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Aro/アロマンティックの恋愛と結婚

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アロマンティックを自認する私のセクシャルと、それにまつわる恋愛・結婚のアレコレについて。
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セクシャル〈アロマンティック〉を知ったときー私の場合

深夜のタイムラインを回遊中に流れてきた「anone診断」を、何気なくやってみた。いわゆるセクシャル診断。いかんせん恋愛経験が乏しいので、質問にピンと来ないながらもほぼ直感でサクサク答える。こういう自己分析系は昔から好きだ。 4つに分かれた、私の分析結果はこうだ。 【こころの性】シスジェンダー 【恋愛指向】アロマンティック 【性的指向】ヘテロセクシャル・サピオセクシャル 【表現したい性】ノンバイナリ― ざっくり言えば、私は女性の身体と女性のこころを持ち、異性に対して性的な

父母へ 結婚しない私より

地元は結婚・出産ラッシュ。父母が結婚し私を産んだ歳は当に過ぎた。 私を想ってなにも言わないあなたたちも、きっと思うことが増えてきたことでしょう。 これでも大変申し訳ないと思っているのです。 大学へ行かせてくれ、留学までさせてくれ、国の権威にも選出され、果ては大手企業か国家公務員かと好き勝手言う親戚をよそ目に、地方のベンチャー企業に就職したこと。 そのときも、やはりあなた達はなにも言わず、ただ私の門出を祝福し、「好きにしなさい」とだけ。でも知ってます。近所の口さがない世

奢られてきた私は割り勘派

男性と出かけたとき、「割り勘」というものをしたことがない。 私は九州生まれ九州育ち。いわゆる「九州男児」がいる環境で幼少期から大学生時代を送った。だからなのか、たまたまなのか、もしくは私の態度がなにか問題があったのか。 これは恋人だけじゃない。友人としての長い付き合いで、「私達ナイよね」と互いのポジションを明確に確認し合っている男友達ですら、「割り勘」ではないのだ。 さすがに全額支払ってもらうことはないものの、食事へ行けば、男性側が千円札を多めに出すとか、食事は割り勘で

幼馴染の出産に、私は人生の価値を問う

私はこの人生において、基本的に出産しないつもりでいる。自分の子とは言え、十月十日のあいだ精神と身体を他人に明け渡すなんて考えられない。 自分自身の出産に対する希望の有無がはっきりしているので、幸い妊娠・出産に対する妬み嫉みはない。だから、大丈夫だろうと、だれかの幸せを一点の曇りなく祝えると信じていた。 幼馴染が出産した。彼女は、地元を出るまで人生のほとんどを共に過ごしてきた、友人とはまた違う、「幼馴染」としか表現できない大切な存在。彼女の母としての新たな門出と、愛おしく輝

「どこにいても愛してるよ」と言われたので一人でいる決意ができた

2021年は私にとっては珍しく、恋愛、もとい人間関係に対する考え方において激動に1年だった。ことの発端は、夏。これから長い時間を共に過ごすだろうと(勝手に)思っていた人が私のもとを去ったから。 この出来事に、私はかなりのダメージを受けた。身勝手で、我儘で、相手を慮りもしないくせに優しさに甘えて、そういう自分自身を認めては、激しく自己嫌悪する。ことあるごとに不正解を選んできたように思えて、これまでの楽しい時間すら振り返るのが辛くなる。 これじゃあ駄目だと私はマッチングアプリ

だれか人生の取捨選択について教えてほしい

「La La Land」は主人公ふたりが成功したから涙涙の良い話で終わったわけだけど、現実はどうだろう?夢のために大切な人を手放して、夢破れたら、一体手のひらにはなにが残るだろう? そんな恐怖がチラリズムして、それでも私も「真冬のセーヌ川に飛び込みたい」と、ミアのオーディションを聞きながら滂沱の涙を流した深夜2時。 ミアとセバスチャン(セブ)の恋愛を軸に夢追い人としてのふたりを描くこの映画、どうも賛否は分かれたらしいけれど、私は惜しみない拍手を送りたい。 なにを貫き、な

「魔の25歳」を抜けた26歳独身が、結婚について思うこと

両親の25歳と私が描いた25歳、そして現実の25歳。 結婚について、一番身近なのは両親だと思う。 私の両親は小中学校を同じ場所で過ごし、19歳で付き合い、22歳で結婚、25歳で私を産んだ。”とんとん拍子”とは彼らのための言葉なんじゃないか。そう思えるほど、順風満帆。実際のところは知らないけれど。 だからなのか、私が結婚について未来予想図を描くときも、なんだかんだでスムーズに事が進むと思っていた。 大学もあるし22歳で結婚は早すぎるけど、25歳にはきっと結婚するか、もし

アロマンティックの私とこれからに向き合う ~できれば誰かと手を繋ぎたい

「アロマンティック」という概念に出会ってから2年が経ち、さらにこの1年間でいろいろと気づくこともあったので、年末にかこつけて振り返りつつ素直な心境をまとめたい。かなり超大作になってしまったので読む際は飛ばし飛ばしでどうぞ。 アロマンティックにたどり着くまでとその心境は以前つらつらと書いたので、ここでは省略。 第一の選択は、他人と共に生きるか、独身街道を爆走するか。 恋愛以外の方法で信頼関係を結んだ他人と人生を共に歩む、又は独身街道をこのままひた走る。アロマを知ったとき、

友人の結婚と出産を、私はいつまで喜べるだろう

私にとって結婚や出産はそれほど重要ではない。 そうは思っていても、世の中には結婚式のキラキラ広告や幸せいっぱいな子供のいる家族像が溢れている。とうとう私のインスタにも、結婚式場の広告が入るようになり、やはり一般的にターゲットとされる年齢になったのだと実感する。 「多様性」という言葉が闊歩するようになったところで、目や耳に否が応でもでも入ってくる情報というのは、どうしたってマジョリティに基づいていて、それらは(特に20代~30代の女性に対して)幸せな家庭像に集約しがちだ。

あまりに悲しくておひとりさまラーメンデビューした記念

「セクマイである自分に酔ってるだけでしょ」 * 生まれて初めて1人でラーメン屋に入った。案内されたカウンターでこてこての豚骨ラーメンを知らないおじさんと隣り合わせになってすすった。5分もせずに完食。それで、少しだけ悲しみが薄れた気がした。やっぱり脂肪と糖はいついかなるときも人生の味方だと思う。 10年来の友人のうちに泊まりに行った。彼女は社会問題や人権意識にも興味関心を持ちながら、プライベートでは恋愛に期待したり恋愛に傷ついたり、たまに”病み期”に入ってメソメソしながら

「恋せぬふたり」をみて思い出した、私の”あるとき”

あるとき、友人宅に泊まりに行った。学生来の付き合いで、私の気の置けない友人のひとりだった。 結婚・出産の話になった。私は買ってきたいつもより少しお高めのビールを開けながら「出産したくないし、したい気持ちもあまり分からない」と言った。すると、生物学上おかしいと全否定された。いろんな方面から私の考えを“正そう”とする話のあとに「いつかそういう人に出会えたら分かるよ」と言われた。翌日、私はなんとなく足早に彼女の家を出た。 * あるとき、会社の上司からプレゼントをもらった。食器

アロマンティックの"結婚"について -NHK夜ドラマ「恋せぬふたり」-

NHK夜ドラマ「恋せぬふたり」をみて、アロマの私が思ったことを書き綴る。※ドラマ感想ではありません 私はアロマンティックを自認している。 アロマだとわかったのはここ最近。これまで"恋愛フラグ"が分からなかったり、距離感を間違えたりして、傷つけてしまった人たちにとても申し訳ないと思いつつ、ずっと感じていた世間との微妙なズレはこれか!と大いに納得した。感動すらした。 でも、そこが始まりだった。 恋愛感情がないというのは、例えだれかに恋愛的好意を持ってもらえても応えられない

夏、大切なひとを手放した

やりたいことをぜんぶ叶えたいってそんなに我儘だろうか? 私のことを好きでいてくれた人がいた。「他人に大切に扱われる」という綿に包まれたような優しい感覚を教えてくれた人だった。結局、私のなにが彼をそんなに惹きつけたのか分からないままサヨナラしたのだけれど。 私たちは出会ってからもう数年が経つ。当初から彼の好意にはちゃんと気づいていた。というか気づかないほうが難しいくらいの200%全力投球の好意だった。ちょうどその頃の私は、人間関係が瓦解したり、馬鹿な男に引っかかったりで散々

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