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私も「男女平等への長い列」に加わろう

2024年2月7日に亡くなられた、赤松良子さんの著書『男女平等への長い列』を読みました。

最初、本のタイトルが「男女平等への長い道」だと思って、図書館で検索したときに出てこなかったんですが、よく見たら「長い列」でした。
列? 列って何だろう。
その違和感は、前書きを読んですぐに腑に落ちました。

赤松さんは「均等法の母」

赤松さんは、戦後、東京大学法学部に進み、労働省に入省。
女性の地位向上に取り組み、1985年の男女雇用機会均等法の制定に尽力した「均等法の母」と呼ばれる人です。

働きながら結婚、出産(産後6週で職場復帰)、育児をしながら海外研修にも出かけ、単身赴任し、国連公使としてニューヨークに赴任し、労働局婦人少年局長に就任…というご経歴の持ち主ですが、
なにがすごいって、この方が「均等法の母」なので、当たり前ですが均等法成立前の時代、育休もなければ時短勤務もない時代に、これらの経歴をつむいでこられた、ってことなんですよね。

かつては「女性は結婚したら仕事を辞めるのが当たり前」の時代。
「結婚退職制」「女性は25歳定年制」なんてものがある会社も多くあったそうです。
女性に責任のある仕事をさせようという空気もない時代に、労働省の局長に就任し、「男女雇用機会均等法」の制定を実現した赤松さん。
でも、この85年の均等法は「理想とはかけ離れたもの」だったそうです。

小さく産んで、大きく育てる

この本を読んで初めて知ったのですが、85年の均等法では、募集・採用と昇進・昇格での差別が「努力義務」にとどまっています。

(募集及び採用)
第7条 事業所は、労働者の募集及び採用について、女子に対して男子と均等な機会を与えるように努めなければならない。

男女雇用機会均等法(1985年制定)

「すべての差別を禁止する」と書きたかった、と赤松さんは振り返っています。でも、それだと財界からの反発が強く、法律自体ができない。同年に開催される世界女性会議までに、国連の「女子差別撤廃条約」に批准できない。そんなぎりぎりの交渉で、均等法は生まれたのでした。

今は納得がいかなくても、あとに続く人たちに、よりより改正法を作っていってほしい。
「小さく産んで、大きく育てる」。その思いがつながって、1997年、2006年、2016年の均等法改正につながっているんですね。

長い列は続いていく

「私たちの先輩がたが一生懸命、頑張って、多くを勝ち得てきたのだ。(中略)そして私は、そんな先輩がたの後を追って歩んできた。」
「男女平等を求める女性たちの「長い列」。それに加わることができたのは、本当に幸せだった。」
「これからの世代が、私の代ではできなかったことを、仕上げてくれるに違いない。」

「男女平等への長い列」赤松良子 著

赤松さんは一人で「男女平等への長い道」を歩んできたのではなく、「長い列」の一人に加わったといいます。
この本には、赤松さんが出会った多くの人々とのエピソード、感謝の言葉がたくさんつまっています。恩師や先輩から引継ぎ、仲間と戦い、後輩に託し、亡くなるまで「長い列」を歩み続けた赤松さん。
私もその列に加わって歩んでいきたい、そう強く感じさせてくれた一冊でした。

コメントやスキをいただけるとうれしいです! いつか、金沢市を拠点に、SDGsの観点からキャリア支援できるような活動をしていきたいと思っています。