見出し画像

夢中になるから気づける大切にしたいこと

12月11日のマラソン大会に向けてのトレーニングでのひとコマ

「なんでマラソンなんかやんの?」
マラソン走ります、と周りに宣言してから一番言われたことかもしれない。
まあそりゃそうだ。
なんたって今は寒くもなってきて、いきなり走ろう、運動しようと思う人なんていないと僕だって思う。
大体走る日は仕事終わって帰ってきてから、もしくは休日の朝。大抵寒いから、またウォーミングアップも兼ねてその前に全身ストレッチ、腕立て伏せ、腹筋、体幹トレも簡単に30分ほどかける。
その時に身体の調子を相談しながら、どのぐらい走るかもその時に決める。
昨晩はなぜかいつもより行ける気がして、少し多めに走ろうと少し念入りにふくらはぎや膝周りもケアしておいた。

階段を降りていつものコースとは反対方向に走り出す。
新鮮な気持ちもするが、やはりこうやって実際に地面の感覚を掴むが如く、一歩一歩足裏の、特に足親指の付け根あたりから着地し、足指、踵と全体が接地するように、そして踵部分の底からの反発をそのまま前に進む推進力に変えて進む。
腕は前に出すことなく、肘を後ろに引いて、少し肩から腰にかけて捻るようなイメージ、丁度その時に、反対側の脚が着地して、捻れが戻ろうとするエネルギーも推進力へ変わる。
でも体幹はまっすぐ、背筋もぴんとのばす。
走り始めるまで気づかなかったが、ランニングとは意外と全身運動なのだ。
そしてやはり全てのスポーツや芸術、否、人間生活の全てに共通なのかもしれないが、型、フォームもランニングにおいては走りに直結する重要な要素だ。

最初期は走ってもすぐに息は上がるし、足もすぐに走れなくなることばかりだったが、その度にフォームだけは意識していた。
息遣いも2度鼻からスッ、スッと左右の踏み出す足のリズムに合わせ、吐くときもできるだけ鼻からを意識して、フー、フーと同様にリズムに合わせる。
そして接地もなるべく指の付け根から真ん中の部分からを意識していた。
もちろん最初からできた訳でもなく、特に息遣いと吸って吐く空気の量が合わずに、走るたびに苦しい思いしかなかったことも、今となってはいい思い出笑。

意識的有能

ニシトアキコ学校話し方教室でも習ったさ。
最初は無意識的無能で、何もできないし、そもそもしようとすらしてない。 次は意識的無能、やろうとは思ってもできないし、身体も脳もついてこない状態。
そこから意識的有能、意識したらできるし、でも気を抜いたらはたまたできなくなる。
その上が無意識的有能、つまり意識せずとも、もう当たり前の如くできること。
これで終わりと思いきや、その上が意識的・無意識的有能、意識的もできるし、無意識でもできる、つまり人に何か教えられるレベルだと。

今の僕のランレベルはまだまだ意識的有能ってところか。
フォームは無意識的に悪くなって、結果途中できつくなって直すことが多い。

坂道と平坦な道

特にやはり昇りの坂道、少し膝や大腿四頭筋に力が入ってしまう。
最初は平坦な道から緩やかな登り坂を、街のシンボルツリーであるイチョウ並木の下を走る。
とはいえせいぜい街灯に照らされる程度で、ほぼ暗闇で美しさを感じることはない。
登り切ったら少し平坦にまっすぐな部分から緩やかな下りを重力に任せて駆け抜け、次の難所を目指す。
参加予定のマラソン大会屈指の坂道を駆け抜けるとき、このときが一番好きなのかもしれない。
雑念は消え、足裏全体で身体を押し出すか如く、少しペースを抑えつつも、決して妥協もせずに一歩一歩進んでいく。

「もう無理、しんどい」と頭でよぎるが、そのときこそ息を整え、姿勢を維持し、足裏の感覚に意識を向ける。
その時雑念はまた消えて、しんどい感覚もあるが、身体は前に向かっていることを実感しながら一歩一歩繰り出していくことになる。
そう、きっとこれが「今」に意識を向けるということ。
重い身体の感覚もただその坂道を走ることを実感させるのみで、しんどいというのはそれを感情というのか感想として自分が認識しているだけのこと。
そして坂道を登り切って、平坦な道になれば、また何事もなかったのように、あるいは下り坂は少し重心を前にしてやると、足が勝手に前に出てきて、重力に逆らわずにどんどん勢いを増して進んでいく。
走ることで、この動かせる身体があること、上りきった先に感じる安堵感や達成感、清々しさも「今」という瞬間に意識を向けるからこそより大きくなるし、純粋な気持ちで感じられることなのだろう。

またこうした感覚も上り坂、下り坂、平坦な道とバリエーションがあるから気付けること。

毎日同じ?
それとも変化の毎日?

毎回同じコースを走っても風景や風の匂い、自分の身体含め変化を感じ取られ、新鮮な思いで走ることを、そうだ僕にとっても楽しむ時間になっている。
僕はランニングを通じてこのことに気づかせてもらった。
毎日同じ日なんてない、変化に富んだかけがえのない日々の中で生かされ、そこで自分にできることを行うことがどれだけ尊いのか、ありがたいことなのか。

そして上り坂でのしんどさ、平坦なリズミカルなテンポ、下り坂での身を任せるような感覚も、実生活でも同じこと。
仕事にしろプライベートしろ、全て順風満帆ということなんていつも起こり得ない。
上手く行かないことがあるからこそ、良かったときの感動も大きくなるし、そもそもこうして生きているから良いこともあまり良いと思われないことも感じられるという視点から言うのならば、全ての経験が尊いものだ。
だって何もないことのほうがよっぽど退屈じゃないか。

誰かにやれと言われたわけでもなく、自分からやってみようと思って始めたランニング。
あと残すところ1ヶ月の本番まで、ドキドキとワクワクをとことん味わってやろうじゃないか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?