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「町中華屋のマイコー」#5(終) 北京烤鴨(北京ダック)



 地下鉄の出口を一歩出た瞬間、吹きすさぶ木枯らし一号に面食らった。
 面食らって左を見たら、うわ、さみぃな、と言うレオの鼻先がどんどん赤くなって行くのが分かる。
「髪降ろしたら、ちょっと防寒効果あるんじゃない?」
「確かにな」
 結いた髪をほどいた瞬間、もう一度左側から突風が吹いてきて、レオの顔は全部栗色の髪で覆われた。仰け反って笑ったら、脇腹を小突かれた。

 部屋に戻り、丸いローテーブルを囲んで各自みかんを剥く。白い筋を取っていたら、こっちを見てる気配を感じた。
「達海さん、痩せたな?」
「1.5キロ〜」
 右手を1、左手を5にして見せたら、だろ?と何故かレオがドヤ顔してる。
「何、ダイエット?」
「年末年始近いしさ、ちょっとだけ節制しといた」
「確かになぁ、俺も大学とか予備校の友達の忘年会あるしな」
 まぁ誤差レベルだけど、もうすぐ31だし、油断すると絶対すぐに緩むから。

「俺もちょっと変わったとこあるぞ」
「え、何」
「当ててみる?」
 レオそういうのめちゃくちゃ嫌がるくせに、自分はやるのか。いや、やるようになった、か。
「ヒント。俺は、それを嬉しく思ってない」
 ホントやめて。ホントに、やめて。
 こういうの、ポジティブな変化でやろうよ、外した時めちゃくちゃ気まずいじゃん。バラエティ番組でこんなのあったなぁ、と思い出す。大御所俳優に対して、マネージャーがダメ出ししたいことは何でしょう?っていうクイズ。パネラーがどんどん「話がくどい」「私服がダサいことに気付いてない」とか回答していく。
 テレビだと面白いけど、実生活では勘弁して欲しい。レオたまに大御所俳優ぐらい扱いづらい時あるし。

「うーん、髪伸び過ぎたかもなぁ、とか?」
「いや、俺まだ伸ばす」
「寒くなったら手荒れしちゃったー、とか」
「意外と肌強いんだよ」
 持ち駒尽きた。
「ヒント2。結構時間かけて変わってきた」
 分かるわけない。ゆっくり画像が変わっていく間違い探しみたい、とまたバラエティ番組のことを思い出した。
「えっとぉ……俺はね? 全然いいと思うけど、そばかす増えてきた、かも?」
「正解」
「おしっ」
 久しぶりにガッツポーズをした。
 父親に似てきてんだよなぁ、とレオが呟く。俺はレオのお父さんのことを何も知らない。レオの見た目から、白人の方なんだろうな、くらいしか。いつか、話してくれたりするんだろうか。

 みかんの皮を畳みながら、レオが唐突に
「コタツ買えば?」
 と言ってきた。
「え、何で」
「冬だし。俺、コタツ好きだし」
「……レオの部屋にはコタツ置かないの?」
 レオは、えー、雰囲気的に合わな……と言いかけて、
「あっあっ、いや、スタイリッシュなやつとかあったら俺の部屋にも欲しいな!」
 と急旋回した。
 レオがリアルタイムで成長している。わかりやすい。豆苗みたいだ。
「いいよ、俺もコタツ好きだし、部屋広くなったし」
 ローテーブルにノートパソコンを置いて、「コタツ おしゃれ」という全然おしゃれじゃない人がする検索をした。

 営業日の夕方、予約の合間に時間が出来たから、コーヒー欲しいなと思いおばーちゃんのカフェのドアを開いた。たっちゃんお疲れ様、ブレンド? うん、お願いしまぁす、といつもの会話をした後、
「これもお願いします」
 と、セロハンに包まれてカゴに入れられた、艶々としたフロランタンをひとつ渡した。
 おばーちゃんのいつメンの皆さまはもう帰っていて、店内には俺しかいない。席に着いてしばらくしたらおばーちゃんが、コーヒーと、包装を外し白い皿にのせたフロランタンを持ってきた。俺にまで、こうやって丁寧にサーブしてくれるんだよな、と嬉しくなる。
 私もひと休み、と言っておばーちゃんがコーヒーカップを持って、俺の前に座った。

「急に寒くなったわねぇ、そろそろコタツ出さないと」
「コタツ出すなら声かけてね、ひとりだと大変でしょ」
「ほんとぉ?じゃあ早速だけど明日お願いしてもいい?」
「オッケー。あ、俺もねぇ、今年コタツ買った」

 そこまで言って、そろそろ踏み込んでもいっかなぁ、と思った。
 レオにおかずを分けてもらった翌日、おばーちゃんに、ハンバーグ美味しかったよ、と言った。
「グラタンと唐揚げ作るから、いらっしゃいよ」
 と普段の感じで言われ、翌週久々に泊まらせてもらった。だから多分、もう大丈夫なんだ。

「レオに、コタツ勧められてさ」
 おばーちゃんは、ふっふっ、と笑って
「『コタツ買えば?俺コタツ好きだし』とか言われたでしょう」
「流石だね」
「レオは分かりやすいから。ちょっとわがままだから大変でしょう?」
「最近そうでもないよ」

 レオ居たら、微妙に悪口だって怒りそう。そう思っていたら、ご本人が登場した。

「いらっしゃい、早かったわね」
 あ、え、うん……と言って固まっている。ホント分かりやすい。俺はとても楽しい。
「おつかれ、学校帰り?」
「あぁ、これ、置いてもらいたくて」
 袋の中には、学祭で売っていた蝶ネクタイの残りが5つくらい入っていた。おばーちゃんが差し出したカゴにそれを移して、横にはポップを添えてカウンターに置いた。
「明日には全部売れちゃうわよ、犬飼ってる人も孫ちゃんいる人もいっぱいいるし」
「別にタダで配ってもらって良かったんだけどね」
 レオが、俺の斜め前に座りながら言った。おばーちゃんはカウンターのなかで、小鍋で煮出して作るロイヤルミルクティを淹れながら、
「ダメダメ、ちゃんとお金出して買って下さった方いるんでしょ?」
 と言った。

 レオはずっと視線が泳いでる。本当に動揺すると分かりやすい。まるで飲みかけのコーラが、テーブルにトンと置いただけでしゅわしゅわと泡立つみたいだ。豆苗でコーラで、レオってなかなかのお坊ちゃんなのに庶民派だな。
「ねぇ、朗報」
 と言ってスマホの画面を見せた。覗き込み、何これ、と言う。
「楽々さぁ、クリスマス限定で北京ダックやるらしいよ。テイクアウトOKだって」
 レオが引き攣った顔で、へぇそうなんだ、と言った。

「なぁに、楽しい話?」
「うちの近所の中華屋さんでね、クリスマス限定で北京ダック売るんだって」
「あら、いいわねぇ。たっちゃん、クリスマスイブが誕生日だしねぇ」
「レオ、そんな引きなかった?もしかして北京ダック食べたことある?でもこれがマイコーだったらさ、今年食べないとマイコー達成が一年先になっちゃうよ?」

 俺とおばーちゃんが、ニコニコしながらレオを見る。レオが、何で今なんだよ、どういう状況だよ、という顔をしている。3人でポーカーしてるけど、レオのトランプだけスケルトン、って感じだ。レオは肘をついてカウンターの方を見ながら、
「いやっ、食べ切れるかなっ!」
 と言った。

 おばーちゃんはゆったり、あらぁ余ったらスープ取ってポトフとかにすればいいわよぉ、と言った。

 俺は凄くラッキーなんだぞと、自分に言い聞かす。こんな風にできる人ばかりじゃないことは、色んな友達の話を聞いて、知っているから。物件探しの時、俺は「いい物件あるといいなぁ」と思いながら家を出たけれど、それが「いい物件がありますように」に変換されて、叶えてもらったのかもしれない。

 クリスマスイブにうちの最寄り駅で待ち合わせた。誕生日だからってことで、レオはシャンパンのハーフボトルを持ってきてくれていた。お菓子やポトフ用の野菜を買いに立ち寄ったスーパーで、
「レオ、レオ」
 と呼び寄せた。
「何」
「レオはさ、シャンパン飲めないし、これ買ってあげるよ」
 と、戦隊モノの包装紙に包まれたシャンメリーをカゴに入れた。レオは、なめんなよと言いながらシャンメリーを棚に戻し、
「達海さん冗談とか言うようになったんだな。いっつも本気の発言が冗談みたいだもんな」
 と憎まれ口でやり返された。
「いや、あれホントは半分くらい冗談だよ?」
「はっ?嘘っ」
「うん、嘘」
 何なんだよ訳分んねぇ、と言いながらレオはスナックコーナーに歩いて行く。レオがどれを「冗談みたい」と思ってるかは分からないけど、まぁ、多分その2割くらいは。

 買い物袋を提げて、楽々に北京ダックと豆苗炒めを受け取りに行く。
「北京ダックさ、俺ら上手く切り分けできるのかな」
「どうだろうね、一応動画は観といたよ」
「マジで?どう、出来そうな感じ?」
「皮パリパリだったらいけそうかなぁ」
 でも、それは杞憂だった。
 店に行ったら丸のままの北京ダックを見せられて、俺達は、おぉー、と感嘆の声を上げた。
「写真、撮らなくていいの」
 とシェフに促され、二人とも慌ててスマホを取り出した。ひとしきりすげぇな、すごいねと騒いだ後、シェフに
「じゃ、切るから待っててね」
 と言われた。
「そういう感じだったか」
 切れるかなという不安はありつつ、家のテーブルに北京ダックどーん、に憧れもあったから、少し拍子抜けはした。でも、まぁその方が平和だし。
「ムービー、撮らなくていいの」
 と言われて、また俺達はスマホを構えた。

 北京ダックの腹側の真ん中、縦に切れ込みを入れる。それと平行にもう一本の切れ込みを入れ、2本の間の皮を、いわゆる北京ダックの皮サイズに、肉ごと削ぎ取っていく。桃の皮を剥くみたいに、シェフはサッサッサッと包丁を動かす。

 わーすごい、流石だねぇ切ってもらえて良かったよね、とレオの方を見たら、無言でシェフの手元を見つめ続けた後、
「あの、半身はそのままにしてもらっていいですか?」
 と言った。
 え。
 シェフもちょっと戸惑っている。
「あら、いいの?家で切る?」
「はい、自分らで切りますから」
 ハハハー、チャレンジャーだねーと言われた。ホントそう。何チャレンジしようとしてんの。
「……ね、誰が切るのかな?」
「え、俺」
「ねぇ俺やだよー、誕生日に流血沙汰なんて」
「実習で彫刻やってっからいけるだろ」
 微妙な説得力だ。レオは手先は器用だけど、料理はセンスないし、野菜を切っている手元を見てるとドキドキする。ムービー撮ってるし、最悪俺が切ろう。
 最近結構レオを翻弄したしっぺ返しを、誕生日に喰らってしまった。でも多分、これこそ冗談じゃない、本気の発言というやつだ。
 切り分けられた皮と肉、クレープみたいな生地、きゅうり、ネギ、そしてタレが入ったパックを渡される。それと別に、ラップに包まれたアヒル半身、あと剥き出しの骨半身分も。
 レオが、うやうやしくアヒルを抱えて歩いている。真顔だし服がおしゃれな分、なんかの意味があってやってる、儀式のようだ。

 コタツ机に料理や取り皿、グラスが並ぶ。
「じゃ、お誕生日おめでとうございます」
「はぁいありがとうございます。あとメリークリスマス」
 シャンパン美味しいね、母さんに聞いた、と話しながら少し飲んだ後、まずシェフが切り分けた分を食べていく。
 各自クレープのような生地に、きゅうり、皮、ネギ、タレをのせ、包んで、一旦皿に置く。もう言われずとも写真を撮る。
「行きますか」
「うわ、どんななんだ。いただきます」

 齧り付き、二人とも無言で咀嚼する。見逃し配信のバラエティ番組の音を、きゅうりを噛む音が骨伝導でかき消す。

「……うま。うんま」
「……え、すごい。なにこれ。うまい」
「何かこの、パリパリとさ、タレが」
「ね。ていうかレオほんとに食べたことなかったんだね。嬉しいよ」
 2人ともどんどん食べる。
 誕生日に北京ダック食べられるなんて。頑張って働いて来た甲斐があった。俺、ものすごい成功者みたいだ。しかも、隣には、恋人いるし。

 いや、隣にはいなかった。キッチンにいた。そして、包丁の切先を天井に向け、脇を閉め、殺人シェフみたいな出立ちで入って来た。
「レオ、その姿勢で真顔で登場するのやめて……凄く怖いよ?」
 まぁ、見とけ。勉学の成果見せるから。そう言って、北京ダックに包丁を立てる。想定される包丁の軌道の先に、思いっきり左手の指がある。
「待ってっ!!」
 レオの右手首を掴み、そして左手をそっと持って、
「ここを、持ちましょうか」
 と修正した。
 包丁を奪い取りたかったけど、それをしたら絶対拗ねるから。最近はあからさまに拗ねたりはしないけど、物凄く口数が減る。
 皮を削ぐ時も目を逸らしたいくらいハラハラしたし、口を出したくなったけど、子供クッキング番組を観る気分で耐えた。
 北京ダックは無事、無血で解体された。
「ありがとう、レオが切ると美味しいよ」
 味変わんねぇだろ、と言いつつ嬉しそうだけど、全然違うよ。観てただけだけど物凄い達成感があるもの。スリルの末に手に入れた味だと思うと、美味しさもひとしおだ。
「旨いけどこれさ、多分マイコーじゃねぇな」
「それね、俺も思ってた。マイコーは町中華屋で『おっ北京ダック食べよ』ってならないだろうな、って」
「食うなら多分もっとな、行きつけとかあるよな。来年も続くなぁマイコー探しは」

 一通り片付けて、小さいケーキを一切れずつ食べているが、レオが明らかにそわそわしている。あ、そういえばさぁ、と全然“そういえば”感のない前置きをしたあと、
「プレゼントある」
 と言って、大きめのパネルをくれた。
 そこには、毛並みや瞳の反射まで緻密に表現してある、虎の絵のプリントされた布が張られていた。
「え、すごい、これ手描き?」
「いや、型染めの実習で……」
「えっ、型染めってさ、なんかもっと素朴な、ざっくりした絵柄じゃないの?!こんな細かく作れるの?」
 美大生なめんなよ?と胸を張られ、
「お見それいたしました、ありがとう」
 と言った。
「俺の絵店に飾ろうかなって言ってただろ、昔」
 そうか、あれはもう“昔”なんだな、レオには。俺の3年とレオの3年は、だいぶ尺が違う。いつかそれが誤差レベルになる頃も、昔話が出来るだろうか。

「何で虎にしたの?」
「あぁ、えっと、『虎は一日に千里行って千里帰る』つって、安全に旅行できるみたいな。縁起いいらしいよ」
 コタツの端を見ながらレオが教えてくれた。一日に千里じゃなくていい、ゆっくりでいいけれど、また旅行に行きたいな、と思った。

 テレビでは、ひょうきんな俳優が声を張り上げている。北海道出身の人だ。もうこの人もだいぶベテランなのに、未だに盛り上げ好きだよなぁと観ていたら、
「スープカレー、食いに行きたいな」
 とレオが言った。
「お、行く?札幌。2月とかになるから、雪すごいだろうけど」
「雪見たい、俺は」
 もう旅行サイトを開いていた。相変わらず、思い立ったらすぐ予約する人だ。
「そういえばレオさぁ、焼きカレー食べさせてくれなかったよね。帰ってから連れてってやるとかも言ってたのに」
「あぁ、あの店神楽坂だから、こっから歩いて行けるぞ。明日の昼にでも行く?」
「いや、明日はポトフじゃないの?」
「朝作って、昼焼きカレー食って、ポトフは夜でいいだろ。なんかダシ染みそうだし」

 明日の朝ポトフを作る約束、明日の昼焼きカレーを食べる約束、明日の夜ポトフを食べる約束。
 2月にスープカレーを食べる約束。
 あと数ヶ月かけて町中華屋を食べ尽くす約束。
 下関での「1年半後」の約束を果たした俺達は、そんなに先じゃないけど、未来の約束を、ちっとも構えずにできるようになった。それ以上先の約束は、まだ胸の中に留めている程度でいい。

「先に言っとくけど、絶対空路で行くからな」
「いいよ、いいけど、離陸する前に寝ないでよ」
 俺は、あんまり守って貰えなさそうな約束を、もうひとつ追加した。



end.



みたらし団子を買って執筆のガソリンにします