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【古代ギリシャ語・ラテン語学習者のつぶやき】「泣いてもいいよ!ステッカー」の話と、古代ギリシアの出生率の話

全国の様々な自治体で、公共の場での「泣いてもいいよ!ステッカー」の導入が進んでいることについて、ネットでは賛否双方の意見があるようです。

私も子供を持つ親としてヒトコト

賛否双方の意見があるのは当然だと思いますし、こういう議論を議論として取り上げられてくれるだけでも泣きそうに嬉しいです。あ、泣きそうなのは赤ちゃんではなく、この場合は親の私のほうですが。

赤ちゃんを育てている最中の親にとって何がつらいかというと、社会からいろんな意味で孤立していくことなんです。それまでは何でもなくできていたことが、急にできなくなったり。人間関係も急に自然縮小していったり。

ステッカーへの反対意見を出している人についても「そこまで自治体がやるべきじゃない」とか「そこまで優遇しなくてもいい」とかいう意見なわけで、私からすると「いやでも議論してくれるだけで何だか私の孤独感が薄れていくのを感じます、ありがとうございます!」と言いたくなりますね。

だってこれまでは電車の中で子供が泣きだしたら、「チ」とか「アーア」とか「ウザ」とかいう小声にビクビクして冷や汗をかいていたわけですからね。「どうあるべきかをみんなが議論している」と分かっているだけでもずいぶん気が楽になります!

ところで突飛な視点を提出するようですが、ある研究によると古代ギリシアでは一人の女性が生涯に産む子供の数は5~6人だったそうです。現代と圧倒的な差に見えますが、たぶん、昔の日本もこれくらいだった時期があるのではないかな。

年配の方と育児関連の議論でイマイチかみ合わないのは、このあたりかもしれないですね。奇妙な言い方になりますが、昔と今とでは子供一人あたりの重みが全然違うと思うのです。

子供の数がせいぜい1~2人の家庭ばかりの社会では、「もしこの子が大病やオオケガでもしたら」と考えるだけで親は胃袋がひっくり返りそうな不安にやられて、いつも防衛本能、感情もつねにピリピリしますし。

社会そのものも子育て経験者の割合が減って、子供というものをよくわかっていない人が増えると、「親がアヤせば子供なんて泣きやむでしょ?」などと単純に考える人もとうぜん増える

その双方が出会うと不幸なことにしかならないので、やはり議論の場をいっぱい作るしかないですね

でも少子化は実は悪いことばかりでもないんです。これもあくまで、ある研究による仮説ですが、「少子化が進んでいる国と国は戦争をしない」傾向だそうです。

ぶっちゃけ、ちょっとアヤしい仮説ですが、でも「そうかも」となんとなく思うところもありますね。

古代社会なんて戦争への兵士の供給は滞ることがありませんでしたからね。「うちには五人も男の子がいるんだから、一人や二人くらい戦死しても家庭はなんとかなる」というわけですね。なんだかんだ、いろんな意味で、僕らは古代社会には戻れないわけです。そして、戻らないほうが、きっと、いいのです。

子供の時の私を夜な夜な悩ませてくれた、、、しかし、今は大事な「自分の精神世界の仲間達」となった、夢日記の登場キャラクター達と一緒に、日々、文章の腕、イラストの腕を磨いていきます!ちょっと特異な気質を持ってるらしい私の人生経験が、誰かの人生の励みや参考になれば嬉しいです!