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短編小説「船を下りる」上

 テーブルにトロピカルドリンクをおいて、デッキチェアに寝そべる。

 目の前に広がるのは青い空、そして高く盛り上がった入道雲だけ。下からは船が海を掻き分ける水音が聞こえる。周囲には船の娯楽施設に飽きているのか、健康維持のために外の空気を吸いに来ているのか、少なくはあるが人がいる。彼らも私のように、ぼんやりと単調な世界を眺め、何も考えていないような軽い笑みを浮かべている。客船旅行でよく見られる、ふぬけた光景だ。

 しかし、こうしてぼんやりしているのは、いささか望ましいものではない。ラウンジで飲むのもよし、カジノで小銭をするのもよし……。いやいや、そもそも私は客船旅行などに興味はないのだ。

 妻と娘が前々から行こう行こうとせがんでいたのが、いつの間にやら勝手に計画・契約されてしまい、行かないわけにはいかなくなった。せっかくの夏休みも、ほとんどこの旅行で終わってしまう。他の乗客や気さくな乗務員とコミュニケーションが求められたり、船内イベントにも多少は参加しなければならないという厄介もある。だから唯一といっていい、気が休まるのはデッキチェアで空を眺めているときだけだ。ときどき陸が見えるのがいくらか興ざめではあるが。

 少し離れたところでは、中二の娘がこの旅で知り合った男の子と話をしている。親として気になるところはあるが、妻や相手の家族も見ているので心配はない。私にはできない旅の楽しみ方だ……と、自分ではしたくないが娘にとってはいい経験だろうと考える。彼女には素晴らしい旅の思い出になるはずだ。LINEをするだけの関係よりずっと健全ではないか。だから、私は娘には何もいわず、せっかくの旅行を楽しむといいとわかったような言葉をただかけている。

 ああ、それにしても空は青い。

 部屋に籠もることは許されず、持ってきた本も読むこともできない。妻は男の子の親と話すのに忙しい。
 いったい何を話しているのかはわからないが、妻は私たちのプロフィールにずいぶん脚色をしているようで、今回の旅は小金持ちの暇つぶしということになっているようだ。バレることのないマウントの取り合いに執心している様子は、旅が終わればすべて海の藻屑となるのだから冷笑ものだ。それだからダイニングでたまに会っても、私は沈黙を貫いている。

 他にも、カルチャー講座や毎晩のディナーショーをふたりは満喫している。まあ、悪くはないとは思う。ふたりにとってはしあわせだろう。私のしあわせがないことを除けば、まったくのしあわせなのだ。

 私がささやかな青空の下の孤独を楽しんでいるところへ、男の子の父親がやってきた。彼はとなりのチェアに軽く腰掛け、私の方へ身体を向けた。
「ふたりとも仲良くやっているようで、微笑ましいですね。いい旅になって、来てよかった」
「……そうですね」
 サングラスをかけた私は相手を見ずに遠くをずっと眺め続けた。私は人生と船をテーマにして自分の生涯について上手いことを何かいえないかと考えていえるところだった。

 ――時間はゆっくりと流れている、船はときどき霧笛をならしゆったりと進んでいる。ゆっくりとしているが、もちろんどちらも凄まじい速度で流れていく。それは流れが語っている。生きているときに感じる時間の流れや船が生み出す水しぶきを見ると、本当のことはわかる。私たちは巨大な流れに逆らうことはできず、望む望まないにかかわらず、流されて生きている。

 男の子の父親は世間話のようなことを語りながら、自分たちが少しばかり裕福だということをやはり仄めかそうとしている。面倒だな、と思いながら、私も相づちを打つ。
「お住まいは東京ですか?」
「ええ、成城です。特にこれといったこともなく」
「いやいや、いい街です。そうですか、うちは三茶なんです。いいご縁ですね」
 こんな程度の争いをするのは面倒臭いな、と思う。

 それからもあれやこれやと、どうやら陸に戻ってからも交友を持ちたいらしい様子で、ニコニコとすり寄ってきた。そうなったら妻はどうするつもりだろう。小金持ちが嘘だとバレたらどうなることやら。娘も嘘は黙認しているから、ボーイフレンドに会わせる顔もないだろう。
 嘘はつかないに限る。嘘と謝罪はセットなのだ。

 私は誰のためにもならない嘘はつくつもりはなかった。
「まあ、子供らがこれからも仲良くいけばということですな」
 そんな風に私は軽く躱しておいた。相手もこれには、そうですね、と答えるしかなかった。私の素っ気なさは彼を十分に飽きさせたようで、父親はそれではといって彼の妻の方へと去っていった。

「夕食はレストランにしましょう、もう予約してるから」
「有料の方? やった!」
 妻は旅行代に飲食費用が含まれるダイニングの料理より、レストランでの夕食を好んでいる。乗船して四日目だが、すでに二日通っている。酒もすべて有料で、ダイニングでは酒は出されないので私は構わない……といいたいところだが、ずいぶんかさむ。全部、私の稼ぎが元なのだ。

 私は抗うことはせず、シャツにネクタイの姿に着替え、彼女に従った。

 ダイニングの料理だってずいぶん立派なのだが、レストランとなるとさらに本格的に豪華になる。
 前菜はハムとサラダと簡単だが、ドレッシングが素晴らしくさらりと食べてしまう。肉の前菜にはゼラチンで固めた鴨肉が出て、これまでの人生が何だったのかというほど、世界観の違いに驚く。ロブスターは手で食べてよいといわれ、そのようにする。立派な殻を思い切って千切って見れば、はち切れんばかりに身が飛び出し、かかったソースの味は何物にもたとえがたい。

 ひとつひとつの皿の料理は少なめだが、品数は多く、気付けば満腹になっている。値が張るアルコールだが、その価値は値段以上だと確信できるもので、飲めば私でも一時のしあわせを味わえる。
「毎回違うコース料理って素晴らしいわね」
「そのうち一周するだろう。旅の最初から終わりまで、というわけにはいかないさ」
「それなら、次はアラカルトで頼みましょう」
 料理を単品で頼むと値段は倍以上になってしまう。私はそれだけは、と妻を止め、もう少しダイニングで食べるようにと願った。妻は満足していたところに水を差されたのがつまらないらしく、ふん、と顔を背けた。
 娘はそこまで強欲ではなく、私たちが連れていくところならどこでもいいという風だった。賢明な娘で助かる。


娘には旅行に行く前に、いろいろと注意をされていた。
「お母さんはすっごく楽しみにしてるからね。お父さんも楽しんでね」
 娘は夫婦仲がやや冷めていることを十分に理解している。私と妻は口数が少なく、妻と娘、私と娘はよく話し、まさに娘がかすがいの役目を担っている。
「わかってるよ。いい旅行になるように笑顔でいるよ」
「私ね、お父さんとお母さんが離婚しちゃうんじゃないかって心配なの」
 娘にそんなことまで考えさせていたのかと、私は目を丸くした。
 娘にとっても覚悟をしていった言葉なのだろう。娘は俯くだけでなく、今にも涙がこぼれそうな顔をしていた。私は彼女の肩に手をやり、何度か軽く叩いてなだめた。
「そんな心配はいらない。おまえが悲しむようなことは絶対にしないよ。父さんも母さんも、おまえが元気に大人になるように、がんばって見守るよ」
 それは本心からだった。
 大事な一人娘に不幸な思いなどさせるつもりはなかった。
「それって、私が大人になったら離婚するかもってこと?」
「いや……言い方が悪かった。そんなことはない。私たちは家族で、誰ひとりとして欠けちゃいけない。そのことは心配いらないぞ。ほら、楽しい旅の計画でも立てて。いつ宿題するかも考えておきなさい」
 娘との仲がよい私は世間でいう反抗期の苦行を味わわずに済んでいたが、繊細な女の子の対応というのも難しい。関係を持つことを諦めることは簡単だが、よい関係を維持することはとても難しい。

 ――私たちは流れのなかにいる。時間の流れは止められず、そのなかであらゆるものが変化していく。

 言い方を変えれば、黙っていれば崩れていくものたちを引き留めなければならない。これまで、どれだけのものがこの手からこぼれ落ちたことだろう。夫婦仲が悪くとも、私はこのささやかなしあわせを守らなければならない。


 夜、再びデッキで風を浴びながら暗闇の空と海を眺める。
 危険なので立ち入り禁止エリアができていて、私たちは屋根のあるところのテーブルに着いているが、その役目は娘とボーイフレンドの目付役だった。

 ふたりは私たちが目の届くところにいるけれど、航行音で声ははっきり聞こえない。向かい合わせではなくとなりに並んでいる。もし手でも握ろうものなら、ボーイフレンドはサメの餌にしてやろうと私は思っていた。

 子供は子供、大人は大人ということで、私たちのテーブルには親子の四人がそろっていた。仲のよい子供たちを話の軸にして、向こうは自分たちの馴れ初めを恥ずかしげもなく語っている。妻はあらあら、という具合に合わせているが、私たちの見合い結婚の話は避けている。相手の大恋愛(スキー場で出会ってテニスや乗馬で交友を深めたそうだ)を聞くと、本当のことはいえないだろう。
 そして本物ではなくとも「小」セレブとの格の違いを思い知らされているようで、話し方にもたじろぎが見えてきた。そろそろ小金持ちでさえ対等なお付き合いは難しい域にさしかかっていた。
「息子は初めての客船旅行でしてね、カジュアルクラスがいいだろうと思ったんですよ。いきなりドレスコードのガチガチな船に乗るのは窮屈ですし、何といっても長旅になりますからね。二週間くらいがほどよいです」

 子供を連れての船旅はこんなところがほどよいのか、と私は寡黙を貫いてこころで呟いた。私たちが貯蓄を崩して手の届くところを選んだなどとは、相手方には想像もつかないだろう。庶民の豪遊が嗜み程度にいわれるのだから、世の不平等は理不尽だ。

 ――人生と船。私たちが乗る船は乗り換えることは無理ではないが、ほとんどの場合、選択の余地はない。選ぶことはできない一方、乗船する船の選択を迫られることはある。何かしらの問題で、私たちは行き先を変更したり通るルートを変える必要が出てくる。
 ――裕福ならばクルーザーにも乗れるが、しかし彼らもクルーザーが沈没して筏に乗ることになるかもしれない。金持ちが筏に乗って漂う姿は卑しい人間からすると見物かもしれないが、私たちは陸に戻るとまた金持ちと貧民に戻ることを忘れてはいないだろうか。船がいるのは、船よりずっと大きな海の上だ。
 ――人生を司るのは、ただいっとき、乗り合わせている船ではない。潮流こそが真の支配者だ。

つづく

文藝MAGAZINE文戯15特集「船」掲載

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