見出し画像

「町中華屋のマイコー」#2 凉拌海蜇(クラゲの冷菜)


 大学終わりに達海さん宅でひとり時間を潰し、いつもの如く二十二時頃、二人で町中華屋「楽々」に向かった。

 そろそろ冷菜を攻めていくべきかもしれない、と思った。しれない、と言うか、完全に体は「冷」を欲している。今年の春は短すぎて、あっという間に半袖の季節になった。まだ四月後半だっていうのに、達海さんが道行く人々に最大級に警戒される季節の到来だ。これを季節の風物詩と捉えてる奴はそんなに多くないんじゃないだろうか……と思いかけて、彼の顧客の多さを思えば全然レアじゃねぇわ、と思い直した。

「行っちゃいますか、クラゲの冷菜」
「だな。今しかない」

 いや、今後五ヶ月位はクラゲの冷菜が染み渡る季節が続くだろうけど。何ならクラゲの冷菜なんていつ食べたって旨いけど、これもまた、季節の風物詩ってやつだ。

 昨年の今頃、受験生になりたての俺は、最大級に焦っていた。編入した定時制高校での日々には大分慣れていたけれど、春から通い始めた美大予備校で俺は現実を突き付けられた。
 俺が志望する工芸学科は、デッサンと色彩構成の二科目が入試で課される。デッサンについては、中高の美術部で、「俺は色の見え方が違うから」と逃げ込むように描いていたから、他の生徒に追いつけなくはない、という感触を得た。問題は、色彩構成だった。
 色彩構成の試験は、毎年、その場で「流れる」や「つながる」みたいなテーマを与えられ、そこから発想した絵をガッシュで描いていく。

 俺はハッキリと、色彩構成が苦手だ、と認識した。

 何も、色が人と同じように見える・見えないという問題じゃない。いや、それも工夫して乗り越えなきゃいけない課題ではあったが、過去にはモノトーンの作品を描いて高い評価を得ていた受験生もいた。
 それに、配色のバランス、これは意外と論理的に考えられる。いわゆる色の濃い薄いを示す明度や、くすみ具合を示す彩度は、俺は普通の人より敏感に感じ取ることができる。

 俺の一番の問題は、与えられたテーマに対して何を思うか、何を伝えたいか、丸っきり思いつかない、ということだった。

 例えば、「流れる」というテーマに対して、清流を写実的に描いたところで評価はされない。それは、自分の描写力しか伝えられないから。
 流れるものは水だけじゃない。時間も空気も人波も、鯉のぼりも、スカートの裾も、果ては思想も、流れていく。そしてそれはあくまでモチーフであり、モチーフから俺が何を伝えたいのか――時間が有限であることか、巡ることか、個々の人生の体感速度が違うことか、何かを掘り起こした上で、ようやく下書き用紙に向かうことが出来るのだ。

 俺は、自分が空っぽな人間のような気分になった。生まれてからの十八年、物心ついていない三~四年を差し引いて十四~五年、俺は結構、面倒なことを経験してきた、と思っていた。
 色のこともそうだし、母親と二人暮らしであることとか、周りの生徒と瞳や髪の色が違うこととか、クラスメイトの誰にも恋をする気配がなかったこととか。そんな面倒事と、日常の中の些細な喜びが、俺を満たしている、構成していると思っていた。

 実際、満たしてはいるのだ。ただ、その結果構成された俺というものを、俺はよく見てこなかった。さらには、俺を満たすものたちのほとんどが、シーグラスのように美しくはあっても、あるいは打ち上げられたクラゲのように心をざわつかせるものであっても、「漂着したもの」にすぎない。俺が山に分け入って掴み取ったものではない、と気付いた。
 俺は、曲がりなりにも芸術を志す者として、掴み取りに行くべきだと思った。

「えー、レオ結構考え込むタイプの人じゃない? 時々めんど……気を遣……大変そうだな、って思うことあるよ。そういう発想系強いかと思ってた」
 二~三秒くらいなら待つから、頭の中で推敲してから喋って欲しい。

「面倒で気遣わせるくらい考え込んでても、結局それは、俺がどう見られたいかしか考えてなくてさ、俺が何かを見て、どう思ったかどう伝えたいかを考えてなかった、って話」
 達海さん(当時たっちゃんさん)は、バツの悪そうな顔をして、タトゥースタジオの床を掃きながら
「じゃあ今から考えていけばいいじゃん。普段の生活の中でさ。技術的なことは予備校で嫌でも修行するでしょ」
「それをさぁ、どうすりゃいいのか分かんないんだって」

 もう因縁付けてるのと一緒だった。この時点で、俺は達海さんの友人に過ぎないわけで、にもかかわらず、仕事終わり疲れ切っている彼に、長々と答えがなく専門性も高い悩み相談をしてしまっている。あぁ、もうどんなテーマが来ても「俺は面倒くさい奴です」と伝えられるようなデザインにするか、と思っていたら、

「今度、日進ワールドデリカテッセン行かない?」
 と言ってきた。

「え、何それ」
「麻布十番にあるのよ、輸入食品がいっぱいあるでかいスーパーが。あそこ面白いよ。その棚見ながら色々考えたら」

 意表突きすぎだろ。映画見ようとか美術館行こうとかじゃないんだ。俺もそういう発想力が欲しい、かもしれない。少なくともこれは他の人から得られる提案ではない。ひとまず、達海さんの店の定休日に行ってみようか、ということで話はまとまった。

 当日、日進ワールドデリカテッセンの入り口前で、達海さんは高らかに宣言した。

「はい、じゃあお題発表します。お題、『チル』。あ、海辺で夕陽見てカクテル飲むやつじゃないから。シーシャ吸うやつでもないから。散らばる、の方の『散る』ね。」

「Chillを斜めから見てるのは分かったけどさ、お題ってどういうこと」
 だからぁ、と「相変わらず察し悪いなこいつ」みたいな顔をして
「この店の商品を、『散る』を表現するためのモチーフにするなら、レオならどうしますかってことよ」
 なるほど、と浅く納得した。正直どこまで効果があるんだろう、とは思ったが、どこまで効果があるかは俺次第だ。

 前情報通り、店内はスーパーマーケットではあるものの、お菓子や調味料、乳製品なんかの加工食品は普段見かけない海外製品がたくさんあった。
「ここ普通に楽しいな。チーズすげぇあるじゃん。モンドールあるぞ、モンドール」
「何それおいしいの」
「トロトロですげーうまい。そして季節限定だからもうすぐ終わる」
「高っ! これ、五千円以上するじゃん! 何なの、レオ実家でこんな物食べてるの?」
「あー、母さんがワインのアテに最高だっつって毎年」
「っかー! 生意気! 6Pチーズでも食べてなさい!」

 入店五分で反感を買ってしまった。俺が二十代後半ぐらいになったら、こういう物も似合うし、生意気だの6Pチーズだの言わず一緒に旨い旨いと食ってくれるだろうか、とか余計な物思いに耽っていたら

「で、どれモチーフにします?」

 達海さんの一言で現実に戻された。俺は、シリアル・健康食品のコーナーで、ミューズリーの箱を手に取った。
「これ」
「え、また俺が分からなそうなものチョイスする……」
「グラノーラの親戚みたいなやつ」
「へー。あぁこの中身が散らばるってこと?」
「そうだね」

 何で散らばったの、と聞かれて考え込む。直感的に考えていいんだろうか。
「猫……飼い猫が、ミューズリーが入ったボウルをひっくり返した」
「おー、いいじゃないですか。じゃあ今のとこミューズリーとボウルと猫ね。他に描く?」

 頭の中で四角い紙を広げる。紙の左上から右下に猫が通り過ぎた、とイメージして、中央から右下にかけてバラバラと散らばったミューズリーを描く。やや左上には、転がったカフェオレボウル。猫は……尻尾だけ、あるいは足跡だけでもいいかもしれない。

「足跡、どうやってつけるの?」
「あー、牛乳も零れてる、とか。牛乳で濡れた足で、テーブルクロスの上歩いた、みたいな。あとは質感欲しいから、金属のスプーン添えるか。モチーフ結構多いな、削るか。ボウルなくても成立するかも」
 ふんふん、と頷きながら、達海さんは言った。

「立体的に、だから、もうちょい高さとか厚みあるもの欲しいけどねー」

 え、と思った。テーマに沿って発想する試験とは伝えたが、実際は「立体的に表現しなさい」と出題される。

「……もしかして、過去問読んできた?」
 そりゃそうでしょ、読むでしょ、と普通に返され、俺は手に持ったミューズリーから視線を逸らせなくなった。相変わらずこの人親切で変な人だよな、という思いで意図的に心をいっぱいにした。

「色どうするの?」
 と聞かれたが、もう驚きもない。この試験が色彩感覚を問われることは、過去問見てたら知ってるだろう。そして俺に「色どうする」なんてあっさり聞ける数少ない人だということも、もう充分分かっているから。

 ここまで、絵のストーリーを考えてきたけど、軽くでもいいからメッセージ性はほしい。ミューズリーだから朝。朝にミューズリーと牛乳こぼしたらめちゃくちゃダルいけど、猫がやったならまあ許せなくもない。せっかく猫と一緒に住むなら、そういう気持ちの余裕は欲しい。何なら「牛乳の白が綺麗だな」ぐらいに思えたらいい。

「テーブルクロスにかなり彩度の高いピンク使って、牛乳の色を映えさせる。で、猫通ったしテーブルクロスをしっかり波打たせて立体感出す。可愛くて、猫居ると面倒だけど楽しい、みたいにしたい」 

 全然深遠なテーマじゃないし、まだ描くっていうスタートラインにも立っちゃいない。でも、ここに来て、一緒にどう?どう?って問いかけて貰わなかったら、考えることもできなかった。別にいいんだよな、スーパーマーケットから発想したって。美術館行ったり図書館行ったりしたら、俺は山に分け入って、そのまま遭難していたかもしれない。

「ありがと、なんか、考えられるようになったかも」
「良かったね! じゃああと五パターン考えよっか! 全然違うテイストで! 次重めのやつにする?」 
「……なんであと五パターン?」
「過去問見たら、参考作品六種類載ってたから!」
 日が暮れるぞ。本当に、白ワインとモンドールくらい買って帰らないと、店に申し訳ないと思いながら、俺は酒の棚に移動したのだった。

「レオ! 聞いてる?」
 達海さんが、メニュー表をパシパシ叩きながらしかめっ面をしている。あごめん、聞いてなかった、と応える。
「知ってた。知ってたけどあえて確認したよ。一品目クラゲの冷菜でしょ、軽いから、もう三品くらい行けそうじゃない?デザート追加したりさ」
「いいね、クラゲと、デザート各一と、あと料理二品で、今回五品か。一気にマイコー近づいたな」

 最終的に、料理はクラゲの冷菜・空心菜炒め・担々麺にした。デザートは、俺がマンゴープリンで、達海さんは杏仁豆腐。
 クラゲの冷菜でさっぱりしたあと、空芯菜炒めで違う食感を楽しむ。
「空芯菜ってさぁ、穴が空いてる事で人間に目ぇ付けられるって思わなかったのかなぁ」
「俺オリジナリティあんだろって嬉しかったかもな。まぁ、こいつが選んだ生き方だよ」

 ぺなぺなのクラゲも、はりはりした空芯菜も、人智を超えたデザインだ。
 この町中華屋「楽々」のコックが、そんな食材たちを御してデザインした料理が俺たちの腹に収まる。
 達海さんの肌と内面性のギャップもまた、美しいデザインだ、と思う。
 俺は、どうだろう。ぺなぺなでも、ハリハリでもなく、おいしくもなければ、美しい柄を纏ってもいない。
 俺はまだ未完のデザインです、と胸を張っていいだろうか。十九歳とはそういう年齢だって、開き直ってしまっても。

 またしても面倒くさい奴になろうとしていた頃合いで、ガツッと辛みの強い担々麺で腹を満たし、心地良く汗を流す。

「いいねぇ、暑い日にぴったりのコースになったねぇ」
「俺らセンスあんな」

 俺という人間がどうデザインされてるかは分からないけれど、少なくとも献立を組み立てるセンスはあるようだ。まぁ、俺が、じゃなくて、俺らが、だけれども。今日のテーマは「暑い」、メッセージは「一緒に考えると楽しい」あたりか。ベタだな、俺よく合格したな。

・凉拌海蜇(クラゲの冷菜)
・炒空心菜(空芯菜炒め)
・担々麺
・芒果布丁(マンゴープリン)
・杏仁豆腐

 今回はメモも楽だな、と思っていたら、達海さんが
「あっ!」
と声を上げた。デザートの杏仁豆腐を、ひと口目でスプーンからこぼしたらしい。
「あーあー、やってんなぁ」
 町中華屋のビニールクロスに、白い杏仁豆腐はさして映えない。立体感もないし、試験だったらてんで点数は取れないだろうけど、こぼされたってダルくなんかない。面白いだけだ。
 生活のデザインとしては悪くないだろ、と思いながら、紙ナプキンを引き抜いた。




この記事が参加している募集

みたらし団子を買って執筆のガソリンにします