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彼女いない歴=年齢の僕が浅草で人生初デート後に小田急線で号泣した話

女性の冷酷さに絶望した18年間

「いじめは、いじめられる側にも問題がある」という人がいる。その問題が本人の努力じゃどうにもならない遺伝にあるとしても、同じことが言えるのだろうか。

私は生まれつき体が弱く、どれだけ食べても運動しても筋肉がつかないガリガリの体系だ。しかもチビである。必然的に、小学校におけるヒエラルキーの最底辺にいた。

小学校では「イケメン」「足が速い」「ノリがよく面白い」「勉強ができる」「背が高い」などがモテる奴の基準だった。私はその全てを持ち合わせていなかった。ファッションを研究するとか努力次第で挽回できる要素もあるだろって?私は搾取子で家庭内でも最底辺だったからそれも無理。

女性はそんな私を人権のない虫けらのように扱った。

女性はとにかく冷たく陰湿な生き物で、スクールカーストの最底辺にいる人間には何をしても許されると考えている。

その人の全てが受け入れられず、残酷なほどのいじめ(暴力や陰口、窃盗、持ち物を傷つける、存在を無視、根も葉もない噂の流布など)を他のクラスや親教師を巻き込んで仕掛けてくる。そしてその人とのコミュニケーションを拒絶する。クラスにいるだけでばい菌扱いしヒソヒソと陰口が聞こえたり悪意のこもった視線が飛んできて、言外に死ねと言ってくる。

私は6歳で女性不振になった。彼女なんていらないから、せめて人間と扱ってほしい。必要な範囲で普通に会話してほしい。

私ごときのその願いは、彼女たちにとっては身分をわきまえない戯言だそうだ。

女性が優しいは嘘。私は生きることさえ許されない。

小学校時代の私の扱いは中学校に進学しても変わらなかった。中学校の生徒が進学しない高校に進学した結果、若干緩和したがそれでもばい菌扱いはそのままで、生きていることさえ許されなかった。

それがきっかけで抑圧していた悲しみが爆発し、優等生を演じる→生徒会長・コンピューター部部長になって他の役員・部員を弾圧する路線に進むのだが(詳しくは他のエントリー参照)、地元を出て東京の大学に進学して全てを変えようと思い立った。

私は常に他人の顔色を窺い、怯えながら毎日を過ごしていた。大学では自分らしさを徹底して殺した。流行っているもの(ファッションとかお笑い芸人とか)を徹底して調べてリア充のマネをする。話題に必死についていく。少しでも周りからはみ出さないように愛想笑いで人畜無害なイイ人キャラの仮面をかぶる。

慣れない東京生活の中で四苦八苦して、ようやく教室やサークルの集まりにいても何も言われないようになった。集団内じゃぼっちではあるが、少なくともそこにいるだけで理不尽な仕打ちを受けることはなくなった。

……とはいえ、全てが解決したわけじゃない。女性たちは、私に対する態度とその他の男性に対する態度が露骨に違う。自分が気に入った相手は何をしても許すし過保護なくらい優しくするが、私には初対面にも関わらず最初から冷酷なまでに辛くあたる。親の仇のように罵倒する。

相変わらず、私には男としての価値以前に人間としての価値がないらしい。

大学生活最初で最後のデートは浅草で

唯一の救いは同じ授業を受けていた男友達やサークルの男性メンバーに恵まれたことだ。彼らとはお互いの家に遊びに行ったり飲みに行ったりして、やっと青春っぽいことができるようになった。

そんな中でとある男友達から同い年の女性を紹介された。彼がインカレサークルで知り合った他大学の女性らしい。彼の行為を無碍にもできず、メル友から関係を始めて、ひょんなきっかけからお互いが一度も行ったことのない二人で浅草に行くことになった。俗にいうデートだ。

当日初めて浅草で顔を合わせたその女性は、とても可愛かった記憶がある。浅草寺に行き、仲見世商店街で買い食いをして、人力車が走る姿を生で見てお互い驚き、花屋敷に行って、カフェでお茶をし、いろんな会話をした気がする。

終始テンパっていたし、傍から見たら挙動不審だっただろう。

デートが終わって浅草で別れたとき、普通に会話できていたから多分嫌われていなかったはずだ。

私はデートの余韻に浸りながら銀座線から丸の内線を乗り継いで新宿に来た。車中で彼女へのデートのお礼メールを忘れずにする。小田急線の特急がホームに来て、シートに腰かけた時にふと思った。

「そういえば女性と二人きりで出かけるなんて生まれて初めてだなぁ」

「今まで女性関連でロクな思い出がなかった。こんな自分と会話してくれて、あまつさえデートしてくれる人がいたんだなぁ」

そう心の声が聞こえた瞬間、私は感極まって人目をはばからずに大声をあげて泣いた。

自分みたいな生きる価値のない人間以下の存在と会話し、人間扱いしてくれた彼女の優しさに涙が止まらなかったのだ。私が泣きやんだのは、自宅についてしばらくたってからだった。最寄駅からの帰り道も、道を歩きながら泣いていた。

みなさんは、その後に私がこの女性とのどうなったか気になるだろう。結論から言うと、どうともなっていない。メールのやりとりを続けたり次のデートに誘うこともなく、彼女との縁は自然消滅した。

素敵な女性だなとは感じていたが、これまでの人生で女性不振が極限に達していたので「いつか彼女も別人のように豹変し、連絡が取れなくなる。」と思うと怖くなった。その恐さのあまり心の扉を何重にも閉めて関係を絶ったので傷つくことはなかった。

実らぬ恋だったけれど、アラフォーになった今でも忘れられないターニングポイントだった。

18歳で初めて私を人間扱いし普通に会話する女性と出会えた奇跡

冒頭のいじめに関する発言を私が面と向かって言われたとしたら「両親が私をこの世に誕生させたことが諸悪の根源であり、私の存在自体が問題である。生まれてきてごめんなさい。」と答えるだろう。

人間扱いされない地獄のような人生を送らねばならないのなら、私はこの世に生まれてきたくはなかった。死ぬ勇気がないので辛うじて生きているが、人生にリセマラがあるなら即座にやり直したい。

だが、この浅草デートの後で「こんなゴミくずみたいな生きる価値のない自分と普通に会話して人間扱いしてくれる女性がいるんだ」と感じた瞬間だけは、この人生も捨てたもんじゃないと感じた。

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