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灰色のエスカレーター

黒い階段を
一段一段ゆっくりと上っていく

呼吸はしていたのかしら
まぶたは開いていたのかしら

ゆる夜に
薄手の上着だけを身につけ

靴は履いていなかったのかしら

もう先の階段がないとわかると
暗闇に立ち尽くす


そこから見える黒は
美しかったのでしょうか

最後に見た画は
闇だったのでしょうか

わたしの未だ知らない世界へと
あなたは踏み出した


***


音量マックスで流れる
間抜けな着信音

シャワーの音も流石にかき消された

落ち着いて栓を捻り湯を止めて
タオルを取り
手とスマホの画面を軽く拭いた

見知らぬ番号からの
受話をタップする


「はい」


時刻は23時51分
つい覚えてしまった

知らない番号からの着信は
これで二度目だったから


「夜分遅くに申し訳ありません」


心から申し訳なさそうな
女性の声が聞こえてきた

こちら側の音が
変に響いたのでしょう

髪からはボタボタと
少し冷め始めた湯が滴り落ちる


「総合病院ですが、ゆりさんのお電話でお間違い無いでしょうか」


「はい、そうですが」


どうして
わたしに電話が来るのかと

首を傾げ
少し耳から離すようにスマホを持ち変える


「今日3回目の手術を終えたことは、お聞きになっておりますか? 」


眉間に皺を寄せた


「いえ、何も聞いておりません」


バスタオルを取るのも忘れて
ただ薄暗く光る浴室のライトだけを見上げる

家族には連絡がつかなかったのかしら
こんな時間だし、着信に気づかなかった可能性もある

電話越しの女性は
頭の回転が速く
気が利く看護師だった


「実は、術後の痛み止めが切れて錯乱を起こしておりまして」


だから?


「ゆりさんと話がしたいと叫んでおります」


わたしなの?

ゆりちゃん、ゆりちゃんと
叫んでいる姿を想像するとゾッとした

意識朦朧としている中で
なぜ、わたしの名前が出るのか
理解も感情も追いついていかない


「今少し電話越しにお話いただけると落ち着くと思うのですが」


「家族とは連絡は繋がらなかったのですか? 」


要件には答えず
たたみかけるように状況を問いただす


「ゆりさんに電話してほしいと本人が仰ってるので
 まだご家族には連絡しておりません」


言葉が出なかった


一体わたしに何を聞かせるのかと
一体わたしに何が話せるのかと

歪んだ想いを直に撃つより他なかった

「わたしから話すことは何もありません」

震える声を誤魔化すために
語気を強めてスマホ越しに威嚇する

女性はわたしの想いを一発で理解した


「わかりました。大丈夫です。この時間ですし、電話は繋がらなかったとお伝えさせてもらってご家族に連絡いたしますね」


集中治療室のベッドの上で
わたしを叫ぶあなたなんて
思い起こさせないでほしい

水蒸気で白く靄のかかるバスルームに
しばらく全裸で立ち尽くす

冷え切っているはずの身体なのに
寒さは一切感じなかった



よく晴れた午前中
気持ちのいい暖かい風が吹く

優しい日の光あふれる
過ごしやすい季節になったことを知った

綺麗に並んだ洗濯物も
一つのオブジェとして美しい景色に溶け込む

「ここに来るのも何年振りかしら」

遠い日に見た景色そのままだった


そのまま階段の先を見つめる


吸い込まれそうな空色は
まるで腐った灰色を洗い流していくよう

とっても美しい青なのに
あなたには黒に見えてしまったのね

吸い込まれた先に何があるのかと
思い描けないことは罪よ

視線を落とすと

ぎゃーぎゃーと
とんでもないしゃがれ声の黒猫が
足元に寄り添っていた

わたしに猫が寄ってくるなんて
めずらしいこと

あぁ、もしかして
わたしたち会ったことあるわね


開きっぱなしのドアから部屋に入り
猫の餌らしきものを探す

どうにかして見つけたのは
3袋連なった鰹節だけだった

適当な皿も見つけられなかったから
トタンの塵取りの上に
鰹節を撒いた

訴えるように騒いでいた黒猫は
クンクンとそれを丁寧に嗅いだ後
舐めるようにして食していく

「もう主人はいないのよ」

上から言いなだめるように
言葉を吐き出す

半分以上の鰹節を残して
猫はわたしの顔を見上げた


「ひどい顔ね」


髭の周りに鰹節がまみれて
顔だけが大惨事だった

餌を見つけられなかったことを
申し訳なく思ってしまったことが
なんだか少しだけ、可笑しかった

そのまま猫は
階段を降りてどこかへと去っていく

「もう来ないことね」

遠くの方で涸れ擦れた声を
かすかに聞き取ることができた


***


薄暗い階段ならば
上っている途中で
引き返すことも可能だ

かすかな光さえあれば
ゆっくりと一段一段
降りて行けばいいだけなのだから


わたしが今いるのは
上りのエスカレーターの段なのよ

黒でも白でもない
薄暗いグレーのエスカレーター

下りることもできないし
止まることだってもうできないの


流れるがまま
昇り続けていくだけ

あなたと違うことは

わたしは吸い込まれた先の世界を
ちゃんと思い描けているということ


まるで
理想ファンタジーのような現実リアルをね



「灰色のエスカレーター」


~END



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眠れない夜に

恋し続けるために顔晴ることの一つがnote。誰しも恋が出来なくなることなんてないのだから。恋しようとしなくなることがわたしにとっての最大の恐怖。いつも 支えていただき、ありがとうございます♪