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マリオネットの冒険 〜もうひとつの人形

そのときマリオネットは、自らが愛を知らない道化でしかないということを理解した。しかし同時に、彼はこの考えを誰かに自慢したくなった。変えることのとできない過去に対する考察が生み出す絶望は、いみじくも正しく力強いものだ。自分がいつの日かショーウィンドウから消えて無くなるまで、光の注がれる時は途方もなく続くかのように思われる。自分は電灯の眩しさと熱さ、締め付けるような頭の疲れに耐えて、この精確な思考をさらに深めなければなるまい。
「ここに同志はいないか」
自分の宿命を見届けるものはないか。今ショーウィンドウの中にある数多のものは、自分より前からここにいる。その中には自分に似た存在はきっといるに違いない。そこに人形がある。彼女には顔があり、2つの目、鼻と頭もある。ガラスでできた、その透き通った目で見てきたものを教えて欲しい。私がここに来る前にどんなやつがここにいたか、ショーウィンドウの外で何が起きてきたか教えて欲しい。君も考えてきただろう、もう自分なりの強さを見極めただろう。これからは二人で考えることにしよう。両目を持たず何も見えていない、ただ規則正しく動くやつらの秘密を暴いてやろう。私がナイフで切り開くから、君は輝く両目で睨んでやれ。そうだ、二人で動けば強さは二倍になり、不安は半分になるだろうから。
マリオネットは人形に近づいて、この閃きを伝えようとした。でもどうやって?
人間は口を開いて声を出すが、彼の口は開かなかったし、音を鳴らす喉をもっていない。マリオネットは言葉を話せないのだ。人の言葉を聞いて学び、自分の頭の中では起きる思考は言葉の論理(=レトリック)であるだけに、彼女にそのまま伝える術が使えないということがもどかしかった。
「それなら君に見せてやろう、中身というものを。君は近くのもののカラクリを見た試しはないだろうから、きっと面白いぞ。君は音が鳴る木箱の中身が小さな鉄の塊の組み合わせでできているのを知らないだろう?」
マリオネットは近くのプレゼントボックスに近付いた。赤い紙で出来ていて、緑色のリボンが結ばれていた。
「私が今日売れなくて、君がその前から売れてこなかったのは、人が私たちのことを役立たずだと思ったからなのかもしれない。私はさっき、客が古い本を買っていったのを見た。あの紙の束はきっとあの男の為になるのだ。この箱もそれと同じ材料でできているから、私たちよりも先にここから出て行くに違いない。でも私はもっとすごいぞ。引き裂いて中の秘密を暴くことができる」
そう言うと彼は右手のナイフをリボンと箱の間に差し込み素早く腕を振り上げて、すぐにリボンを切ってみせた。それから左のナイフを箱に突き刺し動かないように固定してから、右のナイフを縁に沿わせて上から下へと動かして切れ込みを入れ、そこに両手のナイフを同時に差し込み、両腕に力を込めて広げた。たちまち箱はビリビリと音を立てて破け、大きな穴が開いた。
「さあ、中を覗いてみよう。人がその箱がここに置いた理由があるはずだ」
しかし、箱の中には何もなかった。空であった。こんなことは初めてだ。時計の針が規則正しく動くのも、オルゴールが懐かしい音を鳴らすのも、その中にたくさんの歯車を隠していたからである。彼らには意志はないかもしれないが、少なくとも「勤勉である」という点で、自分にない価値が認められるものであった。それなのにプレゼントボックスは、空っぽなのに価値があると言うのか。その外側と見た目だけで、自分と同じショーウィンドウの中に居座っているとでもいうのか。
「こいつに何の特技がある? 上っ面だけのものに、自分と肩を並べる資格はどこにある?」
マリオネットは、人の目に〈美しい〉ということの価値が分からなかった。あるいは、価値が認められないただのお飾りであるプレゼントボックスと自分が、全く同じように置かれているということが理解できなかった。何をするのでもなく、整った外側をもつというだけで存在する箱は、今までナイフで闘ってきたマリオネットには許せなかった。
彼は、プレゼントボックスを〈怠け者〉と呼ぶことにした。

自分と似た者、ショーウィンドウに閉じ込められこれを見た者なら、同じような不服を感じるに違いない。両目で世界を見据える者なら、分かってくれるだろう。マリオネットは人形に共感を求めた。
「見たか、この世界はどうやら狂っているようだ」
彼女は、微笑みを浮かべて首を傾げたままだった。
「君は怒りが湧いてこないか。現実を見る目を持ち、自分で考える私たちが一番だと証明したくならないか」
彼女はじっとしていた。ガラスの目を箱から逸らすこともなく、むしろ一層光輝いていた。目の前で起きた解体ショーを純粋に楽しんでいるように見えた。
賢いマリオネットはさらに一計を案じた。この布でできた人形は、考える力が足りないに違いない。その分沢山の現実を見る必要がある。そうすればいつか自分と同じような思考に至るはずだ。マリオネットは、鈍感な小娘をもうしばらく冒険に付き合わせる決意をした。両方の脇の下にナイフを一本ずつ差し込み、半ば強引に立ち上がらせようとした。
すると、彼女の腕は千切れ始めた。自らの重みとマリオネットの鋭利な刃で脇の下の縫い目が裂けて、布の引き裂かれる嫌な音を立てた。マリオネットは驚いてとっさに手を離した。人形は力なく座り込んだ。左の肩の下から綿が飛び出しているのが見えた。
人形は純白を隠し持っていた。〈白〉——マリネットの化粧の第一の特徴であり、彼が真っ先に弱さ、醜さと呼んだ——を隠しながら、肌色の布で包まれ、自分よりもっと人間に似ている。恥ずべき特徴を覆い隠し、それを柔らかさという長所にまで変えている。マリオネットと人形は、ショーウィンドウのあらゆるものの中で最も似ていて、最もかけ離れた存在であった。
「お前はこの世界で一番自分に似ていると思っていた。でもその考えは間違っていたようだ。むしろ、どうやらお前は私と正反対のようだ」
すれ違い。人形(ひとがた)という共通点をもつ両者は、苦しみを分かち合うことはなかった。人形は腕を半分引きちぎられてもなお、微笑みを崩すことがなかった。
お前は愛されるために作られたものだったということだ。ただ少し柔らかいだけのやつだ。お前さんの中身は、この白くてかさばる棉しかないということだ。ナイフで切ることと比べられるような芸当はできないだろう。果物を切って人に食わせることができないやつが、周りのものの本当の姿を暴くことはできないだろう。
だからたとえ、私とお前が口をきけたのだとしても、あるいはそれ以前に、私がお前を近よせるためにナイフではなく指先で優しく触れることができたと仮定しても、お前は何か有益なものを私にくれることはなかっただろう。立ち上がって私の冒険についてきてくれることができないのだから。簡単に愛されてしまうものに、私の価値はわからないだろう? ただ心地よく居座っているだけのやつは、考えていないのと同じだろう?
残念だ。自分と一番似ていると思ったものが、プレゼントボックスの次につまらないやつだったということは。歩み寄ろうとしても、向こうは動くこともできないというのは。
マリオネットは、無為な期待を抱いた自分を恥じた。

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