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ACT.10『あの日の大地へ』

気付けば最終日

 青春18きっぷも気付けば最終回を使わなければならない時期になってしまった。
 毎回色んな人の前でカミングアウトする時、
「春の18はとにかく短い」
と言い続けているが職業訓練柄更にその隙を窺うのが難しくなったような気がする。
 最終回はそんな中、少し由縁があって「高松」に向かう事にした。車窓は5時30頃に京都を出発する「甲子園口」行きの普通電車だ。新長田の「文化賞記念イベント」以来の乗車になったが、相変わらず「どうしてこの行き先なんだ」という気持ちにて乗車。
 先の嵯峨野線・太秦からの行程を…と思ったが、今回は割愛。非常に単調になると感じたので。
 太秦からも青春での乗客が3人ほどおり、18駆け込み需要の高さを感じてしまった。
 今回はこの「甲子園口」行きの普通電車を長岡京で途中下車して快速に乗り換え。快速に乗り換えた後にそのまま姫路へ乗車し、岡山行きの普通電車に乗車していた。

後に知ったが旅の当日、瀬戸大橋の塔に入れるツアーがあったようだ

橋を越えて、想い出の街へ

 話がめっちゃ飛びますけど。はい。えぇ。とにかくここまでの写真が絶望的に無くて、更には何も撮っていなくて…と振り返ったらもう快速マリンライナーの車中でございました。
 というか岡山行きの車中で俺の帽子を見つけて下さったおばさん、感謝っす。ありがてぇ…
 列車・快速マリンライナー は岡山から妹尾・茶屋町と停車し、宇野線と分岐した後に児島で乗務員交代。そして気付けばトンネルに入線し、視界は壮大な斜張橋からのコバルトブルーが広がる海の景色になっていた。
 瀬戸大橋だ。もうすぐ、開通から35年という節目を迎える日本の交通要衝の大事な場所であり、日本が世界に誇る大規模な近代交通建築である。列車はガタゴト、ガタゴト、と轟音を奏でて海の上を越えてゆく。
 途中、休日のイベント列車として走行していた「瀬戸大橋アンパンマン トロッコ 」と遭遇した。虹色の側面でスグに気が付いたが、スグに途切れてしまう編成の短さ。流石に2両は短すぎだ。きっとあの車両に乗れば爽やかな風を感じれる…のだろうが、自分には何か高い壁を感じてしまう。(大概がそうだと思う)

もう引退して何年…だろうか

 ここも過去画像にて、となるが、現在はこんな空間を走行している。
 撮影は2021年の四国2000系引退記念ツアー参加時に特別にグリーン車デッキから撮影した光景だが、未だにこの眺望を忘れる事は出来ない。
 今回乗車している快速・マリンライナー も追加料金にてこのような眺望を体験する事も出来るが、急な乗車となってしまった為見送る事になってしまった。
 そして、この四国特急(南風・しおかぜ)では車内の放送ツールやLCD等で「瀬戸大橋」の詳細案内を聞く事が出来る。乗車した際には是非、耳を傾けて頂きたい。
 列車は車掌が連結部に向かい、車掌スイッチの操作を始めた。当初はこの光景に
「四国何やっているんだ?」
と徳島出身の友人に話したところ
「これくらいこの地域じゃよーやる」
との話で今ではもう慣れてしまった。そんな慣らされたあの感覚が蘇る。
「まもなく、坂出、坂出です。お出口は右側…」
いよいよ本当の四国上陸だ。2000系の高松口引退を控えて何回も通った事が浮かんでしまう。

6000形の特徴、車内案内表示器

 坂出からはそのまま高松からの対向列車に乗車した。
 そのまま高松行きを待って…というのも考えたが、JR四国さんがこの接続を用意してくださっているならばと便乗して今回は琴平方面を目指す。乗車したのは四国の異端電車、6000形電車だ。
 この6000形電車については後に詳細を書かせて頂くとしよう。
 そのまま聴き慣れたGTO-VVVFを耳にして、列車は快晴の四国島内をゆったりと滑り出していった。

トリックライン

 実は瀬戸大橋近辺の線路はこのように複雑な構造をしている。その為、坂出からそのまま松山方面に直進して次の宇多津駅に向かう際、このように高速道路のようなラインが見える。
 これは瀬戸大橋線開通に伴って設計された鉄道ファンから「宇多津ジャンクション」と呼ばれる区間だ。
 この区間では「岡山→松山」「岡山→高松」「高松→松山」とそれぞれ3つの方向に向かう列車を捌いている。今、カメラの視点となっているのは「高松→松山」の方角であり、あとの3線路は瀬戸大橋を介して本州方面・岡山と接続している線路となる。
 このように複雑怪奇な状態で列車を日々捌き、方向を維持しているのが四国の高松口の状況…であり、JR都市部輸送状況最大の見せ場とも言える。
 先ほど乗車した快速・マリンライナー については「宇多津駅を通過した」
という特例扱いになっており、このジャンクションは宇多津駅の構内と同じ役割も果たしているのが特徴だ。また、同じく寝台特急の「サンライズ瀬戸」もこのジャンクションから坂出方向に入線する方向を切っている為、「宇多津駅は通過」になっている。
 この複雑な構造が見えた瞬間…こそが瀬戸大橋の玄関でもあり、また宇多津駅のはじまりでもあるのだ。
 四国・高松口に入った際には車窓から確認しておきたいスポットである。

 そんな宇多津駅では、偶然ながら「しおかぜ」・「いしづち」の解放作業をしていた。珍しく「しおかぜ」の「アンパンマン 」編成を忘れてしまったのか「半パン」状態になっており、「アンパンシート」狙いな家族には辛い編成かもしれない。
「あぁ!アンパンマン !!」
と駅ホームや乗車電車の車内からも声がする。
 しかし自分としては後部・「しおかぜ 」の使用編成である試作編成・L1編成の方が気になってしまい
「撮れば良かったかねぇ…」
などと呑気な感想を抱いてしまった。しかも「瀬戸大橋35th」の記念装飾が貼り付いている。うーむこれいかに。連結器カバーまで変化しておるのは四国オタクだった自分を泣かせるな。
 結局そんな記念装飾は「後の祭り」になり撮影できず、逃した魚の釣果を数えながら琴平まで歩む事になってしまった。いつまでしているか非常に興味が沸くトコロだ。

四国最初の途中下車

 今回の最初、高松口での途中下車は「善通寺」とした。正直言って何か大それた目的もなく…ではあったが、無人駅だらけな四国では未だにこういった特急停車の有人駅が心地よく感じる。(非常に旅初心者)オマケにキヨスクも有るのが助かりまくり。
 そんな善通寺で一時、6000形電車を見送った。何をするでもなく…ではあったが、黒板アートを見たり、少し懐かしげに運賃表を眺めたりと様々にして時間を過ごした。

 善通寺の駅舎を見てみよう。
 駅周辺には寺社仏閣がある事を駅舎自身が強くアピールするに相応しい駅舎だと思った。
 そして個人的な感想として感じる…事なのだが、今回の訪問にて思うのは駅のフォントだった。
「この駅舎のフォントは夜間に光ると見栄えするだろうな」
という事だ。
 今では何か恋しい存在になっている、地上時代の丸亀駅舎。そんなものを感じさせるフォントだと思った。個人的にカメラバッテリーや撮影環境に余裕が出来た時…にはこの駅舎の夜景をカメラで収めてみたいと改めて文字だけ見て感じたものである。
 それだけ強く筆圧を感じるネオンも中々無いような気はしてしまうが。

 善通寺で暇を過ごしている…と、列車待ちの間に特急・南風がやって来るというので撮影。先頭の6灯が迫るシーンも撮影したが、あまりにも逆光なのでコチラを。
 しかし快晴の空…だと思った。編成写真としての記録というより、「空」を入れた旅の記録を残したい食指が進んでしまう。
 こんな表現と比較は決して出来ないと思うが、「オカズを食べようとしていたら付け合わせの野菜ばかりに箸が伸びる…」
というような感覚。何かこう、不意に予想外というかワキのものを入れて味を引き出したくなる自分がいた。
 今回の旅では南風の後継である2700系もここまでしか写真は残っていない。しかし、短編成であるうちは正直に悪くはないような気はする。
 過激に頑なに「2700系を受け入れたくない」「2700は2000を排除した悪役」のイメージは未だに強き熱意の胸元にあるが、2000系の高松口撤退後に四国を2回訪問してその印象は少し薄くなったように思う。しかし、それも未だに。未だに「中和」として自分に残存している。本当に2000系の築き上げた偉大な壁は打破できない。
 しかし、何処かで懐かしさ…のようなものを2700系にカメラを向けて感じ、半笑いしたくなるような気分にもなってしまう。本当に自分にとって、「特急・南風の世代交代」は突き動かされた出来事だった。
 そんな思いを抱きながら2700系を見送っていると、2700系は「キューン…ヒュゥゥゥ」と緩解音を鳴らして去って行った。
 あの日が恋しくなる。近代的で時代の先を行ったエンジンの音が似合わないと何処かで感じては居ながらも、今度のTOMIXから発売される2700系セットは買ってみようかと思念している自分が居たりする。きっと自分は、あの頃の入れ替わる「タイミング」が大好きだったのだろう。

本当の異端電車

 琴平から6000形が帰ってきた。そのまま普通電車に乗って何処かまで時間を越す事にしよう…と決めていたので、この電車で多度津まで向かう事にする。
 しかし6000形は自分が何回か四国を訪問している間に姿を変えていった存在だったが、この形態が現状の最終形態になったといって良いだろうか。

 下手の横好き…にて記録した旅のナントヤラになっているので、車掌と空が欲しくこのような情景写真になっている。そこだけはどうか御勘弁頂きたい。
 まず、四国6000形といえば全国を走るJRの211系グループに属し、その顔からも面影を感じる事が出来る。
 しかし、その本格的に「違う」トコロといえばオペレーション的に四国特有のMT配置にされていたり、後に触れてゆく特殊な点が存在している事だ。この点さえ除外してしまえば、6000形は「普通の211系グループ」とそこまでの大差を感じる電車ではないと個人的には思ってしまう。あとは付番方式がJR四国独自の「数字4桁方式」に倣っている点も込みにしてだろう。

 まず、このLED行先表示。この表示が今回最も大きな変化として6000形に実装された。
 それまでは黒地に白切り抜きの太文字+ローマ英字の幕方式でコチラも特徴があったが、今回のダイヤ改正を近くしての動き…にナンバリング表記を追加したLED表示に変化した。そしてコレは個人的に驚いているモノだが、まさかの次駅表示まで実装してしまったとは知らずだった。
 6000形自体がそもそもの近代異端児というイメージであったが、この改造はより鮮烈なパンチを与えているように感じる。

 驚くにはまだ早かった。この表示、実は「英語版」が追加されていたのだった。
「何故に英語まで…??」
という謎も同時にして浮上してしまったが、現在の6000形が装着したのは日英の案内が交互に切り替わっていくシンプルなスタイルの側面表示LEDだった。
 コレはコレで実に良いと思う。京紫色の多言語路面電車のような魔改造LEDは絶対に見習わない方が良いと思っているので…

 ドア開閉間際に撮影したもの、も掲載しておく。
 実際には使用時間的にコチラを使っている方がメインかもしれない。(どうなのか)
 コチラは実に簡潔で良いデザインをしているようにも感じられる。この四国旅記事…でも後に登場してくるが、7000形の幕表示もコレに近いモノを感じた。実際の実装としては非常に良いアイデアかもしれない。

 行先等は異なってしまうが、6000形の過去に使用していた(つい最近まで)がこのスタイルだった。
 このスタイルも6000形のみにしか波及せず結局幻になってしまい、そのままLEDに移管されてしまった試作要素の強い幕表示だ。
 少し逸れたが、車両解説にという形で新旧の側面表示の話題に触れた。

 四国の電車では現状、、6000形電車にしか存在しないモノがある。
 それがこの「中間車掌台」だ。
 「乗務員室」と表記されたプレートがその事実を物語っており、実際に中に入ってパステル色の箱(おそらく車掌スイッチ)を操作すると、ドア開閉が可能になるシステムだ。この方法で先頭車同様、運転台を持つ機能と同じく「車掌機能」が取り扱える。但しマイクは無さそうな模様だ。
 1度、6000形に関するイベントにて「中間車掌台からのドア開閉」という儀式を覗いた経験があるが、その際もドアのみのシンプルな作業のみで終わっていたように思う。
 四国では「無人駅の多さ」「車掌業務の手間」などを考えて設置されたスペースだと思われるが、自分も「イベント」での使用以外は「全く」見た事が無いのが現状だ。
 同世代の電車にはJR東海311系やJR西日本221系等が存在しているが、本当に土地柄に配慮したこの電車にしか存在しないものだ。是非とも撮影を推奨する場所である。
(※113系にも存在したが2019年引退)

画像は過去、幕交換前のモノ

 そして、6000形最大の特徴だと言える…モノが1M2Tという極端な電動車比率によって誕生した、高松側の「デカパン」である。
 このデカパンが実に6000形の大きな味を出しており、211系顔にこの大きな菱形のデカパンを装備している電車は全国探してもココ四国でしか出会う事は出来ないのである。
 それ故、鉄道ファンの人気も非常に高い。
「何故この様な電動車配置にしようとしたのか?」
という事と同時に、個人的には
「なんと神々しい格好良さと異端性!!」
という衝撃が舞い込んだのは忘れられない。
 そんな6000形だが、さらなる異端電車としてこれからの生涯を歩んでいくようだ。

 …と。そんなグルグル牛乳瓶底メガネオタクタイムのような時間で尺を稼いでいると、列車は高松へ向け加速を始めていた。同じ四国の島内では8000系でしか聴かないであろうVVVFインバータの音が静かに響く。
 本当ならもう少しこの電車の異端性はあるのだが、目立って特筆できる「写真に記録した部分」をメインに攫ってみた。
 写真は金蔵寺での行違いだ。何を思って血迷った改造をしたかよく分からない電車、7200形電車と行き違った。
「でんしゃ、ばいば〜い!!」
と写真を撮る近くで声が聞こえる。母親に抱かれて子どもが手を振っている様子だった。
 いいか、そこの抱かれている子ども。俺みたいなヤツにはなるなよ。ぜぇぇぇぇったいになるなよ!!(声;立木文彦)

 多度津に到着した。
 6000形とはもうコレ以降出会わなかった。
 実は6000系にはこの写真に映る「LED行先」「デカ菱パン」に加え、211系シリーズ全体として滅多に見ない「片開きドア」も採用されている。
 この「片開き」のドアが使われているJR近郊・通勤電車も珍存在ではないだろうか。しかも割と近世の登場というのが面白い。
 この写真にはそんな奥深さが詰まっている。異端的な電車との別れをし、多度津から再び琴平方面にターンする事にした。

思い出は蘇る

 多度津という場所は、四国の鉄道の町だ。
 国鉄時代から多くの車両たちを集めて整備し、また改造も担ってきた。今でもこの多度津には工場があり、この多度津で整備・点検した車両は香川県の高松はじめ徳島・愛媛県は松山だったり高知にと四国4県に送り出している。その役目が今も変化しないのは素敵な話だ。
 写真はそんな多度津…とはそこまで関係ない車両。レール運搬用の「チキ」と呼ばれる車両だ。この車両は全く今の話になってしまうが、そろそろ役目を終えてしまいそうで怖い感覚がある。後に登場する事に関係があるが。

 そんな多度津から乗車するのは、多度津工場が作り出した(ゲテモノ)魔改造電車7200系。つい何十年か前迄は121系と呼ばれ、あの国電から発達するキッカケを作った日本通勤電車近代化の礎である101系の台車や主電動機を活用していた電車だ。
 それを川崎重工(当時)の力を借りて巧みにいじくり回して改造し、こんな静穏性に優れたバケモンを爆誕させた。
 今でこそ720xと呼ばれつつある電車だが、現在もなお「クモハ12x-x」という車番は透けて残っており、リプレイ検証のようにそのネタで遊ばれる可哀想な電車でもある。
 ともかく乗っていきましょうか。

 全く個人的な「オマケ」になるのだが、この車両が入れ換えて入ってきた際にホームで幕を「阿波池田」にしていた。
 もし仮に。阿波池田まで行けたとして我々18きっぷ勢はそこからどう進軍して行くのが正しいのだろうか。そんな事を俄かに考えてしまう入換の時間であった。

 車窓を振り返ると、紅いディーゼル機関車が見えた。DE10-1139だ。
 先日、引退が正式発表となった四国唯一の機関車であり、先ほど掲載した「チキ」の相棒でもある。「チキ」はこの機関車なくして動く事は出来ないのだ。
 四国にとって都合の良かったディーゼル機であったDE10の引退。そして、それに伴って殆ど…の仕事として観測されていた「チキ」によるレール輸送はコレからどうなってしまうのだろうかと半ば気になってしまいがちに車窓を眺めていた。
 そういえば、な話にもなるが
「客車も出来る万能気動車185!!!」
と呼ばれたアイランド訓練も気付けば終わり、そしてこの様にレール輸送もフェードアウトして機関車の仕事は終了。
 となれば最終手段、キハ185系を四国は事業用車両に改造してしまうのだろうか…(ない話だろう)

 列車は土讃線・予讃線分岐地点を征く。この時点で観音寺・松山に向けての予讃線と琴平・高知に向けての土讃線に分岐するのだ。
 土讃線はココから琴平までの僅かな区間が電化区間となっているが、対する予讃線は伊予市までの長い長い電化線が続いている。
「先には長く行っていないな」
などと思いを浮かべたりもした。
 そして、この土讃線分岐から暫く下って金蔵寺方面に下ると有名な「多度津カーブ」に差し掛かる。自分が最後の2000系南風増結にと年末の勇姿を撮影したのは本当に良い思い出だ。

最後の2020年末増結より。現在の乗車区間と全く同じ

 今は懐かしいこの記録。
 しかし、当時は本当に「最後」という緊張感が押し寄せる自分にとっては大事な、「青春」の忘れられぬ場所であった。
 もう少しでその場所に差し掛かる…
 そんな事を、その立ち位置を眺めながら金蔵寺へ向かうと、何か自分にとってはあの日を思い出しつつ特別な気持ちにさせられるのだった。
 多度津〜金蔵寺だけではなく、探せば「あの日の青春」に相当するモノは幾つも出てくる。
 掘り当てる度に「恥ずかしい」ような気持ちにもなれば、「あんな事もしたかった」「今ならこう出来たろう」と、少し達観したような大人の気持ちで見回してしまうのだ。
 少し2000系が絡むと自分は語りのスピードが速くなってしまうらしい…

苦節、金毘羅に降り立つ

 自分の青くさい時代を掘り当ててしまう事ほど、恥ずかしい事は絶対的にないと思う。
 自分の場合は特にそうだと思う。特に趣味でも学び・職でもそういった感覚の方が多いが、逆にそうした経験を積んでいく方が今の体験を楽しんで行けそうな気がしてならない。
 とかそんな背景に自分を漬けているうちに琴平に着いてしまった。特急・南風だと
「讃岐金比羅山ご参拝のお客様はこの駅で…」
と粋な案内で先導してくれる。また乗ってみたいなと思ってしまう自分が悔しい。
 しかしバカに暑くなっているような気がする。早くも喉がカラッとしているというか、水を欲しがっている。どのタイミングにしようか…

 そのまま琴平に下車すると、四国標準形式だったSLであるC58の動輪に出会う。鉄道雑学だが、軸重制限が比較的厳しかった四国ではD形蒸気の入線は無理な環境であり、主力だったのがC形蒸気だった…という背景なのだ。
 いよいよ、香川は高松への入国として気分が高まる。しかし素直に金毘羅には参らなかった。
 まぁ…お察しです。アレを。
 そしてC58動輪前で撮影して下さったカップルさんありがとうございました。

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