見出し画像

探究学習と心理的安全性の関係とは?


8月9日、大変有り難いことに広島県安芸郡の中学校教育研究会(総合探究の部会)に講師として呼んでいただきました。

「生徒が主体的に探究するための課題設定の在り方」というテーマで、講演&ワークショップ。

テーマは「生徒が主体的に探究するための課題設定の在り方」


ちなみに、会場の府中中学校では、広島と長崎の両日に想いを馳せ平和学習をおこないたいとのことから、9日も登校日となっており、当日は学年を超えた縦割りで原爆と平和に関する探究的な学びをしていました。

日帰りでしたがギリギリ平和記念公園にも足を運ぶことができました。探究というと、バカロレアからイエナプラン、モンテッソーリと様々なものがありますが、どれも「平和」を求め続けてきた結果、生まれた教育。そんな特別な日に「探究」について話すことができ、自分の人生にとって非常に意味のある1日となりました。府中中学校の沓木先生、この度は貴重な機会をご用意くださいまして、どうもありがとうございました。


という訳で、本日のテーマは表題のとおり、探究学習と心理的安全性の関係についてです。当日の講演では、脱「やらされ探究」。主体的探究学習の条件の根幹をなすものとして、心理的安全性について話しました。


たしかに、心理的安全性の高さがより良い探究学習を成立させることにつながりそうですが、その逆もあるのでは?、むしろ逆のベクトルのが強いのでは?と実感する機会が多く、それを図にしてみました(のちほど説明)。
授業でも部活でもなく、探究学習でこそ心理的安全性を高めることができると私は考えます。探究学習と心理的安全性は、不可分な関係であり互いにシナジーをもたらす。本日はそんな話をさせていただきます。


探究学習と心理的安全性の関係 森井作成


ひとまず、心理的安全性の概念や定義をみてみましょう。この概念を最初に提唱したのは、ハーバード大学のエイミー・C・エドモンドソン教授であり「心理的安全性」とは、

「チームにおいて、他のメンバーが自分の発言を拒絶したり、罰をあたえたりしないという確信を持っている状態であり、チームは対人リスクをとるのに安全な場所であるという信念がメンバー間で共有された状態」です。

※Edmondson,A.C(1999) Psychological Safety and ando Learning Behavior in Work Teams.


より詳細が気になる場合は、こちらをご覧ください。


話は変わりますが、私は中学生の頃、いじめを受けていました。私が授業中に発言するだけで、何人かが机をがんがん叩いて大きな音をだしたり、わざと聞こえる声で死ねと発したりといったことがありました。当時は、発言回数が「関心・意欲・態度」という成績に直結しており、そのせいで得意な科目の成績まで下がってしまいました。それ以来、中学生の頃は学級ヒエラルキーに囚われ、率直に自分の気持ちや意見を言うことができませんでした。そして自分を守るために無知・無能だと思われないように気を付けていました。文化祭や体育祭などでたとえ良いアイデアが浮かんだとしても、余計な事をする邪魔な奴と思われないよう絶対に発言しませんでした。否定的な反対意見を言ったらますますいじめられるかもしれないとびくびくしていました。

個性的な意見を言うと悪口を言われ非難される。目立った行動を取ったり、失敗をしたりすれば馬鹿にされる。このように当時の中学校の学級は、心理的安全性の非常に低いクラスでした。

至極当然ですが、心理的安全性が低くそれゆえ、学習するどころでは無くなっていました。なお、その反動で高校生以降は、抑圧から解放されて、自由に学び、創造性を発揮することができていた気がします。人が潜在的にもっている才能や可能性が理不尽に抑圧、制限されることが許せない、言い換えれば、才能や可能性が開花し、創造性が発揮される瞬間に喜びを感じるのはこういった原体験がもとになっているのかもしれません。それゆえ、創造的なワークショップや場づくりに惹かれているのかも?


前置き的な実体験はおいて置き、本題へ。先ほどの実体験にも含まれていましたが、心理的安全性を妨げるものとして、無能だと思われる不安や邪魔をしていると思われる不安など、「4つの不安」があります。


4つの不安が解消されれば、探究学習においての成果やパフォーマンス、創造性が向上します。探究プロジェクトにおいて責任ある立場になろうとする生徒が増えます。無知や無能だと思われる恐れがなくなり、課題設定やフィールドワーク、最終発表など様々な場面で失敗を恐れず挑戦する文化が醸成されます。否定的だとか邪魔していると思われる恐れがなくなり、個性的な意見や突拍子のない意見も歓迎され、問題点・改善点を指摘しあったりできることで、良いものを創造できるようになるでしょう。また、一人ひとりが認められやすく多様性や包摂性も高まります。最終的には、一人ひとりの当事者意識が高まり、学級の取り組みへの満足度や貢献度も上がるはずです。


上記より、たしかに心理的安全性は探究学習に効果的な影響を及ぼすでしょう。しかし、前段で述べたように実は逆のベクトルの方が強いのではと考えています。探究学習が心理的安全性を創り出す。これについて「4つの不安」をもとに要素分解して見ていきたいと思います。

求められる知識や能力が決まっている教科学習や部活では、「知らない・できない」は、恥ずかしいことであり、無知だと思われる不安や、無能だと思われる不安が生じやすい。できあいの答えに対して、できあいの方法で取り組む教科学習とは異なり、探究学習は、答えも決まっていなければ、問いすらも決まっていない。自分なりに問いを立て、自分なりの方法で、自分なりの答えを出す探究では、知らない・できないは当然であり失敗と挑戦の連続となる。したがって、「無知」「無能」だと思われる不安生じづらいのです。


探究型の学びは、旧来的な学校教育に比べて、大人のリアルな社会に近い。ただし、大人のリアルな社会における仕事では、失敗は許されるものではありません。また、挑戦が無条件に歓迎されるわけではないのです。しかし、子どもの探究学習においては、むしろ良質な失敗と挑戦を積むことが推奨されます。他にも下図(中原淳 先生の表をもとに加筆・編集させていただいた)をもとに考えると、心理的安全性につながる要素が多分にあります。

探究学習サイクルにおいては、どんな探究テーマにするか、どういった方法で情報収集するか、まとめ発表はどんな形式をとるか等、全てにおいて多様なアイデアを出し合う必要があります。また、修正や改善が必須であり常にアイデアが求められます。問いも方法も答えも決まっていない探究型の学びでは、批判的な視点や新規のアイデアが歓迎されやすいのです。したがって、「否定的」だと思われる不安も解消されていくと考えます。
旧来的な授業や部活、つまり、与えられた問題を暗記して、素早くかつ正確に再現する授業や、練習の意図を聞くことが許されず、黙って従うしかない部活動においては、「否定的」だと思われてしまうような意見や行動をすることに躊躇してしまう反面、探究においてはそういった心配がないのです。

加えて、探究学習ではチームの仲間はもちろんのこと、多様なステークホルダーを巻き込んでいく必要がある。専門家にアポを取って質問したり、地域の商店街に出かけてアンケートを実施したり、他にもフィールドワークの申請書を書いたりと常に他者の助けやアドバイスを必要とします。したがって、「こんなこと聞いたら邪魔な奴だと思われるかな」といったようなことをいちいち考えなくなります。また、メンバーのそれぞれが自分の良さを発揮できる役割や場面があります。例えば、想像力旺盛な人が探究テーマ設定でたくさんの仮説を出す、とにかく足で稼ぐタイプの行動派の人が情報収集をする、データや数値の解析が得意な人が情報の整理分析をする、人前で話すことが得意な人がまとめ発表をする、こんな感じでそれぞれが個性を発揮できる場面やロールが設定されることで、「みんなの邪魔をしたらいけない」「じっとしておこう」とは、一般的な授業や部活に比べるとなりにくい。そのうち得意な役割をこなすことを通して主体性や当事者意識も育まれます。こういった要素から「邪魔していると思われる不安」も解消されていくと考えます。

以上のことから、探究学習が「4つの不安」を解消し、結果として心理的安全性を高めることができると推察した全体像となります。


最後に改めて、探究学習が心理的安全性を高める、そしてそれがまた探究に好影響を与えるという循環について述べます。

そもそも、チームが成果を出すには一人ひとりが下記のような「学習を充実させる行動」をとる必要があります。
・質問をする
・支援を求める
・証明されていない行動を試みる
・失敗について話す
・意見を求める
・情報を共有する
※エイミー C エドモンドソン 『チームが機能するとはどういくことか』英治出版より

これらの行動を臆することなく取ることができてこそ、チームが学習する組織となり、大きな成果をあげることができるのです。上記の行動は、探究サイクルを回す中で身に付くものであり、同時に、心理的安全性が高い状態でこそ行いやすいものだと思います。卵が先か、ニワトリが先かといった話でもあり、相互に関連しあっています。

探究学習と心理的安全性の関係 森井作成


〇探究学習からスタート
挑戦・失敗は当然である。個性的なアイデアが歓迎される。自分の強みや良さを発揮できる場がある。


〇心理的安全性が高まる
みんなが気兼ねなく意見を述べることができ、自分らしくいられるようになる。健全な意見の衝突により共創が起こる。


〇探究学習の成果がでる
空気感に流されず、ファクトで意見を言うように。より助け合いが増え、協働・共創で問題発見・解決することができるようになる。


〇心理的安全性がより高まる
一人ひとりが個性を発揮できる役割や場ができたことで、互いに認めあえるようになる。多様性や包摂性がより一層高まる。


〇教科の学習、各種行事、一般受験にまだ効果的な影響がでる
責任ある立場に立候補する生徒が増え、主体性が向上。探究学習に限らず、各種行事や教科の学習、一般受験にまで効果的な影響がでてくる。総合型選抜(旧AO)のみならず、一般受験にも好影響がでる。


はじまりを探究学習にしました。心理的安全性をつくることからスタートすることも悪くはないと思います、しかしながら、最初からより良いチーム・雰囲気づくりを目指してはいけません。それ自体が自己目的化しすぎてしまうという恐れがあるからです。私の理想は、共通の目標に向かって探究学習サイクルを回す過程で、自然発生的に心理的安全性が生まれてくることです。もちろん、カオスな状況に途中陥ることもあるでしょう。しかし、探究を進めていくのに必要不可欠な行動をしていく中で、自然と心理的安全性が高まっていくことが多いように感じます。(もちろん、構成メンバーや文脈に応じてそうもいかないことも)


という訳で、今回は探究学習と心理的安全性の関連について書いてみました。

最後に一点補足いたします。心理的安全性については、それが高まることは、全体主義的なチームにおいては有意にはたらくが、個人主義的な人が多いと、より個人主義が加速するといった話もあります。また、アイデア豊富な人が多いチームであれば、みんなが気兼ねなくどんどんアイデアを出すため収束しづらくなるといった話も。つまり、そのチームが持っているもともとの素質、素顔が現れるといった見方もできるという研究結果もあるそうです。面白いですね~。こういった知見も踏まえて探究との関係性についてまたアップデートして書くことができれば幸いです。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?