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短編小説「となりの地球は青く見えた」上

荒廃した母星を捨てて新天地「地球」を目指すコペルの旅物語。
ナイフと銃と空間列車。コペルは無事に地球へたどり着けるのか──。

「私にとっても大きな地球だったが、人類にとっても手に負えないほど大きな地球だった」
 宇宙開拓団三十七世の若者が、地球脱出の際にそう言葉を残した。この言葉の直前、彼はどんな農具も刃が立たない固く乾いた大地を見つめていたという。涙はすぐに乾き、一滴も流れなかったそうだ。

一.

 母星ラーラの中心都市、テーベステーションにコペルが着いたのはもう日が暮れる頃だった。野宿にはなれていた彼だったが、都会での夜の過ごし方は知らず、明日の朝まで街をさすらうことはできそうになかった。

 ダメで元々と考え、彼は改札の駅員を呼び止めた。次の地球行きの列車がいつなのか聞いた。

「いいですねえ、お客さん。地球行きですか。ええと、そうですね……あれはきっかり二十七時に出ます。地球行きはもうありませんから、乗り遅れると切符は永遠に無効ですよ」
「最後? 今日の最終列車がまだあったのか」
「いえ、違います。この星団から発車するのが最後です、この先、地球へ行く列車も乗り継ぎもありません」
「なんだって! どの列車だ!」
「あそこですよ、あの黒い車体の。それに……あと三十秒で出ますね」


 慌てて切符の認証を通し、彼は列車に全力で走った。見れば車両が振動を始めていてすぐにも発車しそうだった。息を切らしながら列車に近づくと、他でも同じように駆け寄る人間がいると気付き、余計に焦っていった。

「間に合った!」
 デッキに足をかけて安堵した。
 だがそれと同時に、出発のベルが鳴って目の前でドアがゆっくり、そして無情に閉まり始めた。となりの車両では跳ね飛ばされるものもいた。それでもコペルはドアをこじ開けて乗り込んだ。
 ふう、と一息ついた。

 ――何とかなったな……。これで地球へは行けそうだ。
 発車したばかりのドアからは走り出してすぐのホームが見えた。ほとんど無人に近くなった巨大駅から市内を通り過ぎ、列車は地上から空間レール軌道へと移り、やがて母星を後にした。

 宇宙に出ると恐ろしく静かになった。コペルは初めて宇宙を見て、話で聞いたとおりだと驚いた。どこまでも続く闇の世界と、きらめいている星々、列車のシールドがなければ目が妬けるほど強い太陽。後ろの方には赤い砂漠の母星が地平線を見せていて、小さくなっていくのがよくわかる。後ろにも前にも長い車両が繋がっていて、列車はほんのわずかに震動し、寡黙に進んでいた。
 コペルはこれからの旅路と地球という終着駅に思いを馳せた。
 ――地球、無事に辿り着けるだろうか。やっていけるかな。

 そこであることに気付いた。地球行きが最後のように、母星に戻る列車ももうないのだ、と。もちろん、彼に帰るつもりがあるかは別だけれど、退路は完全に断たれていた。後ろ髪を引かれ、後方、小さくなる赤い母星を見つめ、これまでの日々を思った。

二.

 コペルはいくつもの山に囲まれたリンゴの森に住んでいた。森は地球最後の本物の森だったが、まだ森の住人以外には気付かれていなかった。コンクリートの街から離れ、砂漠と枯れた谷間と、前代までに仕掛けられたシールドやステルスカーテンの目くらましのおかげだった。

 ――森を守り育て、母星を再び自然豊かな星に戻す。

 それがコペルを含めた一族の目標だった。もはや母星に自然は残っていない。荒れ地でわずかな作物や家畜を育て、あるいは工場で食肉とクロレラを合成した。長い年月の不適切な管理で先祖返りを繰り返したキメラ家畜には、六本足の鶏なども生まれていた。もう誰も母星の原型を知らない、自分たちがどこから来てどこへ行くのかまったく知らない世代に入っていた。

 辛うじてリンゴの森には生き物がいたが、事情は変わらない。この森が広がり、全世界を元に戻せるようになるほど、人類に時間は残されてはいなかった。少なくともそのことにコペルは気付いていた。

 ――ぼく一人じゃあな。やっぱりもう無理なんだろうか。

 両親が死んだとき、彼は最後の一人になってしまった。さらに流入する汚れた水や飛んでくる砂粒の浸食の影響は甚大になっていった。使い続けたシールドにもほころびが見えていた。
 移住計画の話は、こっそり街に出たときに耳にした。母星を捨て、地球という惑星へ向かう、ただし乗れるのはごく一部の人間だけ……ということだった。

「どんな人が乗るんだろうね。金持ちばっかりなのかい?」
 コペルが聞くと、合成エタノール店の親父はそうでもねえぞ、と答えた。
「もちろん金のある奴は優先だが、技術者や能のあるやつには切符代は優待されると聞いたな」
「へえ、切符はどれくらいするもんだろう」
「そこの壁を見てみなよ」

 鉄道会社が貼ったポスターを見ると、そこには信じられないほどの価格が示されていた。何回か桁を確認して読み上げてみたが、コペルの目が悪いわけではなかった。

「まあ、土台無理な話だ。仕方ねぇさ。うちの酒でも飲んでゆっくりこの星で死んでいくしかない」

 数日間、彼の頭からポスターが離れなかった。夜になるとたき火を見ては飛び散る火の粉に星や銀河を見つけ、寝る前には本物の銀河を見て、どこかにある地球に思いを馳せた。

 ――地球という星はどんなところなのか、森や生き物はどんな様子だろう、どんな生活があるのか、移住してしあわせになれるのか、そして本当に人類は旅立ってしまうのか、そうしたら残された人たちは?

 そうやって考えているうちにまた数日が経った。そろそろ地球のことを諦め忘れかけた頃、彼はおそらく母星最後になるだろう一羽の水鳥を捕まえた。

 ――羽に油が染みてるな。

 決して美味そうではなかったが、もはや食べるほかなかった。リンゴばかりでは生きていけなかった。

 鳥は火にかけられた。食べられない機械油が音を立て垂れていき、ひどい匂いを発した。すべての食えない油が消えた後、もう相当にこんがりしていたが、ようやくいい匂いがしてきて、今度はコペルも喉を鳴らした。焼き上がれば久しぶりにして最後の鳥肉が食べられる。

 ――ぼくは行けるわけないよなあ。金もコネもないんだから。ぼくも森も、母星だってこれで終わりか。

 肩を落とし、気を取り直して肉に噛みついた。
 茂みの裏でうめき声が聞こえた。コペルはとっさに置いていたナイフを拾い上げ、声の方を凝視した。炎に照らされた人影が次第に近づいてきて『助けてくれ』と嗄れた声で言った。

「それ……食い物をくれ。なんでもやるから! ほら、この切符でもいい。地球行きの切符だ。だから、それを、くれ!」

 砂漠を長く歩いて来たのだろう、その男のか細い声があまりに辛そうだったので、彼に切符と交換に肉と水とリンゴ数個を渡した。もちろん、切符に少しばかりこころが揺れたのは間違いない。けれどこの男のことをコペルはすぐには信じなかった。砂漠の世界から来た偵察かもしれなかった。

 ――ここをバラすわけにいかない。

 コペルは男を警戒しながら話をした。男は水を飲み、食べ物を口に押し込むようにして飲み込んでいた。

「よくこんな場所に来ましたね、もう何年も人は来ていない」
「驚いたねえ。こんなところにこんな、自然が残っているなんて。本物ですよね? 大発見だ」
「助かったのならよかった。でもここも、ほとんどがレプリカです。ほんの少しなら本物もありますが、もう一年持ちません」
「なんだよ……ちっ」

 男は肉を食べ終え水を飲み干すと、思ったより元気な様子でくつろいだ。

「切符はありがたくもらいます。助かりました。ぼくもこの星と一緒に死んでしまうのは悲しいところだったんです」

 男はその言葉を聞くと、実はな、と話した。ポケットから手より少し長い棒を取り出して、それで反対の手をトントンと叩いた。

「やりたいのはやまやまなんだが、一枚しかない。おまえにやったら、俺だってここに取り残される。それだけは御免だ。だから……運が悪かったと思ってくれ」

 そう言い終わるのが早いか、男が踏み込んできた。同時に手にしていた棒から飛び出したレーザーソードがコペルを襲い、すんでのところで首が飛ぶところだった。頭を下げて地面を転がったコペルは、男の方を振り返り、間合いを計った。すり切れたジャケットの内側でナイフを隠しながら相手を狙っていた。

「諦めるんだ。切符に傷がつくだろう。どうせ俺のレーザーソードには勝てやしない」

 確かに、男の刀の動きは機敏で鋭く、コペルは振られるソードの流れに近づくこともできなかった。相手の一振りごとに確実に後ろに押されていった。

 だが一瞬の隙が生まれた。男が足を払いにいったとき、コペルは男が刀を返してくるのも難なく飛び越えて、その頭上に抜けた。三メートルほども飛び上がると、男は驚いてコペルを見上げた。見上げた首ががら空きだった。コペルがナイフを思い切り投げると、ナイフは男の喉に突き刺さった。

 男の手からソードの柄が落ち、レーザーが消えた。そして喉を掻くような様子を見せたが、やがて倒れ動かなくなった。

 コペルは男の死体を眺めて息を荒げた。
 ――殺してしまった……。

 冷たい目で男を見て、一歩足を引いたところで金属音がした。小さなシルバープレートが落ちていて『空間鉄道株式会社 中央管理局発行 母星ラーラ → 太陽系地球(プレアデス経由)』と書いてあった。

 コペルは地球と森を秤にかけ、最後には地球をとった。

 翌朝、最後にナイフを点検し、リンゴをいくつかカバンに入れた。墓の前で自分が地球へ行く裏切り行為に許しを請うた。これまでに死んでいった人たちの顔が思い浮かんできた。その一人一人に、誰かどう言うだろうかと考えて、ときどき胸が苦しくなった。

 一時間ほど祈った後、乾いた砂漠の中へと進んでいった。

三.

 デッキから車両に移り、空席が見つからず困っていたところ、誰かがコペルの名前を呼んだ。見てみると、ずいぶん昔に森から旅立った幼なじみのカッシーニだった。カッシーニはまだ一人で座っていて、席には十分余裕があった。

 コペルはカバンをとなりにおいて窓辺に座った。
「会ったのはこどものとき以来だね」
「そうだな。コペルが地球に行くとは思わなかった。そうか、森はもう……。が、まあ、こうなったのも縁だ。お互い身寄りはいないし、向こうへ行っても仲良くやろうぜ。地球では何をする気だ?」

 うん、と言ったあとでコペルは首をかしげた。

「何をしたらいいんだろう。今までずっと森にいて、森のために生きてきたけれど、これからはみんなのためになることをしないと。でも、ぼくにはそれが何なのかよくわからないんだ」

 カッシーニはやさしく頷いた。

「誰かのために働くのはいいことだ……でも、きっとそんな考えはできなくなる。地球はきみが考えるより、ずっと厳しいだろうな。野心でできたような奴らばかりさ」

 周囲の座席を見回すと、客たちの顔つきは厳しいものや、反対に笑顔で話している人間ばかりだった。誰もが同じ野心を持っているようには思えなかった。

「カッシーニは何をするんだい?」
「なんでもするさ、俺は充実した人生を送りたいだけだ。誰のためでもなくてもいい。食い物に困らず、砂病で死んだりしない、こころも渇いたままじゃない。それでいいじゃないか。きれいな星なら、健康で最高な生活に手が届くはずだ」
 そして『俺は信じてる』と言った。

 コペルはその言葉に、車内に溢れる『野心』の正体を肌に感じた。皆、目が生きていた。心に熱いものを宿していた。
 コペルはそんな彼らを見て、少し気後れした。自分には何かが足りないような気がした。それが野心であることははっきりしていたが、どうやら他にも何か違うものがあるらしい。

 そういえば、とカッシーニは思い出した様子で言った。
「おまえ、アレを持っているだろう。丸くて赤いやつ」
「リンゴだね、もちろん持ってきて……」
(小声で! こっちじゃ生の果実は手に入らないんだ! ちょっと切り分けてくれよ、他にバレないようにな)

 コペルはカバンの中に入ったリンゴをそこに隠したまま、かなり小さく切って一片、渡した。音を気にしながら噛んだカッシーニは笑みを隠せていなかった。

「なんて味だ……ぬるいけど、やっぱり切りたての生は違う! 地球にはこういうのがたくさんあるんだ。俺はこの感覚を求めているんだ」

 カッシーニの瞳がひときわ輝いた。その気持ちならコペルにも共感できた。
 まもなく、列車は月軌道に入っていた。

 つづく

2022年9月30日
本編は文藝MAGAZINE文戯8巻頭企画「旅」に掲載されたものです。

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