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【短編小説】少女の日の思い出

 私は少し離れたところに住む祖父の家に遊びに行った。
 一年くらい前だけれど、祖父は祖母に先立たれてしまって元気がなかった。私や親戚の人たちはときどき様子を見に行くようにしていて、ボケたり生活が乱れたりはしていなかったけれど、祖父には気力がまるで感じられなかった。昔は力自慢の大男だったのに、わずかの間にかなり小さくなってしまった。
 その日は祖父が前々から所望していた「孫の手料理」というものをご馳走してあげる約束だった。祖父はにんまりして私がエプロンを着けるのを眺めていた。
「何を作ってくれるんだい?」
「味噌汁!」
 私は家から持ってきた材料を出した。母が用意してくれた煮干しと味噌と豆腐とネギだった。どれも少し高いものだった。祖父はそうかそうか、と言って微笑んでいた。
 祖父から示された鍋を使いシンクで具材を刻んだ。こどもながら、もう味噌汁くらいはなれているので、気負いをすることもなく普通に作るだけだった。価値があるとすれば、孫の私が作るという点だけだろう。
 祖父が少しその場を離れたとき、台所の隅っこに同じ鍋がもう一つあるのに気付いた。私はなんとなく開けてしまったのだけれど、かなり後悔することになった。中には底の方にべったり固まった汁があった。カビが生えているけれど、私が今作ったような味噌汁を煮詰めたものだと直感した。
 祖父が戻ってきた。
「何これ! 捨てないとだめだよ!」
 祖父は困った顔をして「これはいいんだ」と言い、どこかに持っていってしまった。私はふたを開けたときに放たれた悪臭でものすごく頭にきていたし、笑顔だった祖父が急によそよそしくなったこともあって、祖父が食べるところを見ないで帰ってしまった。
 それ以来、祖父には会いたくないと訪問しなかったし、会ったときにも目を合わせないでいた。そして私と祖父は仲直りすることなく永遠に別れた。

 それから何年もして、私は大学に行くために東京に出た。最初の数日は母が来てくれて一緒にアパートの台所に立ってくれたが、帰ってしまうとほとんど何も作れなかった。いつも食べていた料理を再現できないで、適当に塩、胡椒、なんとか油、カタカナの香辛料を振り、まとまりのない変なものばかり作っては胃に落とした。
 遠く離れて暮らすと、自分の家の味は自分で作れなくなってしまう。母の味噌汁も野菜炒めもスクランブルエッグも、父の青菜漬けも梅干しも、それにその手で畑で作っていたものもない。作っていた人たちが細かいところで何をしていたのかなんて、まったくわからない。
 一緒に食べていた人もそうだ。今日起こったことを話す相手もいない。泣いたり笑ったりもできない。一人きり。家族は一番、話して聞かせたい相手なのに。
 孤独になることは、当たり前のことが崩れていくことを指している。孤独を愛する人でも「いつも」のものから切り離されてはきっと生きていけないはず。愛するものがなくては生きてはいけない。愛する人との関わりがなくては悲しくて、耐えられたものではない。
 おそらくあの鍋の中身は祖母が作った最後の味噌汁だろう。
 そして今ならあのときの祖父の気持ちもわかる。
 私は味噌汁だけは自分のために作ることができるけれど、祖父はその味噌汁を作ることもできなかった。最後まで祖母との関わりを失いたくなかった祖父。親戚の誰が来ても、孫が味噌汁を作っても、心の中では「ばあさんとは違う味だ」と思っていたかもしれない。祖父はどんなに願っても、死ぬまで祖母の料理には再会できず、それは隣人との別れであり、孤独であるのだ……と。
 ――あのとき、鍋なんて触らなきゃよかったのに。意地になったりして……もっといい子にしていればよかったのに。
 私は私の母の味である味噌汁を作るとき、そんな風に祖父のことを思い出す。私が作る母の味噌汁は家族の思い出でもあり、祖父の思い出でもある。味わいがあるけれど、ちょっとしょっぱい味噌汁だ。

第54回 てきすとぽい杯〈紅白小説合戦・白〉主催 : てきすとぽい
共通テーマ:料理・グルメ小説
白組のお題:「作る」
      料理人、レシピ、調理の場面などが登場する小説。

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