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僕はスポーツで社会をアツくする

今している活動や、これからしていく活動への想いを書き綴りました。

ー3年前僕は社会に絶望した。


家庭は崩れ、住む土地は東日本から最南端へと大きく変わり、生きがいとも言えるサッカーでもうまくいかなくなった。

これが14歳から18歳までの四年間の主な出来事である。

生きる意味を失い無気力な日々は、ただひたすら時間とお金だけをすり減らしていく。

また再び”生きている”日々は来ないのだろうか、家族がつながることはもうないのだろうか。

自分の弱さと、生きている限り自分の力ではどうにもできないことがあると知り絶望した2014年から2018年。

そして多くの人がこのことに絶望し、無気力となったまま、ただ社会に不平不満を言うだけの人生になってしまうのかと悟った。



ー転機


そんな多くの人と同じように無気力になんの代わり映えもない日々を過ごしていた2019年。

最も憧れていた監督率いる欧州のサッカークラブが来日する。

迷わずにチケットを買い、荷物とともにどこかに置き去っていた高揚をリュックに詰め込み日産スタジアムへ駆けつけた。

このときの興奮は今でも忘れない。

画面越しでしか観ることのできなかった選手や監督、スタッフなどが目の前でプレーし、会話しているという現実がまさに夢のような空間だった。

横や後ろに席を取るファンたちの叫びとは裏腹に、1人ひっそりと感傷に浸る。

僕はやっぱりこの世界が大好きだ。

たった一つのボールを四角い枠に入れるだけの言わばただの球蹴りに人生をかけた大人たちは、絶望の淵に立たされていた人間を熱狂させてくれるのだ。

僕はやっぱりこの世界で生きたい

この日、再び僕は人生に熱を取り戻した。



ー日本をアツくする


誰にでも生きる限り何かしらの不都合と、不幸の種のようなことを経験するのだと思う。震災や、病気、人間関係など、ありとあらゆるところに不幸の種は散りばめられている。

死という終わりだけが定められたこの人生で、そういった現実と向き合うだけではあまりにもつらすぎると僕は思うわけです。

だからこの可能性に溢れた社会になってもなお、自殺者は耐えないどころか増える一方で、そして何故か未だに醜い争いが起きている。

辛い瞬間、苦しい瞬間に、それでも尚より良い方向へ足を止めないように。

たとえ立ち止まっても、また再び歩み出せるように。

僕らには燃料が必要なのだ。

僕の消えかけた灯火は、サッカー、スポーツによって繋ぎ止められ、再び火を灯し始めた。

スポーツにはそんな力があると思う。

僕らの人生の燃料となるようなアツさを、僕の人生に再び情熱を取り戻してくれたスポーツを。

今度は僕がこの日本に届けていきたい。

スポーツでこの日本をアツくする。



共にこの日本をアツくしましょう。






最後まで読んでいただきありがとうございました。

”どうやってアツくしていくのか”についてはまた別のnoteで書いていきます。
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