本のマリアージュ
私の読書範囲は、歴史や古典、読書論、ビジネス書に偏っている。
これは本好きの中でも珍しい方かもしれない。
小説やはやりの本はあまり読まない方だし、かといってビジネス書ばかりでもない。
要するに歴史古典とか、読書論が多くて、変に偏っているということだ。
読書は個人の嗜好であって、好きなものを読めばいい。
だがその立場に立つと、その「好き」が露わになってしまう。
だから、自分の「好き」=本棚を見られるのが恥ずかしい、という感情が芽生えてくる。
noteで読んだ本をオープンにやっているのは、ある意味自己紹介よりも深い自己紹介なのかも。
だから、記事を書くときは、本当に良かった/心に残った本だけにしている。
Kindleや図書館で読んだけど私のアンテナに引っかからなかった本、買ったけど今じゃない気がして積ん読にしている本など山ほどある。
何が言いたいのかがよくわからなくなってきたけど、要するに歴史古典に偏っているのは、今の私の心の琴線に触れるのがそれなのだろう。
読書範囲を広げようと思っても、本棚を見ればすでにビオトープが出来ていて、A分野B分野C分野と所狭しとワイワイしている。
ワイワイというか、本同士の見えない糸が出来ていて、本棚の中で行き来している感じ。
だから、本棚という限られたスペースの中で、本の配置が変わることなどしょっちゅう。
新しい本が来たらどこに入れようか、どこなら見えない糸がさらに強固になりそうか。そんなことを考える。
「見えない糸」といったけれど、自分で実感できたのが最近のこと。
社会に出てから。
この本とこの本がつながりそうと読んでいるうちに見えてきて、違う分野でも続けて読むことが増えてきた。
背景探しというか、関連キーワード探しというか。
そんなマリアージュが起きやすいのが、歴史と古典。
やっぱり自分が長く触れあってきた分野じゃないと、「見えない糸」という経験でしか得られない感覚が生じない。
ビジネス書や自己啓発本だと、逆に古典のあれと同じこと言ってるなあと思ってしまう。
ざっと目次を見て、あの古典読めばいいやとなる。
ただ思うだけで、実際に読んでいるかというと別だけれど。
それに、買った場所も記憶に残っている。
本屋にもこだわるようになってくると、この本はあの県の本屋で買ってきた、場所とも紐づくようになってきた。
マリアージュってフランス語でいうと「結婚」らしい。
それが転じて料理とワインの相性になって、互いに味や香りを高めあうことをいうんだって。
歴史という料理にも、和食、中華料理、フランス料理、トルコ料理など幅が広くて、ワインにも哲学、社会学、文学、歴史書など長い時間をかけて熟成されている。
膨大な組み合わせの中で自分なりに美味しく味わえるマリアージュを生み出す。
それが読書の最大の楽しみなのかもしれない。
※画像は生成AIを使って作成しています。
使用したプロンプトは以下の通り。
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