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Vol.44 「エピソード・ゼロ問題」を越えろ!

小説に漫画、映画といった「物語」を紡ぐ作品では、魅力的な傑作が生まれると、後から『前日譚』もしくは『エピソード・ゼロ』と呼ばれる作品が作られる事がありまして…。

ただ!ここで難しいのが、『エピソード・ゼロ』で「大きすぎる事件や事象が発生」したり、それらを収めるような「思い切った解決方法」を描いてしまうと、先に存在していた『その後のお話』の魅力や価値が目減りしてしまうし、かといって「起きる事件や事象が小さすぎ」たり、それらの「解決方法がいい加減」だと、そもそも「エピソード・ゼロ」を作った価値が無くなってしまう所(←私が命名する所の『エピソード・ゼロ問題』)。

さて、そんな事を常日頃から!?考えている私が、先日 劇場で観た映画が『マッドマックス フュリオサ』。「マッドマックス 怒りのデスロード」(注1)に登場した、孤高の戦士 ” フュリオサ ” の誕生を描いた前日譚です。

※予告編です↓(30秒)

正直、制作発表のアナウンスを耳にした時は、前述の『エピソード・ゼロ問題』が頭をよぎったので一抹の不安すら覚えたのですが、実際に観てみたら…『素晴らしかった!感服致しました!!』

お話の構造で言えば、
「故郷から誘拐され、さらには母親を殺害された少女が、過酷な環境の中で戦士として成長し、復讐を果たす」
…という ” 割とシンプルな形 ” なのですが、まず復讐される相手である ” ディメンタス ” の「空虚な心の隙間」を匂わせる辺り、人物造形バランスのさじ加減が実に絶妙。
( ” ディメンタス ” には「狂乱の時代を生き抜く為の狂気」を気取りつつも「どこかで人間性が捨てられない悲哀」すら感じました。)
さらには「意外な所にいた理解者との邂逅、そして共闘の物語」に漂う、「砂漠の中のオアシス」の様な儚い美しさ。
そして、様々な示唆や隠喩がこめられた「復讐の結末」
それらの ” お話としての厚み ” に加えて、新しいアイデアが盛り込まれたカーチェイス・シーンも圧巻の一言で、見応えがあると同時に、観終わった後に『…ということは?』とアレコレ考えたくなる、掘り下げがいのある作品でした。

結果的に『「~フュリオサ」→「~怒りのデスロード」』の順で鑑賞しても全然問題ないだけでなく、『~怒りのデスロード』の様々な場面や、劇中の ” しぐさ ” や ” 佇まい ” の意味合いが更に増すという、凄まじい1本でした。
「マッドマックス」シリーズを、1作品も観た事がない方でも全然支障のない作りですので、ぜひ鑑賞をおすすめ致します!

では今週も、締めの吃音短歌(注2)

不器用な バック駐車と 詰まる声 どうにかなるよ ハンドルある方

※自動車のバック駐車は、いまだに苦手です(笑)

【注釈】

注1)マッドマックス 怒りのデス・ロード

荒廃した未来社会の荒野で、イモータン・ジョー率いる ならず者集団に襲われた元警官のマックス。血液型がO型だった為 ” 生きた輸血袋 ” として囚われてしまうが、ジョーの部下 フュリオサ大隊長の離反に端を発する内部抗争に巻き込まれていく…。
※年間ベストどころか、オールタイムベストの作品です。
確かに「A地点に行って、スタート地点に戻る」だけのストーリーですが、役者の表情やしぐさから、劇伴(音楽)、カットに至るまで、豊かな情報量が詰まった1本。
気づけばリバイバル上映含めて劇場で10回観てます。

※予告編です↓(2分40秒)

注2)吃音短歌

筆者のハンディキャップでもある、吃音{きつおん}(注3)を題材にして詠んだ短歌。
この中では『「吃音」「どもり」の単語は使用しない』という自分ルールを適用中。

注3)吃音(きつおん)

かつては「吃り(どもり)」とも呼ばれた発話障害の一種。症状としては連発、伸発、難発があり、日本国内では人口の1%程度が吃音とのこと。


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