見出し画像

【備忘】「強さ」より「弱さ」を誇ることの意義は何か

今年も6月に入り、半袖半パンで過ごす日が増えました。

日々仕事に没頭しつつ、僕はふいに感じること・固まりつつある価値観をメモにまとめています。

昨今Chatgptで文章を書いたり、アイデアを作ることは簡単になりましたが、少なくとも僕がnoteを書く目的に照らした時、それら生成AIはベストな手段にはなりません。

僕は何もアイデアやティップスを他者に伝えたいわけではなく、自分のリアルな価値観をnote内に積み上げていくことが主な目的だからです。

完全にロジカルでなくても、物事を理解するために、人々と対話を続けていくために、自分の中で生まれたリアルな言葉を残していきます。

今日は、最近感じたことを3つしたためていきます。

久しぶりに、アイドル論にも触れますよ!

【1】 受容と理解の違い


昨今D&I(ダイバーシティ&インクルージョン)の概念が日本国内でも知名度を上げつつあります。

特にビジネスの文脈においては、ESG投資の流れもあって、多様性を尊重し、受容する組織を作っていくことは超重要な要素であり、今後はそれがデファクトスタンダードになっていくだろうと思います。

個人の文脈においても、お互いの価値観を認め、尊重していく、そのような価値観やコミュニケーション方法が、広く流布する世の中になりつつあります。

けれど、僕はその概念があるべき姿とはまだ距離があると学生の頃から感じており、それは今も変わりません。それは「受容と理解は異なる」と考えるからです。

たしかに、人々には国籍やジェンダー、宗教など様々なバックグラウンドがあり、他者が持つ価値観や信条、性的指向などを尊重していこう、という考え方が少しずつ受け入れられていることは事実であり、素晴らしいことだと思います。

しかし、それは他者の価値観を「受容する」域を出ておらず、「理解する」までにはまだ至っていないのではないでしょうか。

つまり、皆違っていいよね、という価値観は広がっている一方で、その違い自体を理解する姿勢を持っている人がどの程度いるか、ということです。

僕は以前の記事で、他者の価値観を「理解」したいと述べました。

それは、他者の価値観を尊重すると同時に、その違いを明確に理解することが、相手を本当の意味で受容し、尊重することに繋がると考えているからです。

あるべき姿までのロードマップがあるとして、恐らくまだ中間地点なのだと思いますが、D&Iを掲げ、受容する姿勢を見せることが目的になってしまうと、様々な理由で生きづらさを感じる人々のこころの靄が、本当の意味で晴れる瞬間から遠ざかってしまう気がします。


【2】 弱さの受容


僕は「強さ」ではなく「弱さ」を誇る人間になりたいと思います。

ここで「ありたい」ではなく「なりたい」と敢えて書くのは、現状僕には自分自身が「強さ」を誇る瞬間があると感じるからです。

人間は調子が良かったり、自分にとってポジティブなことが続くと、何となく無敵な感覚になり、日々の1つ1つの出来事に感謝することを忘れることがあります。

情けない話ですが、少なくとも僕にはそのような経験があります。

「強さ」と似た言葉に「驕り」がありますが、それは「強さ」を外部にシグナルすることであり、微妙にニュアンスが異なります。

けれど、その感覚を外部へシグナルせずに心の中で持つことは「驕り」に繋がる危険性があるため、一定の危険性を孕むことは事実です。

また、「強さ」を誇る危険性の1つとして、他者の「弱さ」に気付くことができなくなることが挙げられます。

コンプレックスや劣等感、不安など「弱さ」を感じる瞬間は誰しもあり、むしろ「強さ」を感じる瞬間より「弱さ」を感じることの方が多い、という人もいるはずです。

そのことに気付くことが出来なくなるくらいなら、喜んでその「弱さ」を受け入れ、誇る人でありたいと思います。

今、今年の自分の誕生日に向けてアクセサリーを作ろうと、職人の方とコミュニケーションを取っていますが、そのテーマも「弱さ」にする予定です。


【3】 自分でも驚くほど上達した手先のスキル


この半年間で、自分でも驚くほど手先のスキル(思考力、プレゼン力、資料作成力など)のレベルが上がりました。

その感覚は、高校生の時にやり投げに種目を転向し、一気に記録が伸びた時期に近似しており、スキルの概念や仕組みを「自分の言葉」で語れるようになったことは大きな収穫だと思っています。

以前は、資料作成のお作法や思考体系も我流で、何となく「うーん何か違うんだよな」と毎回着地が完璧に見えない中で、頭と手を動かしていました。

しかし、今は自分の中で思考やアウトプットの体系が出来ており、日々その体系をアップデートしつつ、状況に合わせてパターンを応用し、器用に組み合わせることができるようになりました。

まだ荒削りな部分もありますが、以前はあくまで参考書の域を出なかったスキル関連の本も、「これは〇〇の方が良くないか?」「僕だったら〇〇するけどな〜」と仮説検証をするための手段となりました。

僕の経験上、このフェーズに入ると自分の進化が大きく加速するので、ここから更にレベルを上げたいと思います。

また、自分の大きな武器として「計画力」があることが分かりました。

「計画力」とは具体的に、いつまでに何をする必要があり、そのためには今週中に何をすれば良いのかを計画し、それを実行に移す能力です。

元々多少の自覚はあったけれど、この能力は他者の信頼を得るために、非常に重要な要素になると思うので、これからも大切にしたいと思います。


【4】 プロフェッショナルとは何かを問う


僕は1人の雇用される身ではありますが、人を相手に仕事をする身として、「プロフェッショナル」とは何かを常に考えています。

以前、その例として1年前の記事でカリスマ美容師を挙げました。

再掲になりますが、「僕は美容師が1日に担当する多くの顧客の1人ですが、僕を含む顧客1人1人にとっては一度の大事な機会」であり、このことはお客様を相手にする他の仕事にも通じると思います。

その他、一流のホテルマン、シェフ、ディズニーランドのキャストなど、お客様の体験価値をベストなものにするためプロフェッショナルとして従事する方々を挙げれば、枚挙にいとまがありません。

しかし、その方々が皆さん、プライベートでも常に、周囲の人の体験価値を上げるために発言し、行動しているわけではないでしょう(勿論、中にはそのような方もいるはずです)。

つまり、「仕事」という枠組みの中で、顧客の体験価値を向上させるためにプロフェッショナルを「演じる」わけであり、これは性格の問題ではなく1つのスキルだと思います。

僕はこのプロフェッショナルとしてのマインドセットを若いうちに手に入れるため、今年はお金を使ってでも様々な体験をして、一流の方のビヘイビアーを肌で感じたいです。

あとは、テレビ番組『プロフェッショナル 仕事の流儀』の鑑賞を通しても、多くの学びを得ることができるでしょう。


【5】 齋藤飛鳥さんの卒業


2023年5月17日〜18日の2日間に渡り、東京ドームで開催されたコンサートをもって、乃木坂46の齋藤飛鳥さんがグループを卒業しました。

彼女は乃木坂46の1期生として、最年少(13歳)で加入しました。

1期生最後のメンバーとして、そしてグループの絶対的エースとして、グループをリードしました。

以前、自分なりのアイドル論を語る中で、以下の西氏の論述を引用しましたが、正に彼女はこの言及を体現する人だと思います。

成長していく姿を見せることが、<アイドル>にとっては不可欠な要素なわけです。

西兼志『アイドル/メディア論講義』

彼女はグループに在籍した10年以上の年月の中で、センター、選抜、アンダー全てのポジションを経験し、数多くのコンサートやテレビ番組、握手会等のイベントに出演しました。

だからこそ、ファンは彼女の沢山の表情を見たし、彼女は正に成長していく姿を見せる存在、つまりアイドルにとって不可欠な要素を体現する存在だったわけです。

齋藤飛鳥さん自身も、乃木坂46の冠番組『乃木坂工事中』の#392で、「私はこの番組で全部をさらけ出して、10代の全てを皆さんに見せてきたので(略)」と発言しています。

また、彼女は、グループ結成当初から時間を共にしたバナナマンの2人から一番愛されたメンバーの1人だと思います。

そのことは、乃木坂46のファンであれば分かることだと思うし、バナナマンのラジオ番組『金曜JUNK バナナマンのバナナムーンGOLD』の企画「年末恒例!超内々紅白歌合戦2022!」に齋藤飛鳥さんがゲリラ出演した時の2人のリアクションを見れば、ファンでなくても分かると思います。

そして、多くの経験を通して「弱さ」を知っているからこそ、グループに所属する様々なメンバーの境遇に共感し、メンバーから信頼を集める存在でもありました。

センターの重圧をはじめ、選抜メンバーとして活躍する苦労、選抜メンバーに選ばれず悔しい気持ちになること、彼女は1つ1つを理解し、メンバーを支えました。

最後に、僕は彼女の言葉のセンスがとても好きです。

表現力が元々優れていることは勿論ですが、物事をよくよく観察しないと出てこない表現ばかりで、1つ1つの言葉に愛を感じます。

僕にはその力が大きく欠如しているから、本当に尊敬しています。

改めて、齋藤飛鳥さん、卒業おめでとうございます!ファンとして、同年代の一人間として、これからの芸能生活も応援しています!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?