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ACT.34『究極の列車に乗るだけ』

スカスカ

 九州を果てしなく周遊する旅を終え、新山口まで自分は山陽本線に乗車した。この山陽本線に、目的の列車が走るので乗車する事にしたのだ。
 乗車するのは、『DLやまぐち』号という臨時快速列車。一応、指定席制の臨時快速列車扱いにはなっているものの、号数設定や詳細な便名はあまり公表されていなかった気がする。
 と、ここまでは『DLやまぐち』に乗車するまでの色々。観光列車に乗車となったので、
「やまぐち号に乗るんや」
と話したところ
「予約とか大丈夫なの?」
と言われたが、そんな心配すらなく座席はスカスカに空いていた。それもそのはずだった。本来の機関車が登板していないからである。

通常の『やまぐち号』。SLやまぐち〜として、D51かC57のどちらかが先頭に立つのが恒例になっている。
令和3年撮影。

 この列車は、本来でなければ蒸気機関車による牽引でなければならない。
 しかし、肝心の蒸気機関車は2機とも故障または調子を崩して梅小路運転区に整備入場している状況だ。
 その整備入場は長期に渡り、遂にディーゼル機関車による代走運転を実施するようになってしまったのである。そして、このディーゼル機関車での代走運転でも思うような業績が得られず運転休止を挟む…など、明るくない出来事が続いた。
 こうなれば、九州帰りの時間を利用して乗車したいと思い乗車に踏み切ったのだ。
 チケットは、簡単すぎるくらい呆気なく取れた。直前でも、◎の座席が発見されたくらいである。
「ディーゼルじゃダメなんかなぁ…」
と内心そんな事を考えつつも、自分は新山口で列車を待った。

どこまでもこんな光景

 新山口の駅は、既に前駅の名称・『小郡』であった事を忘れ去るような雰囲気だが、車両だけは変化していない。
 國鉄山口、とネットの社会に通じる者はこうしてこの環境を笑うが、駅の白っぽく爽やかな環境と比較すると本当に驚くくらいのギャップだ。
 停車しているのは、恐らく山口線の気動車だろうか。そして、下関から乗車した黄色い115系が岩国に向かって過ぎ去っていく。
 本当に、この駅に入ってくる鉄道車両で新しい車両と言えば何になるのだろうか。それこそ、 JR東海のN700A新幹線だとかその類にまでなってしまうのだろうか。

 新山口の改札に入っていくと、こんな車両が停車しているのを見つけた。単色の鉄道車両の中で、かなりの異彩を放っている。
 『ゆうパック』と呼ばれた、JR西日本の広島塗装である。
 この塗装は鉄道ファン。そして地元の住民だけでなく、TVアニメを通して日本全国の人間に衝撃を与えた塗装だと言っても過言ではないだろう。
 少し壮大…になってしまうかもしれないが、そこまでの影響を呼び込む破壊力をこの塗装は持っていたのだ。

 反対側から車両を望んでみる。こちら側には連結を想定した幌が装着されており、この幌が装着されていると車両としての個性がより一層引き締まった感じに見えるのが素晴らしい。
 車両として、この連結ホロを山口県内で使用するのは一体どういった時だろうか…と考えてみたのだが、個人的に浮かんだのは宇部線での朝増結として単行電車の123系との増車がかかる時しか想定が出来なかった。実際、そうした時くらいしか使用していないのだろう。

 停車時間はかなり長く取られていた。こうして模型製作やイラストの参考資料になりそうな写真まで撮影できたので、記録しておく。
 この部分が、前面の塗装と側面の塗装に於ける境界線といった場面になるのだろうか。丁度、この部分が塗装の愛称となった『ゆうパック』の名を強く示している部分だと強く思ってしまう。
 そして、台車に関しては103系などで見られる国電から成長した車両の台車だ。
 それもそのはずで、105系というのは大都市での103系余剰車両を改造して誕生した電車なのである。当初は和歌山方面・奈良方面にも在籍があったのだが、車両としては現在この岡山・広島・山口のみになってしまった。

 車両の個性、として最も強く出ているのはこの前面帯ではないかと自分は思う。
 近づいての撮影などはしなかったが、今回は撮影できる範囲から撮影して帰る事にした。
 さて。この105系『ゆうパック』塗装こと広島塗装の存在や知名度を一気に全国区に広げて行ったのは、TVアニメの存在と先ほど記した。現在、TVアニメは日本の経済ならず世界に強い影響を与えている。
 その中で、この広島塗装の105系が登場したアニメが最近話題になった庵野秀明氏の『シン・エヴァンゲリオン』。そして、広島県の呉線沿線を舞台にしたTVアニメである『たまゆら』にこの105系広島塗装が登場し、話題をさらった。
 復活の際も、こうしたアニメ層が注目したのは言わずもがなであり、鉄道ファンや地元の懐かしい風景でなくサブカルチャー面でも注目が期待されている塗装の復活となっている。

 関西の和歌山に奈良といった既に活躍のイメージになっている都市では終了した105系ではあるが、こうして再復帰。また新たな注目を浴びるステージに立てているのは非常に嬉しい。
 今後の行く末、動向が気になる電車である。

夢の影に

 山口線のホームに移動した。
 ホームに停車している列車は、山口線を津和野・益田を経由して山陰本線に入り、鳥取に向かう特急列車・『スーパーおき』である。
 車両は上郡・岡山でよく見かけるキハ187系が使用されており、フレンチトーストの食欲をそそるかの如く黄色いその前面を晒している。
 黄色い前面の鉄道車両といえば、イギリスの鉄道車両が警戒の意味を込めて前面にこの塗装を採用しており個人的には少しそういった欧風の要素を感じる鉄道車両でもあったりするのだが。
 しかしまぁ平べったい顔だ。実はこの車両。よく見かけると、貫通扉付近に空気抵抗を避けるための突起物が付属しており、そのパーツを発見するとさり気なく爆笑してしまうのがなんとなくツボにハマるのだ。トンネルやカーブでの抵抗を少しでも減らしたいのだろう。
 だが、走りはこう見えても一級品の素晴らしいマシンなので是非とも山陰旅行の際には乗車して頂きたい。(すてま)

 山口線ホームに、待望の列車が入線してきた。展望室に入換の誘導係員を添乗させながらではあるが、その独特な形状がハッキリと伝わる。
 臨時快速列車『DLやまぐち号』だ。
 今日は本来の姿とは異なりディーゼル機関車での代理走行となっているが、それでも撮影やその入線の様子を撮影しようと集う見物人の姿は多かった。列車の注目度を窺わせる。

 誘導員に連れられて入線した『DLやまぐち号』の客車の姿は、さながら銀河鉄道999の999号がこの世に蘇った姿を彷彿とさせる。
 そして、客車が999号として銀河鉄道線の姿を浮かべてしまうのならば横の鳥取方面に向かうキハ187系の姿は、さながらエメラルダス分岐点へと向かう111号の姿を思わせる。
 この車両が入線すると、山口線ホームの空気が一変した。単なるローカル線ではなく、ここから壮大な物語を見せてくれそうな、特別な空気。

特別な時間だけど

 今回、この列車を島根県の津和野まで率いる事になったのはDE10形というディーゼル機関車だ。
 このDE10形というディーゼル機関車は、通常は操車場・車両基地の構内入換や小型路線の運用に使用しているディーゼル機関車である。
 しかし、この5月のGW連休の機会として特別な列車の先頭に2台で立つ機会を与えられた。小さいが、2台並ぶと非常に頼もしい。そして、何かこう見てみるとイギリス発祥の絵本・きかんしゃトーマスで見かける劇中の機関車たちが手を取り合い仕事をする姿をも思わせてくれる。

 編成の先頭に回って撮影する。
 2台のDE10の頼もしさがよく分かる記録だ。そして、この写真越しにも分かる客車の迫力。列車の旅路が今か今かと楽しみになってきた。
 機関車の先頭には、SLの時同様にナベヅルのHMが装着されている。SLの場合は確か彫りが深い形状をしていたような記憶があったが、このDE10では簡素な状態に留められているようだ。少し、こういった場面を列挙してしまうと鉄道ファン的な目線で残念が増えてしまうような気がするのだが…

 客車の佇む姿は、正に『銀河鉄道999』の姿そのものを彷彿とさせてくれる。
 改めて記すが、この新型客車で『やまぐち〜』が運転されて以降、この列車が放つ『銀河鉄道999』への要素はより一層強さを増しているような感覚がするのだが。
 しかし、新型の客車は側面が電車のよう…というか、一定の進化をしてここに登場してしまった予感がするのは否めない。客車としての個性を保持しつつ、電車の要素を吸収し近代化したと考えれば、良いのだろうか。

 鉄道車両とは、屋根を見る事が1つの大事な肝になってくる。
 模型での再現や、車両の個性を捉えるのにも大事だ。
 乗車前、ホームを渡る際にこの新型客車の屋根を撮影した。が、この屋根の迫力。どうだろうか。
 客車ではなく、この屋根はなんと言うのか電車や鉄道車両としての近代化を一定完了した感覚と言って相応しい。いや、客車なのだろうか。この屋根を撮影すると、より一層そう言った感情に駆られる。
 そして、その奥のDE10形の頼れる姿にも注目しなければならない。旅の楽しみがまた1つ増える写真の記録に成功した。
 皆さんも是非、新山口から『〜やまぐち号』に乗車する時にはこうして通路から屋根を撮影してほしい。この迫力や近代化の具合には、目を奪われる事間違いなしだ。

 車両としての近代的な屋根や側面…を一通り観察し、目を屈めて車両を撮影するとまた驚かされるのだ。
 車両が、しっかりと旧型客車を演じている。
 この衝撃は撮影しなければ、立ち会わなければわからないのだが本当にこうした写真をランダムに無心に撮影していくうちの衝撃で驚くばかりだった。
 そして、サボ形状の行き先表示。しかもそこに、時代を錯誤したリベット打ちの窓演出がされているのだからこれが非常に驚きとしか言いようがない。
 時代はここまで再現が出来るようになっているのだと。

 勿論、ここまで来たら指定席表示もサボ形状になっている。最近の新型車両ならLED行先がトレンド…な所を、レトロさ重視で徹底に舵を振り切り近代化とオールドを織り交ぜた姿になった。
 入口のこの雰囲気も、立ち止まった時の雰囲気だけは何か電車のような空気を感じるのに、圧倒されるのは昭和の情景なのだ。
 しかも、畏まってなのか木張りの床にもなっているのが特徴だ。ここまで旧型客車の空気を尊重しつつ、現代の空気に合わせようとした鉄道車両が今後登場するか…と言われると非常に怪しいだろう。

乗車してさらに

 ここまで衝撃を感じた新型の『〜やまぐち号』客車であったが、乗車してみて更に大きな衝撃を受けるのがこの車両の恐ろしい所なのである。
 車内が完全に旧型客車から流用した設備で埋め合わせたのかと思うくらいの旧型客車に近い設備、近い状態になっているのだ。コレに関しては、この車両に乗車して毎回衝撃を受ける。
 だが、よく車内を見渡してみるとLCDでの車内案内表示器が装着されていたりと実は車両としての近代化、新型コロナ渦でのパーテーション設置と地味な変化というか、時代の配慮が写真の中にあるのである。

 旧型客車といえば、この水回り環境を創造する方も多いかもしれない。
 かくいう新型の『〜やまぐち号』客車にもこの装備が『レトロな時間』の演出としてこの車両のトイレ設備に復活した。
 現在でも、旧型客車の継続運転や保存に関してでこうした設備に触れる事の出来る環境は多いが、コレを現代に復刻させた功績は非常に大きな偉業を持っているだろう。

 勿論、通常の旧型客車ならこうして男性女性のジェンダー配慮に関する表記はないのだが、この新型の再現客車(この場合は復刻客車かもしれない)には、トイレの男性女性表記が現代に倣って装着されている。こうした時代配慮を眺めていると、また一つ現代を走る車両としての風情を感じるばかりだ。

 車内にはこうして、国鉄時代には標準装備だった路線図の設置もされている。
 この路線図を発見したのも、少し前に乗車した大井川鐵道のSL急行以来になるのだがやはり日本の地図に人体の血脈のように鉄道の路線が張られた様子は圧巻の一言に尽きるだろう。
 かつて、大井川鐵道に乗車した際の話ではあるが、路線図に関西圏が掲載されており
「自分の最寄駅はあるだろうか」
と探してみたところ発見できなかった。
 花園の次駅は嵯峨となっており、表記がなかったのである。調べてみると、生活での最寄駅・太秦は後に開業した駅である事が判明した。
 皆さんもこの日本地図風の路線図を発見した折には
「自分の最寄駅があるか」
と探してみるのはどうだろうか。

 列車を観察し、車内の写真を細かに様々に撮影しているうちに発車時間になってしまった。
 駅員の声も高らか、列車は山陰本線も近い津和野に向かって進んでいくようである。下関を出てまだ少ししか経過していないのに、自分といえばまぁ元気なものだ。
 しかし客車列車に乗車しているとこう、旅立ちの時間というのが何か楽しみになってくるというか特別な時間に感じられる。
 そしてまさかな装備になるが、この新型客車には『ドアチャイム』が設定されていた。四国8600系のような開閉音を鳴らすのだが、この車両の中で鳴るのが非常に違和感。そのまま電車のように閉まって、山口線の風光明媚な鉄路に挑んでいった。

銀河でなくても

 今回、この新型の客車に乗車するのは2回目の話になる。
 以前は『どこでもきっぷ』という乗車券を使用し、山口〜新山口にて空き席に座って短い旅を堪能した。
 今回も少し短く、新山口から地福までの乗車で旅を楽しんでいく事にする。路線にしてみると、大体半分ほどになってくるのだろうけれど…
 2台のディーゼル機関車の汽笛を合わせて鳴らした『DLやまぐち号』は息を合わせて、新山口の駅を出発した。発車してからは流石にカタパルトレールの上…ではなく、新山口の電車区・気動車区の横を眺め進んでいく。

 雨で車窓は完全に濡れている状態…なのだが、新山口を出ると気動車・ディーゼル機関車がこうして円陣を組むかのように並んでいる姿を望む事が出来る。
 この光景を眺めると、何か山口の鉄道の中心部を見ている気分に自分はさせられてしまうのだ。
 かつては、この円をぐるっと蒸気機関車たちが囲んでいたのだろう。現在は、気動車の片運転台の車両たちの向きを整えたりする為に使用しているのだろうか。
 列車は、息を合わせて湯田温泉方面に向かっていく。

 もう少し近づけて撮影した写真だ。
 さながら、気動車が同じ方面を向き同じ顔の車両が休息を取るのは迫力のある光景である。
 そして、JR西日本の単色効率化の恩恵…ではないが、車両の塗装は偶然にも首都圏色を彷彿とさせる朱色のカラーリングになった。ここだけ見てしまえば、さながらこの景色は国鉄の一つの時代に回帰したように感じられる。

 客車の上部眺めていると、『網棚』がある。
 現在は存在そのものを見ないか金属製になっているか、のどちらかかもしれない。そして、鉄道の世界では半ば死語になっているのではないだろうか。
 そんな網棚も、この車両の中ではオールドな昔の姿として現役になっている。
 乗車した瞬間から、着席して下車するまで、徹底的に旧型客車としての時間を貫いているのがこの客車の素晴らしい点なのだ。

時事と展望してみる

 一世を風靡した漫画、銀河鉄道999に登場する999号(鉄郎・メーテルが乗車する列車であり主役)には医務室・食堂車・バスルーム…と様々な特殊車両が連結されており、そして中には戦車に車輪を装着したような『装甲車』(戦闘車だった?)も連結されている。
 コレは、999号が走行する区間の大銀河本線での敵の襲来に備えて、また、宇宙での長旅に備えて…となっている。と言っても、列車は空気を密閉したチューブ内を走行しているらしいのだが。
 という事で何が言いたかったのかというと、こうした設定やこうした作品を世に残し、人々に999号の希望の旅路を与えてくれた松本零士先生が令和5年の2月13日、亡くなった。奇しくも九州・そしてこの山口線の新型客車に乗車しているこの年であり何か重なるものを感じてしまう。客車を牽引し、終点の津和野まで率いるのはディーゼル機関車なのだが客車の情景や設備を見ていると、
『ギミックの入った旧型客車』
というのはそれこそ松本零士先生の描いた銀河鉄道999の世界を彷彿とさせる。先生はこうした世界とは少し違うが、近代化した鉄道の旅を漫画にして世に打ち出した。
 写真に映したのは売店だ。
「写真、良いですか?」
の一言に、開店前の様子を撮影させて頂いた。
 999号にも食堂車の連結があったが、この区画でも飲食物を買う事が出来る。
 しかし、松本先生が亡くなって999号の設定や銀河本線を走行する列車たちの設定を深く熟読したが、蒸気機関車が引退し鉄道が近代化に向かって走り出そうとした期間にここまでの作品を世に残したのは素晴らしい功績だと思ってしまう。

 車内には、蒸気機関車の構造を伝える展示物の展示もなされている。
 自虐になってしまうが、今回の牽引機はでぃーぜるディーゼル機関車でこの展示は全く関係ない。
「帰ってきたらこんな車両が先頭に立つから皆さんお待ちくださいね」
くらいに見てくださいという感じだろうか。
 しかし、『〜やまぐち号』の客車がここまで専用客車としての色を濃くし、そして展示物まで残しているとは思わなかった。
 更にはこの周辺にはゲームとして
『投炭ゲーム』
と機関助士が勤めていた仕事をゲーム化した展示物がある。きっと昔の人が見たら怒るかもしれない…と思ったが、逆に考えれば、ここまで努力しなければ鉄道は走らなかったという事を学べる良い機会にもなるのだろうか。
 999号ほど、ではないが長距離の旅を楽しみ、鉄道に触れる時間というのだろうか。そうしたモノに触れるツールを用意している列車である。松本零士先生の亡くなった年だからこそ考えてしまうのだろうが。

 新型客車にはLCDも装着されている。
 通常は電車内に装着されているシステム…ではあるが、こうして客車にも進出する時が来てしまった。
 復刻かどうか定かではないが、大日本鉄道路線図、のような日本地図を模ったような区画に血脈の如く張られていた路線図と比較してみるとその差に驚いてしまう。
 しかも丁寧に、益田方面・美祢線方面までの表記まで細かく表記されておりそうした点も非常に素晴らしいと関心させられるばかりだ。新幹線の案内まで残されているのを見ると、車両自体普段の運用に使用して良いのではないかと思ってしまう。ただ、一部の観光要素を取り除けばなのだが。

 この設備を見れば、客車もここまで進化したのかとその勢いに驚くのは間違いなしだろう。観光列車としてのもてなしを、完璧にこなしている。
 2回目の乗車になるが、本当に衝撃だった部分としてこのコンセント区画が挙げられる。車両の登場も平成29年と比較的新しい車両だが、まさかこの設備を導入してくるとは思ってもいなかった。
 そして、この列車よりも速い速度で運転し特急として走っている『スーパーおき』にはコンセントの装着がない。山口線を走る車両では唯一、この車両だけが装着しているのだ。
 コンセントの設備を見た時、自分は一定の銀河鉄道999で見た999号の車両設備とは少し異なるが旧型客車の近代化する姿を一定に見た気がする。快適な旅を求めて、現代に適応する為。進化をしていった姿。それこそがこの姿だったのではないだろうかと。
 松本先生が描いた漫画の先見の明も充分に素晴らしく格好良い事だが、自分の中ではそれに追随する車両が後に世の中に登場した事が何か感慨深かった。

手繰ってみた

 この列車に乗車している時の記憶が、何故か自分は殆どない。
 湯田温泉。山口・仁保と多くの人や駅員からの見送りを受けて先に向かって行ったのは何か記憶があり、そして車掌から機関車・DE10に関する説明があったのだけは記憶しているところだ。写真は、仁保駅で長時間停車中の最中に写真を撮影している様子である。この仁保駅では、家族連れや車で様子を見にきた人々などがこの列車を見送っていた。
「SLだったらどうだったのだろう」
と自分は思っていたが、GWなのにも関わらず惨憺たる乗車率だったのは記憶に新しい。
「有料の着席制充電付き列車」
として列車が機能しているように自分は見えたが、走りが静かで見送りが静かで何か味が薄い旅だった。その代わりと言っては何だが、先ほどの記事のように新型客車の興奮や感動には集中して神経を研ぎ澄ませられたかもしれない。

 トトロ食べるもん。
 はい。ようやっとこの列車内での食事。
 小倉駅で調達した食事を列車内で開封して食しましたとさ。そして、新山口のセブンイレブンで買ったお菓子なども追加。少しは腹が膨れたもので?と思ったが、トトロにかぶり付いた罪悪感しか残らず、そして時に混じる
「なんでこんなぱんにしたんだろう」
というシュールな感情だった。
 もう1つパンを買ったが、それに関しては『うぐいす餡』の入ったパンだった。どちらも非常に美味しくいただきましたとさ。
 そして、横の乗客(2人組)はというとボックスを仕切るパーテーションをどかして列車呑みに浸っていた。
「この酒が良いんじゃない?」
「よし、コレ開けよう」
あぁ、羨ましいんだがぁ。
 ちなみに、その横の乗客に話を聞いてみると
「たまたま空いてたら乗ってみた」
との事。蒸気機関車を期待したらディーゼル機関車でビックリしたと言っていたが、自分の説明で少しレアな状況だと分かってもらえた。

 車内は本当に『がらん』としていて、乗客の入りは本当に悪かった。
 唯一埋まっていたのはグリーン車だけで、グリーン車に関しては事前乗車でも座席がしっかりと×のマークが入っているのを確認した。
 その他普通車は全てこんな感じになっている。撮影している側としては非常に様々、試行錯誤したり銀河鉄道999っぽくと魅せる写真を考えたりと腕の考えや思考の幅を広げるチャンスなのだが、やはりどうにも客の入りが悪い車内は旅として眺めていると寂しいというか言葉にならない気持ちを抱いてしまうのだ。
 ディーゼル機関車の勇姿、も悪くはないと思うのだが。

 途中停車駅、仁保での光景だ。
 観光列車として、こうした途中停車の時間というのは撮影の為に多くの乗客が降りてくる特別な時間である。
 しかし、この日は雨。酷く天候も悪く、そして乗車率も良くなかった為に写真の絵として寂しい仕上がりの1枚になってしまった。少し寂しい1枚にはなってしまったが、これも
「ディーゼルで凌いでいた時期にはこんな事もあったな」
と笑える思い出に残しておきたい。

絵になる勇ましさを求める

 仁保では雨に打たれてしまったものの、撮影成果として得られたものは非常に大きかったと思う。その中でも、特にこの車掌の背はお気に入りだ。
 列車を守る人として。乗り物に魂を捧げた人間として、この姿は非常によく似合っている。この車掌さんには、後に下車する際にも優しくして頂いた。降車駅となる地福が無人駅だった事など…様々な事情があったのだが、後にその優しさに触れた話は記していくとしよう。
 ちなみに、自分は全く気づかなかったのだが後にこの写真を
『DLやまぐち号に乗車した記念の写真』
としてアップしたところ、多くの反響を頂いた。理由を後に調べると、このアングルが有名動画と同じアングルだったようだ。そこまでは自分として全く考えていなかったのだが、見ている人はよく見ていると思う。

 山口を出て、仁保を進んで長門峡に向かう。そして、列車はこの先。勾配あり、自然ありの日本らしい光景の中を進んでいく。
 勾配や、自然だらけの区間…というのは機関車を2台連結した重連の機関車にとってその真価の見せ所になってくる。地福までの短い区間ではあったが、2台の機関車の息を合わせた運転には支えられたというか頼もしさに支えられたと思う感覚は多い。
 そして、その中で撮影してみたいアングルがあったので撮影をした。それがこの写真だ。
 現在は、客車列車の存在というのが非常に少なくなっている。それもそのはずで、国鉄時代の晩年からは動力近代化の波が到来し客車ではなく電車・気動車での運用が日本の鉄道の主流になっていった。
 しかし、そんな中でも国鉄時代の晩年やJR化…そしてまた、バブル渦でのジョイフルトレイン誕生などを契機にして、様々な客車が誕生する。
 こうした客車たちは、『眺望』を大きくアピールしたのが魅力だった。そして、自分もそんな先人に憧れて
「こうした写真を撮影してみたい」
と常々考えていた。
 とこうして、ディーゼル機関車の牽引列車によって今回撮影のチャンスがやってきた。先人たちのジョイフルトレインでの光景などには少し及ばないかもしれないが、こうして機関車越しに客車から眺める景色を撮影できたのは大きな成果だった。

 展望の景色越しにこうして撮影した写真の中に映り込んでしまった…が、この新型『〜やまぐち号』客車は鉄道友の会・ブルーリボン賞を平成30年に受賞している。
 受賞した背景には。
・蒸気機関車動態保存運転に向けた永続的な運動
・最新技術を投じての旧型客車再現
といった面があったようだ。
特に、自分も2つ目の最新技術を投じての旧型客車再現といった場面には非常に同意…というか、この車両でしか出せない個性を前面に打ち出しての受賞となったのは間違いないだろうと思う。
 同時期にはクルーズトレイン・トワイライトエクスプレス瑞風にTRAIN SUITE 四季島も混ざっていたが、それらを跳ね除けて堂々の受賞となった。

長い旅の合間に

 下関から帰って、自分はその足で乗車している。なんとも忙しない状況…とはなっているが、どうしても山口県を通過するなら乗車しておきたく。そして、もう少しだけ体感しておきたい列車であったからだ。
 また、この列車自体の成績があまり振るっていなかった事も自分が
「乗車してみたい」
と思わせる風を後押ししてくれるきっかけになった。少しでも、山口線の観光に貢献できたら自分は嬉しいのだが。
 と、そんな乗車時間中に横の夫婦と話した。偶々空席が多いと思ったらディーゼル機関車だった、みたいな話からずっと続いて様々な話をしたが、その夫婦はそのまま津和野を越えて出雲方面に向かう模様だった。
 そして、自分のストラップにも気づいてくださり
「福岡はオリックスの試合見に行ったんです」
と話をすると、
「だからバファローズのユニフォームのストラップだったんだ」
と、飲み込みが早かった。その時は、昨年の敵地・神宮での優勝に関する話もして下さった。

ハイパー・ターン

 あっという間に地福に着いた。
「また会えるよ!」
相席した夫婦の方にそう言われた。本当か分からないけど、旅の神様が付いてくれるならホンモノだろう。
 この地福で行き違う列車に乗車して、自分は新山口方面に向かい、そのまま広島に向かわなくてはならない。どれだけの時間でこの駅の滞在を過ごせるだろうか。

 相変わらず、機関車の重連運転シーンばかりを撮影していた。本当にこうしたアングルだけで何枚費やしていたか分からないくらいだ。
 車掌さんが映っているが、車掌さんには行き違いの列車が来るまでの間優しくしていただき、かつ列車を待合室の代わりのように使わせてくれた。本当に感謝しかないのだが、届いているだろうか。

 雨が降っていたので、とにかくまともなシーンが撮影できなかった。それに尽きるだろう。
 この時も傘を差しながら、半濡れになりながらの撮影で機材の死亡まで覚悟していたが後半の失速やアクシデントもなく、無事に機材は現在も使用できている。
 そして、写真を見て発覚したのだが先頭に付いているDE10形には冬季の雪除けに使用する旋回窓を装着しているのがよくわかる。きっとこの機関車は寒冷地向けなのだろうか。そんな事を考えてしまう。

 構内踏切からの撮影。
 こうして見ると、DE10とナベヅルのHMもそこまで悪くないと思わされるのが何か不思議だ。
 しかし、キャブの窓が見えないとDE10…日本のディーゼル機関車の顔には物足りないのが少し辛いところだ。もう少し引いた場所からデフォルメすると、あんな感じになるのかもしれない。
 そして、この位置だと冬装備?のスノープラウの形状・特徴がよく分かる。コレまた素晴らしいのだ。

 行き違いの列車がやってきた。自分はこの列車にて、地福を去る事になる。そして、この列車で山口観光の半分を済ませた事になる。
 しかしこう、首都圏風味の気動車と並んだ時の新型客車は違和感がない。ディーゼル機関車の存在がより国鉄らしい味を出しているので、本当に最新型の列車なのか分からなくバグを起こすのが魅力だ。

 そんじゃ、また!!
 手を振って、見送った。そこまで話せなかったけど、自分のことをどれだけ覚えてくれているだろうか。何か不安になるようで、楽しみにもなる。またいつか、神様のような存在に引き合わせてもらえると自分は非常に嬉しい。
 気動車のエンジンが唸っていく。客車が去っていく。山口の都心部へ、そのまま戻っていった。

 そのままボックスの席を地福から確保できていたので、着席してずっと雨に濡れた体を寄せてぼんやりしていた。
 しばらくすると、疲労か何かで寝落ちしていたようで到着すると新山口にいた。
 起きると喧騒の中に気動車のエンジンが呼吸する音が響く。本当に寝ていたんだ、と感じはするが、車両まで連結されていたと知るのは新山口に到着してからだった。何処で連結したのだろう。
 と、今回は下関から寄り道で変わった客車に乗車した話を綴りましたとさ。

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