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最期の部屋に飾るは「女の写真」

「元気?  」

引き戸を引いて、部屋の中に入ると
彼女は嬉しそうに振り返った

小さなテーブルとイスふたつ
簡単な飾り棚と介護用のベッド

隣の部屋に続くベランダの大きなガラス戸からは
部屋いっぱいに太陽の光が注ぎ込む

小さな部屋だけれど窮屈さを感じない
とても清潔で明るく新しい部屋だった

ベッドに腰を掛けていた彼女が
すっと立ち上がり、わたしたちへ近づいてくる

「私はいいんだけどね、彼がね」

また、彼の愚痴がはじまる
持ってきたお茶饅頭の包み紙を外しながら
食べやすいようにテーブルに並べる

「本当ボケちゃって仕方ない、自分の部屋まちがえるのよ」

微苦笑を浮かべながら、彼の話を楽しそうに聞かせてくれる

「飲み物ないわね、買ってくるわ」

母と叔母が引き戸を引いて部屋から出ていくと
わたしと彼女の二人きりになった



彼女の人生を模範として
きっとわたしは生きてきた

彼女の安定した生き方に憧れて
さもそれが「幸せ」のお手本であると
ずっと疑わず歩んできた


何十年と連れ添った元エンジニアの彼とは
今でも部屋は違うけれど一緒に仲良く暮らせている

子宝に恵まれて、孫5人、ひ孫も3人
誰一人欠けることなく
こうして定期的に会いに来てくれる
先日米寿のお祝いもしたところだった


差ほど苦労が見えない
彼女の「幸せな人生」に
彼女自身がどう感じているのか
ずっと聞いてみたいと思っていた

歪み始めている「幸せ」の
何かのヒントになるのではないかと

そのチャンスが巡ってきた



「ねぇ、生まれてから今まで、一番幸せだと感じた瞬間ってどこだったの? 」

彼女の目の奥を探りながら訊ねた

彼と結ばれた日かしら
子どもが生まれた日かしら
家族4人で過ごしてきた目黒の家の話かしら

それとも
孫やひ孫に囲まれて写真をとった
ごく最近のことかしら


いくつか予想していた中に
彼女の答えは絶対あると確信していた

「そうねぇ」

一呼吸おいて、棚に飾られている一枚の写真を指差す

「このときね」

ずいぶんと古めかしい白黒写真
写真立てを持ち上げて、小さなテーブルに乗せると
彼女の見やすい向きに置いてあげた

「これって、いつの頃?  」

彼女は自慢げにわたしへ微笑みかける

「国会議事堂で働いてたのよ」


初耳だった
彼女は議員秘書をしていたという

そういえば
バイオリンもたしなみつつ
身体が自由に動かせる歳まで
ずっと社交ダンスをしていたわね

つかつかとヒールを鳴らし
国会議事堂を歩いていたのだろうか


当時の集合写真のようだった

「これがあたし」


指さす先には、母とも叔母とも思える
美しく整った容姿の女性が
男性たちに囲まれる中
真っすぐ前を向いて微笑んでいる


部屋を見渡すと写真はもう一枚
真っ赤なドレスを身に纏い
社交ダンスをしている彼女

小さな部屋に写真はその2枚だけだった


先日撮った米寿のお祝いの写真は
たしか印刷して渡してあるはずだけれども
どこにしまってあるのかもわからない


彼女の人生のクライマックスは
女として最高に輝いていた瞬間

美しい容姿に男性からはチヤホヤされ
恵まれた仕事をバリバリこなし
趣味のダンスで自分を磨き上げる


男でもなく、
結婚でもなく、
子どもでも孫でもなく、

「女」である自分がいかに輝くことが
人生最大の幸せであると言うように


「なるほどね」

ガラっと引き戸があいて
母と叔母に連れられて彼も入ってくる

さっきの話は秘密ねと
彼女はわたしに目配せした


「あ、お前は……」

頭に手をやりながら、言葉に詰まる彼をみて

「ゆりよ、ゆ・り」


顔をはっきりと見せながら
大きな声で彼に伝える

「あぁ、そうか」

わたしを通り過ぎて
ゆっくりと彼女のベッドに腰をかけた

彼はもう、かつて溺愛した孫の顔さえ
記憶の棚から引っ張り出せなくなっている


他の生命を絶滅させながらも
自分たちの寿命を延ばし続ける
愚かな地上の人間に対して

神様はなんてやさしい最期を
用意してくれているのかと
不思議でたまらない

彼は少しずつ少しずつ
己が築き上げてきた誇りや証から
解き放たれるように

今世に繋ぎとめる執着を溶かしていくように
全てを忘れ

次の日の朝が来ないこともわからぬまま
きっと眠るような最期を迎えるのだろう

それが彼らの幸せなのか

いや、人としての幸せなのか


かすかに見えた「幸せ」の輝きの正体を
まだもう少しだけ今世で探求してみたいと

彼らから勇者の灯火を貰えた気がした



『最期の部屋に飾るは「女の写真」』

~END



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