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創作の仲間は大切。そして誰かの創作仲間である自分も大切

新年あけましておめでとうございます。
シナリオ・センターの新井です。

創作に仲間は必要か?について、新年いっぱつ目に考えてみたいと思います。
結論から言うと、仲間は必要、だと思います。

これは、10年くらいシナリオ・センターで、脚本家や小説家を目指している方を見て、そして、出身ライターの方々と話をしたりすることを通して思ったことです。

シナリオ・センターとはシナリオ・センターは、1970年からシナリオ(脚本)、小説を書きたい方向けに講座をして50年。ジェームス三木さん、内館牧子さん、岡田惠和さんなど700名以上の脚本家、小説家が誕生しています。
祖父の新井一が投げ打った私財で、できあがった教室です。
https://www.scenario.co.jp/

※イラストの両サイドの絵は、後半にならないと意味がわからないと思います。すみません。

創作は孤独な作業というけれど……

そもそも創作は孤独な作業でしょうか?
書いているときは、一人ぼっちです。アイデアをみんなで出したとしても、書くときは結局ひとりです。そういう意味では、創作は孤独な作業だといえます。

でも、それって、創作に限ったことではありません。

誰かと呑んでいても、自分とまったく同じように、その場を感じている人はいません。
お互いの気持ちを確かめ合っていても、同じ温度なのかどうか、確かめようはありません。
そもそも、人間はとっても孤独な生きものです。だから、創作に限った話ではないわけです。ローランドか、それ以外か。と同じように、どこまでいっても、自分か、それ以外か。でしか世界はあり得ません。

映画『BELUSHI べルーシ』は、稀代のエンターテイナー ジョン・べルーシの半生に迫るドキュメンタリー映画です。
べルーシは、ダン・エイクロイドら才能豊かな仲間と一緒に、『ブルース・ブラザーズ』などさまざまな作品を創っています。個人的に映画『ブルース・ブラザーズ』は、好きな映画10本の中に入ります。

でも、ドラックに溺れていきます。仲間の助けも家族の助けもあったけど、そこには、べルーシでさえも理解できない孤独があったのだと思います。
じゃあ、やっぱり創作に仲間は必要ないのか?と言われれば、それは違うと思いと言いたいのです。

ひとりぼっちだと、世界がどんどんちぢこまっていく

べつに、誰かといつも一緒にいる必要なんてない。レオナルド・ダ・ヴィンチは、めっちゃ孤独を愛していたそうですし。

でも、一人で完結してしまうと、世界はどんどん小さくなってしまいます。昨年の6月からキッズシナリオ『考える部屋』と子ども向けのオンライン講座をしていて思うことがあります。

対象となる小学5年生から中学生は、きっと、自分の作品をそれほど多くの人に見てもらっていないだろうということです。恥ずかしかったりするでしょうし。

で、半年くらい隔週で講座をやって思ったのが、かれらの発想にそれぞれクセがあるな、ということです。
すごっく大雑把にいうと、右脳的な独創力がすごい子と、左脳的な理詰めで面白いものを書く子に分かれます。これはどちらがいいとか悪いとかの話ではありません。

かれらは、すでに自分なりの発想の型を持っています。逆にいえば、自分の型の中でしか、発想できずにいる、ともいえます。

なぜなら、いままで、自分と同世代の仲間と、作品を通して対峙したことがなかったからです。かれらは、創作者としては、ずっと孤独だったと思います。その孤独が、自分の型を強固にもしてくれるし、型を破れなくもしてしまいます。

でも、かれらはお互いに、うすうす気づいています。

「なんか、自分とは全然ちがう角度から発想しているな」

それが、それぞれの作品への感想にも、表れています。

ひとりぼっちで創作に取り組んでいたら、絶対に気づかないのが、ここです。創作は孤独だからこそ、仲間が必要なんです。
※『考える部屋』の場合、右脳型の子は左脳の発想、左脳型の子は右脳の発想がで
きるようにと思っています。

出身ライターの方々も、仲間を大切にしている

ゲスト講師に来てくださる出身ライターの方々も、プロになった現在でも、創作仲間をとても大切にしていらっしゃいます。

先日『アニメシナリオ講座』で講師をしてくださった脚本家の広田光毅さんも、コロナ禍前はよくゼミで一緒だった仲間と呑んで、お互いの近況をやりとりしていたそうです。

小説家の柚木麻子さんは、たった一人でもいいから、自分の作品を読んでくれる読者を持つことが、小説家のはじまりというお話を『Theミソ帳倶楽部』という公開講座でしてくださいました。

仲間がいて、切磋琢磨するからこそ、創作という孤独な作業に耐えることができるのではないかと思います。

というか、これも創作に限った話ではないですね。ぼくたちの活動の全てが孤独であればこそ、そこには刺激してくれる仲間の存在が欠かせないのだと思います。

あたり前を大切にする、大切さ

あなたの作品について、いいことも悪いことも含めて、熱心に関わってくれる人がいるとしたら、大切にしたほうがいい。
そばにいるときは鬱陶しく感じることもあるかもしれないけれど、いなくなったら取り戻すことはできません。

2021年の初めに、『世界は贈与でできている』という本を読みました。そこには、日常というのが、いかに不安定なところで成立しているかという話がありました。

僕らはついついこのボール(=社会)がくぼみに置かれた安定つり合いだと思い込んでしまいます。安定つり合い、つまり復元力が働いているが故に、少々の社会的混乱を自然に収まると思い込んでいます。<中略>
この世界は、安定とは真逆の、「丘の上に偶然置かれたボール」のような状態なのではないでしょうか。ギリギリの均衡を保ち、かろうじて、昨日と同じような今日はやってくる

世界は贈与でできている』P192

ぼくらが『あたり前』と思っているものは、けっこうもろくて、簡単に壊れてしまうものです。実際、2020年以前の日常は、あっという間に非日常になってしまったもの。

だからぼくらの日常に、自分を刺激してくれる仲間がいるのであれば、それはとっても大切にしないといけないわけです。
そして、自分自身も誰かの仲間として、大切にしないといけないわけです。

そんなことを思っていると、映画『ブルース・ブラザーズ』の『Everybody Needs Somebody To Love』の響き方も、いつもと違って聴こえてきます。

誰もが誰かを必要としている
I need you you you
I need you you you

これをまたジョン・べルーシが歌っていると思うと、二度泣ける!
そんなことを思った2022年なのでした。

▼シナリオ・センターが思う仲間の大切さ▼


シナリオ・センターは『日本中の人にシナリオをかいてもらいたい』と1970年にシナリオ講座を開始。子ども向けキッズシナリオも展開中。アシスト、お願いします!! https://www.scenario.co.jp/project/kids_assist/index.html