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介護される者と介護する者


義母の変化

昨日は全ての予定をキャンセルせざるを得ない状況になった。

腰の病気が原因で足が思うように運べない同居の義母。
6月までは、歩行器を押しながら自力でトイレに行き、
椅子に腰掛け、洗濯もし、調理はできないながら食器も洗い
最低限の身の回りのことをしていた。

でも次第に
転倒したり、
急に足に力が入らなくなり座り込んで立てなることが増え、
7月の5日間ほどの入院をきっかけに
全く歩けなくなってしまった。
あっという間に・・・

それでも介助でトイレには何とか行けていたが、
その後急速に筋力が落ち
私一人の力ではどうにも支え切れる状態ではなくなり、
やっと座らせた便座から立ち上がることもできなくなってきた。

車椅子にタオルを広げ
便座から何とかそのままスライド

バスタオルを広げたベッドに
車椅子から何とかそのままスライド

寝た状態でやっと下着を上げる

最近はそんなことになってきた。


記憶力も急に落ち始めていたが、
歳のせいかなと、まだ思える程度だった。

それも、ここひと月くらいの間に
急激に悪くなり
明らかに認知症というレベルとなってしまった。

夜間の幻覚、幻視から始まり、
最近は昼間でも、おかしな言動が増えていた。
誰がいても、叫ぶことも出てきた。

寝起きからの異変

そして昨日

8月から利用していたショートステイに出かける日だったが、
なかなか起きない義母

何度か声をかけて起こすと
目をつぶったまま

「聞こえてます」
「行きません」
「なんで私が行かなきゃならないの?!」
「ここから動きません」

とガンとして起きようとしない。

表情も険しく、何を言っても攻撃的な言葉が返ってくる。
支離滅裂な暴言、幻覚、幻聴、叫ぶ・・・
ずっと怒っている。

結局、ショートステイのお迎えの時間になっても変わらず、
お迎えの職員さんには帰っていただいた。

しかし、我が家の夫は単身赴任。
昼間も夜間もトイレ介助を一人でやるのは難しいため、
夫が返ってくる日以外はショートステイに行ってもらっているのだが、
そこが理解できない。

もう、自分自身の身体状況と
取り巻く人的・物理的環境とを見て
どうしたらいいか考えられる理解力はない。

本当に、何がきっかけなのかトリガーが全く見えない。

でもスイッチが入ると、ポン!と違う世界に行ってしまう。

結局昨日は、
寝起きからお昼近くまで違う世界を彷徨い続け

あちこちに電話をかけようと
猛烈な勢いで操作が分からなくなったスマホを
スクロールしまくり
タップしまくり

でも繋がらず
そのうちに電源が落ち
諦めと疲れで寝込んだ

そして約3時間

次に目覚めた時には
こちらの世界に帰っていた

表情もかつての穏やかな表情に戻り
怒ることもなく会話も成立する。

朝からのことを覚えているのか聞いてみたら
おぼろげに覚えていることもあったが
「知らない」
「覚えてない」
99%忘れている。

ご本人曰く
夢を見ていたんだと。

幻覚については
感情に深く食い込んだようで
「本当にみえた。いたでしょ?」
と同意を求めてくる。

かなり正常に戻ってきても
二つの世界を行ったり来たりしていることがわかる。

これが認知症なんだなと、
目の当たりにした。

結局、正常な意識に戻ってみると、
100%体を預けなければトイレに座れない自分がいて、
でも息子のような力で介助ができない私の介助では
自分も大変だということや
私一人の力ではトイレ介助が難しいと認識できたようだった。

その後、ショートステイに行くことも素直に受け入れ、
夕方、時間外ながら
何とかお願いした施設職員の方にお迎えに来ていただき
ショートステイに出かけてくれた。

認知症の介護ってずっとは続かない

よくそう言われる。

本当にそうなのだ。

でも、それがいつまでなのか?

全く先が見えないのが
介護する側の大きなストレスの一つになっているのは事実。

認知症で通常の事がわからない、
自覚もしていないとわかっていても、
仕方がないことだとわかっていても、
介護する側にも感情がある。

人によっては、その暴言や態度に翻弄され
やり場のない感情を覚えるのも事実。

介護職の離職率が高いのも、
これが大きな一因と言われている。

我が家の場合

要支援2から
一気に要介護3になった全介助状態の義母は、
客観的に見て、
もう、在宅での介護は限界な状態と思われる。

現状を誰に話しても
どうしてまだ在宅なのかと
必ず言われる。

しかし、当の本人には
施設に入ることに強い抵抗感があり、
家に居ることを強く望み、
繰り返し「施設には行かない!」と言っているのに、
無理やりそんなこともできない。

高齢者は暇なので一日中TVを見ている。

介護施設で起こる悲しいニュースに
他人事じゃないと釘付けとなって見ている。

そのごく一部の悲しい情報が
高齢者の脳裏に焼きつく。

それと子供世代が親を施設に入所させることに
対応が大変になってきたのがわかっていても
罪悪感を持つことも多い。

どこで区切りをつけるのか

それは
それぞれの家庭で大きく異なる。

ここまで、変わっていく高齢者を目の当たりにし、
辛く悲しい思い、心療内科まで行った私の経験から言わせてもらえば、

介護する者は
自分の気持ちに蓋をせず
自分はどうしたいのか
どうありたいのかを見失わずに
解決策を見つけること。

子育ては
子どもの成長とともに手が離れ
楽になっていくし
ある程度、時期的なゴール設定ができる

でも、介護はそれとは真逆。

どんどん手がかかるようになるし
明確な時期的ゴールが見えない。

それゆえ、
周りの協力度合いにもよるが
辛くなることも多い。

でもでも、まずは、
自分を一番大切に考え、
どうしていくか考えてほしい。

介護をやるかやらないか?
介護をしたいのかしたくないのか?

昭和初期生まれの今の高齢者が生きてきた時代と
今の時代は大きく考え方も違う。

求めるもの、価値観、生き方が全く変容している。

我慢の先に、幸せはない

決して高齢者を突き放していいわけじゃない。
その上で、
自分はどこまでやるのか?
やりたいのか?
やりたくないのか?

自分の心に蓋をせず、自分に問うてみてほしい。

我慢の先には、幸せはないのだから。


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