平安時代を舞台にした本を続けて読んでみた②
①で朝廷をメインにして書きました。
第2弾は、『一条天皇』を読んでいた時に気になった箇所からつなげていきました。
その箇所とは、以下の文。
これって「刀伊の入寇」のことでは?
※侵攻当時では、高麗なのかその上の刀伊(女真族)なのか区別がついていなかった説が有力です。
1年ぐらい前に『刀伊の入寇』という本を買って、積読状態だったので、掘り起こしてきました。
刀伊の入寇、を初めて知ったのは大学の時。
いかに平安末期の朝廷に対外危機感がなかったか、を示す事例として取り上げられてました。
『一条天皇』でも、軽事と捉えて勅符ではなく官符で出していることから、危機感の欠如に言及しています。
刀伊の入寇が起こったのは、平安時代末期、藤原道長の時代。
寛仁3(1019)年のこと。
朝廷では第1弾で取り上げたように、道長が3人の娘を入内させ、権力を増大させていました。
そんな時に北九州では刀伊=女真族が攻めてきて、パニック状態だったのです。
しかもその侵攻を防いだという大宰府の責任者(大宰権帥)が藤原隆家。
一条天皇の中宮定子の弟です。
つまり道長からすると甥にあたります。
『刀伊の入寇』はこの隆家が武士の原型になったんじゃないか、という説でした。
同時期に王朝文化が盛んになり、武士の原型もつくられる。
この正反対のベクトルが存在していたのがおもしろい。
1冊だけでは物足りないなあということで、『道長と宮廷社会』も掘り起こしました。
捜せばつなげられるものですね。
『道長と宮廷社会』で刀伊の入寇に関する記述のみを読むと、p327~p335に同様のことがかかれています。
『刀伊の入寇』と比較すると渡海制や大宰府に関する言及がありました。
小説はないのかなと調べていたら、葉室麟さんが書かれています。
この方も歴史小説で時々見かけますが、1冊も読んだことがなかったので、どこかで見かけたら読んでみようと思います。
ここまでは第2弾として書きました。
「刀伊の入寇」については、まだ整理しきれていないので、自己満足でしかないですが、別記事でまとめたいと思います!
もう複雑というか専門知識が多くて、時系列整理だけでも精一杯です…
藤原実資が『小右記』に詳しく書きすぎてますね、平安時代で一番のマメさなんじゃないかと思います。
第3弾では、文化に注目していきたいと思います。
和歌とか、書とか。図録も活用できそうな気がしています。
(←気力と体力の勝負。)