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【短編小説】日、没するエデン

 プロジェクト・エデンが世界会議において承認された。
 このプロジェクトが本当に実現するなど、世界のほとんどの人が信じていなかった。だから予想外の世界の英断に喜ぶ人の多い一方、懐疑的な人々も少なくなかった。なにせ今まで数千年もかけて争い血を流していた人類が、再び楽園を手に入れようという計画だったのだから。ただこの表現には誤謬があった。プロジェクト・エデンは懐古的思想によるエデンへの帰還ではなく、科学によって新しいエデンを手に入れようというものだった。
 人類の叡智が集結して、エデンは建設された。九十九パーセントの人々が理解できないほど高度な技術が使われて、楽園は世界のある場所、海の上に作られた。かつてアトランティスがあったとか、なかったとか、そんなところだったが、おそらくそれに気づくものはほとんどいなかった。あまりに時間が経ちすぎていて、伝説さえも朽ち果てていた。
 数年の歳月を経てエデンは完成した。しかしそれは、今までに抱いていたエデンの姿とは、ほど遠かった。太陽に届くかというほど、どんなに背を反らしても上が見えないような巨大な塔だった。言うまでもなく人々にあの塔を想起させた。
 世界中の人が住むことを許される巨大な楽園だった。しかし全員が到着するまでにはかなりの時間が必要だったし、到着した人がどう生活するかについても、安心で完全な計画ははっきりとは存在しなかった。これはまったく新しい、人類の幸福にいたる試みだったからだ。幸福を目の前にしても、人々はどうしていいのかわからなかった。
 まだ世界人口の三パーセントしか登塔していなかったある日だった。人々が汚染された地上から脱出できたと思ったのもつかの間、それからたった一日と一夜ですべてはひっくり返った。塔は土台から崩れ、人もものも、何もかもが海に沈み、最後には何も残らなかった。
 そしてこれは地上もおなじことで、世界は終わっていた。火山は噴火し、海は希硫酸となり、地面はことごとく引っ剥がされて岩や金属が露出し、あちこちから水銀を引きずる水が流れ出ていた。もう電気も水も家も道もなく、焼け出された人々には着るものさえ残されず、明日の当てもなかった。
 世界がどうして終わってしまったのか、はっきりしたことは誰にもわからなかった。始まりの合図さえ、誰も聞いていなかった。
 元=歴史学者と元=生物学者はこの状況を、どこかの旧=国家間の争いの結果だろうと話していた。楽園を巡る争いがどこかしらでまた起こっていたのだろう、と。
「プロジェクト・エデンは失敗でしたな。あれは汚れた地上から脱することができても、人間自身が持つ悪心までは拭えなかった」
「さよう。結局は、互いに相手の持っているものを羨ましく思っていた。エデンの覇権を欲してしまった。悪い癖は消せなかったということだ。エデンと同じように、技術の粋を尽くした一発のミサイルのために、世界のすべては消えてしまった。おかげで私たちはせっかくのエデンを二度も追放されてしまった。三度目があったら次はどんな罪になることか」
「私たちはどこで道を間違ったんでしょうな」
「私が前に目を通した本では、異端者たちが町中に毒ガスを撒いたということだった。あれは人類史に残る大事件だった。人間が平和を治めていたはずの時代に、いつまでも殺戮を拡大させてることの発見の契機だった。悪の心はいつも死んではおらず、ただ眠っていたり、眠ったふりをしているだけだった」
「しかし毒ガスで言うなら、二十世紀初頭には戦場の風上から風下へ、塩素ガスを撒いて塹壕やバリケードを一夜にして壊滅させた、と私は聞いたことがある。それまでは銃剣、大砲というもので戦っていて、生還するものも多かった。それが、実戦で空気までも使って大量殺戮を始めてしまった。これは重要視せねばならないでしょう」
「殺人道具が進歩したことを私たちの失敗理由にするのなら、火薬の発明、鉄器の発明、人類初めての殺人のカインとアベルまで戻らないと。もうずっとずっと前から私たちは殺人というものを発明していた、そもそもがそこからだ」
「してみると……なんだね、私たちはどこから間違っていたのかね」
「最初からじゃないだろうか。エデンに逃げても宇宙に逃げても、人間は人間という自分自身からは逃れられなかったのだろう。もう一度、人間というものをやり直した方がいいのかもしれない」
「やり直したら上手くいくだろうか」
「失敗作の私たちには、何が成功なのか想像もできやしませんな」
 しかし、と元=学者の一人が言った。
「もう一度やり直すには、いささか遅すぎですな」
 夕日が山へ落ちようとしていた。人類は長い長い闇のなかを歩まなければならなかった。
 地上にはもうエデンはない。

 てきすとぽい「゚+.゚ *+:。.。 。.世 紀 末 ゚.+° ゚+.゚ *+:。.。」

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