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【近況】おしゃれな街を牛乳寒天片手に闊歩する

約1年前に環境を変えてから、仕事に使う時間の絶対量が増え、
物書きをする優先度が自分の中で相対的に下がりました。

それは今も変わらずで、先日会社の代表に最近調子どう?と聞かれると、
「うーん、正直あんまりどうもなくて、必死です。何を感じるとかはあまりない」と僕は答えました。

それは、目の前のことに注力出来ているという社会人として至極健全な状態であると同時に、
ある種人間性を欠いた状態にいるのかもしれません。

今の自分が好きかと聞かれると、
好きだが好きじゃない、が本音です。

間違いなく見える景色が変わり、出来ることも多くなりました。

一方で、家族や仲間とたわいのない会話をしたり、ゆっくりと時間を過ごすことが減ったように思います。

常に何かに追われている感覚もあります。

夜遅くに仕事を切り上げ、コンビニに行く途中で、
母親の「ちゃんと食べられてるの?健康なもの食べなあかんで」という声が聞こえるような気がして、胸がきゅっとなる感覚がします。

そんな中、台風10号の被害に遭い、
名古屋で新幹線の中に閉じ込められたからこそ、
久しぶりに文章を書こうという気になりました。

きっとこれにも何か意味があるのではないか、なんて思いながらキーボードを叩く。


【1】 これから2~3年のうちにしたいこと


この夏から、新たな場所に引っ越しました。

幸いにも一人暮らし経験があるから、新居での暮らしも特段困ったことはありません。

新しい町はモーニングが有名で、家の50m近辺には喫茶店が4店舗ほどあります。

一応、これから2年くらいはいようと思いますが、その間に次の3つをしたいと思います。

・NPO法人を立ち上げ、介護事業者向けの事業を行う(サービス開発中)
・所有する空き家を活用した事業を行う(未検討)
・トラックメーカーとして、曲を3つくらい制作する

【2】 営業1年目の回顧


人事の領域から離れ、この1年間は営業をはじめ、
新規事業開発や(ミニ)プロダクトマネージャー、CS(カスタマーサポート)など幅広い仕事をしました。

自ら営業をし、契約に関する交渉、締結手続きをし、デリバリーも行う過程で、当然初めての経験の連続にお客さんからクレームを受けることもあり、上司に頭を下げさせてしまうこともありました。

けれど、人に何かしらの便益をもたらして、それの対価としてお金をもらうという「ビジネス」という営みを体得する非常に良い時間だったと思います。

社内の人の流動性の激しさや慣れない業務の中でプレッシャーに潰され、
一度腕が直角から伸びなくなる時期が続くなど、つらい時期もありました(その時はその時で、支えてくれる人が与えられました)。

僕はストレスが過大になるとリンパ節にしこりが発生することがあり、
御多分に漏れずこの時も発生しました。

上には経営者が、横にはプロダクトマネージャーやエンジニア、デザイナーがいて、対面のクライアントは僕より10個、20個上のベテランで、経験豊富な方々に囲まれ、背伸びをする毎日。

僕はこれまで人事の中でも、採用、育成、労務などの異なる役割を担う方々との関わりや、
他分野に専門を持つコンサルタントとの連携はあったものの、
異なる職種と連携をすることは自分にとっても悩みの種になったと同時に、大きな学びを生み出しました。

事業のフロントに立つ人間としては1年生ですが、
僕は現状、次のことを意識しながら仕事をしています。

・お客さんの抽象的な「やりたいこと」や「課題感」を言語化するために、まずは聞く
・お客さんを最適解に導くため、自社サービスの機能、制限と内部及び外部事例をよく知る
・社内の人間(PdMやエンジニア、デザイナーなど)をお客さんから守る
・ボランティア的にはみ出すところとビジネス的に交渉するところの境界線に気を配る

あと1歩足りないところは、
・ある言動によって、相手がどのように感じ動くかを事前に察知して先回りする
ことでしょうか。

色々苦労したが、
やり投げをやっていた時のアハ体験に近いものを感じられそうな予感がします。

あの時の、力いっぱい投げても遠くに飛ばないのに、
体の力を抜くことで全身のつながりを感じ、足から上半身を辿って腕からやりに勝手に力が伝わる感覚が、蘇る感じがします。

2年生、3年生になって、どのように感じるかが楽しみです。


【3】 委ねられないのは僕の弱さか


以前のnoteで、次のように言いました。

”相手がクリスチャン、またはその価値観を知りたいと真剣に向き合ってくれる人以外とは交際しない”

しかし、先日親族から、3つ目の選択肢として、
クリスチャンではない人と(仮にその人がクリスチャンになりたいと希望していない場合でも)結婚し、
その人がクリスチャンになることを望み、祈り続けるという方法もあるのではないかと提案されました。

まあ、たしかにそうかもしれません。

僕も、それは以前のnoteで言及しています。

むしろ、その方がその人の人生に僕が介在した意味があるのではないか、とさえも思います。

けれど、それはひどくつらい時間と道のりになることが容易に想像つきます。

委ねられないのは僕の弱さか。

自ら一定の判断力をもって物事を推進出来る人間が、「神に委ねる」という感覚を持ち合わせることについて、
祖母は「鬼に金棒だ」と表現していたらしいです。

まあ、この手のことは考えても仕方ないし、
これまでの出会いもその3日前には考えもしなかった奇跡と必然の連続で作り出されたものです。

それすらも、委ねたいと僕は思います。

ジタバタする気も更々ありません。

【4】 動画を撮ろう


僕の写真フォルダは、寂しい、そのように思います。

遡れば友達との写真がちらほらあるが、敢えて積極的に写真を撮りに行くタイプではありません。

だから、写真は大学の講義の写メややり取りに必要なスクリーンショットばかり。

けれど、動画は慰めになるということを知りました。

ここ数年で大切な人を何人か失った。けれど、その人達と撮った写真や動画が、僕を慰めてくれます。

写真より、動画の方がなおよいでしょう。

なぜなら、その人の声が聞こえるから。

その人が家族だろうと、恋人だろうと、友人だろうと、気づいたら動画を撮ろう。

きっとそれは、いつか僕の、あるいはその人達の慰めになる。


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