本当に必要なのはしつけではない
「しつけがなっている」
「しつけがなってない」
「親のしつけの問題だ」
こんな風に「子どものしつけ」が大人の話題に上がることがあるけれども、私は「しつけ」という概念は実はいらないんじゃないかと思ってる。
ちなみにしつけの意味はGoogle先生によると下記の通り。
しつけ
【仕付け・躾】
1.
礼儀・作法を教え込むこと。
「―のいい家庭」
2.
裁縫で縫目が狂わないように、仮にざっと縫いつけておくこと。また、その糸。
確かに子どもは生まれた状態で礼儀作法なんて知らない。
でも、礼儀作法の基本は「周りの人が気持ちよくいられるように配慮すること」だと思う。
だとしたら、必要なのは礼儀作法の型を教えることよりも、単なるコミュニケーションなんじゃないのかなと思っている。
「そういうことしてくれると、私は嬉しい」
「そういうことされると、私は嫌な気分になる」
「きれいだね」
「気持ちがいいね」
理屈よりも、型よりも、普段からたくさん感情を共有すること。
私自身は幼い頃から外国人が家に出入りしていたり、世界を放浪していたり、海外に住んでいたこともあるけれど、文化や世代によって礼儀作法は結構違うなと思う。
でも、気持ちよくいたいのはどこにいたってみんな同じ。
自分の感情をしっかり感じる力と、人の感情を慮る力があれば、それは子どもが生きていく力になるんじゃないかなと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?