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【イノベーションのうまれたところ】Vol.04アレクサンダー・グラハム・ベル / 発明家

音響や通信、電気の領域で用いられるdB(デシベル)という単位。

「10分の1」を表す「デシ」に「ベル」を合わせた名称である。

この単位の語源になったのが、今回紹介するアレクサンダー・グラハム・ベルだ。


1847年3月3日にスコットランドで生まれた彼は、1922年8月2日にその生涯を終えるまでの間、いくつもの発明をおこなった。

中でも最も有名かつ後世の人間に与えた影響が大きい「電話機の発明」について見ていこう。


音への関心

ベルは、幼いころから感受性が豊かな少年だった。
そのアーティスティックな才能は母親からの手ほどきを受けることによって開花し、ピアノを演奏して家族を楽しませるのは、彼の日課となった。

また、家に来客があると、物真似や腹話術を披露してもてなすなど、サービス精神も旺盛な少年だったという。

彼に芸術を教えた母親は、聴覚障がいを患っており、ベルが12歳のとき聴力を失い始めた。
感受性とサービス精神の豊かな彼が、母親とのコミュニケーション手段を模索するのは、ある意味で当然のことだった。

彼は、手話を習得し、母親のために家族の会話を手話で同時通訳するようになったのだという。
そして、母親の聴覚障がいについて思考を巡らせるなかで、後の大発明の礎となる音響学を学び始めた。


療養生活で見つけたセレンディピティ

時は下って1870年、ベルは23歳になっていた。

16歳の頃から話術の講師として教鞭を執る傍ら、言語や音声についての研究を精力的におこない、寝る間も惜しんでハードワークを続けていた彼は、このときすっかり身体を壊してしまっていた。


療養のために、スコットランドからカナダ郊外の街に移住することを決断。

自然に囲まれた生活をするなかでベルの体調は回復していく。


オンタリオ州パリに滞在し、湖に注ぐ川に面する農場を購入。

農場にあった車庫を改装して仕事場とし、付近の川岸にあるくぼみを「夢見る場所」と呼んで仕事や研究にいそしんだ。 


その後26歳でアメリカのボストン大学の教授に就任してからも、仕事と並行して実験・研究を継続した。


ベルの残した言葉に「生きていることは素晴らしい。この世界は面白いことでいっぱいだ」というものがある。


彼のこの言葉はきっと、療養生活において見つけたさまざまな発見や出逢いのことも指しているのだろう。


ちなみに、電話の発明に成功して初めての長距離通話を試みる際、ベルがオンタリオ州ブラントフォードの自宅とつなぐ町として選んだのが、他でもないパリだった。

「夢見る場所」での生活は、彼にとって忘れがたい思い出となったことが伺える。


電話の発明は、偉大な副産物

実は、電話機の発明は、実験の過程で生まれた副産物だった。

当時ベルが目指していたのは、新型電信機を完成させること。

電信機の発明は、当時大きなビジネスチャンスでもあった。


助手は、電話発明後の第一声としてベルから「ワトソン君、ちょっと来たまえ」と呼びかけられたことでも知られる、ワトソンだ。


電話の原理を突き止めた運命的な瞬間は、ベルとワトソンがいつものように電信機の実験をおこなっていたある日、突然に訪れた。

発信側にいたワトソンは、電信機の実験用装置が動かなくなっていることに気づき、何の気なしに指ではじいてみた。

このとき、偶然にも金属リードのうち1本が外れ、かすかに倍音が鳴ったという。

その倍音が、受信側にいたベルの耳に届いたのである。


これにより、明瞭な音声こそ伝えられないものの、音を伝達する仕組みを備えた装置、すなわち、電話の原型が誕生した。

その後、2人が電話の実験に成功したのは、1876年のこと。

翌年にはベル電話会社が創業、本格的に通信事業が展開されていった。


イノベーションのきっかけは、ふとした瞬間に、何の前触れもなくやってくるものだ。

このように予想外のものを発見することや、幸福な偶然に遭遇することを「セレンディピティ」という。

実験や研究の過程で偶然訪れるイノベーションの予兆を見逃さないよう、私たち現代の研究者も、セレンディピティに向ける感度を高く保っていたいと思わされる。

1892年、ニューヨーク-シカゴ間の長距離電話回線開通式典でのベル

「ワトソン君、来てくれたまえ」の背景

先ほど、電話による音声伝達の第一声として、ベルが「ワトソン君、ちょっと来たまえ」と声を上げたと書いた。

実はこのセリフ、ワトソンに助けを求めるベルの悲鳴だったといわれている。


ベルはそのとき、また別の実験に着手しており、誤ってズボンに希硫酸をこぼしてしまった。

皮膚の痛みに驚き、助手に助けを求めるベルの悲鳴。

これが、電話によって伝達された初めての言葉であり、後世にまで伝わっているというのだから、研究の世界は本当に、何が起こるかわからないものだ。


[参考文賢]

『孤独の克服 グラハム・ベルの生涯』ロバート・V・ブルース著,唐津一訳,NTT出版,1991

『電気通信物語 通信ネットワークを支えてきたもの』城水元次郎著,オーム社,2004

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