼓を打ったり、

金沢で夜の東茶屋街でしっとりとマスターとおしゃべりしたり

家に近いドックに入った時には家に帰ったり

境港では大好きな鬼太郎巡りをしたり、

なかなか普段行かない鹿児島や熊本ではたくさんお土産を買ったり。

母校がある港に入った際には教官に会いに行ったり、全国に散らばる友人と港港でお茶をしたり飲みに行ったり。一番よく行く港ではお気に入りのバーとカフェに通ったり。

どうしても船の上ではサードオフィサー!としか呼ばれず、一個人としての自分を見失う時があります。そんな時に港でリフレッシュし、行きつけのバーのママさんやマスターとおしゃべりを楽しみます。

日本の主要港町はほとんど観光させてもらったんじゃないかというくらい、いろんな港にいろんな思い出があります。

休暇のサイクルと休暇の過ごし方

少しだけ前述しましたが、3ヶ月乗船、1ヶ月陸上休暇…という条件で入社したはずが気づけば6ヶ月乗船が当たり前…長い人だと7、8ヶ月降りられない人もいました。中には長く乗っても休暇が1ヶ月足らずな人も。これじゃあ嫌になっちゃいますね、ライフワークバランスとは何かと考えてしまいます(もちろんその乗船に見合った休暇をもらえるならそれでも良いのです)

このまま結婚して、子供が生まれたら半年子供に会えないの…?半年会えなかったら子供ってどれだけ成長するの…?なんて思ってしまったり…まあいいんです、未来のことは置いておきましょう…

さて、私は2ヶ月の休みで、海外旅行や国内旅行を楽しんでいました。いつ休みになるか、3日前くらいまでわからないので(あくまでもわたしの会社では、です)結局いつも高い航空券を買うはめになるのは心底嫌でしたが、背に腹は変えられないと、お金で時間を買うような休暇でした。

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旅行をすれば必ず珍しがられます。日本でも海外でも、船乗りなんて初めて会ったよ!と言われるのは嬉しいようなむず痒いような不思議な気分でした。

国内外問わず普通の会社員ならなかなかできないであろう長期の旅行を繰り返すうちに、暮らすように旅したい、という気持ちも芽生えてきました。

そしてここ1年近くは休暇の半分は資格取得のための時間に当てていました。

航海士や機関士の仕事は海技免状という国家資格が必要ですが、1級から6級まであり、短大を出たら4級、大学を出たら3級など決まっており、そこからは自分で乗船履歴を貯めて筆記試験及び口述試験を受けることになります。

私もせめて出た学校より上の資格は取っておこうと試験を受けに行き、無事合格。

趣味にもキャリアアップにも時間を費やせる長い休暇は船員ならではの魅力です。

船に女性っているの?

英語で船の代名詞はShe、海と船の女神様が嫉妬するから女は船に乗せない、というような時代は遥か昔に終わっており、決して多くはありませんが様々な船で女性が活躍しています。

女性用のお風呂やトイレがないから、実績がないから、他の人がどう接していいかわからないらなら女性は採用しない!などと言う消極的な会社もまだまだありますが、そんな前時代的な会社にわざわざ行かなくても(言葉が悪くてすみません)今では女性を採用している会社はたくさんあります(雇用均等法とかの話になるのでこの辺は割愛)。この記事を読んでくださっている未来の船員の女性陣もどうか絶望なさらないでね。

(能力に関係なく男女1:1で採用してしまうような会社も、それはそれでパフォーマンスじみている気がしますが…)

また、女性は結婚、出産で辞めるから〜と採用しない会社もありますが(訴えられたら負けますよ)このご時世、あまりに高すぎる船員の離職率をご存知でしょうか。男性だってごろごろ辞めていきます。理由は親の介護、自身の結婚、子供の誕生、悲しい理由としてはパワハラ等理由なんて様々です。女性が辞めていくから、と採用しない理由なんてどこにもありません。

実際、育休も産休も組合の規定では存在しますが(妊娠した時点で船員法では船に乗れない)生まれたばかりの子供と数ヶ月会えない生活、あまり現実的ではありません…せめて小学校に入るまで育児休暇を延ばせる仕組みや、陸上勤務に回れる仕組みがあれば良いのですが(実際そうしている方もいます)、陸上勤務をするにも、船乗りたちは全国各地の住処から船会社に籍を置いているので現実的ではないでしょう。

私は結婚も出産もしていないので、あまり多くを語ることもできませんが、でもやはり不確定な未来の、誰にでも起こりうる結婚や出産というライフイベントで、船乗りになりたい女性の夢が断たれていいはずがないのです。

船員という仕事に限った話ではないですが、働きたい人が働きたい場所で働ける社会でありますように。全ての人がなりたいものになれますように、と願わない日はありません。

全ての性別の、全ての年代の人が働きやすい業界となりますように。

少し脱線してしまいましたが、少ない時には女性は私1人、多い時には4人乗っていた時もあり、船内ではわいわい楽しく過ごしていました。

閉鎖空間で同性がいる、というのは涙が出るほど心強いことでもありました。

船上という隔離された閉鎖空間

一旦乗ってしまえば、短くても3ヶ月は家に帰ることができません。

家族に何かあってもかけつけることが出来ないかもしれませんし(もちろんその為に船長や会社は尽力してくれますが、自然相手の仕事、どうにもできない時もあります)

自分が病気になってもすぐには病院に行けないかもしれません。(私は血栓で死にかけました、しかも言い出せずに。もちろんこういう場合も尽力はしてくれます、がそれも自然次第です、分かりません)

陸の50年後ろを行っているようなセクハラ・パワハラが存在しないとも言えない業界、助けを呼んでも労務官も警察も来てくれません。逃げ場のない閉鎖空間で、何かしらの対応をしなければなりません。

嫌なこと、しんどいことがなかったと言えば嘘になるし、正直もう一生分傷ついたんじゃないだろうかとも思っています。物理的にも精神的にも逃げ場のない船上で、狂っていくだけの毎日を過ごしたこともあります。

それでもそれ以上に、素敵な人たちに出会い、助けられ、学び、楽しく価値のある船上生活だったと思っているのでそれについて深く書く気はありませんが、同じように悩んでいる人がいたら、無理しないで。周りに助けを求めて。それでもダメなら逃げて。あなたは弱くないよ、と声をかけたいです。

それでも船乗りを続けた理由、船乗りという仕事を嫌いになれない理由

しんどくなった理由も人間関係かもしれませんが、辞めたくなかった理由もまた人間関係です。

なにも分からない私を、1から育ててくれた上司。男性陣の中で話に入れず孤立する私を助けてくれた上司。守ってくれた上司、笑わせてくれた後輩。

こんな人になりたいなと思える人にたくさん出会えて、私は幸せでした。いつかこの恩を返したいと思って、何もできない間に辞めてしまったことはとても心残りです。

また、海の上から見える美しい景色の数々にはいつも励まされていました。

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広がる水平線に、なににも邪魔されない朝焼け。落ちてくるんじゃないかっていうような夜空と時折見かける愛らしい海の生き物たち。

過去に記事をまとめているのでよろしければこちらもどうぞ。

よく質問されること

Qワンピース?ナミなの?

A.海賊ではないのでワンピースではありませんが、航海士という観点からはナミです。

Q携帯の電波は入る?

A.新しい船にはWi-Fiの設置が義務付けられていたり、そうでなくても沿岸を走るのでかなり電波は入ります。しばらくWi-Fiのない船に乗っていたのでデータ容量無制限のプランに助けられています。

Qご飯はおいしい?

A.おいしいです。和食から中華、洋食までなんでも作ってもらえます。6年間で5キロ太りました。

Q制服着て仕事してるの?

A.おそらく国内の船で制服を着ているのはお客さんを乗せる船、自動車船、練習船くらいなものでしょう。普段は作業服やツナギを着て、安全靴を履いて仕事をしています。なかなかSサイズのものが売っていないので仕事着を探すのだけでも大仕事です。

Q港港に男はいる?

A.いません、でも行きつけのカフェやバーができるのは嬉しいです。港港での素敵な人との出会いは宝物です。

Q船酔いする?

します、こればかりは慣れません。よくもまあ船酔いが治らず6年間も乗っていたものです。20年働いても治らないと言う方もいます。ですが、薬を飲まなくても大丈夫なレベル、とか当直が終わるまでは吐くの我慢できるレベル、とか、小さな進歩は重ねています。ちなみにダイビングボートのような小さい船で酔ったことかありません。フライングダイナソーも酔いません。

Q女性で船の仕事って大変じゃない?

何をもって大変と言うかは分かりませんが、個人的にはそう感じたことなありません。ただ周りに余計な負担をかけていなかったかと言われればそうではないでしょう。確実に力仕事では劣っていますし、道具や技では解決できない、本当に力がものを言う仕事では男性陣への負担を大きくしていたことと思います。ですがそれ以外でなにか仕事で返していければと日々模索していました、まだ模索半ばでした。

それと、中高と吹奏楽部で女子だけの環境で育ってきたし、10対1の比率の短大時代でさえ寮は女子寮だったので寂しさはありませんでした。ところが就職して3年ほどはずっと一人で乗っていたのでそれは寂しかったです。スタバで女性の店員さんと話すのだけが癒しの時もありました。

ですが職場にもだんだん慣れていき、3年目くらいからは職場でも楽しく過ごすことができるようになり、いまではとても居心地が良いです。辞めてしまったのがもったいないくらいです。

Q.船の中に何人も女性がいたらドロドロしそう

よその会社は知りませんが、私のいた会社ではそういうことはありませんでした。そう思っていたのが私だけだったら悲しいですが、女性が乗っていると安心できたし、楽しかったです。単純に、素敵な人ばかりだったというのもあるし、マイノリティ側は結託しやすいのではないかという私の持論です。

Q.男女で昇進の違いはある?

全くありません、完全実力社会(と所持している免状)です。ただ会社の人員の充実度や会社の大小で昇進スピードの違いはあるでしょう。私は6年勤めて三等航海士ですが同じ学校卒の友人は他社で二等航海士からスタート、現在は一等航海士という人もいるし、反対に私の学校からでは航海士になれず甲板部員止まり、という会社もあります。会社次第です。

Q.仕事のオンオフできる?

職場と生活の場が同じで船内というのも、仕事としては珍しいでしょう。オンオフはできているようで、できません。常に気は張っています。しかしだからこその2ヶ月間の陸上休暇だと思って割り切っていました。

Q.乗船中に休みの日ってあるの?

基本的にはありまさんが、船長のご好意で午後から休みなどは月に数度、岸壁につけている日にあります(乗船中は月数日有給がありますが基本それらは使わず買い上げになります)

基本的に乗船中は休みはないものと思っておくと間違いはありませんが、通勤やご飯の支度がないのであまり疲れも溜まりません(個人差あり)

Q.船の人以外との接点ってあるの?

あります。各港にの代理店さん、作業員さん(英語のStebedoreに従いステべさんと呼んでいました)、使っている機器のメーカーさん等です。皆さんとても良くしてくださり、船の人以外の人とのおしゃべりは楽しみな時間でもありました。

Q.どうやったら船乗りになれるの?

私が通っていた2年制の国立短大の他、水産高校、海洋高校、商船高専、東京海洋大、神戸大などなり方は様々です。

ぜひGoogleで検索してみてください、分かりやすくまとめられたサイトがたくさん出てきます。

終わりに

長くなりましたが一つ言えることは、業界に消されませんように。界隈で炎上しませんように。(しそう)

辞めてからでないと書けないこと、言えないことってありますよね。海の上の暮らしについて、魅力についてずっと誰かに伝えたかったので、今がチャンスかなと。

少しでも海の上の生活や、船員という仕事が皆様の目に留まれば幸いです。また、自分が今手にしているものはどうやって運ばれてきたのだろう?そうふと考えた時に船を思い出して頂ければこんなに幸せなことはありません。

何かご質問、ご指摘等ありましたら、コメント欄、若しくはTwitter @asayake_jp にご質問頂ければ幸いです。

そしてわたしもいつかまた、海の世界に戻ってくることができますように。

本日はご清覧、誠にありがとうございました!





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