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【マンガ感想】隠れた名作を紹介したい後編【個人差あります/日暮キノコ】

めちゃくちゃネタバレします。
ネタバレが気になる方は、前編をご覧ください。

後戻りは出来ないので読んで!

そして、私個人の感想です。作者の日暮先生がそのように考えていたかは分かりません。
まあ、私が勝手に感じて勝手に愛しているのです。


何を表したかったのか

【異性化が意味するもの】

それは、性自認が変わる事です。
現実には肉体は変わりません。
しかし、性自認が変わる事はありえます。

つまり、男性として生きてきた人間(あきら)が、自分の中の女性性に気づいた話なんです。
そういう風に(周りから見れば)突然、異性になってしまう人物が主人公の話なんです。

性自認 (性の自己認識)とは、自分の性をどのように認識しているのか、ということです。
「心の性」と言われることもあります。多くの人は「身体の性」と「心の性」が一致していますが、
「身体の性」と「心の性」が一致せず、自身の身体に違和感を持つ人たちもいます。

法務省人権擁護局より引用

この作品は創作なので、物語のエッセンスとして肉体的な性別が変わっているんですね。
実際に虎になる人間が居ないのと同じように肉体は勝手に変わりません。
しかし、LGBTという言葉が広まってきた現代では、我々は心の性別が体と異なる人がいることを知っています。

そして、友人やパートナーがその悩みを抱えていることもあるのです。
その事をカミングアウトされた時、あなたにとっては突然相手の性別が変わったのと同じじゃないですか?

”異性化”というキーワードと物語がとても良くマッチしているので、そういう風に読まなかった方も多いようです。

性自認が再度変わる事もあるようです。
”異性化リバース”もそういう意味でしょう。
もっと言うと現実には男女どちらでも無いというXジェンダーというのもあるそうです。


【苑子が屋台骨】

この作品の登場人物の中で最も重要な位置にいるのが、苑子です。
苑子の昌に対する愛は、作中では揺るぎません。

夫がいきなり女性になるわけです。
普通に破局もありえますよね?

でも、”異性化”が起きた後の苑子は揺るがないんです。

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(1)」 (モーニングコミックス, 2019年)45項。

このセリフがスッと出てくるほどの愛があるのです。
(内容には関係無いですけど、前編でも書いた通り振り向きの顔は上手じゃないですね。)

この男でも女でも、性別に関係なく昌という人間を愛している苑子じゃないとこの物語は成り立ちません。

そう言うと、とんでもないスーパーヒーローのように聞こえてしまうかもしれませんが、昌が別人になったわけでは無いのです。
雑に言うとちんちんが無くなっただけなのです。

苑子はちんちんに惚れていたわけでは無いのです。
もちろん性交渉について問題が生じるのですが、苑子にとっては優先順位の一番高い問題では無かったのです。

そして物語としてめちゃくちゃ上手な点があります。
この屋台骨の苑子の心情描写が少しずつしかされない点です。
初めから昌という人間を愛している事は示されます。
それ以外の感情が小出しにされるのです。

物語のトピックを描きだしてみます。
1巻:”異性化”
2巻:”異性化リバース”
3巻:”異性化”の真尋
4巻:”異性化”と女装子のスミレ
5巻:スミレと新しい扉
6巻:レズ風俗と昌とのセックスと妊娠

苑子のイベントや心情描写は後半に集中しているのです。
これが、後半のスピード感を出していて物語の面白さが増していると思います。


【この作品のメッセージとは - その1】

誰が誰を好きになろうと自由である、という事だと私は思いました。

そして、本人がどう考えているかは、簡単には他人には分からないという事です。
ある身体的に男性の人間を想像してください。彼は、女性と結婚して暮らしています。
さて、彼は多数派でしょうか?
無神経な言葉を使えば正常か?という質問です(作中でも正常とは何かという問いがありましたね)。

もちろん、そうとは限りません。
性自認が女性で、女性のことが好きな身体的には男性というパターンもあるのです。前述の通りXジェンダーというパターンもあります。
もはや、本人から告白されなければ気づきようがありません。

その上でこのページを見てもらいましょう。

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(1)」 (モーニングコミックス, 2019年) 89項。

このセリフも意味が変わってきませんか?

1巻を読んだ時点では、”異性化”した人間へのセクハラとして描写されていますけど、こうして読み返すと、身体的に女性で性自認が男性の人間へのセクハラ発言に聞こえてきますよね?
これが本作の完成度が高いところです。
こういうセリフが散りばめられているんです。

彼(彼女)らが、簡単な気持ちでカミングアウト出来ないのも当然ですよね。
自分の身体的な性別がコンプレックスだったりするのに、そいつの価値観で心無い言葉を投げてくる相手に、なぜ正直に告白しようと思えるのでしょう。

ここまで説明すれば、LGBTへの無理解からくる言葉や偏見がどれほど彼(彼女)らを苦しめているかは想像に難くないでしょう。

この物語にはもう一人その悩みを抱えているキャラクタが居ましたね。
真尋です。

【真尋について】

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(3)」 (モーニングコミックス, 2019年) 15項。

まっすぐに性自認をしている分、苦しみが大きく辛いキャラクタです。
その上でガールズバーで働く彼の陥った状況はリアルで、とても物語の中の人物とは思えません。

そして回想も凄まじく辛いです。
さらに読み返すと、先ほどと同様に身体的に女性で性自認が男性の回想に見えてくるんです。
日暮先生凄すぎです。

その後、男に戻った真尋はけっこうな女遊びをしていたようです。
しかし、真尋には気になる人が居ました。

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(5)」 (モーニングコミックス, 2020年) 91項。

これも読者が救われる展開です。

さらに最終回の里見苑子サイン会にて念押しで救ってくれます。

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(5)」 (モーニングコミックス, 2020年) 178項。

真尋はまた女性になっていました。
これ自体は本人が望んだ事では無いでしょう。
しかし、性別を超えて理解し合えるパートナーに出会えた事は間違いなく幸せなはずです。
さらに、設定上は愛情を感じる性行為で”異性化”が起こるので、そういう関係であることも分かります(恋人であり、”異性化”後も関係が続いている事も教えてくれてる)。

私はそのように受け取りました。そして、そういったパートナーに出会えた事を嬉しく感じました。

勝手読みをします(深読みおじさん発動です)。
身体的な異性との愛情のある性行為でしか”異性化”が起きないのに、パートナーが同性だった場合は、もう”異性化”は起きないはずです。
つまり、昌も真尋も(身体的な)女性として生きていくしかないのです。
(もちろん手術という方法はあります。)

パートナーはもちろん、自分自身がそれを受け入れなければいけないのです。そして、堂々と「俺」と自称していた真尋が「私」を使おうと努力し始めているように感じませんか?

上の画像の一番目のコマです(再掲します)。

日暮キノコ「個人差あります個人差あります(5)」 (モーニングコミックス, 2020年) 178項。

(身体的な)女性として生きていくしかない真尋が、それを受け入れて前に進み始めたようにも感じるのです。
それを受け止めてくれるパートナーと巡り合えて前に進み始めたとしたらめっちゃ良く無いですか?

まあ、性別に関わらず一人称は自由だと思います。
(ここでも”異性化”した事を強調する意味で言い直していると思います。)
だから勝手読みとさせてもらいました。


【昌について】

最終回で昌は妊娠して終わります。
個人的には二人とも妊娠してるくらいが良かったですが、苑子は仕事の時期だったみたいです。

夫婦のどちらも女性なので、第三者から精子の提供を受けて妊娠したのでしょう。この方法で世界中のレズビアンのカップルが子宝を授かっています。

昌と苑子が夫婦として生きていくと決めた以上、やはり昌は女性のままなのでしょう。であれば、その方法しか無いのです

私はとても自然な終わりに思いました。

また、昌と苑子はレズビアンではない女性同士の夫婦という関係です。
私は本作を読むまでそういう関係を想像したことも無かったので、非常に新鮮で自分の世界の狭さを知れて良かったです。


【この作品のメッセージとは - その2】

マンガを読んで男女両方に共感したり、感情移入できますよね。
それは我々の中の異性的な要素が影響しているんじゃないでしょうか?

その異性的な割合というのは、人それぞれで多様性があります。

今回記事にするにあたって日暮先生のインタビューを読みましたけど、私ほどジェンダーに対するメッセージは考えていないようでした。
(これだけの内容の作品が、考えてないってことは無いと思うんですけど、本人がおっしゃっているので間違いないです)。

日暮先生の一番のメッセージは「知らない人ほど決めつけてしまう」だったみたいです。

こちらもぜひ。

知らない人ほど決めつけてしまう」というのは私がちょうどそうですね。普通の人とは逆に決めつけたパターンですが。


さいごに

アマゾンレビューでは、こんなレビューが載っています。

6巻の肯定レビュー

性転換の物語なのか!?これは!?
そういう解釈もあるのか…。

6巻の否定レビュー

伝わらない人がいるのは、仕方が無いですね。
でも世界中に同性婚をして、子供を育てている親が居ます。
「誰の子?」というのは流石に無理解がすぎるでしょう。
私は当事者でも無いのに、すごく悲しくなりました。

意外と私のように感じる人は少ないんだな~、と当時意外に思っていました。その頃からずっと誰かに言いたいと考えていました。
今回やっと記事に出来た次第です。
絶対伸びないだろうなあ、と思って今まで書いてませんでした。

いつかは書きたいと思っていましたが、最近プラネテスの炎上が物語の受け止め方を考えるきっかけになり、書くなら今かなと。

内容がセンシティブですし、私の解釈も一般的ではないようなので、伸びなくても仕方ないけど、書きたいから書きました
これで一人でも読んでみようかな、と思っていただければ幸いです。

ついでにスキ・フォローして頂けたら泣いて喜びます。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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