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大人と子どもの狭間で

2023年 新年が明けた。


昨年以降に比べて、こんなに暖かな年末年始は久々だったように思う。毎年狙ったかのように大晦日の31日、元旦当日の1日に大雪が降る私の地域では 珍しいに値する。


そうして先日、成人式も迎えた。
度々私の文章にも登場する、とある大好きな存在の色に因んで 振袖は黒色のものを選んだ。周りと被ることを避けたいという思いもあり、柄の少ない シンプルな振袖。我ながらいい選択だったと思う。


成人式当日の夜に行われた、中学校の同窓会。
本当に本当に、楽しいに尽きた。

元々 仲のいい代ではあったが、なんだか本当に幸せな空間だった。

小さい頃から一緒に過ごしているからこそ、中学校あたりで1度話すことが恥ずかしくなる、といった(特に男子)あの現象をみんな超えるほどには 歳を重ねたんだなと思った。

みんなが話しかけてきてくれ、
話しかけに行き、
みんなが笑顔で終わった。

結果的には朝始発までみんなで居た。2件目3軒目の店を探すのにみんなで歩くだけで、楽しかった。

カラオケでとある1人が入れた 『奏 』をみんなで歌う。その光景を忘れたくなくて、携帯の小さなフレームに収める私。一緒に歌っていたつもりが、私1人号泣。

「何泣いてんねん、(笑)」

と笑ってくれるみんなの顔も、優しかった。



そんな幸せな年明け、私にとってはもう一つ大きな出来事があった。


2つ前の記事で書いた、彼との事だ。



2022年、最後の日


昨年同様、大晦日に雪山研修から無事に帰ってきてくれた彼。


クリスマスから苦しみにまみれてしまっていた私は
今にも爆発しそうな思いを抱えながら、隠しながら、


「おかえり」


とメッセージを送った。

人とは不思議なものだなと思う。爆発寸前になっている苦しい思いを抱えながらも 少しでも会いたいと思ってしまう。会いに来てくれるのではないかと 期待をしてしまう。その期待が引き金になったなと思う。


「残ったみんなで年越しすることになった」


彼から来たLINEの通知。
ほら、期待をするから 苦しい思いをする。

わかっていたはずなのに。
それでも 昨年は会いに来てくれたから、とその期待を捨てられなかった私は見事にその言葉にやられてしまった。

だが、

" 会いたいけれど、今のこの気持ちで会いたくない "

そういった私の僅かながらの抵抗から
親友との年越しが無くなった、とも伝えていなかった。

なので彼が研修のメンバーたちと年越しすることを選ぶのは至極真っ当なことなのである。私が傷つくのはおかしい。

そう思えるまでにはまだ冷静さを保っていた私は、


「1人で年越しすることになった」
「楽しんでね」


とだけ連絡を入れた。

すると彼から


「一人でいるなら一緒に年越しすれば良かった」


と連絡が来た。

別に彼がおかしいわけでもない。その場で年越しする雰囲気でみんなで居るなら そこを抜け出してまで彼女のところに来いなんて、非常識なことぐらい私にもわかるし、帰ってこいとも思わない。

けれど、そのひと文から  




あ、もう会いに来てくれることはないな、


となにか諦めに似たものがついた私は カウントダウンコンサートに集中することにした。



カウントダウンの直前、彼からは

「今年もありがとう。
雪山研修、海に沢山負担かけてごめんね
いっぱい支えてくれてありがとう」

というメッセージが来ていた。
私の方が確実に負担になっていたのにな、と
それでも ありがとう と伝えてくれる彼の事を思ったらまた泣きそうになった。
(彼の事とは別件でカウントダウンコンサートで大号泣していた私)




そうして開けた年明け。  
彼からのありがとう という言葉で ここ数日の気持ちは少し、落ち着いたかのように思えた。

もしかしたら、また気持ちいい 気持ちで 彼に接せれるかな 前が見えなくなっていたけれど、また頑張れるかな

なんて呑気なことを考えていた

私が馬鹿で。





「 初詣行ってきた 」

という連絡とともに送られてきた一枚の写真。

年越しをする " 残ったみんなで "というのを、何故か勝手に男だけだと想像し、解釈していた私がおかしいのだけれど

そこには、その活動の中でも特に彼との距離が近く、(物理的にも心の距離的にも)そして1番綺麗だなと私が思っている女の子が彼の隣に写っていた。



苦しすぎて、心臓が潰れるかと思った。
震えが止まらなくて、心臓がバクバクしてて
頭が真っ白になって 心が限界を迎えた瞬間だった。


確かに 一人で年越しすることを早いうちに言っていなかった私が悪い。

みんなで年越ししよー!というノリをその場の雰囲気的に抜け出せないのもすごくわかる。

でも、なんの報告もなく、当たり前のように送られてきたその写真でその事実を知り、勝手ながら私は

" 会いに行けばよかった って思うなら 来てくれればよかったのに そっちを その女の子がいるところを選んだ  私に会いに来る選択肢がそこに負けたんだ "

という感情に苛まれた。


あくまで メンタル状態がボロボロな時の私の話なので
いやお前が悪いやろ、勝手すぎるやろ、と思っても今は許して欲しい。


頑張って 頑張って まるでコップに浮かぶ表面張力のように ギリギリで保ち続けていた心は 苦しみに溢れてしまった。


" もう無理だ "




そう、思った。
苦しすぎて こんなに、ここまで我慢して 来たけれど
" 世の中のカップルの彼女たちって、彼氏が女の子がいる飲み会に行くだけで嫉妬するものじゃないの? "

" 私なんで、活動だからって 自分が思っている嫌って
気持ちをこんなに押し殺してまで

女の子がいるけれど当たり前のようにある泊まりも、
自分より過ごす時間が多いことも、
いってらっしゃいって送り出して
ヘロヘロで帰ってこられてもそこでの話ばかりなことも、
すっぴん見せて一緒に泊まって夜中にはみんなでアイス買いに行ってって 彼女の私としてること変わらないことも、

なんで全部、許してるの?
なんで全部、許さなきゃいけないの? "

" 年越しだって、会いたいと思ってくれたなら
会いに来てくれたらよかったんじゃないの?
活動は仕方ないけど、プライベートは
別に女の子いてもいい 一声くれたら、2人きりだって別にいいよって、その代わり一言声かけてねって 言ってあるのに

なんで送られてきた写真で 全てを知って 悟って

こんなに傷つき疲れなきゃいけないの? "




全てが爆発した。

縋る思いで、インスタの裏のストーリーの
さらに親しい友達2.3人にだけ向けて ありったけの思いを吐き出した。

また親友たちに頼る事にはなったが、正直その時はもう 助けてとしか言えなかった。どうすればいいのか 彼の為にならないと この思いを隠し続けてきたけど もうこの状態で彼に普通に会うことは できない。


もう、言ってしまおうか。
今まで思ってきたこと全てを。

そう、ぼんやりと考え始めた。




親友には 「長いこと付き合ったからこそ、言うの怖いかもしれないけれど、もうちゃんと言いな?」と声をかけてもらった。


もしかしたら、終わりになるかもしれない。
そんなめんどくさいの嫌って、言われて
振られちゃうかもしれない。

でも今の自分に、前の自分のように 彼への思いを隠し通す事は もう無理だと思った。あまりに苦しい気持ちが大きくなりすぎて 溢れて溢れて仕方なかったから。



そうして私は、彼に今までの思いをLINEで送った。
直接会って話すのも、電話も 文が何もまとまらないと思ったから。

それはそれは、長い文になった。
それでも1年半の隠し通してきた思いの全て伝えきれなかった。

苦しかったこと
辛かったこと
傷つき続けても隣にいたかったから我慢してたこと
でも貴方にその関わりを絶って欲しい訳では無いこと
貴方の隣に私はもう いらなくない?と感じたこと
それでも私はこれからも貴方の隣にいたいこと
けれど貴方がめんどくさいと感じるなら離れること


思いの丈を、綴った。

返事を待つ時間は、自分の思いの押さえ込みに必死だった様に思う。

これだけもう、彼のそばに居る。
彼の性格はそれなりに分かっているつもりだった。多分、彼の事だから 物凄く責任を感じて 謝ってきてくれるんだろうなと 確信に近い何かがあった。正直、そうでなければ怖くてこんな事彼に伝えられなかったと思う。

でも、そう思っていて もし彼がもうめんどくさいから離れたいと そう言われたら今度こそ私の心は壊れると思ったから その期待のような 祈りのような思いは必死に必死にしまいこもうと。



数分後、彼からの返事を知らせる通知が来た。



「自分勝手に海のことを追い込んでしまってごめん。
もし出来るなら、電話させて欲しい」



ほっとした。正直、物凄く。


電話越しの彼は今にも泣き出しそうだった。
傷つけてしまった事への申し訳なさや
これからも一緒にいて欲しいことを 彼なりの言葉で
一言一言伝えてくれるのを聞いて 何だかボロボロ泣いてしまった。

良くも悪くも、人の気持ちに鈍感なところがある彼。


私がこうやって辛かった記憶を綴ったり、内容を見て
彼のことをとんでもないクズだと思うかもしれない。

でもそもそも、彼自身のこれまでの行動に
悪気なんてものは一切ない。

だからこそ、誰にでも優しいところは大好きなところでもあり、罪なところだなと思う節もあるが

彼が私に 活動のみんなの話をするのも、彼にとっては
大好きな人の話を大好きな人に聞いてもらいたいだけ。

活動だろうがバイト先だろうが、私の話をし、私の写真を見せ、自慢していることを私は知っている。
自己肯定が低い私でさえ、彼にベタ惚れに愛されていると実感できるぐらいには たくさんの愛をもらっている。




そんな彼の素直で 純粋な気持ちを 考えすぎや思い込みが激しい私の性格ゆえに 物事を複雑化しているのは私自身なのだ。本当に申し訳ないと思う。し、改めて反省もした。


1時間ぐらいだろうか。電話をした。

喧嘩をしても何があっても『嫌い』と『別れる』
という言葉は言わない、という約束をしている私達は


「終わらなくてよかった」 と言い合って、電話を切った。



これから先と、結末




電話をした次の日、1月3日。

直接会って、あけましておめでとうと言葉を交わした。


そんな彼に、1本の動画を見せてもらった。
今回の雪山研修の スタッフたちの準備風景から、活動中のメイキングのような動画だった。


その日の夜、その動画を一人で見ることにした。



その動画をなぜ 一人で見返そうと思ったか



" ああ、私 なんにも分かってなかったな、"



そう、強く感じたから。


活動の話を今まで沢山聞かせてもらってきて
大変なことも知ってたし、
お給料を貰うレベルの事をしてることも知っていたし、
『疲れた〜、いきたくない〜』とモチベーションが下がっても 頑張って活動に行く貴方を何度も尊敬した。


だからこそ

『いってらっしゃい』と毎回送り出して
『頑張れ!』と活動中はLINEを送り
『おかえり、お疲れ様』と帰りを待っていた。


けれど、その動画の中に映る彼を見て
恋人だからといって 私なんかが

嫉妬だとか、その活動に対する思いとか


そんなものを向けてはいけないものだったなと思った。



それは決して、
私自身の存在を下げる切ない意味ではなくて
どちらかと言えば、明るい感情で。

真剣な顔で話し合いをしているところ、
山のようにある作業、
研修中の忙しそうな風景、
沢山の責任、
それでもスタッフみんなで楽しそうに作り上げていってるところ、
研修終わりにお互いにみんなで お疲れ様って言葉に乗せて 笑顔で 時々泣きそうな顔で 伝え合ってるところ、


普段の私の前での彼ではなく、外での彼の姿。

素直に、素敵だなあと心から思い、泣いてしまった。




その活動で みんなに囲まれて楽しそうに笑っている彼は
きっと皆に本当に頼りにされていて、
何だか 彼の居場所が あんなに素敵な人と 環境に置かれいていることが 凄く凄く、嬉しくて。

でもそれもこれも、彼が頑張ってきた事の結果であり、

貴方の中身の良さで人が寄ってくる
貴方にしかない魅力が生んだ結果なんだな と思うと


彼のことがもう、誇らしくて 嬉しくて 凄いしかなくて
色んな感情が混ざりすぎて 言葉がもう、無くて。



私が彼に抱いていた 嫉妬だとか、苦しみだとか
その醜い沢山の感情は、間違ってはいなかったと思う。
恋人としては。

でも この感情が芽生えた時に すぐに彼に気持ちを伝えなくてよかったなとも、思った。

1年半経って、こんな形で気持ちを伝える形になってしまったし 苦しかったし 私一人が我慢することではなかったかもしれない。

けれども、今これだけの時間を過ごしたから、その居場所に生きている彼を 素直に素敵だなと思えたけれど
この感情を抱いた時には こんな余裕なんて なかったと思う。もしかしたら、彼がくれる愛を利用して、
彼の大切な居場所を 奪う形になっていたかもしれない。



きっと私は、私以外の貴方を知っている人たちと
過ごす時間が多いのが、
私といるより 楽しそうに見えてしまったのが、

しんどくて、苦しかっただけなのね。



でも、今思い返せば
その活動の中でも 私の話をずっとしていることを
そこのスタッフさん達にも聞いていたし
いつも頑張っている貴方は どれだけ忙しくても
私のことを大切に、大事にしてくれていた

毎回 『 支えてくれてありがとう 』って
『 負担になっててごめんね 』って いつも伝えてくれて

本当に忙しい時は 私に構ってる時間なんか
全くないぐらいの時もあるのに
絶対的に、私の方が負担になっていたのに

支えてくれてありがとう、と

毎回 ちゃんと帰ってきて
伝えてくれる。


私は、何をしていたんやろうなあって
情けなくて 悲しくなった。




私は2つ前の記事で、" 大人になりたい "と願った。

私にとってのこの場合の " 大人 "とは
本当の思いを 彼の為に、彼を思って 1人で我慢し続け、気持ちを隠し通すことだと。

けれど、それもこれも 彼の為と言いながら
全ては自分の為でしか無かったのではないか。

気持ちを伝える事で 彼を失う怖さを味わいたくなかっただけではないか。



でもそんな事で 離れていくような人を、私は愛したの?



それは、違う。全く違う。断言出来る。

その証拠に、私は思いを伝えても彼がそこで
" めんどくさいから別れる "と言わないと 確信に近い何かがあったからこそ、今回思いを伝える事が出来たわけで。


改めて想いを伝える事の
難しさと、怖さと、その必要性を
思い知った出来事だったと思う。


その場ですぐ、急いでじゃなくていい。

落ち着いて、自分の言葉で整理出来たら
ちゃんと伝える。



それが " 大人になる "という事なのかな。





20歳、少しずつ大人になれるように

色んなものに触れて 色んなことを感じて

色んな経験をして 色んなものを大切にして


生きていかなきゃなあ。


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