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2023年ゴールデンウィークの思い出 あるいは「本来の私」と「公的な私」について

有り余っていた有給休暇を使用することで、今年のゴールデンウィークは11連休となった。泊まりがけの旅行などはしなかったため、連休中に珍道中的出来事も、冒険譚的出来事も起こらなかった。それは、単なる休日が11日連続で存在していただけであった。
「そんなに連休があるのに、旅行に行かないなんてもったいない」と思う方もいるかもしれない。そう思うのは自由だが、私は私の過ごしたいようにこの連休を過ごしたまでである。何も泊まりがけで旅行に行く義務は無いのだ。

そうは言っても、日帰りの旅行には出かけた。秩父に行き、羊山公園の芝桜祭りに立ち寄りながら琴平丘陵のハイキングコースを歩き、橋立鍾乳洞を見学した。
芝桜は美しかったが、個人的にはハイキングコースの山道の方が感動が大きかった。普段は1日中パソコンに向かい合って仕事をしているため、自然(自然的なもの)を欲していたのであろう。

実際の山道

初心者向けとの事であったが、高尾山よりも本格的な山道であった。私の苦手な蜂が多く、何度か恐怖心と闘わなければならないこともあったが、それは仕方がない。
帰りに入った温泉は、極上のものであった。適度な疲労感と爽やかな風、露天風呂には最高の付け合せである。

秩父でのハイキングの他にも、運動不足解消のため、趣味のボルダリングに行ったり、森林公園で自転車を借りてサイクリングを楽しんだ。また、普段よりも長めのランニングにも挑戦した(普段は5km~10kmだか、15km走ることができた)。おかげで、連休中は体のどこかしらが常に筋肉痛であった。

森林公園の花畑


大きな買い物もした。家具屋で20万円する椅子を購入したのだ。
在宅勤務が中心の私にとって、自宅の椅子は最も多くの時間を過ごす場所である。現在使っている2万円の椅子は、悪くは無いが毎日8時間近く過ごしていると、足の血流が悪くなり、姿勢も崩れ、体に大きな負担がかかってしまう。日に日に姿勢が悪くなっていくのを感じるほどだ。
家族から「様々な姿勢で座れる良い椅子がある」と聞き、実際に見に行ったというわけだ。かなり高額だが良い買い物だったと思う。椅子はまだ届いていない。家具屋の店員が、過去に私と同じ楽器(マンドラ・テノーレ)を演奏していたことが判明した時は驚いた。

また、人生初の読書会にも参加した。連休中に読み終えた村上春樹の新作『街とその不確かな壁』について語り合った。参加しようかとても迷ったが、思い切って参加して良かったと思う。月並みなな感想だか、様々な考えに触れる事はやはり重要である。非常に勉強になったし、何より楽しかった。

その他、仲間と集まって楽器を演奏したり、読書や勉強をしたり映画を観たりと、普段とあまり変わらない生活を送っていた。

このように、私の連休はいつもと変わらない、けれど少し新鮮な日々を11日繰り返し、幕を閉じた。

自分のやりたいことを気の赴くままに行う日々を過ごしたことで、本来の自分を少し取り戻すことができたのできたと思う(「取り戻す」という表現が適切であるかどうかはわからない)。
残業が常態化しており、醒めても仕事の事が頭から離れなかった私にとって、「株式会社〇〇 △△課の私」を辞めることができた事は、精神衛生上かなり良い効果があったのではないだろうか。

一方で、仕事もまたある程度私には必要なものである(悪い面の方がはるかに多いとしても)。経済的な理由で労働が必要である、ということはもちろんである。しかし、それだけではなく、何かしらの価値を社会に提供することは、人間として大切な営みであると思う。社会との紐帯と言っても良いかもしれない。もちろん、その手段は人それぞれであり、私の場合は仕事であるというだけの話である。

自由気ままに生きる肩書きや役割の無い「本来の私」と、社会の一部として仕事をする「株式会社〇〇 △△課の私」は、恐らく両方必要なのだろう。近頃は後者に偏っていたが、この連休でバランスを取る事ができたと思う。

まあ、そんな綺麗事を言えるのは沢山休んで労働の辛さを忘れているからだろう。

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