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「自律的に生きる」ことを改めて考える

社会人になって二十数年。その時々、仕事に子育てに、そこそこ一生懸命暮らしてきたと思う。気づけばアラフィフと呼ばれる年齢になっていた。

歳をとるのは別に嫌じゃない。近くの文字が見えづらくなってきたり疲れが取れにくくなってきたりはしても、健康は保っている。まだ、フルマラソンを走り切るぐらいの体力も残ってる。それに近年は自分の好きなこと・そうでないことが大分とわかってきた。それを暮らし方にもある程度は反映させられるようになった。

一方で、歳を重なることはただ穏やかになっていくのとは違うことにも気づくようになった。このところ強く感じるのが、「このまま今の会社勤めを続ける日々でいいんだろうか」ということだ。

今の仕事はもう結構長い。すごく大きな不満があるわけではないけれど、あるとき「ここは、何かがあれば従業員を守ってくれないかもしれない」と気づいてしまうことがあった。そう感じた「きっかけ」からはもう遠く離れているのだけど、働くことについて今さらながら考え直すことにつながった。

会社には会社の論理がある。「会社にずっと定年まで面倒見てもらう」と勝手に使われる側が思い込むことは、ただ思考停止した甘えに過ぎないのだろう。でもその気づきは私にとってはかなり衝撃的だった。

子どもたちに「自分の望む生き方をするには、好きな分野で力をつけないとな」なんて言ってるくせに、自分にはいざという時にさっさと転職先を見つけられるようなスキルがないことも、悲しい気づきだった。

そこから、転職するかどうかはひとまず別にして、少しずつでも自分のポータブルスキルを身につけていかなくてはと思うようになった。

記憶力や集中力の衰えは、最近かなり感じるようになってきたところ。睡眠時間も、ある程度確保しないと翌日がつらくなる。そんな中、わかりやすいところで言えば資格取得や語学力アップなどを、どこまでやり遂げていけるのか。

これは自分のことだけど、子どもたちへのメッセージでもある。私はあまり子どもに「勉強しろ」と言わないけど、親が学び続ける姿を見たら、そして楽しそうに学んでいたら、彼らも何か感じるところがあるかもしれない。上の子に高校での「トビタテ」留学を勧めて様々な人から支援していただきつつ実現させたのも子どもが「自律的な生き方」の一端をを五感で感じられる機会になるだろうという思いがあったからだ。

私が今から自律的な生き方を目指すのは、かなり大変な挑戦になるだろう。でも、はるか昔の受験勉強のときなどとは違う、ワクワクする気持ちを感じている。

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