見出し画像

【Scuola Cafe5月】 ”I wonder Why?”「なぜ?」から始まる学びと感性の広がり

Scuola dei Bambini主催で、
「子どもたちが最適に学べる」社会について共に考えるオンライン交流会として5月よりScuola Cafeを始めました!
本日は5月のScuola Cafeのレポートです♪

■Scuola Cafeをはじめたワケ

「おとなもこどもも社会も共に育つ」

2020年、長年続いた大学入試センター試験が廃止され、
より「思考力」・「判断力」・「表現力」が問われる大学入学共通テストが始まりました。
これらの3つの力を養うためにも、近年「アクティブラーニング」が注目されるようになっています。

私たちおとなが受けてきた日本の教育はというと、、、。
全員が同じレベルを目指して教育することが前提としてあり、
間違っているところは赤で訂正され、テストなどを通して、点数で評価される。
生徒全員が全教科を満遍なく教えられ、諦めず繰り返し取り組む姿勢を身につけ、努力によって学力、能力を伸ばせると考えられています。
もちろん、日本の教育すべてが悪というわけではなく、
学校で行われる行事や清掃の時間など、他国と比べて注目されるような学校教育システムも存在します。

ここでお伝えしたいのは、
私たちが受けてきた教育がすべてではない、当たり前ではない。
ということ。

社会は日々変わり続けているからこそ、求められる教育の姿も変わります。
何より、一人ひとり異なる人間であるからこそ、自分に合った「学び」も異なります。

一方で、
私たちは、異なる教育の姿があるということを
たとえ、頭ではわかっていたとしても、
知らなければもちろんその選択肢はでてこないですし、
たとえ知っていたとしても、体感として感じなければ
価値観のパラダイムシフトを起こすことは難しかったりします。


Scuola Cafeを始めようと思ったきっかけは、まさにこの
「学びに対する価値観のパラダイムシフト」を一緒に考える
ところにあります。
対話を通して、私たちおとなの考え方を多様に拡げていくことにより、
こどもが最適に学ぶ環境を創造し、
社会も一緒に成長していきたい!
そんな思いが強くありました。


そんな思いを持って始めたScuola Cafe5月のテーマは、

”I wonder Why?”「なぜ?」から始まる学びと感性の広がり

です。Scuola dei Bambini代表理事の大谷育美がオランダよりトークセッションを行いました。

■オランダで感じたこどもの「感性がひらく」ということ

「感性」という言葉にどんなイメージを持つでしょうか。
日本では「感性を磨く」「感性を研ぎ澄ます」などと使われることが多いですが、
辞書的な意味では、以下のように書かれています。

1 物事を心に深く感じ取る働き。感受性。「―が鋭い」「豊かな―」
2 外界からの刺激を受け止める感覚的能力。カント哲学では、理性・悟性から区別され、外界から触発されるものを受け止めて悟性に認識の材料を与える能力。

デジタル大辞泉

つまり、さまざまなものを見たり聞いたりしたときに感じる心の動き。などを指す言葉です。

大谷の娘さんは小学校からオランダのモンテッソーリスクールに入学し、現在オランダで生活していますが
トークセッションの中で、娘さんの感性がぱかっと開いた様子を目の当たりしたことを以下のように話しました。

「大人の感性を開かせることはとても難しい。なぜなら、大人は新しいものを受け入れるためには自分の価値観を一度捨てたり、横において見る必要があるからとても時間がかかる。
私たちには言葉をかわさなくても共通の認識があり、そこから一歩抜け出すためには勇気が必要。
でも、娘はオランダに行ってから、ショッピングモールで音楽がかかっていたら身体が勝手にゆれてリズムに乗っていたり、バスの中でも自由に感じたことを話す。自由だねってすごく感じた。」

「皆同じであること」を大事にしてきた日本の教育、
大人が子どもの活動を「だめ」と言って制限してしまう瞬間、
もしかしたら至るところで気づかないうちに子どもの感性が開こうとしている芽を紡いでしまっているのかもしれません。

■こどもの感性がひらくには

そうはいっても、
「子どもの感性はどうやったら開くの?」と思うでしょう。
気づかないうちに私たちおとなは、こどもに何かを
「与えなきゃいけない」という気持ちになってしまいます。
しかし、与える必要は一つもなく、
「子どもは自分で何をすべきかをすべて知っている!」ということを
大谷は参加者との交流の中で話をしていました。

雨が降っている中、子どもが外で遊びたいと言ったら…。
外で遊ぶことを否定するのではなく、
一緒にかっぱを着て、長靴を履いて外に飛び出してみる。
雨が降る外の中で五感で世界を感じ、楽しみ、、
雨に濡れて寒くなってきたね、暖かいお風呂に入りたいねと思ったら
お家に帰る。

こどもは自分の手と足で、身体で、五感ですべてを感じ取り、
感性を開いていきます。
だからこそ、自分たちおとなの基準で物事を判断するのではなく、与えるのではなく、こどもに聞いてみる。
こどもの「やってみたい!」という気持ちを止めず、
ありのままのわが子を受け止めて、一対一の人間として対話する。ことを私たちは常に忘れてはいけないと改めて感じました。

■こどものありのままの姿を受け入れる

最後に、
交流会の中でモンテッソーリ教育に精通した参加者の方からのメッセージが、
これからのScuola dei Bambiniにまさに大切なことだと感じたのでシェアさせていただきます。

日本の公教育は優れている一方で、
150年教育システムが変わらないというのは、時代にあっていないということはわかっていて、多くの親御さんもそれに気づいている。
だけれども、日本には「受験」があり、
そうは言われても、、というのが本音だと思う。
わかってはいるけれども、受験戦争、受験のために学ぶという学びの本質からずれてしまう実態がある。
そういう社会の構造の中にこどもがいて、高い壁にぶち当たっている。

だいたい、学校に行きたくないという子どもたちの中で多いのが、個を尊重する保育をしていた園に通っていた子どもたち。
幼少期に自分の「個」を大事にしてくれていて、自分でやりたいことを決めてきたこどもたちは、
日本の小学校に入ってしまうと、出る杭は打たれるじゃないけれど、大人の言うことを聞きなさいという状況になってしまう。
そして、子どもたちは心が折れてしまう。

そのような状況に高い壁を感じていて、
それは何なんだろうって考えたときに
「民意」なんだろうなって…、この民意が変わらなければ難しいんだろうなってすごく思っている。
そして小学部が必要なんだろうなと思いつつ、
小学部のカリキュラムを与えるというよりも、
こどものありのままの姿を受け入れる場所が家庭以外の場所で必要なんじゃないかなと思っている。

※一部省略、修正箇所あり

6歳児以上の小学生になってくると、発達段階の第二段階になってくるため、
家庭環境から飛び出た外の世界が必要になってきます。
外の世界に自分がまだ見ぬ世界が広がっていて、そこで私という「個」が受け入れられることがとても重要になることを再認識する機会となりました。

参加してくださった皆さんと

5月のScuola Cafeに参加してくださった皆様に改めて感謝申し上げます。
6月以降も毎月皆様と「教育」、「学び」について交流する時間を積極的につくっていきますので、
私たちの学びに対する価値観のパラダイムシフトを起こしていきませんか。

この記事が参加している募集

多様性を考える

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?