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バビロン・ベルリン4作目を読み、東プロイセンとシャルケの関係を考える

ドイツ発の人気ドラマ『バビロン・ベルリン』。原作は全10作からなり、1作ごとに1年が経過する設定になっている。ヴァイマール共和国の終わりから、ナチ時代と第二次世界大戦へなだれ込む10年間を、ベルリンを舞台に描く壮大なシリーズだ。ドイツではすでに8作目の『Olympia』までが出版されている。『Olympia』はタイトルからすると、1936年のベルリン五輪が描かれているに違いない。さらに9作目となる『Transatlantik』はこの10月に発売予定となっている。

日本ではゲレオン・ラート警部シリーズはこれまでに3作が翻訳されている。しかし今はどれも絶版状態で、シリーズの続編も出版されないままだ。このまま続きは日本語ではもう読めないのだろう。諦めて第4作『ファーターランド文書』を英語版で読んでみた。(ところでこのシリーズは本当にドイツ以外では人気がなく、『The Fatherland Files』は英語版の電子書籍もすでに発売されていない)

4作目の序盤はラートとロッテちゃんの話が冗長で、訳されないのはこのせいなのか?と思ったが、東プロイセンのマズーリ地方が舞台になる辺りからどんどん面白くなる。

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Volker Kutscher "Die Akte Vaterland"

この地域に関して知識がないので、ネットで背景を確認しながら読み進めた。第一次世界大戦後、西プロイセンがポーランド領に帰属したため、東プロイセンはポーランド国内にドイツの飛び地のように残された。マズーリ地方は東プロイセンの南側にあたる。ドイツとポーランドとの関係や、ゲルマン化教育を受けたプロテスタントのマスリア人が、カトリックであるポーランド人と混同されることを嫌ったこと、マズーリでドイツとポーランドのどちらに帰属するかを住民選挙で問うたところ、全て東プロイセンへの帰属を選んだことなどすごく興味深い。

さらに調べているうちにシャルケとのつながりにぶつかる。19世紀には東プロイセンからルール地方へ多くの移民が入植していて、シャルケは当時ポーランド風の名前の選手が多かったので、Polackenverein(ポーランド人のクラブ)と呼ばれていたらしい。

入植後の第二世代となる選手たちは全員ゲルゼンキルヒェン生まれで、この内8人の両親がマスリア人。有名なシェパンやクツォラなどもそうだった。マスリア人はポーランド人と同一化されることを嫌い、ドイツ人以上にプロイセンであることを体現しようとしたそうなので、プレーにそういう傾向があったのだろうかなども個人的に気になる。

実際には当時のシャルケはプロイセン的というよりも、スコットランドの影響を受けたダイレクトのショートパスを多用したプレースタイルだった。Schalker Kreiselスタイルは今で言うとtiki -taka。マスリア人、ポーランド系がそういうスタイルに寄与したのか、あるいは全く関係ないのかなど興味はつきない。

小説に話を戻そう。ラート警部シリーズを4作目まで読んだ中では『ファーターランド文書』が一番面白かった。この当時、ベルリンにはハウス・ファーターランドというフードビルがあり、世界中の民族料理やドイツの郷土料理が楽しめた。このファーターランドで殺された人物の背景をたどるうちに、ラートはマズーリ地方にあるTreuburgという町へ導かれていく。過去にMarggrabowaと呼ばれていたこの町は、住民投票で東プロイセンを選択したことで、ドイツに対する忠誠を称えられ、Treuburg(忠実な城)という名前に変更されたのだ。

マズーリ地方に端を発する過去の出来事も陰惨で、深い森の中をさまようラートの運命にもハラハラする。そして謎の生き物の正体は? 読み進むうちに、この地の人々にとって『ファーターランド』(父なる土地)とはいったい何だったのだろうかという問いかけが重く響いてくる。できればもう一度日本語で読みたいので、日本での出版を切に願う。

参考サイト
https://de.wikipedia.org/wiki/Ruhrpolen
https://de.wikipedia.org/wiki/Schalker_Kreisel
https://en.wikipedia.org/wiki/Masuria
https://halbfeldflanke.de/2015/12/der-schalker-kreisel/

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