「町中華屋のマイコー」#4 生菜炒飯(レタスチャーハン)
中華屋のチャーハンは旨い。
地球は丸い、と同等の真理だ。
チャーハンが上手く作れる者だけが中華屋のコックになれるのか、チャーハンがマズい店が淘汰されていくのか。何か生き物の進化の謎、みたいになったけど、町中華屋”楽々”のレタスチャーハンもご多分に漏れず旨い。
「家で作る炒飯って、何でベタっとすんだろうな」
何気なく言ったつもりだったけど、
「何レオ、語尾がブルーだよ。作ったの?炒飯」
流石だ。お見通しだった。
達海さんに「都会でひとり暮らしする者が自分で飯を調達できないのは、サバンナで獲物を狩れないに等しい」という名言を突き付けられた俺は、レシピサイトを見つつ料理もどきをするようになった。
実家では散々、子どもには分不相応な「いいもの」を母さんに分けてもらってたし、ばあちゃんの料理は何でも旨い。俺は無駄に舌だけ肥えてる分、腕が悪いことがよーく分かる。
先日作った炒飯は、最高に腕の悪さを証明していた。
柔らかいポン菓子みたいに米が集団になっているし、味付けも偏っていて、一皿の中で違う味わいがある。楽しいと言えば楽しいが、炒飯はそういう類の料理ではない。
「まぁ確かに、家で炒飯作るとべちゃってなりがちだよねぇ。ていうかね、炒飯って『簡単そうに見えるのに作ってみたらやたら難しい家庭料理』の代表格だよ」
「しかもさ、フライパンにこびり付いたんだよ」
「あー分かる分かる。美味しくなかったのに後始末の手間はかかるってねぇ、空しくなるよね」
おっと、と米粒をレンゲからこぼしそうになりながら、またひと口食べた達海さんが、ゆっくりと飲み込んだ後、また言った。
「でもさ、俺あの家庭のパラパラしてない炒飯も好きだよ。俺のいた施設広めの家みたいな造りでさ、キッチンで先生が作ってくれんの。土曜の昼とかに食べる、パラパラしてない炒飯、あれはあれでなんか安心するよね。食べやすいし」
確かに、子どもがパラパラ炒飯食べたら床に米いっぱい落ちてそう。
そういえば、ばあちゃんのチャーハンも決してパラパラはしてないな。柔らかめの家炒飯は、値段付けて売るようなものじゃないけど、無くなると寂しい。久々に食べたいな、と郷愁めいた気分になった。
・生菜炒飯(レタスチャーハン)
・青椒肉絲(チンジャオロースー)定食
今日はランチだから、少なめにした。
料理もそうなんだが、俺は最近「売る」ということに頭を悩ませている。学祭が近いからだ。
学祭、と言っても、一年生のうちは実技基礎の授業で作った作品を展示するので、そんなに気合い入れてやることはない。
問題は、サークルの模擬店だ。いや、サークルの模擬店だって何も気合い入れるほどの物ではない、かもしれない。でも俺は、これまで自分のために自分が好きな物を作りたい、というスタンスで編み物をやっていた。
それはそれで楽しい。今シーズンの新刊は、と各出版社のニット本をチェックし、服屋で好きな服を選ぶように「これ売ってたら絶対買うわ」という作品を、本の通りに編む。毛糸も、一応母さんや達海さんに写真ページを見せて「これどう?」と聞き、明らかに派手すぎとかじゃなければ、全く同じ毛糸・色番で編んでいた。
しかし、売るとなると話は別だ。まず著作権上、本に載っている作品は売ってはならない。それに、セーターやカーディガン、大判のストールなんかの大作は、学祭では買ってもらえないだろう。
となると、手に取りやすい小物をたくさん揃えるほうがいいよな、と思うけれど、シンプルにその案が思いつかない、という話だ。
同じく編み物好きの三年生・マリカさんは、ワンレングスの黒髪ボブを片側だけ耳に掛けた、理知的な眉が目を引く人だ。その落ち着いた見た目とは対照的に、毒々しいくらいのポップな色使いの編みぐるみを作る。いや、ポップである、と言うのはハッキリとは俺には分からないけれど、クマの手の青や、耳の黄色の彩度の高さ、そして他のパーツの色も同等に彩度が高い。フォルムは可愛いけれど、目のパーツが左右全然大きさが違ったり、デロリと舌を出していたり、何だか不安になる。そこが、妙に引き付けられる。
俺は、これが学祭で売ってたら欲しい。絶対ここでしか買えない、と思うからだ。
何も全員が攻めたものを売る必要はない。普段使いしやすいガラスのピアスや、水引で出来たヘアアクセサリーを売る人も居るし、綺麗で手に取りやすいだろう、と思う。
オリジナリティを打ち出すか、買い手に寄り添った使いやすいものを売るか。悩ましい所だ。いつまでも悩んでる訳にもいかないけれど。
俺は、17歳の頃散々「色の見え方が違うから、仕事にはできないんだ」なんて悩んでたくせに、今になってようやく、「作ることを生業にする」とは、自分の作品を金額を提示して売ることだ、という現実に直面している。
次の週末、炒飯を懐かしみ、久々にばあちゃんの家に寄った。
「ただいま」
と大きめの声で言うと、2ヶ月前から飼い始めたマルチーズの「ポチ」が、チャッチャッチャと足音を立てて廊下を走って寄ってきた。名前はばあちゃんが達海さんに相談して決めたらしい。俺も是非とも同席したかった。
「ポチは人懐っこいなぁ」
俺に懐く動物って結構レアだ。モシャモシャと首のまわりを揉んでも嫌がる素振りもない。
ダイニングテーブルには、炒飯が詰まった大きめのタッパーが置いてあった。
「炒飯なんて、出来立てじゃないと美味しくないでしょう。持って帰ったらべちゃっとしちゃうんじゃないの?」
「いや、そういうのが食べたくて。そんで、俺が作った出来立てより確実に旨いから」
レオも料理するのねぇ、とばあちゃんは嬉しそうにしている。
「ちょっと今手が汚れてるから、悪いけど自分で冷蔵庫からお茶出してもらっていいかしら?」
調理台を覗くと、アジを捌いている途中だった。アジの腹から、はらわたをずるりと掻き出す。今こいつは、生き物と食べ物の中間だな、と思った。皮を剥かれた鯵は、完全に「美味しそう」になっていた。
「レオ、酢〆好きでしょ。持って行きなさい」
「ありがと」
酢に浸けている間、お茶しながら話をした。大学でこういう物作ってるだとか、ポチはカフェの看板犬になっただとか。少し色褪せた家庭料理の本を持って来て、
「小さい画面で観るより、さっと開けるほうが分かりやすいわよ」
と譲ってくれた。
ばあちゃんは、出来上がった鯵の酢〆の他に、日持ちしそうなおかずを何品か用意していてくれた。レンコンとひじきの炒め煮、切り干し大根の煮物、煮込みハンバーグ等々。
密閉袋の物は冷凍してもいいわよ、と言われたので、少しずつ食べよう。これもまた、値段付けて売ったりしないけど、俺の生活、ひいては人生に必要なものだ。
しかし、酢〆と炒飯以外は、どれもえらく量が多かった。ばあちゃん未だに俺のこと成長期だと思ってんなぁ、と考えていたら、ばあちゃんが
「最近たっちゃんうちに遊びに来ないからねぇ。ハンバーグ好きだし、食べさせてあげたいけどねぇ」
とニコニコしながら言った。
あ、そう、と言いつつ俺は固まった。
「たっちゃんも、もうおばあちゃんの大事な孫みたいなものだからね」
そう言って、おかずたちを紙袋に詰め込んだ。
うーん、どう、捉えるべきか、と悩んだ。
孫同士なんだからね、と牽制……いや、そういうタイプじゃないし、好きなおかずを暗に分けてあげなさいと言いながら牽制してたら、ちょっとサイコパスっぽさがある。
普通に友達として仲良くしなさいねってことかとも思ったが、ただおかずあげたいだけなら、ばあちゃんと達海さんは店隣同士なんだからいつだって本人に渡せるし。そもそも俺達は「おかずを分けられる頻度では会っている」と思われている訳で。しかも、達海さんが結構罪悪感を覚えて、ばあちゃんちに出入りしづらくなっていることも見抜いてる節がある。
総合すると、何となく俺達の状況を察したうえで、気にしないで仲良くなさいって言ってる、ってことだろうか。
孫の人間関係に干渉するなんてって眉を顰める人がいる、だろうか。でも、むしろばあちゃんは、自分の存在が俺たちの中に「罪悪感」と言う形で干渉していると思って、こういう形を取ったんじゃないか、って俺は思っている。
今日この場ではもちろん無理なんだけど、いつか、二人でこの家に来て、自然に笑って話せたらいいよな。俺の足元にポチがじゃれつく。ポチよ、俺達が変に緊張したりしたら、そこらへんで粗相でもして気を紛らわせてくれ。
翌日、授業後に手芸用品店に寄って、極細のコットンの毛糸を何色か買い込んだ。
大学の課題をこなしていくうちに、ピンクとかグリーンとかの色名が書いてあって、自分で明度彩度を見れば、何となくどういう雰囲気の色味かは判断できるようになった。色相環で隣り合う色・向かい合う色を考えれば、突飛な配色かそうでないかも分かる。何より、配色にも基本的なルールがある。
俺は、視覚という「感覚」の違いはもうどうにもならないことなんだ、と諦めていた。でも、理論と経験で、「どうにか」なっている。学びが可能性を広げる、だなんて手垢付きまくってるけど、もう、そうとしか言えないんだ。
達海さんとカラフルなフェアアイルを編んだこと。ルイが、ハナから諦めてた俺を叱責したこと。そんな出来事たちが、俺を、ここに連れて来た。
家で白飯とばあちゃんの作ったハンバーグをかき込み、黙々と編み続ける。目が細かいけれど、小さいからどんどん出来上がっていく。ひとつにつき3色使って柄を編み込んだり、二本の糸を同時に針にかけて、ミックスカラーのように使ったり、色んなデザインにした。
学祭当日、サークルの出店ブースでは、編み物仲間のマリカさんが、ポップでちょい不安になる、例の編みぐるみを並べていた。染めを専攻しているマリカさんの爪の中はいつも濃く色づいていて、職人のようだ。
「ん、市原君はリボン?」
「や、これは、蝶ネクタイです」
答えながら、横に「ワンちゃんやお子さんにどうぞ」とイラストを添えたポップを置いた。
「あらかわいい。えー、実家の犬用に私も買ってこっかな」
「あ、じゃあ俺も一体買わせてください」
初めて、俺ひとりで作った作品が売れた。
来て欲しいような来なくていいような微妙な気分だったけど、一応日程は伝えておいたら、達海さんがサークルのブースに来た。何故か、マスクして帽子を被っていた。
「……何その恰好」
小声で
「いや、なんか、あからさまな感じでお友達いるとこに来たら、レオ嫌がるかなって」
そのくせ、秋の割に暑いねぇとか言って、袖は捲っている。隠すところまるっきり間違ってる。
一発で先輩たちに正体がバレ、マスクも外すことになった。いや、その方がいい。にこやかであることを全面に出すべきなんだ。
「ええーこの編みぐるみかわいいねぇ」
案の定、食いついた。俺は、周りに人が居ないタイミングを見計らって、朝買った編みぐるみを取り出し、
「キープしといたけど」
と言った。
「おお、流石ですね、好み分かってるね。この子が一番タイプ」
「……お代、払い済み」
もう一度編みぐるみを袋に入れて、どーぞ、と渡した。
一緒に売り子をしていた先輩が、せっかくだし一緒に回って来なよ、と言ってくれたので有難くお言葉に甘えた。
「レオの作品どれなの」
「工芸科、あっち」
妙に照れくさくて、ロボットみたいな喋りになる。いや、今どきAIの方がもっと流ちょうに喋るか。
俺は、粘土で造形した上に麻布を貼り、漆を施した「乾漆」の作品を展示した。
「お、これは、魚?」
「うん、捌かれ中の鯵」
「へー、すごい、この剥いた皮とかすっごい薄い。漆ってこういう風に使えるんだね」
それは、ばあちゃんちで見たような、丸の鯵の腹からはらわたがどろりと出て、皮は剥く途中のように端が宙に向かって反り上がっている。
ちょっとグロいな、が、旨そうだな、に変わる瞬間が面白かったから、モチーフにした。
「酢〆、美味しかったねぇ」
「うん」
「唐揚げもまた食べたいなぁ」
「旨いよなあれ」
「泊まりに行っても、いいもんかねぇ」
「いいだろ。ていうか下着とパジャマ置きっぱなしだろ。ダメなら突っ返されてる」
鯵に目を落としたまま、あーそうじゃん、俺ってすごい図太い人みたい、と達海さんが笑った。
学祭が終わった翌日、撤収のために展示室に行ったら、バッタリとマリカさんに会った。
「おはようございます。昨日お疲れ様でした」
「お疲れぇ。市原君って未だに固いね」
口元に手を当ててふふっと笑う。染料が染み込んだ爪を見て、俺はマリカさんの展示を見ていなかったことに気付いた。
「マリカさんの作品って、どれですか」
「おっ、あっちだよ」
白い壁に、80×100センチの横長の木枠、その中に、細く裂いた布がびっしりと、モップのように縫い付けられていた。ムラなくしっかり染まった濃紺の布を基調として、点々と濃い色が散りばめられた白地の布や、ハッとするレモンイエローが差し込まれている。
この作品が俺の部屋の、無機質なコンクリートの壁に掛けてあったら、と想像する。
春には窓の外からの風を受けて、夏にはサーキュレーター、冬には暖房の風を受けて、布たちが草原のように揺れるだろう。
ベッドの正面に飾ったら、毎朝一番にその光景を目にするだろう。そして、その美しさに適う一日にしたいし、その美しさに相応しい生活にするために、野菜のおかずを一品増やすかもしれない。
陽に当たれば少しずつ色褪せていくだろうか。そんな姿も見てみたい、と思った。
「マリカさん」
「うん?」
「これ買いたいです」
「ダメ」
「ですよね」
売る・売らない・売れない。買う・買わない・買えない。俺は、自分の中に、金額や点数以外の、モノの価値を測る尺度がちゃんと備わっていたってことに、ようやく気が付いた。その尺度というやつも、まだふんわりとしているけれど。でも、無理にシャープにしなくたって、そのままで居たって、いいんだよな。
売れないけれど触るのはいーよ、と言われて右手を当てると、布たちは俺の手を、身体ごと壁の向こうに吸い込むように包んでいく。やっぱマリカさんの作品は、俺をちょい不安にさせるものだった。
みたらし団子を買って執筆のガソリンにします