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短編小説「となりの地球は青く見えた」下

荒廃した母星を捨てて新天地「地球」を目指すコペルの旅物語。ナイフと銃と空間列車。コペルは無事に地球へたどり着けるのか──。

六.

 途中、惑星アマルナを通過した。それからだいぶ経った頃、突然、列車が激しく振動してブレーキがかかり、乱暴に停車した。それは人が跳ね上がったりするほどで、あちこちで『頭を打った』『ものが壊れた』などの騒ぎが起こった。

「うおわっ!」
 コペルも前の席に座っていたハヤブサに乗り上げてしまった。機械油とうっすら女の子の匂いがした。手は身を支えるために、仕方なく彼女の作業着の胸に押し当てられた。

「ちょ、ちょっと! やめてよ!」
 二人が気まずくなっているのを余所に、カッシーニは周囲を見回した。そして窓の外を見て声を上げた。

「後ろの車両が燃えている!」

 揉めていた二人も窓をのぞき込むと、最後尾が燃え上がって、ほとんど引きずられるようして不安定にぶら下がっていた。周囲の客たちも気付いたらしく、何もわからない状況で、今まさに燃えている車両を見た。何度か小さな爆発が起きた後に車両は燃え尽き、残骸が宇宙の底に沈んでいった。誰もが代わる代わるに不安を口にしたが、何もわからないままだった。

 車両後ろのドアが乱暴に内側へ張り倒された。向こうには大男が足を突き出していて、どうやらドアは蹴破られたようだった。銃を片手にした男は混乱する車内へ一つ発砲し、その場を制圧した。

「生きて地球に行きたきゃ、金目のものは置いていきな!」
 ドア付近の客たちは凍り付き、遠くのものもその眼光にひるんだ。男の身なりはひどいものだったが、身体中についた傷が彼の歴戦の証しになっていた。
 男はリモコンを構えながら言った。

「車両には爆弾をつけた! 逆らうとすぐに爆発させる。時間を稼ぐのも無駄だ。俺はこの車両には十分しかかけない。終わったらタイマーは止めてやるが、邪魔をするとすぐに死ぬことになる!」
 強盗に誰も逆らえなかった。男は車両を進みながら順に物品を集めていた。

「おいおい、こりゃあお高い電子部品じゃないか。地球で大もうけの算段だったか。残念だな!」
 満足した顔をして頷いていた。

 ハヤブサは席に深く座ってレーダーをいじっていた。そして小声で二人に話した。

(爆弾の位置はわかったよ。あいつを上手いこと倒せたらいい。リモコンだけなんとかできたら……ついてくる気はある?)
(やる気か。いいだろう、銃はいつでも使える)
(ぼくは持ってないけど、ナイフなら)
(いいよ、無理しなくて)

 コペルに二人だけで行くと言い、強盗の様子を探りながら機会をうかがった。男は四人席の客を一人ずつ相手にしながら前に進んできていた。
 一瞬、男が乗客に身をかがめて隙を見せた。腰にぶら下げていたリモコンが揺れた。二人は銃を抜き、座席から乗り出して発射した。二つの銃声が狭い車内に響いた。けれどリモコンは破壊されず、強盗も倒れなかった。

 狙っている時間がなかったカッシーニは的を外してしまい、さらによくないことに、ハヤブサは撃つことさえできなかった。こちらから撃つはずだったのに男はすでに気付いていたのだ。彼女より早かった男の銃撃が手の甲をかすり、銃は床に落ちた。
 男は二人を睨み、そちらに足を向けた。

「若いのは血気盛んだ。いいことだが、今日は日が悪かった。おまえらの地球行きはなしだ」

 強盗は銃を二人に向けて近づいてきた。手を挙げて二人は相手を強く睨みつけていたが、すべてを諦めなければならなかった。
 コペルは腕を組み、強盗が背後から近づくところを黙っていた。

『あと一歩……』

 背後に靴音を聞いたとき、コペルは席の上に立ち上がり、全身の撥条をきかせて飛び上がった。ナイフを振ると、強盗の首がすっぱりときれいに引き裂かれ、さらにもう一本のナイフが右の目を潰した。声の一つも出せないまま強盗はその場に倒れ、やがてあたりに血が広がった。男はリモコンにも手を伸ばせず、身体をひん曲げてやがて動かなくなった。

「すごいな……やったじゃないか。物理ナイフだと思って舐めていた! だけどおまえ……血まみれだな」
 顔にかかった血を拭ってコペルは答えた。

「いいさ、それくらい。それより早く爆弾を何とかしよう」
「……そうね」
 もう一度、ハヤブサはレーダーを見た。車両の真下、裏に爆弾があると言った。

 車掌を探したが、どこにも見つからなかった。仕方なく、停車した列車の下の「地面」に降りようとした。けれどどこにも足を引っかけられなかった。

「ここはレールも枕木もない、完全な宇宙軌道だ」
 レーダーを見ているハヤブサも、降りるのは不可能だと言った。

「ここから銃で狙うのはどうだろう。あの赤い点滅だろ?」

 ハヤブサは首を振った。
「間違いなく爆発するね。でも、よく見ると……そう、あれは単純な構造をしている。あの二本のコードを同時に切れば止まるはず」
「無理だ。誰もそこまでいけない。ここからも撃てやしない。同時に切るなんて不可能だ」
「いつもなら一人でも私ができる……けど、さっき手を撃たれてしまったから保証はできない」

 列車がレールの上で止まってからそろそろ二十分が経とうとしていた。
「ぼくがやろう」
「できる?」
 コペルは頷いた。

 車両の連結部に頭を下にしてぶら下がり、爆弾に向かって狙いを定めた。配管が邪魔をしてコードが見づらかったが、一点、抜けられるポイントを見つけた。

「いける」
 そう確信した。二人はその様子を見守った。

 ナイフを構え、軽く深呼吸をした。『やるよ』と小さく言い、振りかぶってナイフを投げた。左右の手から放たれたナイフはまっすぐに飛んでいき、爆弾のコードを正確に切った。

「……どうだ?」
 聞かれて小さくコペルは頷いた。爆弾の点滅は静まっていた。

「レーダーからも消えた! 爆弾は完全に止まったよ」
 三人は手を合わせたり肩を叩いたりして笑った。

 放たれたナイフは何度か車両に当たって跳ね返った後、宇宙へ消えていった。

七.

車内に戻ると、乗客たちは笑って三人を迎えてくれた。

「助かったよ!」
「こういう人がいるのならこの先も安心だな」
 先ほどハヤブサが追い出した男たちも三人に話しかけた。

「大したもんだ、感謝する! 特におまえのナイフさばきは鮮やかだ。だが……見えたんだが、ナイフはどこかに飛んでったんだろう? 困るんじゃないか?」

 コペルは少し渋い顔をして頷いた。男はそれを見て、もう一人の男に声をかけた。そしてコペルの顔を思い切り殴って吹き飛ばした。宙に浮いたコペルは、ドアにひどく身体を打ち付けて通路に落ちた。ハヤブサが駆け寄って様子を見たが、意識がもうろうとしていた。周囲から悲鳴と、ざわつきが聞こえた。

 男が車内に睨みをきかせすぐ脇の客を殴りつけると、他の客もまた静かになった。そしてハヤブサにも銃口が向けられた。

「さっきみたいな恥をかいたままじゃいられないからな」
「何が恥だ! おまえらは恥知らずだろうが!」

 カッシーニは武者震いで銃に手を伸ばしたが、もう少しというところで撃たれた。男は、倒れたカッシーニに数回、衝撃で身体が浮き上がるほどのエネルギー出力で撃った。何度か呻いていたカッシーニだったが、そのうちに何も言わなくなってしまった。男はしばらく眺めた後にまた蹴飛ばし、カッシーニがもう二度と動かないことを確認した。

 二人の旅仲間が倒れたとき、ハヤブサは無言のまま目を見開いた。両手で銃をしっかり持ち、男に向けた。注意がカッシーニに向いていたおかげで相手は避けることもできず、連続で二人の頭は撃ち抜かれた。額から血が吹き出て、彼女の身体に降り注いだ。

 男たちが床に倒れても、車内はもう喜びの声が上がったりしなかった。車内は静まったまま、客たちはもう誰も関わろうとはしなかった。

 ハヤブサはもう一度跪いて、黙って仰向けになったコペルの様子を見た。やさしく額を撫でて、彼の意識が戻ってくることを願っていた。やがて彼は気がついた。

「目が覚めた?」
「ん、ああ。あいつらは?」
「もういないよ」
「そっか……きみが?」
「ええ。大丈夫、安心して」
 ハヤブサの瞳から赤い涙が流れて、コペルの顔に落ちた。

『次の停車駅は限界分岐惑星アレキサンドリア。こちらの銀河、最後の分岐駅です。次は冥王星まで止まりません……』

八.

 これまでに死んだすべての人間の身体が宇宙に流された。それでも車内には血とその臭いに染まった床や座席が残され、惨劇の印象は消えなかった。何より、血にまみれた男女がいるだけで空気を緊迫させた。

 二人だけになった座席で、ハヤブサは流されたカッシーニの身体を宇宙空間に探していた。

「私が最初に殺していれば、カッシーニは死なずにすんだはず。強盗にも私は一矢報いることさえできなかった……」
「そんなことを言うなよ。ぼくが油断したのが悪かったんだ。きみも……そしてぼくも、精一杯やったと思う」

 列車は静かにレールの上を走り、惑星アレキサンドリアが見えてきた。いくつかの支線の列車が惑星に出入りする忙しない星だ。到着時刻や乗り換え案内をするアナウンスがもう一度、繰り返された。

 ハヤブサは言った。
「私、ここで降りるよ」
「なんだって?」

「もう地球には行きたくなくなったよ。この列車だけでも、あの男たちや強盗みたいなやつがいるんだ。この先も嫌な思いをするに決まっている、思っていた以上にひどかった。それに自分にもがっかりだ。カッシーニを死なせたのは、やっぱり私のせい。本当は動けたんだ。なのに死んでからしか撃つことはできなかった。できるはずのことをしない奴は……嫌いだ」

 列車は惑星の大気に入り、やがて中央ステーションに着いた。ハヤブサは荷物を持って立ち上がった。

 彼女はホームに降り、列車に手を振った。コペルは窓を開けて叫んだ。
「本当に行くのか!」
「さよなら! あんな人たちと一緒に地球へ行ったって、結局はおなじことの繰り返しになるだけだからね。私はそんなレールからさよならしたい。一人でも、地球じゃなくても、やりたいことをやり抜いて生きるよ」

 発車のベルが鳴り、近隣惑星からの数名の客が乗車してドアが閉まった。
「さよなら!」
 列車が進み始めた。

「待って、ぼくも降りる」

 コペルはカバンを手にして、車窓から無理矢理ホームに降りた。動き出した列車から上手く降りることはできず、一度転んでしまった。立ち上がって、ハヤブサに照れ隠しで笑った。

「何してるの! 地球に行けないよ!」
「同じ気持ちになったんだ。嫌になった。人を蹴飛ばして生きていく覚悟や決意はできない」
「一緒に来る気? でもあなたと私は、きっと一緒には生きられない。だって……ほんの少し、旅の途中ですれ違っただけなんだから」

 わかってるよ、と答えてコペルはリンゴを差し出した。

「ぼくはリンゴの森を守り切れなかった。するべきことから背を向けて逃げてきた。だから、ぼくも使命を遂げたくなったんだ。母星の荒廃は止められなかったけど、このリンゴでどこかに新しい森を作る。いつか誰かが母星ラーラにそのリンゴを持っていって、緑を戻せると願って……。きれいな星にしてみせるよ。よかったら、きみもやってみて」

 ハヤブサは手渡された赤いリンゴをしっかり手に握った。そしてこの旅でもっともいい笑顔を見せて返事をした。

「リンゴの惑星が二つ、宇宙のどこかに浮いていたらいいね。……まだ一度も言ってなかった、ありがとう」
 コペルとハヤブサはそれぞれ別の支線に乗って、どこかの惑星へと旅立っていった。

 二千年後、地球で暮らしていた宇宙開拓団末裔の若者は地球脱出に成功した。母星ラーラ、地球に次ぐ第三の惑星はとても青く美しい……荒廃した地球にはそう通信が届いていた。末裔の若者や多くの人々が第三の惑星に渡っていった。それからまた数千年が経ち、母星へも地球へも通信が途絶えてしまった第三の惑星だが、果たしてかつてのように青く輝き続けているだろうか?

 いつでもとなりの星は青く輝き、私たちが手にすると色褪せていく。コペルとハヤブサのリンゴの惑星が同じ道を辿ったのか、そうではないのかはわかっていない。

おわり

2022年9月30日
本編は文藝MAGAZINE文戯8巻頭企画「旅」に掲載されたものです。

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