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「創造」すること

 文章を書く場合、特に、まとまった文章を書き起こすとき先頭の一文字を空ける。
 この『一字下げ』で、いくつかの文章をまとまりのある意味を持つ段落として記述できます。生徒諸君は国語の時間に学習したことと思います。今や当たり前のこの作文の手法は、今から100年前ほど前に夏目漱石が「我が輩は猫である」で生み出した方法です。


 それ以前の江戸から幕末の「紙に書かれた日本語」は、一字下げも無く、段落も無く、非常に読みにくいものだったと想像できます。文体もいわゆる漢文の読み下し文に近いものでした。
 明治期は漱石をはじめ、森鴎外、正岡子規らが文章日本語に革命を起こした時代だったと言われます。
 それ以前の巻物の紙に筆で書く場合、一文字分正確に下げるのは難しいことから原稿用紙が発明されます。さらに、マス目に文字を載せるためには筆ではなくペンが都合がよい。この発想は原稿用紙の開発やペンの普及につながった出来事でした。


 以来、何事かを文字に書いて人に伝える営みは、たとえSNSやメールが主流となった現在であっても、改行や一字下げによる段落で文脈に意味を持たせる習慣は綿々と受け継がれています。

 創造という言葉があります。

 この意味について考えてみます。天地創造のように「新しいものを生み出すこと」という意味の他に、「すでにあるものから新たな価値を見出すこと」とあります。
 そもそも漱石がこの一字下げを文章日本語に使用したのは、英国留学時の英文のルールでした。既存のものからヒントを得て「創造したもの」だと思います。


 話が少し飛躍します。
 2021年4月に中学校で完全実施となる学習指導要領の総則(背景)において「人生を主体的に切り拓くための学び」として「新たな価値を創造していくためには、一人一人が互いの異なる背景を尊重し、それぞれが多様な経験を重ねながら、様々な得意分野の能力を伸ばしていくこと。(中略)」とあります。


 Society5.0が描く未来はAI(人工知能)の活用による高度な情報化社会となります。

 少子化と高齢化社会を目前に控えた私たちの暮らしをより良くするものは何か。合理的で便利になった一方で、世界のどこかで必ず戦禍があり、飢餓があり、テロリズムもある。日本国内においても、悲しむべき事件・事故は絶えません。

 物質的な充足度では計れない真の豊かさとは何か。

 人間がAIよりも優れているものは何か。


 そのための創造的な学びがこれから必要になります。
 「すでにあるものから新しい価値を見出すこと」は、生徒諸君にとっては、学校での授業が「すでにあるもの」でしょうか。そして「学んだこと」から自分なりに「新しい価値」を見つけることが大切なことだと思います。
 

 余談になりますが、創造の「創」には「キズ(傷)」という意味があります。(キズに貼るものを絆創膏といいます。)何かを創り出すことは、キズ(創)つきながら成し遂げるものかもしれません。

  でも、もしかするとそのキズがきっと誰かの役に立つことがあるかもしれない。新しい時代を切り拓くきっかけになるかもしれません。

 これからの社会を生き抜く生徒諸君を思うと、今までの既存の見方・考え方の中に新たな価値を見出す「創造する力」を身につけて欲しいと願っています。

三浦 雅美(2017.02.14 札幌市立中央中学校 学校便り寄稿)

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