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実践、50歳で退職してみました。

仕事をやめて朝からビールでも飲もう!
    写真はハワイ シェラトンホテル 28階スイートルームにて

 私は現在(2020年12月)62歳、IT企業を2009年50歳でアーリーリタイアメント(FIRE)して12年間無職ぶらぶら生活をしてきた。結婚してから退職するまでの資産形成の過程や退職後の資産運用の話、12年という長い時間をどうやって過ごしてきたかなどA4で52ページ(一部表や写真あり)にまとめてみたのが本書だ。投資についてはFXやデイトレードではなく、配当の良い日本株を長期に持っての配当益と値上がり益で2973万円(2020年12月の配当を入れて:追記2023年12月には配当入れて3912万円まで増加)を得た実績について記載しているが、投資ノウハウ本ではなく、老後2000万円必要議論を見て、自分の場合を整理してみた回想録のような内容である。FXやデイトレードの投資ノウハウを期待されるとがっかりされるのであらかじめ断っておく。人それぞれ家族構成、収入、支出、資産、投資方針、時代背景や経済状況など異なると思うので、ここに記載した内容が読者にピッタリフィットするなどと言うことはないと思うので、あくまでも一事例として読んで頂ければと思う。それでも、まずまず良くやってこれたと思っていて(仕事の上ではかなりつらい思いもしたが)、それは大企業で働いてきて給料が良かったからというよりも、何か自分の経済的考え方とか、暮らし方みたいなものが要因となってできたことだという思いが、これを書くきっかけだったかもしれない。実際、今までの生活を振り返ると、無駄なものは買わないというような考えが基本にあったように思う。(外食はほとんどしない。衣類も古くなるまで買わない:自分の分は、車は永く乗ってすぐ買いかえたりしない。旅行など娯楽にもそんなにいかないなど)でも、「吝嗇家」と言われるような生活ではなかっと思う。無職12年間の過ごし方には私個人の趣味の話など脱線した話もあるので不要なら読み飛ばしてもらえればと思う。老後に備えて資産形成することは、これからの少子高齢化、国の1100兆円(2024年追記:1290兆円にまで膨らんだ)をこえる赤字財政の不確実な時代を生きる上で重要なことだと思うので、特にこれから家庭を持って資産を築いていく若い人に読んで参考にして頂ければと思う。時代も違うしそのまま参考になるとは思わないが、現に2000万円問題を気にしないで暮らせている今の自分のやりかたになにかヒントになるものがあったり、これからのことを考えるきっかけになればと思う。また既に退職された方には、こんな過ごし方もあるのかと参考になれば幸いだ。
なお、文中ではお金に関する数字は実際のものをそのまま記載している。自分の生活実態をそのままさらすことにためらいもあったが、全てXXXにしてしまうと実感を伴わないと考えたからと断っておく。
 今コロナ問題で職を失い日々の生活が大変な人もいる中でこのような投稿をすることに疑問も感じたがズーット構想を練っていて作成した文章が完成したのでタイミングは悪いと思ったが公開したことをお許し願いたい。コロナが一刻も早くおさまり失業中の人が職にもどれることを願います。

1.  はじめに

2.  50歳で退職するまでの暮らしと資産形成

(1)28歳で結婚
(2)38歳で戸建を持つ
(3)40歳で住宅ローン返済
(4)50歳までの10年間で6000万円貯蓄

3. 退職決断と資産運用および家計簿の重要性

(1)退職の決断
(2)家族の思い
(3)仕事についての考え
(4)資産1億円の運用
(5)家計簿の重要性

4. 6階建て年金

 (1)3階建て年金とは
    老齢基礎年金(1階)
    老齢厚生年金(2階)
    企業年金(3階)
 (2)不足をどう補うか
    個人年金、退職金年金、株式配当
 (3)個人年金(4階) 年80万円 
    (終身:10年最低保証)
   1)32歳で個人年金を始めた理由、経緯
 (4)退職金年金(5階) 年138万円
    15年間(60歳から74歳まで)
   1)現金でもらうか年金でもらうか
 (5)株式配当(6階) 年180万円
    株購入原価5900万円(51歳時点)
  1)株式との出会い
  2)預金の低金利
  3)株についてどう学んだか
  4)株購入の経歴と実績
  5)株配当の税金を還付してもらうには

5. 50代の暮らし
          51歳から60歳までの10年間

  (1)支出
  (2)収入
  (3)東日本大震災で株暴落

6. 仕事をしないでどう過ごすか

  (1)生活のルーティーン化
  (2)退職後に始めて続いていること
    1)ピアノ
    2)漢詩
    3)NHK英語ラジオ講座
    4)ヨガ、筋トレ、ストレッチなど
    5)ウォーキング(犬散歩)
  (3)ピアノについて
  (4)1階は趣味の部屋
  (5)娘のこと
  (6)故郷への帰省
  (7)人との付き合い
    1)会社の同期との付き合い
    2)社会との接点がないことの弊害
  (8)ギャンブルについて
  (9)愛犬のこと
  (10)映画について
  (11)読書について
  (12)ハワイへの思い
  (13)音楽について
  (14)その他のこと
  
7. 60代の暮らしとこれから
(1) 資産の実態
(2) 収入
(3) 支出(2020年度生活費予定)
(4) これからの資金計画

8. 健康について

9. おわりに



1. はじめに

  最近老後のゆとり資金に2000万円必要であるとか、定年延長し65歳以上でも働ける社会をとか、年金受給開始を70歳まで遅らせるなど、人生100年時代幕開けとして色々な議論がなされている。
その世の中の流れを見ながら、自分の今までの生活を振り返ってみると、50歳で退職したにもかかわらず、家族を飢えさせないでそれなりにやって来ることができた。その経緯を整理してみたのが本書である。

 簡単に経過を言うと、50歳で退職金を入れて1億円(利子の期待値を入れても実際は20万円不足していて、さらにすぐに退職金で100万円税金にとられたので瞬間的に1億円に近づいたといったほうがいい。不動産価値は入れない。)をもとに会社を辞めて、無職のぶらぶら生活を開始し、今年で12年目になる。このように早く退職することをアーリーリタイアメントと言うのだそうだ。最近はやりの言葉でFIRE(Financial Independence Retire Early)経済的自立&早期退職に相当する生き方を12年前に実践した記録である。私はそのような考えを当時持っていてリタイヤしたのではないが、結果としてそのような事を12年前に始めたということになった。(50歳ではFIREの考えからすると遅すぎるとの意見もあるかもしれないが)

 当時1億円は億万長者という言葉に代表されるように庶民がなかなか手に入らない金額で、ドルでいうとミリオネーヤとして世界に1770万人しかいないとなにかの記事に書かれていて、ああ自分は一応世界60億人のなかの1770万人以内の金融資産保持者になったことを知った。格闘技でエミリヤエンコヒョウドルが60億分の1、人類最強として注目された。格闘技好きの私はそれと比較して、60億分の1770万番目の自分を少し喜んだ。円高だったので確実にミリオネーヤではあった。だから偉いというものでもないが、その資産で残りの人生を暮らすことにトライした実録である。
その経過をまとめてみたのが本書だ。今やビリオネーヤ(1000万ドル)が金持ちの基準であることを自分でも認識していることを断っておく。
1億円なんて貯めるのは無理だと思う人もいるかもしれないが、やれないことはないと思う人には貯められない金額ではないし、そこまでなくてもそれに近いことはできるはずだ。当然、投資や高給でそれ以上の資産の人もそれなりにいると思う。

 まだ私は62歳で人生は続いているわけで結果は出ていないが、今後の生活の見通しを考えても、まずまず良くやってきたものだと思っている。しかし「人生万事塞翁が馬」ということわざがあるからまだわからない。株が紙切れになるかもしれないし、財政再建できずに円の価値が下がり超インフレになり金融資産の価値も下がるかもしれない。

  これから述べることを全ての人が私と同じようにできるわけでもなく、それぞれの人が各自の価値観で人生を生きていけば良いので、あくまでも参考として、特にこれから将来の人生設計する若い人に読んで頂ければと思う。漠然とでもいいので人生の節目をマイルストーンとして思い描いてそれに向けて貯蓄などのプランをイメージすることは、なにもしないで淡々と歳をとってしまったというより結果は良いのではないかと思う。

 付け加えて言うと、人生において一番大事なものは家族の健康、幸せだと思っていて、決してお金が第一だなどとは思っていない。リゾートマンションも高級外車も、ブランドの服も、霜降り肉や高級ワインとフレンチの食事もそれほど魅力を感じないし手に入れたいとも思わない。しかし家族にひもじい思いはさせたくないし普通の暮らしをしたいというのが生きる上のポリシーである。
 ちなみにリゾートマンションがいらない理由は、年に1~2回しか使わないだろうから無駄であるということ。高級外車は、近くにスーパーに買い物に行く以外車は使わないし、せいぜい帰省で使っても故郷で行われる同級会に妻に送らせて外車で乗りつけてカッコよさを見せつけようという自分のいやらしさの象徴になる程度でそれも嫌である。(田舎は交通の便が悪いから一人一台所有するのが普通で、だから軽自動車で経費を抑える。道路を走っているのはほとんど軽自動車でそれはしかたのないことだ。そんなところへ外車で乗りつけて自慢するのは変な奴ということになるわけだ)そういうことをやりたいという、誰かに自慢したいという気持ちが多少あるのも事実だが。
 人生100年の時代にゆとりをもって晩酌には発泡酒ではなく好きなプレミアムモルツを飲んで、年に1度は好きなハワイに行ってワイキキビーチを見ながら、海からの潮風に頬をくすぐられながら朝からビールを飲める様な老後を過ごしたいという、私と同じ様な考えの人の参考になればと思う。

2. 50歳で退職するまでの暮らしと資産形成

 ライフプランなどという言葉は、若いころは縁がなかった。就職にIT企業を選んだのも将来性など考えたわけでなく、学校推薦枠があり希望したら通ったというかなりいい加減な経緯による。就職で苦労する今の人には悪いが、この1社しか受けないでIT企業に就職したのである。80年代はそういう時代だった。
 今の若い人は、将来の年金不足などメディアをにぎわせているから、将来のライフプランを考える人もかなりいるのではないかと思う。それは本当に大事なことだと最初に言っておきたい。国際社会における日本の置かれた位置を考えても80年代のようなジャパンアズNO1と言われたような豊かな国力が怪しくなってきており、個人もますます自己責任を求められる時代になっていくと思われるから。就職ではいい加減な選択でやってきた私でも今までの経験からそう思う。
 以下に私のライフプランにかかわる暮らし状況についてまとめる。

(1)28歳で結婚

  私はIT企業に1981年入社、ソフトウェア開発を業務としてきた。
28歳で結婚するも将来のことなどあまり考えず淡々と暮らしていた。最初にライフプランに関心をもったのは会社に出入りの生命保険会社の営業、いわゆる保険のおばちゃんからしつこく生命保険の勧誘を受けたのが最初だった。
 生命保険については、父から、満期には時間の経過で価値を失うからやめたほうが良いと聞いていたので加入しなかった。かわりになぜか32歳で個人年金に加入した。今考えるに実際はそんなこともないように思う。父の話は戦時中の話で今のデフレの時代にはあてはまらない。
 将来の生活費不足を年金で補おうと真剣に考えた結果ではなくて、なんとなくの加入であった。だいたい将来年金でいくらもらえて、いくら不足するのかなど考えてもみなかった。今のように2000万円問題もなかった。しかしこれが現在、年80万円ではあるが、60歳からの生活の支えになっている。加入していて良かったと思っている。保険のおばちゃんありがとうと言いたい。当時は勧誘がしつこいなーと思っていたが今となっては感謝だ。
 ちなみに生命保険は、さすがに子供もいたので掛け金の少ない掛け捨て保険に50代前半まで入った。今は資産もできて子供も成人したので止めた。

(2)38歳で戸建を持つ

 結婚につぐ人生の大きなイベントは家を持つことである。だれでも一家の主になりたいのだと思う。その目標のため28歳から38歳まで10年で3000万円ためて、住宅金融公庫から1000万円借りて3階建ての戸建を建てた。4000万円はいまの人には安いと思うかもしれないが、義父の土地の上に建てたので土地代を除く建物だけの値段だ。38歳までに子供ができなかったことと、義父の工場(こうば)の2階の1Kの部屋で10年間生活できたため、年に300万円、10年で3000万円ためることができた。
 頭金ほとんど無しか少ない額で住宅ローンを組む人がいるが、借りたお金の倍ぐらい(当時は金利も高かった)を30年以上かけて返すことが信じられなかったし嫌だった。金利が低くても借金はできるだけしたくなかった。
 年300万円をどうやってためたかについては、妻の稼ぎで生活し、自分の給与はほとんど貯金したからできたように思う。妻はピアノ教室をやっているだけでそれほどの収入はなかったが、家賃が不要で贅沢しないためなんとかそれで暮らせた。色々な積み重ねで3000万円貯蓄できたことで、他の人が同じようにできる話でないのかもしれないが、できるだけ無駄を省いてとにかく貯めることが大事だ。

 重要ポイント

★アパートの家賃支払いは無駄だと思う。
 親と同居、寮、社宅利用などで支払額を少なくし自分の家の頭金を貯める。できない人は安いアパートで住居費を抑えたい。
月8万のアパート代は年100万円になり、10年で1000万円支払うことになる。(賃貸でいいという人はそれでもいいのかもしれない。どちらが良いのかは人それぞれだし、賛否は分かれている。)

★住宅購入するなら頭金はできるだけ多くしたい。返済計画がそれだけ楽になるのではと思う。

★30年以上の長期返済計画は、開始年齢にもよるが、そこまで働ける保証はないかもしれないとよく考えるべきだと思う。終身雇用の時代は終わりつつある。無理をすると破綻する可能性もあると思った方が良い。ローンが払えなくなり家を競売にかけてローンだけ残った話をTVのドキュメンタリーで見たことがあるが悲惨だ。

(3)40歳で住宅ローン返済

 その後2年で1000万円返済し40歳でローンなしの身になった。自分の給与から年500万円、2年で1000万円ため、くりあげ返済した。子供はまだ2歳が二人。お金があまりかからないので妻の収入でほとんど生活した。そんなものだと思えばそれなりの生活でやっていけるものだ。贅沢したらきりがない。気が遠くなるほど長い30年以上ローンを払うことが私には信じられない。今や共働きの家庭は多い。奥さんの収入の範囲で暮らすぞと覚悟を持てば自分の手取り年収を返済に充てられる家庭は多くあるのではないだろうか。要はやる気があるかないかだ。
 私の場合子供が38歳で遅くできたので生活費(教育費)がそれほどかからなかったこともこれが可能となった理由かもしれない。ただ後で出てくるが50代に教育費が必要となってくる。

 重要ポイント

★住宅ローンは繰り上げで、できるだけ早く返済したい。銀行に預金していても利子はほとんどつかないのだ。

(4)50歳までの10年間で6000万円貯蓄

 40歳からの10年間は、人より遅れたが一応幹部社員になるなど給与も上がり最大でxxx万円もらうまでになった。平均600万円で10年間6000万円を貯めた。ほとんど金利の良い長期定期預金に預けた(一部は株式であったが)。この間も妻の収入を生活費のメインとして暮らした。と言っても爪で火をともす暮らしではなく新車のトヨタイプサム購入や、イタリア旅行など人並みに生活した。がつがつ貯めてつましい生活はしたくなかった。なんのために生きているかわからないのは嫌だったし人生の大事な時間は有意義に過ごしたい。私より多く給料をもらっている人は沢山いると思う。その人たちはやる気になればこのぐらい貯められると思ってほしい。

 重要ポイント

★とにかく働くこと、給与を上げるために頑張る。家族を思い頑張る。生活残業だってなんだっていいのだ。

★貯蓄はできるだけ利率の良い銀行に入れ、さしあたって必要ない分は長期定期に入れた。(低金利の今は条件のいい定期があるかは分からない)

 今は利率の高いものを探すのは大変だが。当時は1%台の定期もあり、かなりの金額を10年定期で預けた。以下参照
トータルで206万円も利子をもらった。当時は預金の運用でここまで利益が出せた。ネットで利率の高い銀行を探す努力は当然した。銀行が破綻すると1000万円以上は保証されないので、1000万円以上は預けないとかの原則は守ったのは言うまでもない。

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利子合計2061291円

 実は利子の期待値は280万円だったが、銀行の都合で途中解約された定期があり予定より少なくなった。

3. 退職決断と資産運用および家計簿の重要性

(1)退職の決断

 退職にあたっては1年間考えた。49歳になったころから役職の重さからくるストレスがあり、会社を辞めたいと思うようになっていった。顧客のクレームを対応する部署であったためそのストレスは蓄積していった。退職して暮らしていけるのか、資産は6000万円ほどあり、早期退職制度を利用すれば上乗せの退職金を入れて1億ちかくになるがどうなのか。ライフプランシートを作り1年考えた。(資料参照)
このプランでは60歳で株をすべて現金化する予定にしていたが、実際はいまも株のまま保有している。(なぜなら含み損を抱えているから売れない)
 退職の大きな後押しとなったのは2008年秋のリーマンショックで株が大幅値下がりしたことだ。日経平均が8千円をわりこんで7千円に近づいた。株に多くを投資すればかなりの利益が得られると考えた。2009年1月、やめるなら今だと3末での退職を決断した。4月が誕生月なので50歳残り僅かでの退職になった。
 お世話になった人に申し訳なかったが28年勤めた会社をやめることにした。幹部社員に推薦して仕事の上でも支えてくれた上司には本当に申し訳ないと思った。今でもその気持ちは変わらない。

重要ポイント

★一時の感情で退職に走らない。
 ライフプランを1年間じっくり考え、石橋をたたいて決断した。「あなたの家族の将来と長期家計プランのシート(会社で用意されていた)」を作成し検討した。リーマンショックで株が大幅値下がりなければ踏み切れなかったかもしれない。

★いろいろなリスクを想定して長期家計プランを検討した

・株の会社が倒産し配当がもらえない。
・自分の会社が倒産し企業年金や退職金年金がもらえない。
・生命保険会が倒産し個人年金がもらえない。

などを考え、どれか1つぐらいダメでも他があるから何とかなるかと判断。実際、自分の会社の将来、生命保険会社が倒産しないか、株を持つ会社が倒産しなか、今でもときどき心配になる時がある。

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(2)家族の思い

 退職については家族の反対もあった、妻はかなり反対であったようだ、理由は明確には言わなかったが。まだ若いのに仕事をしないで日々ぶらぶらすることに対して、世間の目や、妻の友達の目が気になったはずだ。私も多少世間の目は気になったが、もともと近所付き合いなどほとんどないし、町内の知り合いはほとんどいない。目を気にする相手が少なかった。
父は反対だったようだが離れて住んでいるのでうるさくは言われなかった。母はなにも言わなかったがやはり反対だったと思う。
義父は私に遠慮があったのかなにも言わなかったが、義母は無職という肩書が嫌だったようだ。皆、総じて反対だったのだが強硬に言われなかった。資産1億あるから生活は大丈夫と理解を求めた。

(3)仕事についての考え

 私としては、じゃあ何歳まで働いたら退職していいの?それまでの定年の55歳?それも60歳まで働く人から見れば早すぎると思われるだろう。私は残業もそれなりにやったし休日出勤も徹夜もそれなりにやった。累計の仕事量では文句は言われない、などと勝手な自分の考えを正しいと思い込むようにして、強気を装って世間の目を耐えたという面もある。

 もともと仕事をするのは生きていくための手段であると考えている。社会への貢献だとか、自己実現のためだとか、夢を追い求めるためとか色々なことを目的に据える考えはあるのも事実だが、第一は生活をするためだ。きれいごとをいっても生活できなければ話にならない、というのが私の考えだ。言い換えると生活できれば仕事は無理してやる必要はないのではないか。皆が同じ考えだと働く人がいなくなって社会がなりたたんだろうと言われるかもしれないが、皆がそんなことはしないから心配しなくて良いのだと思う。それができる者はそういう生き方をしても良いのではと思っている。自分勝手だと言われるかもしれないが。まあ資本主義経済における労働と資本という観点でいえば、労働を提供することは終わりにしたけれど、資本を株式購入という形で社会に提供していると言えるかもしれない。

 好きな漢詩で、陶淵明(東晋)や謝霊運(南朝宋)の隠逸詩人は官僚勤めに嫌気がさして故郷に帰って隠遁生活を送った。経済的には厳しい面もあったが心豊かに暮らしたことが詩として記録されている。いまから1600年も前にこういう生き方をした人もいるわけで、まあ自分もこれでいいのではないかと思い込むようにもした。こう生きなければいけないというものは無いと。

 60歳になってやっと気にならなくなって、大手をふって街を歩けるようになった。退職するというのは家計の心配もあるが、世間体というもののプレッシャーがそれなりにあることを記しておく。

2009年3月31日、51歳にあと20日でまったく無収入となった。
資産は約1億円。(一部は株式)

(4)資産1億円の運用

 1億円は多いと言っても使っていくといずれ無くなる。当然で、あとで述べるが実際、51歳から60歳までの10年間の支出合計は7千万円にもなる。貯金としてもっていて使っていたら60歳時点でかなり目減りしてしまったはず。そういうことを避けるために運用を考えた。

 退職金3750万円は、100万円を税金でもっていかれ、1400万円を退職金年金にあずけ、残り2250万円を現金でもらうことにした。10年預けて60歳から15年かけて年138万円をもらえる運用で1400万円が2070万円になる効率の良い運用となった。他はリーマンショックで下がっている高配当の株を中心に購入した。5900万円を株で運用し配当をもらうことで預金の減るのを抑えようとした。残り2300万円は預金で持ち生活費とした。

★5900万円 株 
 運用利率平均3% 約180万の配当を生活費に
★1400万円 退職金年金
 138万円を60歳から74歳まで15年間
★2300万円 預金
 生活費に
★206万円 利子
 期待値は280万円だったが一部銀行都合で解約となり減少
 生活費に
★100万円 退職金の税として支払い

(5)家計簿の重要性

 家計簿をつけているので51歳からの10年間60歳までの正確な支出が分かる。10年で7070万円を支出した。年約700万円平均である。よく無職で生活できたものだと自分でも感心する。
家の壁などリフォーム、娘(1名)が私立中学から大学まで進んだ学費、ハワイ旅行、娘の海外研修(2回)など、特別支出もかなりあった。
 当然預金だけでは足りないので、株を原価ベースで1100万ほど売却し、妻のピアノ教室収入、娘の障碍者手当も生活費にあてた。(娘が1人障害のため80万ほど支援金が出ていた、娘が20歳からは障碍者年金98万に切り替わった。ちなみに私が仕事をしていた時は年収が基準を超えていてこんなに支援金はでなかった)

 重要ポイント

 ★家計簿をつけて家計を把握することはライフプランを立てる上で重要。生活費、保険料、公共費など知っておく必要がある。退職する10年以上前から家計簿をつけている。家をたてたころからか?理由は覚えていないが、自分たちの生活にどれだけ必要か知る手段として重要だった。大学ノートに鉛筆で書いた。きれいに書く必要はなくとにかく続けることが重要。(資料参照)汚い字で申し訳ない。

 次の写真は2020年7月の家計簿
311193円の支出
食(食費)医(医療費)公(電気ガスなど)その他(衣料、生活用品、交際費など)保険(健康保険、年金など)で分けて記録している。
    
 我が家の家計ではいつも食費が一番多く、その他支出をあまり使わない。食べるものぐらい豊かにしたいと思っているからだが、このくらい人生をやってくると全てのものが揃っていてほしい物など特にないのも事実だ。老人がおカネを使わないのは今更ほしいものなんかないということがあるからではないか?それでは経済がまわらんという声も聞こえるがこれが現実だと思う。

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 退職後10年間の支出合計(家計簿より)娘、2009年度私立中学2年~2017年度私立大学4年、娘の教育期間であったのもあるがこんなに必要なのだ。
       私の年齢   支出合計
 2009年度 51  6277373
 2010年度 52  5467051
 2011年度 53  6717506
 2012年度 54  5191816
 2013年度 55  6763603
 2014年度 56  6804411
 2015年度 57  7851561
 2016年度 58  9642759
 2017年度 59  8088681
 2018年度 60  7955544 車購入
          合計70760305


4. 6階建て年金

(1)3階建て年金とは
   老齢基礎年金、老齢厚生年金、企業年金

 会社勤めしない自営業者などは国民年金に入る。私の妻もピアノ教室をやっているため会社員の妻として年金を積み立てられないので自分で国民年金を収めてきた。対して私は企業年金を含む年金をもらうが、これを3階建て年金と仮に呼ぶ。
 
★老齢基礎年金 1階(65歳から)
★老齢厚生年金 2階(63歳から)
★企業年金   3階(60歳から80歳まで)
 
 企業年金は支給されない会社もある。そういう意味では大きな会社に勤めていたメリットである。これはわが社では80歳まで支給される。
老齢厚生年金は、私の場合昭和33年4月生まれのため63歳から支給される。老齢基礎年金が65歳から支給されて満額厚生年金をもらえることになる。満額は企業年金を入れても240万円にしかならない。
企業年金を除くと200万円を下回る額だ。50歳で退職したので会社の同期で定年まで働いた人よりはかなり少ないが仕方ない。10年も納める期間が短いのだから文句は言えない。早期退職のデメリットであることを記しておく。(51歳から60歳までは国民年金をきちんと収めた)

(2)不足をどう補うか
   個人年金、退職金年金、株式配当

 年金だけでは生活できない、最低2000万円必要だとの論争が世間を騒がせたのは記憶に新しい。私の場合も企業年金を入れて年間240万円では月20万円にしかならない、妻の国民年金は60万円ぐらいしかもらえないから合わせて300万円だ。これではゆとりの生活は無理だ。
 妻はハワイが好きで、老後は年1回ハワイに行きたいというのが私達のささやかな希望だ。そのためにはさらなる資金が必要になるのは、マスコミで話題になった通りだ。ではどうやって不足分を補うか。
私の場合は6階建て年金でカバーしたいと考えている。

★個人年金  4階
★退職金年金 5階
★株式配当  6階

以下にそれぞれについて述べる。

(3)個人年金(4階)年80万円
   終身:10年最低保証

 1)32歳で個人年金を始めた理由

 結婚して4年目でまだ子供もいなかったしライフプランなどあまり考えてもいなかった。保険のおばちゃんに生命保険を進められたが気乗りしなかった。なぜ個人年金に加入したのかもはっきりと覚えていない。将来に備えるという意識があったのかもしれないが。年80万円もらうことが十分かどうかの意識もなかった。月1万8千円の掛け金が無理でない範囲だったので決めたという感じである。結果として60歳まで28年間も振り込んだが、それが今の生活の不足分の補填の一部になっており加入していて良かったと思っている。

 今は貯蓄の手段として個人年金以外にもiDeCo(イデコ)とかNISA(ニーサ)がでてきて関心のある人も多いと思う。私の場合は生命保険会社お任せの個人年金で運用益がどうだったのかなど全然しらないできたが、iDeCo(イデコ)とかNISA(ニーサ)を活用できればより運用益を得られるのかもしれない。私は28年で約600万円収め毎年80万円終身もらえる。(最低10年保証)長生きすればするほど沢山リターンがあるので嬉しい。月1万8千円は天引きされるので、ないものと思って過ごしてきて60歳からのこの保証はありがたい。 

 重要ポイント
 
 ★わずかな積み立てでも長い期間で将来の助けになる。給与に振り込まれると使ってしまうのを天引きで積み立てる。人はあるだけ使ってしまうものでなければそれなりに暮らすものだ。

(4)退職金年金(5階)年138万円
       60歳から74歳まで15年間

 1)現金でもらうか年金でもらうか

 退職金は早期退職加算入れて3750万円あまり出た。勤務年数が28年と短いこともあり税金にかなり持っていかれそうだと予測されたので、ある程度年金でもらおうと考えた。年金でもらうときに税金がかかるという考えもあったが税を先送りした。結果として現金でもらった2350万に税金がかかり100万納めたが、まあ仕方がない。
 退職金年金にするメリットはその運用利率である。50歳で預けて60歳から15年かけてもらう。1400万円が138万円×15年で2070万円、つまり670万円増加することになった。現金でもらって自分で運用しても670万円増やすことは難しいと思う。
ただ、本当にそんなにもらえるのか心配したし、会社がつぶれたらパーになるのではという心配は今でもある。今2年目であるがちゃんともらっている。会社が将来潰れない事を願う。

 重要ポイント
  
★年金でもらうか退職金でもらうかよく検討する。判断に迷う人はいるだろう、運用利率がどうでいくらもらえるか、税はいくらかやはり計算してみる必要はある。今私は138万円が収入の一部になるので、税金の対象となっているが、670万円増えたことから考えたら今多少税金をとられても、退職金年金でもらうのが正しい判断だったと思っている。50歳で退職して60歳まであずけることができ、さらに15年かけてもらうという長い期間預けることの条件も670万円増につながっている面はある。それにしても我が社の利回りは良い。

(5)株式配当(6階)年180万円
  株購入原価5900万円(51歳時点)
  (2024年追記:メガバンクの増配で2024年度は300万を超え
   そうだ。信じられない)

1) 株式との出会い

 父が某汽船会社の株をもっていた関係で株主優待という乗船券を家族で利用していた。株主ってこんなメリットがあると、子供の頃思ったのが最初である。その後、父は、電力株は安定していてつぶれないということで東北電力株と北陸ガスを増やしていった。配当が良いことを教えてもらい、銀行に預けるよりずっと運用利回りがいいじゃないかと思った。父は東北電力だけで10000株を所有し年50万円の配当をもらっていた。東日本大震災で電力株は半値以下になったが。

2) 預金の低金利

 時代が進み預貯金の金利がどんどん下がってきた。これは株に投資したほうが良いと思うようになっていった。1%配当でも100万で1万円。銀行の利子では無理だ。株の値下がり損も頭にはあったが、株はある周期で上がったり下がったりすると思っていた。7~8年周期があり下がってもまた上がる時が来ると思っている。

3) 株についてどう学んだか

★当時株投資で著名な「邸永漢」の著書や株の関連本をかたっぱしから読んで学んだことを自分の基本的考えにした。

★リスクを低くするため安定した銘柄(名前の知れたつぶれなさそうな会社)に投資した。新しい会社はリターンを期待できるかもしれないが私の投資対象外だ。

★分散投資 銘柄は10社以上に投資するように心がけた。
     
★配当のいい株を長く持って配当をもらう方針を基本とした
3%配当なら30年で90%は回収できると考え、30年後はつぶれてもそんなに損はしないと考えた。50歳から80歳まで配当もらうとまあまあ元は回収できると考えた。(30年通して配当が3%である保証はないが)

★下がっても気にしないようにした。
日経平均の過去の推移を見ると7~8年周期で上がり下がりしている。下がってもまた上がる時が来るのが過去の大きな流れのようだと考えた。不安になったことはあったが株価を日々見ないようにした。

★生活に必要になるお金は投資に使わない様にした。10年以上使う予定のないお金を投資した。

★本に書いてあることをうのみにしない様にした。必ずしも自分にあうとは限らない。

★デイトレードやFXには手を出さない様にした。リスクの高い投資方法という意識があり、本で読んだがよくわからなかった。それは違うという人もいると思うがこれが私の株投資方針だ。

★投資信託はやらなかった。手数料が多くかかるのが大きい理由。

4)株購入の経歴と実績
    
 2001年ごろから購入開始している。
40歳で住宅ローンを返済して貯金ができはじめたことから少しずつ買っている。だいたい1銘柄売買最小単位の1000株であった。最初は、購入対象分野として、人が食べるということはなくならないので食品関係などという漠然とした方針と、父お勧めのディフェンシブ株の電力、そして自分が働くIT関連銘柄が中心だった。

★2001~2,3年頃の所有銘柄
 資生堂、近畿コカ・コーラ、三菱銀行、キリンビール、日立、ヤマザキパン、味の素、永谷園、富士通、大和証券、ハウス食品、NEC、東京電力、関西電力

2008年リーマンショックで株価がダウンし、2009年3月末退職。今が株の買い時だと退職を後押しされたのは確かだ。退職金や満期になってきた定期を使って株を買い、原価ベースで5900万円まで購入。

★2009年の所有銘柄(購入原価で5900万円:配当は180万円)

 なんと23銘柄に分散投資している。有名な会社ばかりであることが分かるが、これが私の投資方針の現れだ。急成長していても財力のない、いつつぶれるか分からない会社には投資しないようにした。値上がり期待も少ないが配当が良ければいいのだ。

三菱UFJ、キリンビール、山崎パン、味の素、永谷園、日立、富士通、NEC、コカコーラウエスト、東京電力、関西電力、明治乳業、大和証券、みずほ銀行、武田薬品、中部電力、九州電力、東北電力、伊藤園、第一三共、住友商事、アステラス製薬、三井住友銀行

 医薬品、商社、銀行関連が多くなったのは配当がいいからだ。さらにメガバンク3社はつぶれないだろうなどというおもいからだが、近年、低金利で苦戦しているし、フィンテックなどが普通になるとメガバンクの存在意義も疑問が出てきて少し焦る部分もある。

★株による損益

① 20年近い株所有による累積損益合計(配当、売買益)2020年末の配当入れて2973万円(②の株売買益を含む)

② うち株売買益は869万円(株をはじめてからの累計)
 売った銘柄
 ハウス食品、資生堂、キリンビール、山崎パン、永谷園、関西電力、東京電力、アステラス製薬、味の素、明治HD、伊藤園、コカコーラウエスト、第一三共、住友商事、富士通、関西電力

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 私の場合3分の2以上は配当から利益を得ているのが分かる。一部お金が必要になり、値上がりしたから利益確定するために売ったものはあるが、実は損切りした銘柄もある。2銘柄で37万円。すべて利益がでる完ぺきな投資は無理だと思う。関西電力は売りたくなかったが妻が新車を買いたいとゆずらないから仕方なしに購入費用確保のため売った。こういう場合もある。他の電力株ほど損が少ないタイミングだったのも選択の理由だ。

 重要ポイント

★配当が良くて安定的に配当をくれる銘柄を長期もっていて利益が出た、デイトレードやFXでもっとガンガン稼ぐ人はいるだろうが私にはできない。このまま年180万円の配当が続けば72歳までに1800万円配当をもらい累積損益合計(配当、売買益)が現時点の購入原価4800万円と同じとなり元をとることになる。あとは紙切れになっても損はしない予定だ。

5)株配当の税金を還付してもらうには 

 51歳で無職になり、収入は株の配当だけとなった。株の配当はあらかじめ20%源泉徴収されて振り込まれるので、確定申告することで還付が受けられる。20%の内訳は15%所得税、5%住民税(県民税、市民税)だ。180万円だと所得税27万円、住民税9万円、合計36万円もひかれた額で配当は振り込まれる。(厳密には所得税には復興税0.315%もある)
 私の場合、所得控除として社会保険料控除、生命保険料控除、配偶者特別控除、扶養控除、基礎控除、医療費控除以外に障害者扶養控除などもあり、50代の配当のみの収入ではほとんど還付でもどってきた。

 自分で確定申告書を作る必要があるが、そんなに難しくないので是非還付を受けるべきだ。障害者扶養控除がなくても各自それなりに控除はかなりあるはずなので金額にもよるが配当所得などほとんど戻ると思う。
分からなければ税務署の説明会に行って聞くのが良いが確定申告がスタートするとかなり混雑するので自分で調べたうえで本当に分からないところだけ電話で聞くという手もある。税務署によって対応は違うと思うが。

 私の場合、所得税還付は昨年度分の実績で465601円も3月にもどった。(住民税は役所のミスでいま見直し中)60歳からは企業年金、個人年金、退職金年金などもらい収入も増えたためこんなに戻るのだ。きちんと申告することを勧める。

★6階建てのまとめ
 6階建てのまとめとしては、結局4階5階6階合計で約年400万円の収入になる。3階建てまでの年金が240万円に上乗せすると640万円になり、これは働いている若い人並みの収入となる。年金だけで老後を過ごすにはゆとりがないと考えられるので、その他の収入源を用意することが大事だ。不労収入としてどういうものが考えられるか早い段階から考えて準備するのも良いかと考える。

5.50代の暮らし
  51歳から60歳までの10年間

 6階建て年金も配当以外は60歳からのスタートなので配当だけでどう10年間過ごすかが重要な課題となった。当然退職時で検討したライフプランに従ってやっていくことになるが、必ずしもその通りにはいかない。以下に支出、収入をまとめてみるが、一番大きな出来事は東日本大震災で株が暴落したことだ。以下に経緯をまとめる。

(1)支出

 退職した4月に娘は中学2年になったばかり。教育費もかかるので、10年間でトータル7070万かかった。これは家計簿からの正確な数字だ。私立中学から大学への学費、娘のオーストラリア海外研修(2回)、外壁リフォーム、家族ハワイ旅行、車の購入など沢山支出があった。

(2)収入 

 預金を取り崩し、私は配当と売買益、株原価分のみ、他は妻のピアノ教室収入と娘の障碍者手当で生活

1)10年間の収入累計内訳

・預金取り崩し分 2300万円
・配当、株売買益 2058万円
・売った株の原価分 1100万円
・ピアノ教室(80万円×10年=800万円)
・障碍者手当(80万円×8年、障碍者年金98万円×2年=836万円)障碍者手当があるから楽をしていると思われるかもしれないが、これがなければそれなりの株を売るだけだ。しかし公的支援にはとても感謝している。

(3)東日本大震災で株暴落

 2011年東日本大震災で、購入原価で5900万円あった株がほとんど下がり、2700万円ぐらいの含み損がでていたと思う。正確な金額が分からないのは怖くて証券取引ホームページを見ることができなかったからだ。断片的に新聞の株のページで見える株価を総合するとそのくらいになっていた。売らなければ損は確定しないと分かっていても、そのストレスはかなりのものだった。耐えられなくて損切りする人もいると思うが、売らずに日々耐えた。株の売買はそういう一面をもつということだ。
一番下がったのは電力4社だ。1社あたり1000株200万ほどで購入したものがみな100万をきり4社で購入原価計830万円相当が時価計300万円すこしぐらいになったように思う。ディフェンシブ株の代表で配当が良かったので多く持っていた。ショックだった。東京電力はなぜかその前に売ってしまっていて被害にあわなかったが、他の電力株は半値以下だ。事故を引き起こした東電を恨んだ。

株の浮き沈みを過去にさかのぼるとバブル崩壊、インターネットバブル崩壊、リーマンショックとなんども谷底に落ち込んではいたが、大きな周期(7~8年)で回復しているので、不安だったができるだけ気にしないように過ごした。生活にすぐ必要なお金ではないので、じっと含み損を抱えたまま耐えた。したがって慌てて損切りなどはしなかった。スタンスが長期に持って配当をもらうことで利益を得ることだったので。今や、株は日経平均2万6千円台までもどった。電力株はあいかわらず低いまま、購入原価の半値以下のままだ。

 重要ポイント

 ★株の配当、取り崩し売買益が、50代生活費の大きなウェイトを占めていた。預貯金だけでは到底暮らせなかった。株が値下りしても配当目的のため損切りはしないで持ち続けた。参考までに最近の配当実績を以下に掲載する。

2020年の配当合計 195万円

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株は予め所得税、住民税(20%)を引いた金額で振り込まれる

 生活のためにいくつか売ったので所有銘柄の数は減ったが、なぜか株の配当は過去最高の金額195万円となった。この10年、株主還元が主流となりアベノミクスなどもあり配当は増えた。今後は新型コロナの影響もあり世界的にも株主還元の抑止が傾向のようだ。今まで通り年180万円の配当も減るかもしれない。
ちなみに、上記残り保有株は、銀行にしろ、電力にしろ、電気にしろ、ほとんど含み損を抱えている。だから評価額は購入原価より下回ることをつけ加えておく。でも売らなければ損は確定しない、だから今は配当を毎年積み重ねていくだけだ。2020年11月の日経平均2万6千円越えでも含み損がかなりあるのだ。黒田日銀のゼロ金利政策、原発事故を起こした東電が恨めしい。

6. 仕事をしないでどう過ごすか

(1)生活のルーティーン化

 仕事をしないで有り余る時間をどう過ごすか。
私は、毎日ルーティーンを決めて過ごすことで淡々と時間を過ごした。退屈でないかといわれると、とにかくおなじことをやるべきこととしてやっていたら12年たったというのが実情だ。それほど退屈でノイローゼになるなどということは今のところない。

 池波正太郎が好きでエッセイなども読んだが、その中で散歩に行き、帰りにそば屋やウナギ屋で熱燗を注文し、そばやウナギでいっぱいやって帰るという話が出てくる。退職したらこんな生活がしたいとあこがれていた。例えば映画を見に行き、帰りに寿司で熱燗をやって帰宅したらいい気分だろうなと思ってきたが、なかなかできないものだ。面白い映画がない、映画を見てもまだ明るくて一人熱燗を飲む気にならない。寿司なんて高いなあと思う節約心も働く自分がいる。なかなか思い通りにはいかないものだ。
 サラリーマン時代は駅へ行く途中のカフェなどで、朝からコーヒーをのんびり飲んでいる年配の人を見ると羨ましいと思ったものだが、実際時間が沢山できると、わざわざ駅まで行ってコーヒーを飲もうと思わない。実際に手に入るとその価値はそれほどでもないことに気づいたりする。なかなか思うようにいかないものだ。

 できるだけ家事を手伝うのを基本として暮らしてきた。妻は、台所近辺を片付けている私を多少うとましいと思っているようなところもあるようだ。自分のテリトリーを乱されるのがいやなのかもしれない。私としては仕事をしている妻を少しでも手伝おうと思う気持ちからなのだが。

洗濯、ゴミ出し、朝食つくり、風呂掃除、スーパー買い物を私の仕事としてやってきた。

 ★一日のルーティーン
 6:00起床、新聞とり、洗濯、ごみ捨て、朝食作り
 6:30朝食、新聞読み、洗濯もの干し
 7:00朝の運動(ストレッチ、フィットネスバイク)
 8:00ウォーキング(犬散歩)
 8:30パソコン(WEB)
 9:00障碍者の娘送迎
 9:10パソコン(WEB)、スーパー買い物
 9:30ピアノ練習(1~1.5時間)
 12:00昼食
 12:30読書、パソコン(WEB)
 13:30運動(ラジオ体操、ヨガ、筋トレ)
 15:00TV録画映画鑑賞
 16:00帰宅娘受入れ、洗濯もの取込み
 17:00ウォーキング(犬散歩)
 18:00夕食
 19:30フィットネスバイク、ダンベル
 20:00入浴
 9:30就寝

 12年間ほとんどこのパターンで生活してきた。
水曜日は唯一私の夕食当番なので作る。得意料理は魚(サバ味噌煮、かぼちゃ煮、切干大根など)が中心。健康の観点から青魚になる。水曜日は魚の日だ。子供たちは肉が好きだが、そんなことは関係ない。妻と作るものが異なるのでバランスがとれて良いと思っている。

 運動を1日3回やるので体重は58kgを維持(身長171cm)している。BMIは19台。これが健康にいいかどうかはわからない。やせすぎは長生きできないとかいわれることもある。一般にはBMIは22ぐらいがいいともいわれる。
 節制してやせようとする理由の一つに、健康目的以外に、男も、美しい体形でなければならないという基本的考えがある。ナルシストと言われるかもしれないが。鏡に映る筋肉質の自分を見て、しまった良いからだしているねと思う自分がいる。最近は歳のせいか筋肉がつかなくてやせているから少し貧相に見えるのが残念だ。会社時代に75kgもあったころの体形の記憶も残っていてそこに戻りたくない。まさに某TVコマーシャルのビフォー75Kg、アフター58Kgの体形だ。いまさら夏の海で女に良い姿を見せる機会もないが常に引き締まったかっこいい姿の自分でいたい。これも生きる上でのポリシーみたいなものだ。ちなみに75kgは今より17kgも多い。これは10kgの米袋、1,7袋だ。これをもって見ると分かるがすごい重さだ。体のどこに付いていたのだろうか不思議だ。皆さんも今の体重から就職した若い頃の体重を引いた重さを米袋で換算してみて下さい。ビックリします。

(2)退職後に始めて続いていること

1)ピアノ
 妻から習っている。「おとなのピアノ1~5」から始め、有名な曲にトライしている。ショパン、ベートーベン、ビートルズなど色々。
子供のころのピアノ経験はないのでまったくの50の手習い、一からスタートだ。それでも楽譜を見るとびっくりするショパンの別れの曲などもつかえながらだが最後まで弾く。バイエルなどやってないから基本はいい加減だ。

2)漢詩
 週1のNHKラジオ講座を録音して、毎日運動のフィットネスバイクをしながら聞いている。高校のころから古文、漢文がわりに好きだった。
なぜか。理由は1300年も前の人(主に唐代)が、今の人と同じように思い、悩み、悲しみ、喜び暮らしていたことが不思議で、共感できる面があると思えるから。自然に対する姿勢や、故郷を思う心、友を思う心なども共感できるのだ。

3)NHK英語ラジオ講座
 基礎英語3、英会話を録音して夜ベッドで聴く。英語は会社勤め中もズーと続けてきたがものにならない。無駄だと思うときもあるがそれでもなぜか続けている。TOIEC725点が最高得点。先日、本棚を整理したら山のように英語教材が出てきた。こんなにやったのにものにならない現実が悲しかったが全て資源ごみで出した。

4)ヨガ、筋トレ、ストレッチなど

 ヨガはユーチューブにいい教材が沢山でている。お気に入りを決めて週に4回はやる。筋トレは腕立て、腹筋、スクワット、エキスパンダ、ブルワーカ、ダンベルいろいろ。ストレッチは雑誌ターザンで参考にしたものや、ためしてガッテンその他のTV番組でいいといわれたものを取り入れて独自のメニューをつくってやっている。ラジオ体操第一,第二、みんなの体操も取り入れている。朝と午後それぞれ1時間かけて行う。

5)ウォーキング(犬散歩)
 犬と30分は散歩したが、死んでしまったので今は一人で朝晩15分の短い散歩で水、土、日は1時間ほどの長い散歩。

 以上はどれも退職後12年間続いている。ほとんどお金のかからないことというのも自分の節約志向を表している。自分ではこれからはお金を使う年代だと思うようにしているが、長年の習性が抜けないのが少し残念だ。

 退職したら美術館や博物館や都内の散策など色々のんびりできるなどと考えていたが、今までやったことのないことを急にできるはずがないし、1~2回やっても続かない。所詮、自分の好きなことしか続かないのだ。色々な本には退職に向けて趣味を持てとか書かれているが、本に言われてやっても続かないと思う。

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 好きな李白と柳宗元の漢詩。短いので空で言える。どちらも故郷を思わせる描写が良い。
 ★静かな夜に思う   李白
 しょうぜん(寝床)に月光を見る。これは地上におりた霜かと。こうべをあげて山の月を望み。こうべを垂れて故郷を思う。
 ★河にふる雪   柳宗元
 山に鳥飛ぶことたえ、道についた足跡も消え去った。一艘の小舟に蓑と笠の老人。雪の降る寒い河に一人釣りをしている。

(3)ピアノについて

 以下に今までに練習したピアノ曲を記載する。つかえながらだがなんとか最後まで弾ける。もともと「エリーゼのために」や「乙女の祈り」でも弾ければいいと思って始めたが12年もやると、音符の沢山書かれた難しそうな楽譜もなんとか限界はあるが弾けるようになった。音楽音痴の私がよくここまできたものだと思う。

 エリーゼのために :ベートーベン
 乙女の祈り    :バダジェフスカ
 トルコ行進曲   :モーツアルト
 ト調のメヌエット :ベートーベン
 春の歌      :メンデルスゾーン
 トロイメライ   :シューマン
 ジムノペディ第一番:エリック サティ
 亜麻色の髪の乙女 :ドビッシー
 雨だれ前奏曲   :ショパン
 子犬のワルツ   :ショパン
 軍隊ポロネーズ  :ショパン
 おまえがほしい  :エリック サティ
 戦場のメリークリスマス :坂本龍一
 タイースの瞑想曲 :マスネ
 ワルツ Op69 :ショパン
 ソナタ Op27(月光) :ベートーベン
 ワルツ イ短調 遺作 :ショパン
 モルダウ わが祖国より:スメタナ
 ニューシネマパラダイス 愛のテーマ :エンリオモリコーネ
 トゥーランドット    :プッチーニ
 カヴァレリア ルスティカーナ間奏曲 :マスカーニ
 涙のカノン      :パッヘルベル
 花の歌        :ランゲ
 モーツァルトのピアノ協奏曲K467 :モーツアルト
 夜想曲 遺作     :ショパン
 悲愴 ソナタOP13 第二楽章 :ベートーベン
 別れの曲       :ショパン
 夜想曲 第2番 変ホ長調 :ショパン
 渚のアデリーヌ    :リチャードクレーダーマン(作者は別)
 ララのテーマ(ドクトルジバゴ) :
 ロングアンドワインディングロード :ビートルズ
 レットイットビー   :ビートルズ
 イエスタデイ     :ビートルズ
 ノルウェーの森    :ビートルズ
 ヘイジュード     :ビートルズ
 ワルツ No10   :ショパン
 雨音はショパンの調べ :ガゼボ
 ワルツ No2    :ショパン
 亡き王女のためのパヴァーヌ :モーリスラベル
 2020年春から練習開始し12月時点で終了できない難しい曲だったがその後2021年夏なんとか完了。

 2022年1月 クイーン ボヘミアンラプソディを練習中(2022年6月追記:完了し、ジョンレノンの「イマジン」と映画「ノッティングヒルの恋人」のテーマ曲「She」を練習している。)

(4)1階は趣味の部屋

 ―全自動麻雀卓
 ―ステレオ
 ―運動器具(ヨガマット、バランスボール、エキスパンダ、ダンベル、ブルワーカ、フィットネスバイク、シェイプアップベンチ)

 自慢になるが3階建ての1階(60㎡ある)は私の趣味の部屋だ。全自動麻雀卓はここにある。ここでヨガ、筋トレなどロックを大音響でかけてやる。62歳にもなってレッドツェッペリンやディープパープルを聴くのだ。新しいところではコールドプレイやミユーズなども聴く。果たして何歳までツェッペリンやパープルを聴けるか楽しみだ。毎日運動中にかけるのは今まで貯めた、レコード、CD、MD、カセットテープを古い年代から順番に聞く。これがルーティーンになっている。かなりのアルバム数なので、1年は同じアルバムに戻らない。だから新鮮で、運動していても飽きが来ない。音楽を聞きながらの運動はあきずにできるのでお勧めだ。
古いところから好きなグループでいうと以下。(全てのグループが分かればあなたはかなり年配でロック通です)

 ジミヘンドリックス、ジャニスジョップリン、クリーム、ピンクフロイド、YES、キングクリムゾン、ELP、レッドツェッペリン、ディープパープル、ブラックサバス、ザ フー、サンタナ、ビートルズ、ローリングストーンズ、ジェフベック、デビッドボウイ、TREX、クイーン、スージークアトロ、ポールマッカートニーWINGS、エルトンジョン、ジョンレノン、ジョージハリスン、エリッククラプトン、スティービーワンダー、ロキシーミュージック、イーグルス、ドゥービーブラザース、KISS、ポリス、ボストン、エアロスミス、チープトリック、キャメル、グランドファンクレイルロード、ロイブキャナン、レインボー、ポリス、REOスピードワゴン、フリートウッドマック、ダイアーストレイツ、ブロンディ、エイジア、TOTO、スティーブミラーバンド、U2、ELO、ジャニー、デュランデュラン、ボンジョビ、プリンス、ホールアンドオーツ、Jガイルズバンド、メンアットワーク、スティーブミラーバンド、ヴァンヘーレン、マイケルシェンカーグループ、コールドプレイ、ミューズ、(以下はポップス)フリオイグレシアス、シルヴイバルタン、カーペンターズ、オリビアニュートンジョン、ギルバートオサリバン、ABBA、アラベスク、シンディーローパー、シェール、マドンナ、ホイットニーヒューストン、マライヤキャリー、エンヤ
 日本のアーティストでは、山下達郎、大瀧詠一、高中正義、YMO、井上陽水、サザンオールスターズ、カルメンマキ&OZ、中島みゆき、山口百恵、門あさみ、中原めいこ、白井貴子、竹内まりあ、今井美樹

横道にそれたついでに各アーティストで好きな曲など少し上げる。機会があれば聞いて欲しい。
ジミヘンドリックス:ヘイジョー、パープルヘイズ
クリーム:ホワイトルーム、クロスロード、サンシャインオブラブ
ピンクフロイド:カンホタブリーナム、タイム、あなたがここにいてほしいすべが良い。カンホタブリーナムのデビッドギルモアのギターソロはもう最高、何度聞いても鳥肌がたつ素晴らしさだ。タイムなぞビデオ映像がもう芸術だ。
 Pink Floyd - Comfortably Numb PULSE Remastered 2019、- "High Hopes " PULSE Remastered 2019をユーチューブで見てほしい。Sorrowもうすごい。David Gilmour " Guitarist Extraordinaire "もすごい。(追記:2022年2月18日、「驚異」DVD2枚組が発売された。購入してみたが今までユーチューブで断片的に見てきたのと違って素晴らしい映像として見ることができた。是非お勧めだ。)
YES:ラウンドアバウト、ロンリーハート
キングクリムゾン:クリムゾンキングの宮殿、エピタフ
ELP:展覧会の絵キエフの大門、タルカス
レッドツェッペリン:天国への階段、胸いっぱいの愛、アキレス最後の戦いほか。
ディープパープル:ハイウェイスター、紫の炎、スモークオンザウォーターほか、もうリッチーのギターはすごいの一言。
WINGS :JET、バンド・オン・ザ・ラン、ジュニアーズファームほか
 JETを聴くと高校時代がよみがえる。
デビッドボウイ:ジギースターザスト、ヒーローズ、レッツダンス全てが良い。David Bowie - Heroes、 Absolute Beginnersをユーチューブで見てほしい。スーツ姿でHeroseを歌うボウイは最高にかっこいい。理想のダンディ像だ。こういう男になりたいと思った。中学生のころ、その存在を知ったがその奇抜な衣装やサウンドを理解できなかった。なにが良いのかと。30代になってやっとなにやらその素晴らしさがなにか感じられ、ボウイのサウンドにひかれた。通り一辺倒なサウンドでなくあらゆる要素をとりこんだバラエティに富んだ(ように思える)音に魅かれた。
 若い人にはこういうロックを聴いて欲しい。今も素晴しいグループは出てきていると思うが、上記のグループはそれらの先駆者でいい曲が沢山ある。古いとかいう言葉でくくらないで聞いて欲しい。(しかしユーチューブの「みのミユージック」の洋楽アーティストランキング100など見ると若い人が投票するグループなんか知らないのが沢山いる。クリームが97位、ディープパープルが69位だ。若い人と趣味の違いを痛切に感じる)ちなみに90年代話題になったグランジとかオルタナティブロックというジャンルはほとんど聞くことがなかった。あらてめてニルヴァーナとか聞いてみても感性が違うのかムムムと言う感じだ。古い感性なのかもしれない。


一番のお勧めはピンクフロイド。上にあげたユーチューブを見てほしいツェッペリンもディープパープルもいい、ジミーペイジのギターリフもリッチーの速弾きもいいが、20世紀最高のグループはピンクフロイドだと思う。この壮大な音の抒情詩を聴いてほしい。サウンドだけではなく映像とのコラボもすごくて聞かせて見せてくれる。タイムなどのコンピュータグラフィックスを駆使した映像など最高。カンホタブリーナムのデビッドギルモアのギターソロを聞いて欲しい。もう最高。巨大ミラーボールが分解して宇宙船のように輝く演出ともとに最大の盛り上がりをむかえ鳥肌が立つ。No1ギターソロと言っていい。Sorrow、On The Turning Awayのギターも最高。もう全てがすばらしい。(しかし、やっぱりツェッペリンも同率1位の最高グループかな。ギター、ヴォーカル、ドラムス、ベースすべての演奏がトップだと思う)癒しを求める人にはエンヤもどうぞ。エンヤ・ベスト曲集が素晴らしい。あとABBAとアラベスクも良い。アラベスク ディスコ メドレーを聴いてほしい70年代の素晴らしいポップスを。もう戻り来ることの無い我が青春のサウンドは最高です。今こんなグループはない。ユーチューブでみると映像もあって最高、アラベスクのサンドラは可愛い。

(5)娘のこと

 38歳でできた子供は双子の娘で、1500gの未熟児で生まれたため、肺の機能不足で一人脳性麻痺となってしまった。詳細をここで述べるつもりはないが。もう一人は普通に育って今は私のいた会社に就職し3年目だ。
 車いす生活なので妻がほとんど介護してきたが、私の退職時中学2年だったので学校まで車いすを押して送迎することになり、以来、養護学校、作業所へ行く送迎車まで届け、帰りを受け入れる役割を私がメインでやっている。朝は9時、帰りは午後4時と決まっており私の生活のルーティーンに入っている。これを12年続けてきた。だから平日は遊びに出かけても午後4時には帰宅していなければならない。帰宅後は一人でパソコンやゲームで遊んでいるのでトイレの介助以外私の役割はない。故郷への帰省で2週間も不在になると妻に全てお願いしなければならないのが悩みである。

(6)故郷への帰省

 年4回(春、夏、秋、冬)は故郷に帰省し、2級船舶免許を持っているのでボートでの釣り三昧を楽しんでいる。だいたい2週間は滞在して毎日朝から釣りだ。仕事をしていたら時間の関係で絶対できない過ごし方だ。

春につれる魚
メバル、ソイ、黒鯛、シラウオ(川の仕掛けでとる)、モクズガニ、ワカメ
夏につれる魚 
キス、アジ、ヒラメ、すずき、黒鯛、ハゼ、ベラ、サザエ、シタダミ
秋につれる魚
アジ、黒鯛、サヨリ、アブラメ、イイダコ、サザエ、シタダミ

 釣った魚は自分でさばき、自然に感謝しつつ頂く。釣りが好きといっても、いわゆる玄人ではなくお手軽に釣れる魚しかやらない。道具も素人だ。釣れればいいという子供の釣りだ。他の趣味もそうだがとことん突き詰めるということができない。面白ければいいだろうという考えだ。

 帰省して好きなことは海の見える実家の部屋で、夕方ビールを飲むこと。夏などは涼しい海風を頬に感じて、ヒグラシの鳴き声を聞きながら、山下達郎や高中正義をBGMで飲むビールは格別だ。青い海、青い空、白い雲、波の音、静かに過ぎる時間。そのかわり冬は寒い、毎日家の中に閉じこもる日が多いが、夜、吹き付ける吹雪の音や、静かな風のない夜にしんしんと雪の降る気配、荒波の音を感じるのも良いものだ。春は山菜(ワラビ、センマイ、筍など)を採る楽しみがあり、秋は刈り取った稲穂の香りや山の紅葉を楽しむ。まさに私には陶淵明の桃源郷の世界だ。少し言い過ぎだが故郷はいいものだ。

 リゾートマンションが要らない理由の一つは、帰省に時間はかかるが故郷にもどれば海のある生活ができるのもある。わざわざ高いお金を出して買う必要がない。

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実家から見た海  右手前方に見えるのが筆者の舟(舳先)

昔ここにバイパス道路などなくすぐ海だった。都会に暮らし、たまに帰省するだけの私には税金を使ってこんな道路ほしくないのだが地元の経済には必要なのかもしれない。過疎化の地方にこんな立派な道路が全国いたるところにあるのだろう。これと平行して家の玄関側にも道路はあるのだ。ヒグラシの声も山下達郎のBGMも波の音も、無粋な車の音にかき消されて、静かな夏の夕暮れとはいかないのも悲しい。

(7)人との付き合い
 
 人との付き合いは、会社の元同僚と月1回自宅にある全自動雀卓で麻雀をやる他には飲み会や、1泊旅行に行くぐらい。その他の付き合いはほとんどない。他人との会話が少ないため認知症になりやすいのではないかと心配もする。残念ながら新型コロナのため麻雀会も飲み会もオンラインでなんとか継続されている。いつになったオフラインでできるのか分からない。
 
 1)会社の同期との付き合い

 入社時に同じ職場に配属され、仕事場がそれぞれ変わっても付き合ってきた仲間が3人いる。かれこれ40年の付き合いになる。
この仲間は、私が退職後も月一ぐらいの割合で麻雀や飲み会をやって付き合ってきた。年2回、近場への一泊旅行も毎年恒例で行ってきており、少々飲みすぎることになるが、楽しく過ごし気分転換になってきた。元仕事仲間なので、昔の職場の人たちの近況や会社の状況などが話題の中心で、職場を離れた後も、やはり関心のあることなので新鮮である。またこの歳になると若いころの思い出話もなつかしくいつも盛り上がる。こういう時間は大切にしたいものだ。飲みすぎが少々問題だが。1人を除いて呑み助が3人いるのでその酒の量はいつもすごいものがある。私もその一人だ。
退職後は会社仲間と疎遠になる人も多いと思うが、こういう付き合いは大切にしたいものだ。

 ちなみに、この3人は、一人は元の会社の子会社で嘱託として働き続けていて、競馬と投資に熱心だが、投資の方針は私と大きく異なる。彼が成功するか楽しみだ。後の二人は退社し、一人は介護関連の会社で働き、一番の酒好きで話好き飲み会では私と彼がほとんどベラベルしゃべり続ける関係にある。もう一人は最近までビデオ制作会社で働いていたが今は無職で私と同じだ。彼には日々の生活はルーティーン化するのが良いと老後の過ごし方をアドバイスしている。この本ができたら読んでもらおう。
 この歳になると、会社を離れる人も出てくるが、会社の同期は付き合いが長いから大切にしたいものだ。

2)社会との接点がないことの弊害

 社会との接点がないことの弊害について少し述べる。
長いことルーティーンに従って同じパターンで暮らしていると、必ず、この時間にはこうしていないといけないみたいな脅迫観念にとらわれることがあるのも事実で、これは問題だ。時間がなくて朝の運動ができないと体重が増えるのではないかとか、ピアノを1日休むと覚えたところを忘れるのではないかと少し不安になる。

 考えもかなり硬直化しているのではないかと思うことがある。年寄りはよく頑固だと言われるが、自分もそのような傾向が出始めているのではないかと少し不安である。これが正しいと思うと持論を展開して周囲から煙たがられるという様な感じで。ニュース関連も時間があるからかなり時間をかけて読む。現在の政府の政策や、社会の色々な諸問題に対して、自分の持論が確立され、それに合わないものを非難するような発言をする傾向がある。社会と接点なく他の人の意見を聞かないで頭の中だけで生きているから起きることではないか。食事中にニュースを見ながら政府の政策批判、犯罪者批判などすると、家族から煙たがられる。言い方もかなり過激になっており(自分でもそんな気がする)聞かされる方は不快になるのかもしれない。注意が必要だ。

 会社にいたころは、どうしても常に人のことを気にする、発言するにも常に人がどう受け取るかと考えるが、家に閉じこもると相手は家族だけだ、どうしても配慮が欠けるようになる。困ったものだ。
かといって今更仕事もしたくないし、ボランティアなども面倒くさいので考えない。どうするか悩んでいることを記しておく。原理原則や正論を振りかざして若い人に文句を言うような年寄りにはなりたくないので注意しようと思う。

(8)ギャンブルについて

 麻雀を月1回やる話がでたので、ギャンブルに関する私の考えを少し述べる。麻雀は大学時代に覚え、4年間遊びとしてやってきた。レートも最低の点1か2だったように思う。学生なのでお金もなくこのくらいの穏やかなものだった。今の月1マージャンも負けた人が酒代を負担するというものでギャンブルというほどではないと思う。これでこずかいを稼ごうなどという考えはない。ちょっとした賭けはアドレナリンが出て少し気分が高揚するから好きだ。

 パチンコは好きではないしやらない。特に今はギャンブル性が高く、依存症の人も多くいて家庭崩壊につながるケースもあると聞く。パチンコ屋が儲けるだけだと気づいてこんなことは早くやめたほうがいいと思う。

 競輪競馬競艇はどうか?競馬を過去に1~2回場外馬券で買ったことがあるが、当然当たらない。こんなもの当たるはずないというのが自分の考えだ。単勝さえ当たらない。ギャンブルで儲けて家を建てたなどという人は、万馬券のあたった人ぐらいで宝くじに当たるより確率は低いのではないかと思う。深く入りこまないのが一番だと思う。ただ、競馬などは広い馬場をサラブレットが颯爽と走る姿に魅了されてファンになっている人もいるだろうし一概にダメといえるものでもないかもしれない。家族の生活費までつぎ込むようなギャンブルでなければ個人の裁量でやるのは人それぞれの判断だ。
 カジノ誘致について一言。世界でも一番ギャンブルが行われていて、家庭が崩壊するようなケースも多々あるのにさらにカジノなんて不要だと思う。

(9)愛犬のこと

 娘が私立中学合格のお祝いに買ってあげた犬はミニチアシュナウザーで「さくら」と名付けた。私が退職したのはその犬が家に来て2年目だったと思う。自然、散歩担当は私となった。散歩中の他の人や犬に吠えるでもなくおとなしい良い犬だった。家の中でもベランダから我々家族の様子をうかがうのに、立った姿勢でガラスを覗く仕草が、ガラスの反射を避けるため人と同じように首を曲げる動作でひょうきんな感じが可愛かった。運動の能力もジャンプ力など素晴らしかった。私の退職後の期間と11年もかさなり、さくらのお陰で退屈もしないで自分の毎日の生活リズムを作れていたと思う。良い犬だったが乳がんで11歳の少し短い寿命となってしまった。
腹にできた出来物を単なる腫瘍と考え様子見にしたのが手遅れの原因で、本当に後悔した。獣医に、犬は良性のケースが多いと言われたのがいいわけだが、真剣に考えてなかったのと、手術代が高いという理由もあった。
 娘は私が人との付き合いもなく孤立するのではないかと心配してまた犬をかったらどうかと提案してくれるが、今はまた犬を飼おうという気になれない。確かに犬の散歩は、他の犬散歩の知らない人とも一言二言のコミュニケーションがあるのでいい面はある。しかしさくらのことが忘れなれないし、自分には犬を飼う資格がないと反省している。12年の退職後の期間のほとんどを一緒にすごした本当にいい犬だった。人生には後悔することが沢山ある。

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              愛犬のさくら

(10)映画について

 午後は運動の後、15:00から録画映画を見る時間だ。BSやテレビ東京で録画した映画、寅さんシリーズなど見て過ごす。テレビ東京の映画は様々なジャンルを何度も繰り返し放映される。何度も見るので車が沢山壊されるカーチェイスや機関銃でバンバン人を殺す映画など食傷ぎみだ。SFX映画ももうあきた。行きつくところまで映像は進化して、もうやることないのではないかと思ったりする。スターウォーズなども第1作は、今の作品と比較するとチャチなSFXだが、ストーリ的には素晴らしいものがあり、技術の向上した今の作品の方がウーンという感じだ。不思議なものだ。そこへいくと寅さんなどはもう4回目になるがまだ見ていて飽きない。懐かしい昭和の街並みや文化を見ることができ、何度見ても同じシーンで笑う。特にタコ社長と寅さんのやり取りは傑作だ。笑いのほとんどはかなりこのシーンだ。あと好きなのは小津安二郎の東京物語や麦秋、晩春など原節子がいい。黒沢明の用心棒や七人の侍など録画してあり何度でも見る。良い映画は何度見てもいいのだ。洋画で好きなのは、アラビアのロレンス、ゴッドファーザー、ブレードランナー、タイタニックなども何度も見ている。マカロニウエスタンも好きで特にクリントイーストウッドの荒野の用心棒や夕日のガンマンが好きで何度でも見る。
 今はレンタルビデオで借りたい映画がない。つまり映画館まで足を運びたい映画がないのだ。単に私が知らないだけかもしれないが。録画映画でもたまに良い映画にあたって面白かったと喜べるときがある。
  さらに今はNETFLIXにはまっている有名俳優は出ていないがラブコメディが面白い。

(11)読書について

 時間があるので読書もしている。以前は本を自分で買って読んでいたが、いつのころからか図書館を活用するようになった。一回読んであとは本棚にしまい二度と読まないのが普通であり、無駄と思うようになった。実際無駄だ。お金もかかるし場所もとるし、最後は廃棄処理までやらなければならない。新刊はものすごく待たないといけなくてひどい時には200番ぐらい待つこともある。一年以上の待ちだ。でも図書館を活用し随分読んだ。妻も本が好きなので、お互い読んでおもしろかったものを薦めあって読んだ。あまり直木賞、芥川賞と話題の本を追いかけることはなく、好きな作家を見つけて面白いと思うと、とことん読んだ。

★好きでよく読んだ作家

 椎名誠 私小説、エッセイはほとんど読んだ。同じようなことをいつも書いているのだがアウトドアの男の集まりとか私生活の話しが面白い。
 新田次郎 山岳ものがほとんど。孤高の人、強力伝などほとんど読んだ。大学の先輩でもあり好きだ。
 葉室麟 時代物、全て読んだ。映画化された蜩ノ記は本も映画も素晴らしい。静かななかに男の生き方に共感する味わい深い映画だ。役所広司、岡田准一の演技もいい。
 司馬遼太郎 坂の上の雲、竜馬がいくは好きで、坂本竜馬の関連本をかなり読んだ。
 山本周五郎 時代物、ほとんど読んだ
 池波正太郎 時代物、剣客シリーズ、エッセイなどかなり読んだ。
 藤沢周平  時代物、蝉しぐれは映画もよかった。NHKドラマでは内野聖陽、水野真紀が演じて実によかった。バックに流れる胡弓で演奏されるテーマ曲がまた二人の思いを語るように悲しげなしらべだった。
 三浦綾子  氷点でとりこに、塩狩峠などほとんど読んだ。エッセイも好きだ。「母」は共産主義者の小林多喜二を扱った話で泣かずに読めない。
 宮尾登美子 櫂、岩伍覚え書、鬼龍院花子の生涯などほとんど読んだ。
 吉村昭   ほとんど読んだ。破獄、関東大震災、熊嵐、破船、白い航 跡、戦艦武蔵など史実に基づいた小説がほとんどでリアルさがすごい。
 遠藤周作  沈黙、海と毒薬、女の一生などほとんど読んだ。
 沢木耕太郎 深夜特急24時、一瞬の夏とかほとんど読んだ。
 帚木蓬生  三たびの海峡、逃亡、閉鎖病棟などかなり読んだ。
 加賀乙彦  宣告、錨のない船、生きている心臓、湿原などかなり読んだ。
    半藤一利  あの戦争と日本人、遠い島ガダルカナル、いま戦争と平和を語る、などは名著だ。二度と同じ過ちを犯さないために日本人として読みたい本。

お勧めは吉村昭だ。この人の小説はすべて面白い。ぜひ読んでほしい。
一番読んだのは椎名誠で気楽に読めてこれもお勧め。

(12)ハワイへの思い

 初めてハワイに行ったのは30代だった。お金もないので海から遠いコンドミディアムでそれでも11日間ぐらいの長い滞在だった。そのさわやかな気候に感動し、毎日ステーキを自分で焼いて、100円のバドワイザーをガンガン飲んで楽しかった記憶がある。その後しばらく行く機会がなく、50代になって2回行った。お金も余裕があったので、ハイアットリージェンシーとシェラトンの海の見える部屋に泊まって、やはり8日と長めの滞在だった。どちらもJALパックなので観光もいたれりつくせりで満足の旅行だった。特にシェラトンは28階のスイートルームでワイキキビーチとダイヤモンドヘッドもよく見える素晴らしい部屋で、プールも海に迫り出したインフィニテイプールで楽しい時をすごした。(表題の写真)

 ハワイのどこがいいと言って、やはりその快適な気候が素晴らしい。暑いのだが日本の夏のように蒸し暑くないのだ。ベランダに吹き込む海からの風は気持ちよく、そこで飲むビールは最高だ。夕方はサンセットを見ながらビールを飲む。これは本当に至福の時だ。グアムやサイパンなどは蒸し暑く、ビーチもショップ街も人が少なくさみしい。よく日常から離れるために人のいないビーチが良いなどと思う人もいると思うが、タモン湾のビーチにまばらに人がいて、それは東洋系の人たちばかりという光景もさみしい。やはりハワイのにぎやかさが良いのだ。ハワイをよく言うために少しグアム、サイパンを悪く言ってしまったが申し訳ない。グアム、サイパンも何度か行っていていいところは沢山あるのだ。グアム ヒルトンのベランダから見たタモン湾の美しさは素晴らしい。海もきれいなのだ。

 妻はもう学生のころから行っていて5回にもなる。海外に行くならハワイが一番と言っており、60代は毎年でも行きたいと思っていて、今年も1月にはJALパックでシェラトンを予約していたがコロナで中止となり、非常に残念だった。来年以降もどうなるのか見通しは立たないが、行けるようになったらまた行きたい。もう人生も終盤なので年に1度ぐらいこのような楽しみがあってもいいと思う。退職後の楽しみを皆さんも見つけてほしい。

(13)音楽について

 最初に洋楽にふれたのは小学5年の時、シルヴィバルタン「悲しみの兵士」との出会いだ。兄の通う中学の文化祭に行って偶然聞いたこの曲に惹かれ兄に話したら、兄がレコードを持っていてかけた曲だとわかった。以来兄の部屋に不在時に入りこみ何度も聴いてとりこになった。レコードジャケットのシルヴィは若く魅力的で田舎の子供の心をとらえた。それこそ「あなたのとりこ」になった。

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所有するシングルレコードのジャケットより

 兄の洋楽レコードで色々聴いたが、レッドツェッペリンの「移民の歌」などは小学生の私にはまだ受け入れる素地がなかった。おーなんだこれは、インデアンンの襲撃か?という感じ。まあいい曲なんだが小学5年生にはちょっとまだ受け入れ困難だった。ポップスではショッキングブルーの「悲しき鉄道員」「ビーナス」アルバートハモンドの「落ち葉のコンチュルト」ジェリーウォーレスの「男の世界」レターメンの「ミスターロンリー」などすべて覚えていないが色々聞いた。ジョンレノンの「マザー」などは鐘の音とジョンの声が心にしみこむグッドサウンドだった。

 中学に入ると初めてシルヴイバルタンのアルバムを自分で買った。このころはポップスが好きでカーペンターズとかミッシェルポルナレフとか聞いていたように思う。このころロックはデヴイッドボウイ、TREX、スージークアトロ、エルトンジョンなど人気でまあ聞いたがまだポップスの方が好みだった。高校に入るとロック好きの友達が多くいて、いろいろ聞くようになりロックに傾倒していった。クイーン、エアロスミス、KISS、ボストン、イーグルス、チープトリック、ディープパープル、シカゴなどが人気だった。
 大学に入ってからはお金もある程度自由になるので、自分でアルバムも少しは買えるようになり集めだしたが、それまではラジオを録音するぐらいで、学校帰りにレコード店でアルバムをほしいなあと思いながら買えなかった。レコードのジャケットというのはそれなりに魅力的なものが多く、高校のときKISSのライブアルバムがかっこよくてほしいなあと思いながら買えなかった。
 今までに大きく魅了されたミージッシャン(アルバムをほとんど持っている)

1)シルヴィバルタン
 「悲しみの兵士」「あなたのとりこ」「愛の経験」「愛のかたち」「思い出のマリッツォア」「アイドルを探せ」すべてが好きだ。私を洋楽に導いてくれたシンガーだ。彼女が好きで大学ではフランス語を第二外国語で選択したがものにならなかった。アルバムは11枚ぐらい所有。本当に好きでパリに行ったら会えるだろうかと真剣に考えた。日本のライブにも当然行った。

2)山口百恵
  中学時代からすきだったが、大学時代に惜しまれて引退した。その社会的盛り上がりに巻き込まれた面もあるが、お金もないのにほとんどのアルバムを買った。いまはさすがに聞かない。

3)カルメンマキ&OZ
  大学受験で東京に出てきて、一人兄のアパートを借りて住み、聞いたセカンドアルバム「閉ざされた町」のイントロダクションから「崩壊の前日」と続くメドレーのマキのシャウトに魅了された。これはなんだ、スゲー。大学受験中なのに繰り返し聞いた。OZのファーストアルバムとあわせて完全に虜になった。「私は風」が代表曲だが全ての曲が良い。残念なことにザードアルバムとライブアルバムを出して解散した。その後カルメンマキはソロとなっていろいろなユニットで活動したが、どれもウーンと言う感じだ。OZのギタリストの春日博文がいたからの曲がよかったのかもしれない。

4)レッドツェッペリン
  いまさらなにか言うまでもないが、高校のころライブアルバム「永遠の歌」についてその評価に関して友達と議論したのを覚えている。大学時代この映画を1回の入場で3回続けてみた。アルバムは、フィジカルグラフィティ(カセット録音はある)以外はすべて持っている。リアルタイムでファンだったというより、大学時代にアルバムをそろえることでファンになっていった。中でも「アキレス最後の戦い」は名曲。これぞロックだ。

5)ABBA
 アバは大学時代から社会人なりたての青春の時代に最高のポップスを提供してくれた。「ダンシングクイーン」のイントロを聞くと大学時代が一瞬にしてよみがえる。その他「チキチータ」「悲しきフェルナンド」「サンキューフォーミュージック」など全て好きだ。(2021・11追記:ニューアルバム:ヴォイヤージが出て関連映像をユーチューブで見たが、年老いたアグネタとフリーダを見て悲しくなった。あわせて見た若いころのABBAの映像に泣きそうになった。人は歳をとるのだと。輝いた人たちも歳をとり老いるのだと。

6)門あさ美
 80年代は少し年上の色気のある女性シンガーが多く出た。麻倉未稀(ラヴアゲイン)、山根麻衣(Will)、中原めいこ(午前2時のシンデレラ、Mint)、白井貴子(PASACAL)。どれも好きだった。なかでも門あさ美は全てのアルバムをもっている。なかでも「Fascination」「Sahet」「セミ ヌード」はベストだ。シングルは「月下美人」が有名だが、「ファッシネーション」「モーニングキッス」「Lonely Lonely」「Season」「お好きにせめて」などアルバムに入っている曲は全て良い。

7)山下達郎
 いまさらなにか言うまでもないが、大好きなミユージッシャンだ。ライドオンタイムのヒットで知り、82年のアルバム「メロディーズ」を買い「クリスマスイブ」「悲しみのJODY」「高気圧ガール」で魅了された。「クリスマスイブ」は88年にJR東海のCMでヒットする前にこの曲はすごいと注目した。6年かかってチャート1位となった曲で、いまやクリスマスの定番曲となった。このアルバムは名作だ。今好きなのはユーチューブで見られる「LOVELAND ILAND」だ。足の長い美女がコテージのある孤島の渚を歩く映像を何度も見た。是非お勧めだ。あとついでに大滝詠一の名作「A LONG VACATION」は80年代に青春を過ごした年代には語らずにおけない名作なので追記しておく。こんな名作は二度と生まれないと思う。

8)エンヤ
 いまさらなにか言うまでもないが、30代仕事でストレスをためている時代にセカンドアルバムを偶然購入してファンになった。なんて心が落ち着くやさしいアルバムなのだと魅了された。なかでもカリビアンブルーが好きだった。アルバムは全てもっている。「雪と氷の旋律」いらい長らくアルバムがでなかったが、「ダークスカイアイランド」が出てうれしかった。その後ニューアルバムの話が聞こえてこないのが残念だ。

9)コールドプレイ
 ツタヤで偶然借りた「静寂の世界」に魅了された。「イン マイプレイス」「クロックス」「サイエンティスト」が素晴らしい。その後「X&Y」、「美しき生命」「マイロ.ザイロト」「ゴースト ストーリーズ」「ア ヘッド フル オブ ドリームス」と立て続けにヒットアルバムを出している。これらのアルバム全てが良い。最高のグループだ。このグループに出会えたことを幸せに思う。21世紀は始まったばかりだが21世紀最高のロックグループだと思う。古いロックグループを除くとこのコールドプレイとミューズが新しいところで最高。早く新しいアルバムを出してほしいしライブにも行きたい。ミューズの「スターライト」や「マーシー」は名曲でアルバム「レジスタンス」も最高だと付け加えておこう。

★衝撃を受けたアルバム
 82年発売のエイジア「詠時感 時へのロマン」だ。これはすごいとまさに衝撃を受けた。元キングクリムゾンのジョンウェットン、元イエスのスティーブハウ、元ELPのカールパーマー、元バグルズのジェフタウンズという豪華メンバによるスーパーグループのファーストアルバムだ、そのあふれる音とメロディアスな曲に圧倒された。一度聞くことをお勧めする。

 これらのグループのアルバムは今も好きな音楽として聴き続けている。こういう趣味は生涯続くので大切にしたい。

(14)その他のこと
  
 趣味はあまりないが、唯一子供のころから好きだったものにボクシングがある。元々格闘技は総じて好きで、K1やPRIDEもよく見た。始まりは小学生の頃見たプロレスだ。馬場、猪木のプロレスが好きで、外人レスラーも黒い魔人ボボブラジルとか人間台風ドンレオジョナサン、鉄の爪フリッツフォンエリックなど好きだった。しかし父がこれは八百長だと繰り返す言うものだから、確かにそうかなと思うようになりいつの間にか離れていた。
 ボクシングも小学生のころからほとんどの世界戦を見ており、輪島紘一や具志堅用高など好きだった。90年代では辰吉丈一郎が好きで、彼に2度の勝ったタイのウィラポンはすごいボクサーだと思った。そのウィラポンに2度も勝った長谷川穂積、そのあとバンタム級のチャンピオンになった山中伸介と日本はバンタム級でファイティング原田以来、歴史に名を残している。
階級は違うがスーパーフェザー級の内山高志も好きだった。
そして今、井上尚弥が歴史的快挙のバンタム級4団体統一にまい進中。
先日のジェーソンモロニー戦など、もう3回も録画を見直して、そのスピード、パワー、技術に驚嘆している。

 なぜ、ボクシングが好きなのか。
いまだに強いものにあこがれる子供ごころもあるが、一発のパンチで天国と地獄に分かれる真剣勝負がスリリングで好きなのだ。勝てばお金、名声、全てを手に入れ明るい未来が見えるが、負ければ全てを失ってしまう。
極限の減量のなかで、ち密に相手を研究し、練習して自分を追い込み、万全の体制で臨んでも負けることがあるわけで、どんな強いチャンピオンもいずれ負ける時が来る。この非情さも、なにか人生に似ているよう思える。どんなに名声や富を手に入れてもいずれ人生が終わるときがくるわけだ。

 ついでに好きなTV番組でいうと、釣り番組(釣り人万歳、釣り百景、The Fishing)、BSの深夜にやっているSONG TO SOUL(洋楽の名曲がどう作られたかを追いかける)、テレビ朝日の人生の楽園(リタイアした人の話で参考に見ている)、小さな村の物語 イタリア(故郷の村に暮らす人々の暮らしを描く)、NHKドキュメント72hours(色々なスポットに集まる人々から見える人生模様)、NHKのプロジェクトX(日本を支えてきた技術者たちの困難を乗り越える姿で、中島みゆきのヘッドライト・テールライトが流れるといつも込み上げてくるものがある感動ドキュメントだ)、テレビ東京の家ついて行ってイイですか(いろいろな人の家庭生活を少しのぞき見できる)は録画してみている。
  
 そのようなわけで、話の脱線ついでに自分のずっと続いている趣味や好きな番組の話をした。老後はやはり何か好きなことがあった方がいい。楽しみが必要だ。

7.60代の暮らしとこれから
  2020年12月時点で62歳

(1)資産の実態
    
―株式(購入原価ベースで)4774万円
 1100万円分減:生活のため売却済
―預金 XXX万円(家計予備費)
 51歳時点であった預貯金は60歳で年金がでるまでの10年間で使い果たした。今ある分は新たにゆとり資金から作り出した。

(2)収入

―企業年金58万円        (3階)
―個人年金80万円        (4階)
―退職金年金138万円      (5階)
―配当180万円         (6階)
 合計456万円(税引き前)配当は20%源泉徴収されて振り込まれる。年金もそれぞれの税率で源泉徴収されて振り込まれるのでこれより金額は少なくなる。妻のピアノ教室レッスン費80万円、娘の障碍者年金98万円を合わせて生活しておりとくに困っていない。計634万円

(3)支出(2020年度生活費予定)

 ―324万円(基本的な生活費用)
 ―61万円(保険)
 ―26万円(固定資産税+住民税+ガン検診)
 ―155万円(雨漏り修理費用)
 合計566万円かかる予定だ
    
 ★保険内訳
  健康保険506000円
  自動車保険41290円   
  団体定期全労災(生命、火災)28800円
  ガン保険(アフラック)20700円
  年金(妻の最後の1か月分)16400円

(4)これからの資金計画

 来年2021年4月に63歳になる。老齢厚生年金が加算され自分の収入は100万円ほど増え560万円となる。さらに65歳から老齢基礎年金が加算され、厚生年金満額もらうので640万円になり生活には困らない予定。

 生活費を引いた残りのゆとり資金は基本的に家計予備費とする。厚生年金を満額もらう65歳からは特別な支出がなければゆとり資金は年400万円できる予定。

★今後の特別支出予定

―娘の結婚式200万円
―家の壁、屋根リフォーム 500万円
―浴室、洗面所リフォーム 300万円
ーキッチンリフォーム 160万円
―海外旅行(ハワイ)費用
 100万円/年で800万円
―階段昇降機補修150万円

 車は2019年にエスクワイアを新車で購入したのでこれが最後かと思っている。(最低17年は乗るので)ちなみ私は今まで就職してから4台しか車を購入していない。前車のイプサムは17年乗った。まだ乗りたかったが妻の反対でエスクワイアに買い替えた。車を何台も買い替える人がいるが無駄だと思う。3年ぐらいで買い替えれば高く売れるというが結局長い目で見ると単価の高いものになるのだ。私はそういう経済観念で暮らしてきた。だいたい動く車が廃車されるのは資源の無駄だろうという思いがある。鉄資源は有限なのだ。
  
 参考までに試算してみる。
300万円(諸経費込み)の車の場合(便宜上保険などは除く)
3年乗り150万円下取りで新車を同じ価格で購入乗り換えた場合、15年での経費は300+150×4台で900万円
15年乗ると車検に1回15万円が6回と修理20万円が2回あったとした場合の経費は300万円+15万円×6回+20万円×2で430万円となる。買い替えた場合の半分ですむ。車は古くなるが。環境にはやさしいし懐にもやさしい。きれいな車に乗るのに470万円多く支払うことの是非は個人判断だ。

8. 健康について

 お金があっても健康を害してはなんにもならない。
日頃から健康に注意しているつもりだが色々な病気にかかった。昔、疑惑の総合商社という言葉があったが、これではいわば病気の総合商社だ。しかし我々の年代ではこれが普通なのかもしれない。甘い物好き、酒好き、食い意地がはって大食い、これでは健康も損なわれる。

―高血圧(薬で対処中)
―高脂血症(薬で対処中)
―狭心症(薬で対処中)最近不整脈が出始めた。
―大腸ポリープ(2年に1回内視鏡検査)
―胆のうポリープ(毎年エコー検査)
―萎縮性胃炎(毎年内視鏡検査)
―逆流性食道炎(毎年内視鏡検査)
―白内障(薬で対処中)

なぜこのようになったか自分なりの分析を記す。

★高血圧
 若いころは塩分の害を知らなくて、カッパエビセンに食卓塩をかけて食べたり、インスタントラーメンの残り汁にご飯を入れて食べたりの塩分取りすぎが原因したと思われる。20代から血圧は高かった。無知が原因。

★狭心症、高脂血症
 朝食に某パンメーカのショートニングを含んだ食パンにマーガリンを沢山ぬって食べたことで、飽和脂肪酸をとりすぎ血管に蓄積した。これも飽和脂肪酸が心血管疾患の原因であると知らなかった無知による。こんな食生活を30年も続ければ身体もおかしくなる。

★萎縮性胃炎、逆流性食道炎
 実家には井戸があり水道もあったが井戸水を好んで飲んでいた。大学入学で故郷を離れる18歳まで続いた。これでピロリ菌に感染したと思われる。さらに仕事のストレスで胃はずたずたになったと思われる。ピロリ菌は除菌したがもう遅い。ピロリ菌検査をお勧めする。

 皆さんも注意してほしい。知らないで身体に悪いことを何十年も生活習慣として続けるとそのダメージは大きいことを。

 対策として年1回のガン検診は妻とふたり必ず受診するようにしている。さらにいろいろな食事制限やサプリメントの利用、TVの健康番組でよいと言われた食品を摂取している。妻はそんな私を健康オタクだという。確かにそうだと自分でも思う。とにかくTVの健康番組大好きだ。

 以下はその一部の取り組みだ。
 ―EPA、DHAサプリメント(味の素)
 ―ヴィフィーナビフィズス菌(森下仁丹)
 ―たまネギ水(血管を柔らかすく)
 ―こぶ水(こぶのだし汁)
 ―夕食に納豆(血管予防)
 ―青魚(サバ水煮)
 ―フルーツ&ヨーグルト
 ―えごま油(パンにぬる)

 他に普段の食事では食塩を控えている。
減塩醤油に減塩味噌を使用。みそ汁はすごく薄い味にしていて1日1回のみ。家庭で作るパンは塩なし。だから市販のパンを食べると塩を食べているみたいに思える。納豆にかけるダシは2~3滴、ラーメンのだしのラードは入れないで半分しか入れない。薄味は慣れればどうということはない、それが普通でおいしいと思える。ちなみに娘は外食の機会が多く、味の濃い物ばかり食べているから薄味に満足しない。だいぶ私の味つけには不満のようだ。また、酒だけはなかなかひかえられない。以前は週休2日だったが、今は週休3日にして木金土日のみとしている。ただここぞとばかりに飲むので飲む量は多くなる。ビール500缶2本、ワインボトル半分が1日の量だ。狭心症でかかりつけの医師は中性脂肪が多いから酒を控えるように言うがなかなかむずかしい。

 健康に関係する話として喫煙について思うところを少し書く。私も大学入学と同時に、友達の喫煙するのを見てなんとなく吸ってみた。これが始まりで25歳に喫煙をやめるまで一日1箱(多い時には2箱)の喫煙者であった。まったく健康を害することを7年間も続けたものだ。

 なぜやめることができたか?当時カゼをひいているにも関わらず喫煙し、喉を傷めて淡に血が混じった。なぜこうまでして喫煙するのか自分でも馬鹿らしくなったのがきっかけだ。運よく自分はやめることができた。そして嫌煙家になった。

 人のせい、社会のせいにするようだが、当時はTVで俳優がかっこよくたばこを吸うシーンがなんども流され、若い男はその影響を大きく受けた。男らしさの象徴にタバコを吸うというスタイルがあった。おかしな時代だった。今はそのような映像はほとんどないが、寅さんの映画が好きで今もTVで見るが、俳優がお茶の間で女子供がいるのにぷかぷかたばこを吸うシーンが出てくる。なんて時代だと思う。自分も喫煙により多くの人に嫌な思いをさせていたのかと思うとやりきれない。タバコを吸わないのに肺がんになる人も多くいる。煙草をやめた後も、色々な会議ではプカプカやる人が多くいた。会議室が煙っているのだ。向こうが見えないぐらいになる。でもやめてくださいと言えない時代が長く続いた。ひどい時代だった。今でも、歩きタバコする人がいて、その後を歩くと全て煙が自分の顔にかかり、またとなりの家で、外で喫煙する煙が、さわやかな季節に玄関を開けてそとの風をいれようとすると入ってきて不快な想いをするなど喫煙の害は数多くある。家の中で吸ってと言いたくなるし、喫煙規制をもっと厳しくやってもらいたいと思う人は多くいるのではないだろうか。煙草を吸う人にはすまないが。喫煙所ですうようにしているのはわかるが、それでも知らないところで人に煙を吸わせている場合があることを意識してほしい。

 私の会社の同期の女性で煙草を吸わないのに、肺がんになり50代で亡くなった人がいる。夫が煙草を吸ったかは分からないが、会社で長いこと事務所喫煙が認められていたことが原因した可能性は大いにある。自分もそのころ喫煙者だったから、それらの影響かと考えるとやりきれない。同期一番の美人だったのでなおさら悲しい。(入社して2か月でデートに誘って断られた思い出の人だ)

 娘に付き合う相手は、「暴力を振るわない」「煙草を吸わない」「パチンコなどギャンブルをやらない」「生活力のないのはダメ」と言ってきた。

 横道にそれたが、健康もいくら注意していても病気にかかるときはかかるのだ。だが、だからと言っていい加減にしておきたくない、自己責任なのだ。できるだけの対策はとることが大事だと思っている。皆さんも健康に配慮した生活をしてください。

9. おわりに

 今年は新型コロナの問題で社会は混乱している、将来は不透明で、私も家族でハワイ旅行を9月に予定していたが中止となった。1月にJALパックで予約したシェラトンホテルの28階スイートルーム(3年前に泊まって最高だったので)がパーになってしまった。毎年ハワイに行こうと考えていたがなかなか思うようにはいかないものだ。しかしまた次があると思って計画しなおす。

 人生はお金が全てではないし、初めに書いたが高級外車もリゾートマンションも高級な服を着たいとも思わない。ただ普通に生活できればいい。しかしできれば退職してまで、発泡酒は飲みたくないし、好きなプレミアムモルツを飲みたい。そんな生活ができればいい。年とってまできゅうきゅうとした生活をしたくないとも思う。そして年1回ぐらいハワイに行って贅沢してもいいだろうとも思う。

 だがそのためには、年金だけでは心もとないのも事実だ。それなりの準備が必要で、それは自己責任の範囲なのだ。無いならないなりに生活できるかもしれないが、自分がどういう老後を送りたいかと考えて、必要な準備を計画的に進めていくべきだと思う。ハワイに行きたければそれだけ自分で準備する。自己責任なのだ。キリギリスになりたくなければ時間をかけて準備することだ。「老後2000万円必要」の議論も、標準的家庭をモデルに平均値で不足分を目安で出しただけで、ワーワー騒ぐ話ではないと思う。昔から年金の少ない人は少ないなりに暮らしてきた。自分の生活実態と年金予定金額をちゃんとつかんで、自己責任で不足と思うなら早くから準備することだ。
 年金以外に収入の計画を早くから考えて実施し老後に備えれば、50歳とまでは行かなくても自分の考える年齢で退職して、好きなことをする人生を選べるはずだ。全て自分次第だ。

 仕事を生きがいにして70歳、75歳と働くこともそれを希望する人はそれでいいと思う。仕事をやめると、人との付き合いが極端に減るし、さみしい面もある。いいことばかりではない。自分自身、会社の同僚と宴会などしているTV映像、新橋で酔っぱらったサラリーマンのインタビュなどTVで見ると会社勤めの人を羨ましいとも思う。酔っぱらって会社の愚痴を言うそんな会社員を羨ましいと思う、仕事をしないでも暮らせる自分がいる。変な感じだ。今の生活で良かったのだろうかと思うときもあるが、こういう選択をしたのは自分で、それが自分の人生なのだと考えるようにしている。なにが正解かなんてだれにも分からない。

仮に60歳まで働いていたら役職定年の55歳までかなり給料をもらうから退職時は1億5千万ぐらいの金融資産になっていたかもしれない。だがそれで何をする?リゾートマンションや外車を手に入れて友達に自慢するぐらいでどうということはない。そんなに必要以上に金を持っていても使わないのだ。だからそんなに必要ない。
 人それぞれの人生で、希望する老後に備えて準備することが大事なのだ。本書が、読者が自分なりの人生設計を考えるきっかけになれば幸いである。なるようになるのが人生だが、できるだけ自分の望む人生にしたいものだ。人生は一度きりだから。鬢糸茶烟の感を抱く年齢にはまだ早いがそのような感慨をハワイで、故郷で海を見つめながらもちたいものだと思うこのごろ。(海を見ながら我が人生を振り返り、大学時代につきあった彼女、会社時代つきあった彼女はどういう人生をおくったのかな、など思いながら)
 最後に不動産購入のための住宅ローンの組み方、預貯金をどう預けるか、株投資の方法に関して私が述べた内容がベストではないし利益を保証するものでもない。重要ポイントの指摘事項も私個人の考えでしかない。各人の判断、責任で実施することをお願いしたい。


  スペシャル サンクス

 工場(こうば)の上の部屋に10年住まわせてくれ、その跡地に家を建てさせてくれた今は亡き義父と子供たちの面倒を見てくれた今も元気な義母に感謝。
 大学に行かせてもらい米や野菜を何十年も送り続けてくれた故郷の認知症になってしまった父と今は亡き母に感謝。(2022年1月父も逝ってしまった)今の生活は両父母が築いた礎の上に成り立っていることを記して回想録の筆をおく。



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