つなぐ食卓
去年の秋、4歳の姪と3歳の甥とスイートポテトを作った。祖母の家の畑で芋掘りをして、その日のうちに一緒に調理をして食べた。
甥はさつまいもを蒸す作業に痺れを切らし、早々に大好きな恐竜のもとへ行ってしまったが、姪は自分が掘り起こしたさつまいもと根気強く向き合った。
祖母と、姪と、甥が掘り起こし、小さな手で一生懸命泥を落としたさつまいもをわたしが切る。切られたさつまいもを、姪が蒸し器に入れる。湯気の立つ鍋を見ながら、「まだー?」「まだー?」と何度も尋ねてくる。
蒸しあがった芋を2人でつまんで思わずにっこり。用意していた材料とつぶしたさつまいもを混ぜれば、あとはオーブンに任せるのみ。
お絵描きに夢中になっていた姪が、ピー、ピー、と焼き上がりを知らせる音を聞きつけ、一目散にオーブンに駆け寄った。「いい匂いするー!」とまたにっこり。
「これはママにあげる」と2切れのスイートポテトを、彼女がいつも使うお皿にとった。おいしいものはみんなで食べたほうがおいしいのだ。大切なことを彼女はもう知っているみたいだった。
スーパーには季節を問わず同じ野菜が並んでいる。私たちは季節ごとの食材の変化を気に留めることが少なくなった。
野菜だけではない。資本主義的な大量生産、低コスト、効率性重視の工場生産による規格食品。標準化されてしまった「味」。コンビニにいけば、24時間365日スイートポテトが売られている。規格化された食品には季節による変化も、作り手や土地による違いもない。
食材への信頼、伝統、農作業、どんな食べ物にも、人と人とのつながりが宿っているはずなのに、普段の食卓でそれを感じることが難しくなりつつある。
未来のためにできること。
丹精込めて育てられた食材を、消費者にも生産者にも適正な価格で購入し、調理して、共に食べることで、人と人とがつながること。
その正しい営みは、やがて自分にも返ってきて、身体と心を養ってくれる。
人と、自分と、未来をつなぐ食卓。
できたてを頬張りながら「おいしいね、すごいね」と繰り返す姪が、何かを感じ取ってくれたのかはわからない。祖母の育てたさつまいもを、みんなで調理して食べた。彼女のなかでこの経験が息づくことを願う。