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江戸時代の人々から学ぶ、サステナブルなアイデアvol.03

2030年までにSDGs17の目標を達成するため私たちにできることはなにか? わたしたちは、そのヒントを江戸時代の暮らしの中に見つけました。太陽と植物の恩恵を活用し豊かな物資とエネルギーをつくり出していた江戸時代の人々。衣食住のあらゆる面でリサイクル、リユースに基づいた循環型社会が築かれていました。その江戸時代の知恵を活かし、日常でできるアクションをはじめましょう。

<参考文献>
阪急コミュニケーションズ 江戸に学ぶエコ生活術
アズビー・ブラウン:著 幾島幸子:訳


ゴミを出さないリサイクル都市「江戸」。
理想の資源循環で生活のあらゆるものを徹底利用。
 
江戸時代には、木、わら、綿など植物を原材料にした製品がきわめて多く、それらはリサイクルしたり、使い尽くした後に別のものに形を変えたりして、最終的に燃料や灰になるまで繰り返し利用することができました。灰や紙くず、糸くず、木くずさえも売買するなどの仕組みがありました。このようにある製品を廃棄せず循環させることを「資源循環」といい、江戸のような大きな町では原材料を徹底的に利用していました。
 現代の私たちが買って使う製品も、簡単に修理できて長持ちするものやリサイクルの過程が明らかなものを選べば、ゴミを出さない仕組みの確立に近づいていくかもしれません。江戸時代の資源循環の仕組みからヒントを得られるよう、事例をいくつかご紹介します。
※本文中に出てくる「完全利用」という言葉は参考文献から引用しています。

布地材
 江戸の町だけで4,000人の古着商がいたといわれています。江戸の町の人々は新品の着物をめったに買わず、洗濯してきれいにした着物を古着屋に持参し、わずかな現金を上乗せして店で再生された古着と交換していました。また、自宅で着物をほどいて染め直し縫い直す作業を行う人も少なくありませんでした。さすがに古着屋がほしがらないほどにぼろぼろになったら、前掛け、おむつ、巾着、風呂敷、さらには雑巾へと再生され、最終的には燃料や灰として活用されていました。ぼろ切れや端切れさえくず拾いが回収していきました。
 現代では、企業や団体が資源循環に向けて様々な取り組みを実施しています。
・衣類を回収し海外で販売して、ゴミを削減する活動
・衣類を回収するキットの売上金を途上国のワクチンの購入費用として寄付する活動
・自社製品の一部を服からまた別の服へ、もしくは服から燃料へリサイクル、支援衣料としてリユースする活動
・回収したペットボトルからつくった再生糸を原料とした機能性肌着の生産販売
製品の徹底的な利用という面では、使い古した後のことまで考えたバスタオルを販売している企業があります。愛用し、使い尽くした肌触りのいいバスタオルを2本のラインに沿って切ると、3枚の足拭きマットとして再利用できるという代物です。ライン部分は切ってもほつれにくくなっているそうで使い勝手のいい工夫が施されています。最終的には雑巾としても重宝しそうですね。

わらじ
 江戸時代では「わら」でつくられた「わらじ」は、何度も修理しながら数週間の期間ですり切れるまで履きつぶす、いわば使い捨てアイテムでした。製品として使い切ったわらじは、根覆い(農業やガーデニングに用いる手法。わらを横にして敷き詰め、土の上から根を覆うこと。雑草の繁殖を抑える、地温を調節する、土壌の水分蒸発を抑えるなどの役割があったといわれています。)や燃料となって再び生産サイクルに戻り、食べ物または熱や灰に転換されていました。わらじは原材料の循環における「完全利用」の格好の例といえます。
 現代では、日本にも店舗がある海外一流メーカーが使用済みの自社シューズやサンダルを、再利用・再分配することで、新しい製品の製造に伴う環境への影響を最小限にとどめる企業努力をしています。昨年は30万足以上のシューズやサンダルに第2の生命をもたらしたそうです。また、日本では、愛用した着物や帯をアップサイクルし、パンプスなどに仕立て販売しているシューズブランドがあります。靴に使い古しの着物や帯の素材を取り入れることで、日常の中で日本の伝統文化を継承する意図もあり、職人や伝統工芸の支援にもつながっているそうです。

住宅材
 江戸の建築に使われる木材は遠方から仕入なければならず、そのため木材は貴重なもので節制して使うのが一般的でした。幕府は、ほぼあらゆる社会階層に対して、建造物の大きさをも制限する奢侈(しゃし)禁止令(いわゆるぜいたく禁止令)や様々な建築規制を出し、伐採による環境への悪影響と木材全体の消費量を減らすように努め、資材を効率的に使用することを要請しました。建物の多くは何世代も住み続けられるように造られていましたが、最終的に解体される時には、建築材料のほぼすべてが再利用されました。柱や梁(はり)、土台といった構造木材は古材として売られ、板は表面を削り直してリサイクル、薄板は庭の杭や燃料になりました。建設現場で出た木くずや木片なども捨てずに毎日見習い職人が集めて作業場に持ち帰り、また別の用途に転用したり燃料にしたりしました。
 近年、畳が再注目を浴びています。洋室のみの住宅も増えていますが汎用性が高い和室も根強い人気があるようです。現代の畳の構造は奈良時代から平安時代に確立されました。畳の基本構造は、イ草で織られた畳表を、中心部分となる畳床に張り、四方を畳縁(たたみべり)で覆うというものです。劣化が目立ちやすいのは畳表で、畳床から剥がし裏返してまた張ると新品同様の美しさになります。「裏返し」することができるのは一度のみでさらに劣化が進んだら畳表を新品に交換する「表替え」をします。もちろん畳床も畳縁も劣化したら交換することができます。このように畳は、取り替えを繰り返しながら使うことを前提とした構造になっています。

調味料容器
 江戸時代のしょうゆ、酒、みそ、酢などの調味料の保存にはどの家でも樽(たる)を使っており、そのため樽や樽に類似した製品の桶(おけ)の製法は非常に進化しました。つくりのいい樽や桶は、長く使っているうちに木片が緩んできても「たが(細い竹を編んだベルトのようなもの)」を調整すれば簡単に締め直すことができました。町を巡回する「たが屋」は各家庭にある様々な大きさの樽や桶を調整、修理して、忙しくする一方、修理できない物を回収し、点検、修復を行い再利用できる状態にする仕事もしていました。江戸時代にはこういったことを専門とする商人が存在しており、物が簡単に捨てられることを防ぐ巧妙な仕組みとなっていました。
 現代ではリユース方法の一つとして、再利用可能な容器を使った製品の生産・販売が普及しつつあります。例えば、しょうゆや酢、みりんなどの液体調味料を生産・販売する企業が、江戸時代における樽や桶の再利用からヒントを得て、すべての製品を回収可能な同一のガラス瓶に入れ、瓶に貼るラベルだけを替える方式を採用しました。しょうゆが入っていた瓶を洗浄して消毒した後、それに酢を入れられるというとてもいいアイデアです。わたしたちも見習いたいですね。

副産物

 江戸時代、稲作の様々なプロセスは網の目のように組み合わさり、あらゆる副産物が余すところなく利用され、それはまさに理想的な資源循環の形でした。成熟した稲を乾燥させた茎と葉はわらになり、履物、帽子、前掛け、むしろ、袋、縄、はけ、わらぶき屋根などとして活用されました。その後は堆肥や根覆いとなり、再び稲作サイクルの中へ戻っていきました。そして、最後には燃料や灰となり、灰は染料、金属生産、陶磁器や研磨剤に利用されました。成熟した稲のもみは種もみ(お米の種)となり、再び稲作サイクルへ。もみは体をこするもの、艶出し、枕の詰め物、重りなどに利用しました。玄米の精米で出たぬかは漬物、調理、肌の手入れなどになり、最後は肥料や根覆いとなって、再び稲作サイクルの中へ戻っていきました。
 わたしたちの身近な例では、玄米の精米で出たぬかが大量に廃棄されるところを、その米ぬかを主成分とした印刷用のライスインキを開発し、環境負荷の低い印刷を実現している印刷会社があります。


<イラスト・画像素材>PIXTA

 江戸時代の資源循環の仕組みは、幕府が制定した「ぜいたく禁止令」が基となっていますが、町人もそれを日常的に窮めていき、いわば官民一体となってつくりあげたものでした。江戸時代の資源循環システムを学んだ今、現代でフォーカスされるような大量生産やゴミ問題について深く考えるだけでなく、物を完全に使い切るにはどうしたらいいのか、という根本的な部分について考えることも重要だと感じます。
 もちろん、周りの人や友人、家族と話し合って、現代ならではの新たなアイデアを出すことも大切です。わたしたちも、みなさんも、サステナブルな意識を常にもって行動し続けていきましょう。


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