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「町中華屋のマイコー」#1 西紅柿炒鶏蛋(トマトと卵炒め)


俺達は駅前の町中華屋で、
マイケル・ジャクソン探しの旅に出た。


<あらすじ>
 大学1年生のレオと、彫り師の達海たつみは、友人関係から恋人関係にアップデートしたばかり。達海宅の近所に「マイケル・ジャクソン御用達」と噂の中華料理屋“楽々”があるが、マイコー(マイケル)御用達の料理は分からない。二人はマイコーと同じ料理を食べるため、店の全メニューを制覇する「メニュー表の旅」に出ることに。
 色覚特性を抱えながら美大に進んだレオは、10代ラストイヤーに「俺って何?」「俺は何がしたい?」と悩み、テツガクする。
 人はどうして美味しい料理と美しいもの、生活の彩りを求めるのかを探す、60平米の旅の物語。


 達海たつみさんがメニュー表を広げながら、「ねぇ、この店マイコー御用達らしいよ」と言った。
 俺は(はいはいまた出たよ)と思う。当然のような顔して、全然一般化されていない名詞を日常会話に放り込むやつ。今回は「マイコー」。御用達、と言うからには個人または団体なんだろう。

 正直推測しようと思えば出来なくもない。だが、俺は今、余計なことに脳を使う余裕はない。駅前の町中華の域を超えた分厚いメニュー表、そこにずらりと並ぶ中華料理の数々、そして隣のテーブルから漂うオイスターソースとニンニクとガラスープがミックスされたような香りに直面している。しかもバイト終わりの二十二時だ。という訳で、考える間もなく聞いた。

「マイコーって何だよ」
 急に訳分かんねぇこと言わないで、と付け加えないだけ、俺も成長した。

「えっ嘘、レオ知らない?キングオブポップじゃん」

 質問に質問で返される。既視感に次ぐ既視感と空腹で目眩がしそうだ。しかし俺ももう十九である。数字上は立派に大人である。精神もそれに追従させたい。

「ジャクソンの方ですか」
「何だぁ、知ってるじゃん! マイケル・ジャクソン」
「そこはマイコー・ジャクソンって言っとけよ」

 それはちょっと違うんだよねぇ、と言いながら、彼は勝手にメニューの吟味に戻った。
 この春、俺は大学に進学し、そして俺と達海さんは友人とは違う関係になった。それと時期を同じくして、達海さんは、有楽町線沿線の、川沿いの桜が綺麗なこの街に転居した。
 何のことはない、羽振りが良くなったからだ。経営してるタトゥースタジオで粛々と手を抜かず、彫り師としての仕事をし、SNSもそこそこ活用し、常連さんが新しいお客さんを連れてきて、シンプルに顧客が増えた。そして、ひとり彫り師を雇い、売り上げが増えて。実に真っ当だ。

 全身にタトゥーの入った、身長百九十センチ越えの、あんまり真っ当そうじゃない、内面は至極真っ当な彼に尋ねる。

「で、マイコーさんはどれ食ってたの」
「え、知らない」

 俺は空腹時の切実な数分を、「マイケル・ジャクソンをマイコーと呼ぶ人が居る」という情報を入手するためだけに使ってしまった。

「……調べとけや」
「うわっ、口悪っ。そういうのさ、レオは未成年だしお友達だと思ってた俺はスルーしてきたけどさ、彼氏となった俺は何て言うかな」
「最後矢沢栄吉みたいだったな」
「『僕はいいけどYAZAWAは何て言うかな』ってやつね。いいよねあれ。無意識だったけど使えて嬉しいなぁ」

 もうニコニコしている。カリスマのお陰で達海さんへの不遜な態度から論点を逸らせた。しかし毎回こうしてやり過ごすわけにもいくまい。俺は、「尊重」と「尊敬」を態度で示す、ということを覚えなきゃいけない。

「ごめんね」
 おっ、とデカめのリアクションをして、いいよぉ、と言われたのでこの件は終わったことになった。

「で、何食うよ」
「せっかくだからマイコーと同じもの食べたいよねぇ」
「いや、分かんないじゃんだから」
 間が開いた。うわ、今のもぞんざいな口調だったか?とひやりとしたが、返ってきた答えは壮大だった。

「この店のメニュー全制覇したら、絶対マイコーと同じもの食べたことになるよね」

 正気か。そういうテレビ番組あるけど。
「そこまでして、マイコーと同じもの食べたいか」
「キングオブポップだからねぇ。いや、今日明日の話じゃなくてよ?ここ来るたびに別のメニュー食べていけば、いずれマイコーに辿り着くじゃん、って話」
 辿り着く、って。中華食ってたらムーンウォーク出来るようになるのか。そもそも俺のマイケル・ジャクソンの最高知識はムーンウォーク止まりだ。まぁ、マイコーはさておき、色々食べてみるのは悪くない。

「いいよ、じゃ、頼んだ料理メモしていこう」
 おっ乗り気だね、と嬉しそうにしている。相手が嬉しそうにしていればそれもまた悪くない。

 ひとまず今回は、それぞれが食べたい料理と炭水化物メニューの計三品を注文する。
 料理を待つ間に二人で計算してみた。俺が一週か二週にいっぺんこの駅に来るとして、週刊少年ジャンプの年間発刊回数が合併号を考慮すると四十七回。この店の料理は、定食とドリンクを除くとちょうど九十品。一回二種類頼めば一年で達成できそうという、微妙なラインだ。

「一年間中華料理食べ続けてさ、俺らすげぇ太ったりしないの」
「まぁ週一だし、節制すればいいんじゃない?」
「つか一年にこだわらなくてもいいんだもんな」

 下手に期限を設けるのは縁起が良くない、という気がする。この先この店と長いお付き合いになるかもしれない。それは、この店と、だけじゃないかもしれない。

「すごいねぇ、町中華なのにフカひれの姿煮とアワビの煮込みあるよ!」
「マジか、これマイコーの可能性高いな」
「これ、レオのハタチの誕生日祝いに食べようよ……って、ハタチの誕生日は町中華じゃないか」
「いや、いい。ここがいい」

 俺は、誕生日にイイ感じの店に行って、ひととおり食べ終わった後店が暗くなってドリカムのバースデーソングが流れ、花火の刺さったバースデープレートとか運ばれてきたら、絶叫しながら店を飛び出すと思う。達海さんがそういうイベントを企画しない、という自信はない。
 この店だったら確実に、フカひれ旨いアワビ旨い、ビールは苦い、で済むだろう。

 そうこうするうちに、俺が希望した「イカとセロリ炒め」が運ばれてきた。飾り包丁が綺麗に網目のように入った四角いイカが、セロリと共にゴロゴロと盛り付けられ、粗く挽かれた黒コショウが白いイカに映える。勝ち確定だ。
 ハイハイハイハイハイ、とテーブルの隅の取り皿を達海さんに渡し、「各自な」と宣言して、さっさと好きなだけ自分の皿によそった。
「イカうめぇ」
「ぷりぷりだねー、セロリもシャキシャキだしさぁ。家で作ったら絶対イカもそもそになるよね」

 俺は、作ろうなんて発想がない。曲がりなりにも、一人暮らしを始めたというのに、袋めんに野菜炒め用カット野菜を突っ込んで「野菜食ったな」と満足している程度だ。

「料理、するんだね」
「するでしょ。都会の一人暮らしで全っ然料理しないのは、サバンナで自分で獲物獲れないのと同じだよ? てかもっとハードル低いしね」

 ぐうの音も出ない。自分の食べるものを自分で確保する。それは多分、大人になった生き物としてやらなきゃいけないことだ。

「あでも、普通に牛丼屋もラーメン屋も行くからね? 今日だってこの店来てるし。家でしか食べられない料理ってあるじゃん、そうめんとか」
「そうめんは俺でも茹でられる」
「まぁ例えばだよ。他には……んー。何かある?」
「……えー、あぁ、ポトフとか。おじやとか?」
「あ、そうそう。そういう『あんま体調良くないときに食べたい系』は料理屋さんにはないでしょ」
「コンビニでパウチのおじや……」

 俺が言いかけたところで、達海さんが注文した「トマトの卵炒め」が到着した。

「あー旨そう!これ美味しいよねぇ」
「いや、俺食ったことない」
「嘘でしょ⁈ めちゃくちゃ美味しいよ。卵トロトロふわふわのうちに食べなー」

 達海さんは取り皿をもう一枚ずつ取って、添えられたスプーンで大皿の半分ほどを一気によそって、ハイ、と渡してくれた。ヒダのある大ぶりのスクランブルエッグが、半熟の卵液をまとってつやつやと一体化している。その隙間から、元「くし切りのトマト」、現「形を崩しつつあるトマト」が顔を出す。あ、これ多分、と思って聞いた。

「これ、『めちゃくちゃ食欲そそる色合い』でしょ」
「あ、そうそう。卵の黄色とトマトの赤のコントラストねー。トマト汁と卵汁の混ざった辺りとか、たまんないよねー」

 汁汁言われると微妙に「そそる」感が削がれる。この料理、俺の眼を通すと、卵の黄色と、トマトの黄み寄りの濃い目の茶、という感じ。
 まぁでも、トマトの赤一色が分からないったって、どうってことない。トマトとニンニクの香り、食材の質感、「食欲そそる色だよ」というお墨付き、そして湯気の向こうでニコニコしている人。これだけ条件が揃えば、導かれる答えは「旨そう」しかない。

 口に入れるとまず、トマトの酸味が感じられた。でもそれは、「卵汁」に包まれて穏やかだ。当然のように舌で押しつぶせる、ふんわりととろりの中間の卵。こういうの食べると「卵は飲み物です」とか言い出す奴居そうだな、と思う。
 油断したところで、右頬側で噛んだトマトの種部分がめちゃくちゃ熱かった。上向いて口開けて蒸気を逃がしていると、同じことしている人がいる。今、同じもん食って、同じくらい熱くて、同じくらい旨いんだな、と思った。

 同じではない、同じ「くらい」。俺とこの人の錐体細胞は大分違うけれど、味蕾は随分似ている、ハズだ。確かめようがないけれど、これまで一緒にカレーとかラーメンとか寿司とかシナモンロールとか食ってきたから、多分そう。
 そしてこれからの約一年間、この中華屋でマイコーを探し求める旅をする。その終わりに、「味蕾は似ているか否か」の正確な検証結果が出ている、ハズだ。

 炭水化物メニューは、達海さんのごり押しにより「小ライス」になった。
「おい、マイコーどんだけこの店のライス気に入ってんだよ」
「分かんないよ、水加減絶妙! って思ったかもしれないよ?」
「白米の水加減の絶妙さ感じ取れるって、マイコー日本人なんじゃねえのか」
 しかしまぁ、トマトの卵炒めをのっけた小ライスは抜群に旨い。何より、トマト汁と卵汁を余すことなく堪能できる。

 食べながら俺は、「呼び方を変えなければならない」という命題に向き合っていた。
 もう、俺は「たっちゃんさん」と呼ぶつもりはない。理由はいろいろある。

 ひとつ。ガキくさい。俺のばあちゃんの店のお隣さんが達海さん、というこれまでの関係性を思えば当然ではあるが、近所のオニイサンへの呼び方そのものだ。俺はもう一人暮らししてて、近所には住んでないし。

 ふたつ。長い。日常的に、呼び名に七文字費やすのはタイパ的によろしくない。正式名称「佐藤達海」の方が短い。

 みっつ。「たっちゃん」という呼び名の成り立ち。この呼び名を与えたのは、もう今はこの世に居ない、達海さんの長年の想い人である。それを知っていて、そして恋人関係になった今、呼び名を継承する気にはなれない。

 とはいえ、いきなり呼び名を変えるのは非常に恥ずかしい。恥ずかしいと認めることすら恥ずかしいが、致し方ない。そして幸か不幸か、日本語というものは、主語を使わずとも会話が成立してしまう。

「レオ、残ってるイカと卵どっち食べるかじゃんけんしよ。勝った人がイカね」

 あなたはいいよな、と思う。当初から本名呼び捨て、しかも二文字。変える理由が全くない。俺なんて、会って数秒で「たっちゃん」という呼び名を強要されたのに。あの時気合い負けせずに「佐藤さん」という呼び名を押し通していたら?

 そう思ったけれど、その世界線の俺達は、出会って二年半後に、こうして一緒に中華料理食ってないかもしれない。もっと言えば、出会って十か月後に、関門海峡に旅行に行ってないかもしれないし、もっともっと言えば出会って数十分後に、高円寺の古着屋にも行ってないのかもしれない。
 その世界線の俺達は、泣くことが少しだけ少なかったかもしれないけれど、笑うことも少しだけ少なかったかもしれない。蓋した記憶と一緒に、今頃一人で飯を食ってるかもしれない。

 呼び名一個でそんな変わるんだろうか、と思う。でも、目の前のこの人は、ずっと「たっちゃん」と呼ばれることを自分に課していた。そして、かつての想い人の故郷・関門海峡へ旅し、帰京し、ようやく初対面の人に「佐藤です」と名乗るようになった。

 俺は、今別の世界線への岐路に立っているのかもしれない、と思って、テーブルの上の皿を見たまま
「達海さん、好きな方取りなよ」
 と言った。一瞬、間があったが、彼はいつもの声で
「じゃ、イカいただきますね。レオ、卵どうぞ」
 と言った。

 新たな世界線に踏み出した俺は、スマホのメモアプリに

・西芹魷魚(イカとセロリの炒め)
・西紅柿炒鶏蛋(トマトと卵炒め)

 と、異世界の呪文のような料理名を三~四分かけて打ち込んだ。そして、マイコーの日本通ぶりに一縷の望みをかけ、

・小ライス

 と書き足した。






第1話 https://note.com/scrapandbuildai/n/n5ac4997210f2

第2話 https://note.com/scrapandbuildai/n/ne87c4ce014e9

第3話 https://note.com/scrapandbuildai/n/n1ac52f0cfd5f

第4話 https://note.com/scrapandbuildai/n/n336b1475e9cd

第5話(終)
https://note.com/scrapandbuildai/n/n72d2981d83d1



みたらし団子を買って執筆のガソリンにします