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短編小説「となりの地球は青く見えた」中

荒廃した母星を捨てて新天地「地球」を目指すコペルの旅物語。
ナイフと銃と空間列車。コペルは無事に地球へたどり着けるのか──。

四.

 月に停車し、また多くの人たちが列車に乗り込んできた。他の車内には人がだいぶ乗り込んだようだが、コペルたちの客車はそうでもなかった。できれば気心の知れた友人二人で気楽に地球へ向かっていきたい、そう思った。

 列車は無事、宇宙のレールへ戻っていった。コペルとカッシーニは小さくなっていく月の人工建造物を見送った。シールドで覆われた小さなドームだけが人間の住み処で、あとはどこまでもむき出しの岩が広がっていた。

「月ってなんで人が住んでいるんだ?」
「ここはね、純度の高い希少金属が取れるんだ。それと、真空での作業に近づけやすいから精密なものが作れるそうだよ」
「へえ……」

 説明を受けてもよくわからないコペルはそのまま小さくなっていく月を眺めていた。ドームはすっかり星の灰色の表面に溶け込んで消えた。

「荷物を退けてくれないかな?」
「ああ、これは失礼」
 女とそれに応じるカッシーニの声が聞こえた。気付けば、となりの車両で溢れた客たちが流れてきていた。

 ゴーグルを頭に上げた作業着の女が、向かい合っていたコペルとカッシーニを片側へ移動させ、反対の席に座った。
 コペルはつい見とれてしまった。作業着は使い込まれ、頬や鼻にも油が染みたところが見えた。けれどそれ以上に、ブラウンの瞳が輝いていて美しかった。

「何? じろじろ見て」
 視線を指摘されたコペルは目を伏せた。正面切って見つめられて恥ずかしかった。

「別にいいよ。よく見るときみ、子犬みたいだね。ずっと昔、かわいいのを飼っていたんだけど、思い出すよ」
「子犬?」
 犬扱いされたのにはさすがに不満があった。
「気にしないで。悪い人じゃなさそうって言ったんだ。安心できる気がするって意味。私はハヤブサ。長い旅路だね、よろしく」

 よろしく――そう言い返さないうちに後ろから来た男らに大声で威嚇された。
「どけ、ここは俺たちが座る」

 男はいきなり腕を伸ばしてカッシーニの頭を殴った。それからカッシーニの肩を捕まえて座席から引っ張りだし、通路に軽々と投げて捨てた。車内の乗客の声がしんと静まった。男たちの身体は大きく、まともに相手をできるものではなかった。

「ほら、おまえたちも!」
 ハヤブサの片腕に手がかけられて、同じように引き剥がされそうになった。だがハヤブサは怯まなかった。男の手を突っぱねて立ち上がり、銃に素早く手をかけた。
「黙りなさい!」
 彼女はそのまま、躊躇せず銃で天井を撃った。発射されたエネルギー弾が天井に当たってキラキラ光り、衝撃音が響いた。天井の光や音に気をとられている間に、ハヤブサはすぐに銃口を男に向けた。

「他の車両へいきなさい。目障りだからここには来ないで!」
 銃はしっかりと相手の顔に狙いが定まっていた。男は拳を握りしめて殴りかかりそうな勢いだったが、引き金にかけられた指を見ると動けなかった。男二人は黙るしかなく、屈辱を隠せない様子でとなりの車両へ退いた。

 男たちを見送っていたハヤブサがふっと息をついて銃を下ろすと、三人は安堵し、自分に火の粉がかからなかった乗客たちも緊張の糸が解けてまた話をし始めた。
 三人は今度こそ落ち着いて座ることができた。

「まだ頭が痛いよ、馬鹿力なやつだ」
「それは災難ね。でもあなたも銃を持っているんでしょう? 使わないとこの先、簡単に死んでしまうよ。今度は窓の外に投げ捨てられてるかもしれない」

 カッシーニはホルスターの銃を見ながら、そうだな、と言った。
「でも、いきなり撃つなんて、これは大した御仁と居合わせてしまったものだ。普通の列車なら、今頃は大惨事だ」
「わかってるよ。シールドがあるって知ってて撃ったんだから。それに、誰も殺さないから安心して……あなたは? 戦うものは持っているの?」
 ああ、とコペルは答えた。
「ナイフを持っているよ」
「そう、ナイフね……」
 気をつけてね――ハヤブサはそう言って、少し微笑んだ。

五.

「もうすぐ惑星メンフィスに着くみたい」
 手に収まる小さな計器を見ながらハヤブサが言った。

「でも一時間ほどは惑星の環を通過する……昔の観光客向けに走った軌道だからね。その名残。ここを通らなければもっと早く行けるのに」
 カッシーニは彼女の持っている契機に興味を示した。

「それはレーダー? 小さいやつだな。エーリッヒ……いやパルマ製か?」
「どっちでもない、私が作ったものだよ。この列車についているのより確実に高性能、自信がある」
 コペルはハヤブサの立ち居振る舞いに感心していた。

「きみは落ち着いているね。空間鉄道の旅には慣れているのかい?」
「いいえ。ずっと月で働いていた技師だよ。落ち着いているように見えるのなら、私が準備をしてきたからだね。レーダーも、銃も、覚悟も。私は絶対に地球へ行く。家族の分まで地球で仕事をしてやる。誰も一緒には来れなかったからね……みんなの意志を私は継いで生きていくの」
 コペルは彼女にも野心を感じたが、もっと強い意志というものを見て取った。

 やがて惑星メンフィスに停車した。小さな駅で、誰も乗り降りしそうになかった。駅の回りでさえ建物がまばらで、大地も母星のように荒れていた。
「ここは観光もだけど、資材が豊富な星だったからね。工員はもうほとんど引き上げたいみたいだけど、後ろの貨車に何か積むんだろう」
 確かに後ろの方で何か積まれているのか、重機の動く音が聞こえた。

 一時間の停車の後、列車は動き出した。その瞬間に、こどもを連れた母親が走って近づいてきた。乗ってしまえば連れて行くしかないと考えたのだろう、密航しようとしていた。だが列車のドアは閉まっていたし、走るのも遅かった。

「お願いします! 乗せてください! 地球に連れて行ってください!」
 やがて母親の足についていけずにこどもは転び、二人とも膝をついたまま列車をじっと見て、泣きながら列車に叫び続けていた。

 コペルは窓を開けようとした。
「よせ、やめるんだ」
 カッシーニが制止した。列車はやがて速度を上げて浮上し、親子を置き去りにしていった。
「俺たちにはどうすることもできないんだ」
「……うん、わかっている。切符は簡単には手に入らないからね」

「そうじゃない。……たとえば、俺はこれを手に入れるために、食えているのかどうかわからないほど生活を切り詰めた。もちろん……それだけじゃダメだった。おまえはどうやって切符を手に入れた? 何か思い当たることはないか」

 コペルはうん……と言った。そしてここ数年、ほとんど誰とも会っていなかったことが彼の背中を押した。その気持ちはコペルに懺悔をさせた。切符が手に入ったいきさつを話し、まったく後悔がないわけではないと話した。
「母星ではもう生きていられはしなかった。確かに切符はあの男のものだったけれど、使わないではいられなかった」
 カッシーニは頷いた。

「あの森を守る人間が切符なんか手に入るわけないからな。何かあると思った……。列車に乗れる人数は指定切符の枚数で決まっている。取り残されたり見捨てられたり、そういうことが当然起こるわけだ。どうしようもないんだ」
 話し込んでいた二人だったが、気付くとハヤブサが冷たい視線を向けていた。

「呆れた。あなたたちもそうなの。……そんなことをして切符を手に入れたのね、最低」
「きみは違うって言えるのか? 本当に?」

「ええ、私を送り出すために何人もの人が協力してくれた。結局、私一人しか地球には行けないけれど、略奪とは違う。あなたたちみたいに、誰かを蹴落として来たわけじゃない。みんな、私に希望を託してくれたのよ」

 ハヤブサは冷たい目をして窓の外を見て、二人から視線を外した。それから三人は黙って座り続けた。列車は静かにレールの上を走り続けた。

 つづく

2022円9月30日
本編は文藝MAGAZINE文戯8巻頭企画「旅」に掲載されたものです。

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