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平安時代を舞台にした本を続けて読んでみた②

①で朝廷をメインにして書きました。

第2弾は、『一条天皇』を読んでいた時に気になった箇所からつなげていきました。

その箇所とは、以下の文。

さらに十月一日の旬政の最中、大宰府が奄美海賊の吸収乱入を飛駅言上してきた。取り次いだ近衛官人が高麗の来寇を叫んだのも、六月の事件があったことによる。
『一条天皇』p83

これって「刀伊の入寇」のことでは?
※侵攻当時では、高麗なのかその上の刀伊(女真族)なのか区別がついていなかった説が有力です。

1年ぐらい前に『刀伊の入寇』という本を買って、積読状態だったので、掘り起こしてきました。

刀伊の入寇、を初めて知ったのは大学の時。
いかに平安末期の朝廷に対外危機感がなかったか、を示す事例として取り上げられてました。

『一条天皇』でも、軽事と捉えて勅符ではなく官符で出していることから、危機感の欠如に言及しています。

刀伊の入寇が起こったのは、平安時代末期、藤原道長の時代。
寛仁3(1019)年のこと。

朝廷では第1弾で取り上げたように、道長が3人の娘を入内させ、権力を増大させていました。

そんな時に北九州では刀伊=女真族が攻めてきて、パニック状態だったのです。

しかもその侵攻を防いだという大宰府の責任者(大宰権帥)が藤原隆家。
一条天皇の中宮定子の弟です。
つまり道長からすると甥にあたります。

『刀伊の入寇』はこの隆家が武士の原型になったんじゃないか、という説でした。

同時期に王朝文化が盛んになり、武士の原型もつくられる。

この正反対のベクトルが存在していたのがおもしろい。

1冊だけでは物足りないなあということで、『道長と宮廷社会』も掘り起こしました。

捜せばつなげられるものですね。

『道長と宮廷社会』で刀伊の入寇に関する記述のみを読むと、p327~p335に同様のことがかかれています。

『刀伊の入寇』と比較すると渡海制や大宰府に関する言及がありました。


小説はないのかなと調べていたら、葉室麟さんが書かれています。

この方も歴史小説で時々見かけますが、1冊も読んだことがなかったので、どこかで見かけたら読んでみようと思います。


ここまでは第2弾として書きました。

「刀伊の入寇」については、まだ整理しきれていないので、自己満足でしかないですが、別記事でまとめたいと思います!

もう複雑というか専門知識が多くて、時系列整理だけでも精一杯です…
藤原実資が『小右記』に詳しく書きすぎてますね、平安時代で一番のマメさなんじゃないかと思います。

第3弾では、文化に注目していきたいと思います。
和歌とか、書とか。図録も活用できそうな気がしています。
(←気力と体力の勝負。)

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