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Караванという曲

資本主義帝国アメリカが、帝国の墓場に屈した。
アフガニスタン。
それは広大で峻険な、世界を制した帝国にとってお誂え向きの墓場であった。
「アフガニスタンは帝国の墓場である。」
イギリス統治の頃から、ソ連のアフガン侵攻、アメリカによる対テロ戦争を経たいま、この言葉は余りにも重い。

ソ連によるアフガン侵攻

ロシアは日本人にとって、どうにも遠い国である。
それがソ連という国家であれば尚更遠い。場所も、時間も、遠すぎてもはや手が届かない。
そして、そんな過去の失敗国家が崩壊間際に引き起こした戦争など、全く我々には関係のないことだ。
アフガニスタンは中東の山岳地帯にある。
パキスタンの北方に位置し、西ではイランと接する。パシュトゥーン人・タジク人・ウズベク人・ハザラ人などが暮らす多民族国家である。
1979年、社会主義国家アフガニスタンは、国内に存在するムジャーヒディーン勢力を抑えつける政策を展開していた。
しかし、ムジャーヒディーンの後ろ盾にはアメリカがおり、容易にはこれを抑え込むことが出来なかったため、ソ連に支援を要請していた。一方、ソ連は介入に対して当初否定的であった。デタントの流れの中で、国際世論がソ連批判に回ることは避けたかった。
だが、前革命評議会議長タラキーがクーデターによって失脚し、ハフィーズッラー・アッミーンがこれに代わると、状況は一変する。
親米的な姿勢をとるアッミーンの動きを見たソ連は、アフガニスタンがアメリカの橋頭堡となることを恐れ、彼を暗殺し、介入を決定したのである。
こうして、赤い帝国は自国を瓦解させる契機となる、10年も続く泥沼に足を踏み込んでしまったのであった。

兵士たちの視点

我々にとって、戦場は、教科書で教わるような歴史の出来事よりもはるかに縁遠いものである。
曲がりなりにも不戦国家を戦後80年近く生きてきた日本人には、体験としての戦争など有り得ない。
我々は文献と映像によって、間接的にそこに漂う大気を感じることはできるが、しかしその砂つぶの一つさえも肌に触れることはないのである。
硝煙の匂いを、吹き荒ぶ砂塵を、血と汗の入り混じる兵舎の靄を、どこから誰が見ているかわからないヒリヒリとした肌の感覚を、生きていた戦友がただのモノに成り果てる瞬間を、我々は感じられない。
脳みそでわかった気にはなれても、その感覚を味わうことで、兵士の感情を経験することはできない。逞しい想像をめぐらせても、結局その域を出ることはない。
その戦争の価値がいかにせよ、あまりにも多くの血を流して戦い続けてきたロシアと、そこに住まう人々だからこそ、戦場を体験として語りかけることができるのだ、と私は思う。

Караван(キャラバン)
Александр Розенбаум
(アレクサンドル・ローゼンバウム)


Не привыкнуть никак к тишине
На войне, на войне, на войне.
Тишина — это только обман, лишь обман.
По тропе крутой, по земле чужой
Мы уходим на караван.

静寂に慣れることはない。
戦場においてはいつだってそうだ。
静寂はただの欺瞞だ、虚偽でしかない。
曲がりくねった街道を進み、
異国の地を踏みしめて、
俺たちはキャラバンに向かう。

Караван — это радость побед и потери боль,
Караван, жду я встречи с тобой.
Караван. Розовеет от крови Афганистан.
Караван, караван, караван…

キャラバンは勝利の喜びと喪失の痛みに塗れている。
キャラバンよ、俺はお前に会いたかった。
キャラバンよ、アフガニスタンは血に塗れて真っ赤に染まってしまった。
キャラバンよ、キャラバンよ、キャラバンよ⋯。

Не привыкнуть к гражданке никак,
Там всё ясно, там друг есть и враг,
Здесь же души людей тяжело разглядеть сквозь туман.
Жалко нет его, друга одного,
Навсегда его взял караван.

軍服に袖を通さない日々には慣れないだろう。
戦場では全てが研ぎ澄まされていて、戦友も敵もはっきりわかったものだった。
しかし、ここ(※1)じゃ、霧の中にいるように、人々が何を考えてるのか見当もつかない。
そして悲しいかな、戦友はここにはいない。
あいつは永遠に、キャラバンに連れられていってしまった(※2)。

Караван — это фляга воды, без которой смерть,
Караван — это значит суметь.
Караван — убивать «шурави» им велит Коран.
Караван, караван, караван…

キャラバンは恵みの泉だ。
それがなければ俺たちは死んでしまう。
キャラバンがお前を迎えに来れば、生き長らえることができる。
キャラバンよ、「シュラヴィ(※3)」を殺すようにコーランには定められている。
キャラバンよ、キャラバンよ、キャラバンよ。

Не привыкнуть к тому, что совсем
Мне не тянет плечо АКМ,
Что в кустах придорожных нет мин,
Здесь нет духовских банд.
Только где-то там, по моим следам,
Кто-то снова берёт караван.

AKM(※4)を担がない肩の、その軽さには慣れないだろう。
路傍の草むらには地雷もないし、
ここには「信心深い」山賊たち(※5)もいない。
だが、戦場ならどこであろうと、
俺の足跡に続いて、
誰かがキャラバンの中に忍び込んでくるんだ。

Караван — это сотни снарядов, не легших в цель,
Караван — это соль на лице.
Караван. Третий тост. Помолчим.
Кто пропал, кто пан…
Караван, караван, караван.

キャラバンは命中しなかった砲弾の束(※6)だ。
キャラバンは顔に投げかけられた塩(※6)だ。
キャラバンは3度目の乾杯(※7)だ。静寂のひとときだ。
誰かが死に、誰かが生き残る…。
キャラバンよ、キャラバンよ、キャラバンよ。

  • ※1⋯おそらく戦場から遠く離れたソ連国内、内地のこと。この節では復員兵の視点で情景が描かれている。

  • ※2…死んだ戦友の遺体がキャラバンのトラックに乗せられて行ったことを指すか。

  • ※3…アフガニスタンの公用語であるダリー語で、ソ連人を指す言葉。アフガン侵攻時におけるソ連軍・ソ連兵に対するネガティブなイメージを含意する。侮蔑的な呼称か。

  • ※4…アフガン侵攻時のソ連地上軍が装備していたアサルトライフルのひとつ。付属のスリングを肩に掛けて携行する。また、総じて銃器は重い。この文章では、肩に銃の重みを感じない=内地で銃を持たずに暮らしていることを示している。

  • ※5⋯「信心深い」山賊とは、アフガン侵攻時のソ連軍が戦っていたムジャーヒディーンのことを指す。ムジャーヒディーンとはムスリムの戦士のことで、宗教心に裏打ちされた彼らのことを「信心深い」と表した?

  • ※6…どちらも無意味で不愉快なものの喩えか?戦争それ自体をキャラバンに喩えているようにも思える。

  • ※7…死者への追悼を表す。ソ連軍・ロシア軍においては、アフガン侵攻の頃から、宴席で静かに三度乾杯するという行為が「帰らぬ者へ」「死んでいった友へ」「もはや遠くへ行ってしまった者へ」という意味を持つようになった。その際は、杯をお互いに当てることはせず、上に掲げ、静かに飲み干す。

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